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2010年8月

2010年8月 9日 (月)

土曜日、再び本宮山

  

今日は8月9日。

7月31日(土)に引き続き、

8月7日(土)も本宮山に登ってきました。

行方不明事件直後でしたが、いつもと変わらない本宮山でした。

前回は最初に飛ばし過ぎて、最後がつらかったです。

その反省に基づいて、最初は体力温存で、小股でゆっくり登りました。

そして最後は頑張りました。

その結果、1時間17分で頂上へ。前回よりたった2分の遅れ。

一緒に誰かと登る時に、「最初はゆっくり」と声をかけますが、

あらためて最初はゆっくりがいいと感じました。

   

RIMG0004十五丁目の登山道
   

たまには、こんな道を歩くと、気分転換になります。

      

RIMG00078月7日の三角点 RIMG00088月7日本宮山頂上

    

8月7日の三角点、頂上です。

        

RIMG0009しおミルキー
   

頂上で食べたしおミルキー。

やっぱり山登りに向いた味です。

ふと昨年の投稿を見たら、パッケージが変わっていることに気がつきました。

※参考: http://mitikusa.typepad.jp/blog/2009/08/post-a967.html

    

        

     

本宮山は人気の山です。

いつも人がたくさんいます。

頂上付近の建物には次のような記録の一覧表が貼ってあります。

( )内にベスト5を書きます。

◇2009年本宮山年間登山回数

(445回、405回、386回、350回、346回)1年は365日のはずですが・・・

◇2009年まで本宮山累計登山回数

(8036回、4670回、3947回、3762回、3460回)1万回も夢ではない。

◇本宮山奥宮までの登山時間

(26分25秒、28分41秒、31分、32分8秒、32分10秒)私の最高は58分。

◇本宮山奥宮までの1日の往復回数

(10回3人、8回2人)10回!

       

すごいでしょう。お年寄りが元気な山です。

2010年8月 8日 (日)

日帰りで奈良へ・・・築地塀!

   

今日は8月8日。間もなく終わろうとしています。

今日は日帰りで奈良に行ってきました。

奥さんと娘と3人で。息子は少年野球の練習のため行けず。

行った場所は、平城宮跡、唐招提寺、薬師寺。

     

大きな築地塀が見られたことに感激しました。

春から調べて、このブログにも書いてきた築地塀。

奈良の築地塀には圧倒されました。

    

平城宮跡で見かけたもの。平城宮跡への入り口のところ。

RIMG0002平城宮跡の築地塀 RIMG0006築地塀の表面
   

以前投稿した築地塀の作り方そのままをやったようなできあがりです。

「平城京」の本だったので、当たり前と言えば当たり前のこと。

イラストレーター穂積和夫さんの絵がわかりやすくてよかったです。

※参考: ここでも道草 国分寺・国分尼寺下見8/築地塀は「ついじべい」と読む(2010年5月18日)

   

同じく、平城宮跡にある朱雀門横の築地塀。

RIMG0015朱雀門築地塀
    

     

ほれぼれしちゃいます。

築地塀を見られただけでも、今日は行った甲斐がありました。   

    


 

2010年8月 7日 (土)

上田市にある地名「真田町長」

  

A0126997_20313338

映画「サマーウォ―ズ」(2009年)が昨晩テレビ放映されました。

この映画、この2年訪れている長野県上田市が舞台の映画です。

   

上田市の地図を見ていて、変わった地名を見つけました。

  

「真田町長」

    

    

「さなだちょうちょう」?

