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2011年5月

2011年5月 3日 (火)

東日本大震災新聞スクラップ24/5月1日   遠藤未希さん発見

   

今日は5月3日。

今朝のニュース番組で、

宮城県南三陸町の遠藤未希さんの遺体が発見されたことが報じられました。

このブログでも今まで4回、遠藤さんについて書きました。

※前回は4月12日でした。「大震災新聞スクラップ4月11日」.html

遠藤さんの死が決定的になりました。波にのまれさぞ苦しかったでしょう、痛かったでしょう。

その時の恐怖は想像できないものでしょう。

そうやって思いやることしかできず。

    

5月1日のサンデー・フロントラインという報道番組に、

元TBSキャスター下村健一さんが出演。

001 
※「テレビにだまされないぞぉ」http://dametv.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/post-1025.html

   

現在、内閣審議官広報担当という役職にいて、

菅総理大臣を助けて一生懸命復興のために尽くされていることがわかりました。

やつれている姿を見て、司会の小宮悦子さんが、

「少し体を休めてください」を声をかけました。

その時下村さんは、遠藤未希さんのことを言いました。

最後まで避難を呼び掛けて津波にのまれた遠藤さんのことを考えると休めないと。

   

ふたたびこの言葉を思い出します。

    

「人生意気に感ず」

意味は「人は、相手の心意気を感じて仕事をするものであり、

金銭や名誉のためにするのではない」ということ。

    

大震災の犠牲者・被災者の頑張りを知るたびに、

俺だって頑張ろうと思わせられます。下村さんもそんな気持ちなのでしょう。

この日の下村さんについては、次のブログに詳しいです。

内容に賛成です。

※「元TBSキャスター下村健一現内閣審議官広報担当の姿に感動した」

http://johokan.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/post-871e.html

   

     

5月1日にインターネットで見たニュースをスクラップします。

その日に記録しなかったら、

もう他のたくさんのニュースの中に埋もれていました。

見つけ出しました。

【5月1日 産経新聞】http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110501-00000079-san-soci

警察の使命感 学校生時に知った仕事の重さ

警察官の卵として初めての仕事は、収容された遺体をきれいに拭くことだった。

東日本大震災で甚大な被害が出た宮城県。

人手が足りない県警は警察学校生を現場に駆り出した。

髪の泥を拭った女の子の遺体、母親から差し出された小さな男の子…。

「警察官の仕事の重さを知った」。

厳しい現場を経た“卵”は今、使命感を胸に、

警察官として現場で不明者の捜索やパトロールを続けている。(楠秀司、中村昌史)

震災から3日後の3月14日夕方、

竹谷信宏さん(25)=現巡査=を含む41人の宮城県警察学校生に教官から思いもよらぬ命令が下された。

「明日から検視の仕事を手伝ってもらう」。

学校生たちはそれまで、宮城県名取市の高台にある警察学校に避難してきた人の世話などに当たっていた。

竹谷さんは「警察官になった以上、遺体と接することは覚悟していたが、まさかこんなに早くとは…。

『遺体はどんな状態なんだろうか』『苦しそうな表情をしているのだろうか』。

前日の夜は恐怖心で眠れなかった」と話す。

翌日、収容所でいきなり言葉を失った。

最初に対峙(たいじ)した遺体はまだ5~6歳の女の子。

悲しみを通り越してしまうほどの衝撃を受けた。

厳しい寒さの中、黙々と水でぬらしたタオルで体と髪に付いた泥を拭った。

竹谷さんとペアを組んだ警察学校生の女性は涙をこぼしていた。

検視の手伝いは約半月続き、70~80人の遺体をきれいにした。

中でも竹谷さんのまぶたに焼き付いている光景がある。

仕事中に声をかけられ振り向くと、放心状態の女性がたたずんでいた。

両腕に3~4歳くらいの男の子の遺体を抱えていた。

「息子なんです。きれいにしていただけませんか」

やり場のない悔しさを感じながら、

少しでもきれいにしてあげようと丁寧に体を拭き、納棺師に引き渡した。

このとき、警察官の仕事の重さと奥深さを感じたという。

子供のころに警察車両の展示会で「かっこいい」と思って以来、

ずっと警察官に憧れ続けた竹谷さん。

地元の大学を出て、一度は神奈川県警の試験に合格したものの、

「どうしても地元の治安を守りたい」と宮城県警の試験を受け続けたという。

3月末、警察学校を卒業。岩沼署地域課増田交番に配属された。

岩沼署は今回の震災で計6人が殉職するほど被害が大きい地域だ。

朝7時に出勤し、明るいうちは不明者の捜索、夜はパトロール、

翌日昼過ぎに寮に帰って寝て、また翌朝7時に出勤という過酷な毎日が続く。

休日はこれまで1日もなく、体力は限界を超えている。

それでも、「住民の方から『ごくろうさま』『ありがとう』といわれると力がわいてくる」。

いつ街が元の姿に戻るのか、想像もつかないが、

「とにかくやるしかない。一人でも多くの不明者を見つけたい」とがれきに立ち向かっている。

       

    

