「それはホロコーストの”リハーサル”だった」より4.「プロパガンダ」
今日は1月5日。
前投稿に引き続き、
2015年11月7日放映の
【ETV特集 それはホロコーストの”リハーサル”だった
~障害者虐殺70年目の真実~】より
ナレーター:
殺害施設では、医師の他、看護士、運転手、遺体を焼却する人など、
多い時には、100人近くが働いていました。
事前に仕事の説明を受け、ここに来た人たちでした。
歴史学者ハンス=ヴァルター・シュムール教授:
当時、精神病院で働いていた看護士や介護士は、
無条件で医師の指示に従う時代でした。
また、彼らは何年もかけてプロパガンダの連続射撃を受けていました。
殺すべき患者は他の人より価値が低い人間だと
教え込まれてきたのです。
それで事故を正当化できたため、
より気楽に関与できたのではないかと思います。
ナレーター:
グラーフェネックで働いていたある看護士の戦後の証言です。
仕事が生きがいだったというエマ・ベリン。
看護士になって12年目。
31歳の時にベルリンで緊急業務命令を受けました。
その際、こんな説明を受けたと言います。
「治療不可能な精神病患者が、
国や国民、家族の負担になっているため法律が作られた。
いわゆる安楽死計画によって、精神病患者に”恵みの死”を施し、
命を終えてもらうことになった」
「我々はそのために選ばれ、
法律および計画を実行させる義務があるのだと。」
施設から離れた空き地にガス室が作られ、
その近くに焼却炉がありました。
エマの仕事は、バスで到着した患者を受付までつれて行くことでした。
その後、障害者患者たちは、医師の診察を受けて、
シャワーを浴びると言われて、シャワー室へ。そこがガス室でした。
ナレーター:
(中略)
供述の最後に、エマはこう述べています。
「もう一度、次のことを述べさせていただく。
私は生涯一度も悪いことをしたことがない。」
「私は常に勤勉で、特に患者に対してとても良心的だったので、
患者にも人気があり、上司の評価も良かった。」
「そのような法律が本当にあると私は信じたのです。」
プロパガンダによる洗脳のため、施設で働いていた人たちは、
自分たちが行っていることは正しいことを思っていたのです。
人間の正しい判断は、後になればわかりますが、
その時代、その場所にいた人たちにできるかと言ったら、
やっぱり難しいことなのでしょう。
もちろん今だって正しい判断をしているかどうか。
後の人が見たら、とんでもないことをしているかもしれません。
基本は命の扱われ方だと思うようになりました。
命の扱いが軽い場面は、何らかの問題があるはずなのです。
まだ続く。
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