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2011年5月

2011年5月 8日 (日)

よっちゃんの話「なぜお母さんというか」

  

今日は5月8日。

先週の金曜日(5月6日)、FM豊橋の渡辺欣生(よっちゃん)の話。

なぜ「お母さん」は、「お母さん」と呼ばれるか。

もとは武家の呼び方である「御方様(おかたさま/おんかたさま)」がもとだそうです。

御方様は「北の方(きたのかた)」から来ています。

武家の奥さんは、家の最も奥(つまり北)にいたため「北の方」と呼ばれました。

「北の方」→「御方様」「方様(かたさま)」→ここですんなり「お母さん」になったわけでなく、

江戸末期、呼び方が2分されます。

武家社会では「お母様」「かか様」、庶民は「おっかあ」だったそうです。

今、私の息子はよく「あっかあ」と言っています。さすが庶民!

お母さん」が誕生したのは、明治の終わりの頃の国定教科書。

上流階級と庶民の呼び方の中間をとって、「お母さん」を教科書上に登場させました。

これは不評でした。

そんな言い方はだれもしていないと。

でも国はこの言葉を変えずに通しました。

その結果、「お母さん」が当たり前になったというわけです。

その国定教科書は揶揄されて、「お母さん読本」と呼ばれたそうです。

以上がよっちゃんの話。こんな面白い話を、巧みな話術で話すので、引き込まれました。

   

     

「お母さん読本」が気になります。

次のサイトによると、

明治37年の国定教科書で、ここで「お母さん」だけでなく、「お父さん」も登場したようです。

「父の影は薄い」.html

明治37年は1904年。107年前。

時代劇の「お父さん」「お母さん」は存在しない。

武家ならば「おととさま」「おかあさま」、庶民なら「おっとお」「おっかあ」

まあ、そうなっているかな。

今晩のドラマ「JIN~仁~」第4話もそんな視点で見てみるか。

    

今日は母の日。

 

 

 

2011年5月 7日 (土)

水性ペンの色それぞれ

 

今日は5月7日。

最近筆箱内の水性ペンを何本か買い換えました。

RIMG0011トンボの水性ペン 
   

現在筆箱にあるのはこの4本。

ペンをよく見ると、色の名前が書いてありました。

「きょうむらさき」「ふじいろ」「つつじいろ」「わかたけいろ」

いいですねえ~、ただの「むらさき」「あか」「あお」といった色でないのが楽しい。

   

「きょうむらさき」は「京紫」

一般的には紫草で染めた赤味の紫のこと。

古来の紫色が、江戸時代に広まった南部紫、鹿角紫、江戸紫との差別化のため

産地の名を冠して呼ばれるようになったもの。(Wikipdia)

サッカーチーム「京都サンガ」はこの色をチームカラーにしています。

Sangarogo 
   

    

「ふじいろ」「つつじいろ」については、

この季節はタイムリー。実際に花の色を見ることができます。

RIMG0044 RIMG0045 つつじの花。

    

RIMG0052 校庭のフジとヒトツバタゴ。

   

この水性ペンは、トンボの「プレイカラー2」シリーズ。

他にもいろいろな色があります。

Img_colors02 
 http://www.tombow.com/products/playcolor2/index.html

   

「トマトレッド」「ショコラ」とか気になる色です。

 

 

 

蜆塚3/屋外にある蜆塚貝塚

   

今日は5月7日。

前投稿のつづき。

RIMG0127 RIMG0136

浜松市の蜆塚公園の屋外にある蜆塚貝塚

浜松市博物館内にあるはぎ取った貝塚も見ごたえがありましたが、

実際に発見された場所にあるこの貝塚もいいです。

   

アップ写真を載せます。

RIMG0129 RIMG0131
本来は腐食しやすい骨が発見されるのは、

貝塚がカルシウム分に富むためだそうです。

カルシウムが溶け出し、弱アルカリ性土壌になったため、

腐敗が抑えられたようです。

    

RIMG0132 RIMG0133
かろうじて針がわかります。

動物の骨や角(つの)、牙、殻等で作られた人工物を「骨角器」と言います。
   

   