遺体の姿はニュース画面でも新聞写真でも出てきません。

でも遺体は必ずあるわけで、

そのことを少しでも知らないと真実を知ったことにはならないと思います。

間接的ですが、このようなニュースを読み、

災害地であったことを知りたいと思います。

 

 

     

     

     

 

2011年5月 2日 (月)

東日本大震災新聞スクラップ23/5月2日

   

今日は5月2日。

八十八夜。立春から数えて八十八日目。

春から夏に季節が移る節目の時。

今日は暑かった。自動車の気温計で最高24℃でした。

「黄砂」が初めて舞った日でもありました。

見るからに「黄砂」で視界が悪い日でした。

RIMG0088 静岡県浜松市三ケ日で撮影

    

     

大震災新聞スクラップ。

【5月2日朝日新聞朝刊】

EPSON0032日朝刊 

「想定外」の想定必要。

今回、大きな津波で被害を受けた人たちは、

津波を甘く見ていたわけではありません。

避難訓練もしていたし、

かつての大津波でどこまで水が来たかテープでわかるようにしてありました。

過去の大津波よりは、ひどいことにはならないだろうと考えたわけです。

それ以上はないだろうと思ってしまったのです。

その時点で未曾有の大災害だったら、そう考えてしまうのが当然でしょう。

でも、今回の大災害は、「想定外」を想定すべきだと教えてくれました。

    

名古屋の記者は、愛知でこの教えを生かすべきだと書いています。

有り得ないことはない。自然に対して思い込みは捨てよう。

2009年の「水俣病被害者救済特措法」

  

今日は5月2日。

ガイドブックを買ってきて、昨晩はiphoneと格闘しました。

おかげでいろいろできるようになりました。

余裕のある連休だからこそできたこと。

   

昨日は5月1日。

このブログのサイドバーにある「今日何の日」によると、

5月1日は「スズランの日」とありました。

なぜ?と思って調べました。

フランスに理由がありました。

   

フランスでは、この日に日頃お世話になっている人などにスズランの花を贈る習慣があり、

贈られた人には幸せが訪れると言われている。

http://www.nnh.to/05/01.html

        

なるほど。

5月1日の他の記念日を調べました。

   

水俣病啓発の日

2006年に制定。

1956年のこの日、熊本県水俣市の保健所へ市内のチッソ附属病院から

「原因不明の奇病」の報告があった。これが水俣病が広く知られるきっかけとなった。

   

とありました。

ちょうど50年たった2006年に制定したそうです。

中学校勤務の時に社会科の授業で何度か教えた「水俣病」

時の流れとともに風化しているのが事実。

2006年という最近の記念日制定が、

風化してほいくないという気持ちが込められているように思います。

「公害」という言葉すら縁が遠くなったように思えます。

「公害の原点」であり、四大公害病の一つである水俣病。

(他の3つは新潟阿賀野川流域の第二水俣病、富山県神通川流域のイタイイタイ病、

そして四日市ぜんそく)

そして今もこの病気で苦しんでいる人たちがいます。

2009年には水俣病被害者救済特措法という法律ができ、

被害者救済への動きがあったほどです。

私は法律について知りませんでした。

2009年のニュース映像。法律制定にかかわることです。

 

   

水俣病であるかないかの検診を受けなかった理由が、

差別を恐れたことと、情報不足のため。残念なことです。 

あらためて忘れてはならない公害病だと思います。

私も「スズランの日」を調べたことで思い出し、最新情報も知りました。

記念日制定は成功だと思います。

 

2011年5月 1日 (日)

やっと思い出した番組名、そして曲名

   

今日は5月1日。

   

職場での話。

棒つきの飴玉をなめていたら、

「刑事コジャック」のコジャックみたいだと言われました。

Kojak--img-mc2ede1e3cfbeebb3c7315ac2a7f4eed4 
  

「コジャック」と聞いて、他の番組のことがうっすら思い浮かびました。

主人公の名前が「コジャック」によく似ている覚えが・・・・

でも番組名が浮かびません。

「刑事コジャック」同様、昔テレビ放映されたアメリカのドラマで、

怪奇ものの事件を扱ったもの。その番組名が何だったか?

でもインターネットのすごさ。いろいろな単語を入力して検索していくうちにつきとめました。

「事件記者コルチャック」です。

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判明するとうれしいです。

1976年放映でした。

35年前!

 

   

iphoneでちょくちょくyoutubeを見ています。

FUNKY MONKEY BABYSの「希望の唄」の出だしのメロディーを聞くと、

以前聞いていた曲が思い出され、せつない気持ちになります。

 

その曲が何だったか?歌っていたグループ名も浮かばず。

  

たしかCDがあるはずだと、屋根裏倉庫に上がり探しました。

あった~これだ。

 

裸~Nude~ 裸~Nude~
Vo Vo Tau

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それでは「裸~Nude~」を聞いてみてください。

そっくりだと思った出だしのメロディーは、多少違いますが、

共通点はありますよ。

2004年の曲。何度も何度も聞いた曲。

過ぎ去った時の流れが感じられて、切なくなったのでしょう。もう昔は戻ってこない。

    

音楽ってそんな力がありますよね。 

 

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