抜ける時はいっき・・・初のゴボウ抜き体験報告
今日は8月2日。
「ゴボウ抜き」体験の報告。
7月30日に、同僚のSさんの実家へ。愛知県作手村。
そこでいよいよゴボウ抜きをしました。
これが畑にあったゴボウ。
花が咲くのは、「とうがたった」状態であって、食用には手遅れだそうです。
したがって、農家の人だから、必ずしもゴボウの花を見ているというわけではないのです。
これが茎の根元。
マルチを破り、茎を取りのぞいて、掘りはじめました。
棒とかを使って掘りましたが、ここらで限界。
「確か水を入れて掘っていた」とSさんの記憶で、水を入れることにしました。
(Sさんは若者。子どものころに手伝った時の記憶)
これで、掘りやすくなり、さらに抜きやすくなりました。
そして抜けました!
私のは茎葉がありません。わかりますか?
これです↓ 記念すべき初ゴボウ抜きの1本。
もう1本ずつ抜きました。合計4本。
この収穫は、全ていただいてきました。
ありがたいです。
どうやって食べよう。
結論。ゴボウ抜きは大変でした。簡単には抜けません。
それではなぜゴボウ抜きという言葉が生まれたのでしょう?
※参考:ここでも道草 6月中旬の花々4/ゴボウ他(2012年8月2日投稿)
上の投稿では、こう書きました。
駅伝などで、短時間で多くの人数を抜くことを言います。
語源はこのゴボウ。
ゴボウは抜きにくく大変な作業であり、
ぬきにくいものをいっきにぬくことから、
「ゴボウ抜き」が生まれたようです。
とりあえず調べて書きましたが、納得のいく文章ではありませんでした。
ゴボウ抜きを体験してみて、考えました。
ゴボウ抜きは、とても大変なことです。
そして、駅伝などで、たくさんの人たちを抜くことも大変なことです。
掘って、水を入れて再び掘って、ゴボウを折れないようにゆすって、
抜けそうだと思ったら、いっきに抜きました。
抜ける時はいっきです。(これが体験して特に感じたこと)
「大変なこと」を、「いっきに抜く」ところが共通しています。
だから、実際のゴボウ抜きが語源になって、「ゴボウ抜き」という言葉が生まれたと考えます。
いかがですか?
ミニ「夏休みの自由研究」ができた心境です。
子どもたちにも、こういう自由研究を薦めたいです。
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