RIMG0134 RIMG0135

前投稿でも登場したアカニシ。

このアカニシをもう少し調べていたら、

私の家からもっと近所にアカニシも出てくる貝塚遺跡があることが判明。

豊川市内にある平井稲荷山貝塚です。

たとえば次のサイトが参考になります。

「豊川市 平井稲荷山貝塚」.html

「NET-PLAZA平井稲荷山貝塚」.html

ここなら自転車でも10分で行けます。

次に行きたい所まで見つけられてラッキー。
   

    

RIMG0130 
貝塚の表面にはりつくセミの抜け殻。

ここで羽化したセミがいたんだ。

幼虫は貝塚の土中で生活していたのか?
   

    

    

蜆塚公園はここにあり。

子どもたちに薦めよう。

佐鳴湖は昔はもっと広くて、蜆塚公園近くまであったと予想されています。


 

蜆塚その2/浜松市博物館の貝塚断層

 
  

今日は5月7日。

前投稿のつづき。

振替休日の5月2日、浜松市の蜆塚公園へ。

この日、遠足で訪れている小学生たちがいて、にぎやかでした。

RIMG0141 RIMG0089
   

公園内には、縄文時代の復元家屋があります。

     

公園内の浜松市博物館へ。

RIMG0090 
  

この博物館がとても良かった。

縄文時代から現代に至るまでの浜松市の様子が、

いろいろな展示物と、少し大きめの文字の説明によるパネルで紹介されていました。

    

浜松市の小学生は、必ず来ている場所だろうなと思いました。

ここに来れば、きっと歴史が好きになるだろうと思いました。

   

さて今回の注目はこれ。

RIMG0101

貝塚の断面を樹脂で固めてはがしたもので、、その厚みは見ごたえがありました。

アップ写真も撮りました。

    

RIMG0092 RIMG0093
「アカニシ」は巻貝。

Wikiediaによると、、「愛知県の三河地方や瀬戸内海、有明海などでは

食材として流通しており、比較的人気も高い。」とのこと。

三河地方にすむ者としては、ほっとけない貝ですが、

食べたことあったけなぁ。

まあ、三河地方といっても、広いですから。

     

RIMG0094 
貝塚で最も多いのは「ヤマトシジミ」

「蜆塚」という地名があるほどですから。

淡水と海水が混ざり合う汽水域に生息する貝。

   

 RIMG0095 RIMG0097

RIMG0098 
 

こんなにじっくり貝塚を観察したのは初めて。

まさか自分たちのゴミ捨て場が、

後の時代にしっかり調査されるとは古代人は思わなかっただろうな。

ちなみに、こういった貝塚の研究は19世紀後半にデンマークで始められたそうです。

最初は自然に堆積したものと考えられましたが、

動物の骨や、土器が一緒にあることから、人工的なものと判明したそうです。

    

こんなに近くに貝塚が観察できる場所があるのは幸運。

子どもたちにも宣伝しよう。

   

蜆塚公園には、屋外にも貝塚を観察できる場所があります。

次の投稿で。

 

 

 

 

 

2011年5月 6日 (金)

蜆塚その1/貝塚調査の歴史/浜松市博物館

  

今日は5月6日。

東京書籍の6年社会科教科書「新しい社会6上」9p、

縄文時代の学習のページに、浜松市の蜆塚(しじみづか)貝塚のことが載っています。

EPSON002シジミ塚 
   

比較的近くにいい所があるぞと思って、

連休中の5月2日(勤務校は振替休日)に行ってきました。

行った時の写真や報告は次の投稿に。

   

蜆塚遺跡に関する歴史を、浜松市博物館のHPより抜粋してみます。

「蜆塚遺跡の調査履歴」htm

   

1713年 (正徳3年)医学者杉浦杉浦国頭が、

      著書『曳馬拾遺』に「蜆塚という場所で土を掘ると

      シジミの貝殻ばかり出て不思議だ」と記す。

   

※この時点では、この程度しかわかっていなかったということです。

 しかし、地名が「蜆塚」だから、すでにシジミの貝殻がよく出る場所だったのでしょう。

    

