8月23日 田原市に行ってきました
今日は8月27日。
8月23日に田原市に行ってきました。
目的は2つ。
①田原市博物館の企画展「戦後70年 渥美半島と戦争」に行くこと
②田原市 渥美線電車機銃掃射の現場に行くこと
大学生の娘と行ってきました。
①田原市博物館に行きました。
お城の跡にできた博物館だけに、洒落ています。
企画展を見てきました。
戦争に関するいろいろなものが展示されていましたが、
「強力消火弾」に興味を持ちました。
※企画展のパンフレットより
空襲による火災を消すために生産が始まりました。
よく見ると「竹村式強力消火弾」と書いてあるように見えます。
調べてみました。
次のサイトが参考になります↓
いったいどのような液体が入っているのでしょう?
Wikipedia 消火弾 によると、塩化アンモニウム、炭酸ナトリウム、
あるいは毒性のある四塩化炭素が含まれている可能性があるようです。
以前にも調べた伊良湖射場の紹介もしてありました。
さっそく行ってみようと思ったけど、時間的に難しく、後日にしました。
※ここでも道草 ペリリュー島に関するニュース5/父親の記憶がない遺族、戦車地雷(2015年4月15日投稿)
渥美線電車機銃掃射の現場に向かいました。
博物館からすぐでした。
サークルK近くのアパートの裏手のような場所でした。
北側から迫ると、道が細くて自動車では無理でした。
この踏切(豊島8号)が現場であり、碑が建っていました。
裏面には、機銃掃射で犠牲になった6名の旧成章中学校の
生徒名が彫られていて、その下に、
「昭和三十七年八月建立 遺族一同」とありました。
踏切を渡って、南側から撮影しました。
豊橋方面を写しました。
右手に土手があって木が茂っています。
この土手について、
以前にも紹介した鈴木哲也さんはこう書いています。
※参考:ここでも道草 渥美線電車機銃掃射 証言者の声(2015年6月28日投稿)
(電車が)止まったところの右手は土手、反対側には家がありました。
自分のいる家側は逃げ場がないと思って、
本能的に土手側から外へ出たのです。(中略)
土手へ上がって後ろを向くと、
近づく飛行機が目に入り、ぐんぐん近づいて来て、
手の届きそうなくらい低空で、目の前を横切って行きました。(中略)
すぐさま土手を駆け上がると、右手上は若い松林でしたが、
ひとまず身を隠すために逃げ込みました。
運よくそこには、僕一人が入れるくらいの穴があったので、
夢中で潜り込みました。
(「証言 渥美線電車機銃掃射/豊川流域研究会」53p)
まさに現場でした。
一つ豊橋寄りに行ったところにある踏切(豊島7号)から、撮影しました。
ちょうど通過する電車の左手にあるのがその土手です。
機銃掃射された時の車両は2両。
写真の電車の田原寄りの2車両の位置ぐらいだったのでしょうか。
運転士が必死に土手で車両を少しでも隠そうとしたことを
うかがい知ることができました。
現場に行くと、想像力が働きます。
現場に行くことは大事です。
コメント