1839年 (天保10年)入野村の竹村広蔭が、

      著書『変化抄』に「蜆塚の貝殻を畑の肥料として掘り出すことがさかんになり

      貝の山が失われた。

      地名の由来なので庄屋が運び出しをやめるよう願い出た」と記す。

    

※まだまだ遺跡という発想がなかったのでしょう。とても面白い。

      

1877年 (明治10年)東京大学のエドワード・モースが東京都大森貝塚で、

      日本で初めての縄文時代貝塚発掘調査をする。

       

※大森貝塚の発掘調査が、日本で初めての本格的貝塚研究とのこと。

 蜆塚貝塚もやっと遺跡として発掘調査が始まるわけです。

 今、子どもたちに教えている縄文時代やら貝塚やらは、

 ほんの130年ほど前の研究でわかったことなのです。

 漫画・ドラマ「JIN~仁~」でタイムスリップした幕末には、なかった知識なのです。

 そう思うと不思議です。今から100年たったら、学校ではどんなことを教えているのだろう。

     

1955年 (昭和30年)浜松市による蜆塚遺跡の発掘調査が開始される。

       全国の学者や市内の学生体が参加した本格的な調査。

       以後第四次調査までつづく。 

    

1959年 (昭和34年)蜆塚遺跡が、国指定史跡となる。 

    

1960年 (昭和35年)蜆塚遺跡見学のための整備、保存施設が完成する。

   

※こうして、蜆塚貝塚は見学が可能に。

 さらに1979年に蜆塚貝塚を含む蜆塚公園内に浜松市博物館が開館。

 今回は、この浜松市博物館にも行きました。(次の投稿につづく) 

「積水ハウス」と孫子

  

今日は5月6日。

以前、孫子のことを書いた日めくりを載せました。

最高の勝ち方は、戦わずして相手を屈服させること。

そう書いてありました。

「4月21日の投稿」.html

今日の日めくりは、その実践編。

EPSON003sonnsi 
やっぱり孫子は深い。

    

   

昨日調べものをしていたら、ひょいっと孫子が出てきました。

日めくりで孫子に興味が出てきていたところだったので、

ここにも孫子!と愉快でした。

   

「積水ハウス」の「積水」が気になりました。

なぜ「積水」何だろう?

創業者の名字だろうか。

きっと私同様に疑問に思って調べている人がいると予想して検索。

ヤフー知恵袋で投稿している人がいました。

「どうして積水」9

そこから、西日本セキスイ商事株式会社HPへ。

「セキスイの社名由来」html

そこに「積水」のことが書いてありました。

名字ではなく、孫子に関係がありました。

引用します。

   

孫子の兵法の第四 軍形篇の言葉を引用したものです。

「勝者の戦いは、積水を千仭(せんじん)の谷に、

                    決するがごときは、形なり。」

   

<この言葉の意味は> 

 勝利者の戦闘というものは、満々とたたえられた水(すなわち積水)

を深い谷底へ切って落とすような、激しい勢いの得られる形のもとに

一気に決める。

<企業活動にあてはめると>

事業活動では、必ず「問題」や「課題」に直面する。

これを破るには、相手の実情をよく知り、充分な分析をしたうえで、

当方の体制をつくり、満々たる積水の勢いをもって、勝者の戦いを

 することが大切である。

    

   

このような意味があったのですね。

勉強になりました。疑問を持つことがラッキーです。

2011年5月 5日 (木)

纐纈歩美さんの名前を見かけました

   

今日は5月5日。

大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」のラストの紀行コーナーで、

バックに流れる音楽担当者名に覚えがありました。

  

纐纈歩美

     

昨年の11月の投稿。

「纐纈」という名字.html

「纐纈」という苗字にこだわって書いた時に、

有名人はいないか探して出会えた名前の一つが、

岐阜県出身のサックス奏者「纐纈歩美」さんでした。

メジャーデビューは、昨年の7月でした。

まだ新人さんだったんだ。

でもこうやって再会できて、演奏まで聴けました。

こういう偶然が楽しい。

4月20日に2枚目のアルバムが出たそうです。

Peo1104211615000-p9 
  

どうしようかな?

 

 

 

2011年5月 4日 (水)

東日本大震災新聞スクラップ25/5月3日

   

今日は5月4日。

大震災新聞スクラップ。

  

【5月3日朝日新聞朝刊】

EPSON004遠藤さん 
昨日もブログで書いた宮城県南三陸町の遠藤未希さんの

遺体が確認されたことを伝える記事です。

    

    

EPSON005小松さん 
ここにもグッとくる言葉を含んだ記事がありました。

行方不明の娘の携帯に電話。伝言メッセージに「会いたい」と告げる父親。

彼は言う。

「簡単に撤去と言うがね、ここには家族のとこさ早く帰りたいご遺体が、

見つかるのを待っているのさ。

みんな出してやらんと、復興なんて言えない。」

    

まだ大槌町だけでも1000人近いとのこと。

発見されない一人一人に、待っている人たちがいる。

    

     

EPSON006名古屋の記者 
先日もスクラップしたが、名古屋の記者・カメラマンの報告記事が気になります。

これもその1枚。

もしかしたら、同じ愛知の人なので、

近い視点で現場を見ているからだろうか。

私が現場に行ったら、こう思うんだろうなと思いつつ読んでいます。

津波に飲み込まれる人を見た7歳の男の子。

人生にプラスに生かせよと、高学年で出会ったら言いたい。

 

    

     

 

広報の表紙になった三明寺・ポピーの花園

   

今日は5月4日。

地元の広報の表紙です。

「広報にポピーと三重塔が載ってたよ」と教えられて、

今朝初めて見ました。

EPSON003広報とよかわ 

ポピー(ヒナゲシ)の花園の向こうに三明寺の三重塔。

そうか、こんなふうに両方を撮ることができるんだと思いました。

写真の説明によると、昨年5月の撮影でした。

昨年は全く知らなかった三明寺とポピーの花園。

通勤コースを少し変えたことで、未知だったことがどんどん見えてきて楽しい。

    

今年の5月2日に撮影した三明寺傍らのポピーの花園。

RIMG0084ポピー1 

RIMG0087ポピー2 
  

今が満開。近所の人は是非足を運びましょう。

 

向こうの森が、三明寺です。    

6日の出勤時には、広報の表紙写真の撮影位置を探ろう。

2011年5月 3日 (火)

ドラマ「鈴木先生」第2話を見た

 

今日は5月3日。

昨晩はドラマ「鈴木先生」を見ました。

20110420_1427941

第2話でした。

第1話は少し番組タイトルに興味を持ったけど、見ませんでした。

でも第2話は、この番組紹介記事を読んで、俄然見る気になって実行しました。

EPSON001鈴木先生 ※5月2日朝日新聞朝刊

「鈴木先生の武器は過剰に悩むことだ」

「ささいな問題でも、徹底的に考える鈴木先生の姿は一見滑稽だが、

問題が多様化する今の学校には、

鈴木先生のような繊細さと論理性が必要なのかもしれない。」

   

子どもって意外に?いろいろ考えて行動している、

行動にはわけがあります。

その「わけ」がわかると、子どもの行動が見えてきて、へんな対応をしなくてすみます。

でも「わけ」は、すぐに気がつきません。

何でだろうと思い続け、観察していると見えてきます。

そんな体験をちょくちょくします。

鈴木先生の手法に共感するものを感じ、見てみました。

期待通りのドラマでした。

番組紹介記事のおかげです。

     

実は、ドラマ「JIN~仁~」の番組紹介記事もなかなか良かったです。

EPSON002JIN ※4月17日朝日新聞朝刊

「江戸の世界に引き込まれ、直球のせりふに落涙。

圧倒的な熱量に毎週の放送を待ち焦がれることになりそうだ。」

   

そうか、このドラマのいいところは、「圧倒的な熱量」なんだと納得してしまいました。

    

   

2つの記事の筆者は、ともに久保智祥という方でした。

ちょっと気になりだした記者です。


   

 

 

 

 

 

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