     

真田町というのは存在していました。

2006年に合併により、上田市の一部となりました。

元真田町にあって、今も存在する地名「真田町長」

読み方を調べました。

   

「さなだまちおさ」と読みます。

どうやら、「長(おさ)」という地名に、「真田町」が合わさった地名のようです。

1958年に合併により新しく真田町ができた時に、

合併した3つの村の一つが「長村」と言いました。

「長」の地名を残すために、真田町の「長」だから、

「真田町長」という地名が生まれ、

今も名前が引き継がれていると勝手に想像します。 

上田市の「長」だから「上田市長」もいいかなとも思います。

   

      

13年たって、やっとナゴヤドームに行く

   

今日は8月7日。

昨晩は、ナゴヤドームに行き、中日・阪神戦を見てきました。

私にとって初めてのナゴヤドーム。

いつかは行ってみたいと思っていましたが、

機会がなくて、家族の中で私だけが行っていませんでした。

ナゴヤドームができたのはいつだったか?

     

調べたら・・・1997年3月開場でした。

もう13年以上の月日が流れています。

やっと縁があって、行くことができました。

    

RIMG0016ナゴヤドーム外観
   

長い歩道橋の向こうにナゴヤドーム 

     

     

RIMG0017ゲートにならぶ人たち
 

ゲートに並ぶ人たち。

阪神ファンの息子も着ていたが、

応援着を着ている人をたくさん見かけた。

いろいろなのがあって、見ていて楽しかった。

    

     

RIMG0035外野の阪神ファンがすごかった
   

レフトの阪神応援団席。黄色が目立つ。

阪神攻撃の時の声がすごいのなんの。

    

     

RIMG0020阪神の練習風景
  

阪神の練習風景。

6時の試合開始2時間前に息子が行きたがったのは、

この練習風景を見たいがため。

13年経って初めて生で見た球場は、色鮮やかで、広かった。

こんなところで試合ができる選手は、気合いが入るだろうな。

     

   

RIMG0037セカンド審判の位置    

息子の少年野球の手伝いで審判をやることがあります。

セカンド審判の位置がいつも迷います。

守備の前に立つのですが、守備のじゃまをしているようで気がひけます。

でもタッチプレーをしっかり見るためには、守備より前の方がいいのです。

プロ野球の審判がどう動くか、注目していました。

写真のように、1塁や2塁にランナーがいるときは、

後方から前に出てきて、守備の前に立ちます。

おー!プロ野球の審判がやっているならOKか。

   

    

RIMG0053ナゴヤドーム全体
  

球場全体の写真。

この日のゲームは1-4で阪神の負け。

阪神ファンの息子はがっかり。

でもブラゼルの素晴らしいセンターへのホームランを見られたからいいか。

ホームランになる打球はよく伸びる。

20100807-00000011-spn-base-view-000
   

ブラゼル34号。http://sports.yahoo.co.jp/news/photo?a=20100807-00000011-spn-base.view-000     

    

阪神も中日もファンの応援がすごかった。

こんな応援を受けてプレーをする選手は幸せでもあるけど、

プレッシャーも大きいだろうな。

ファンの期待通り、いやいや期待以上に 活躍できたときにはうれしいことでしょう。

選手はやめられませんね。

ファンが選手を頑張らせることが、ナゴヤドームに行って実感できました。

ヒーローインタビューで、ファンに向かって「ありがとうございました」と言うのは

心の底から言っているんだろうな。

    

くぼみ入り「かもめ~る」

今日は8月7日。

立秋です。

残暑見舞いになる時ですが、

暑中見舞いをたくさん書いて発送しました。

今年も郵便局の「かもめ~る(暑中・残暑見舞いはがき)」を利用。

地元の郵便局で、「かもめ~る」の「くぼみ入り」はがきを取り寄せてもらいました。

視覚障害者が、はがきの上下裏表がわかるようにくぼみが入ったものですが、

以前から実物を見たいと思っていました。

これがそうです。

RIMG0010kubomiiriはがき
   

 RIMG0009葉書のアップ

  

ささやかですが、あれこれ想像するより、

こうやって実物を見られたのは収穫。 

2010年8月 6日 (金)

1943年(昭和18年)7月5日に起こったこと

   

今日は8月6日。

7日に放映される「幻の甲子園」のことは数回書いてきました。

15日放映の「15歳の志願兵」も、

今まで知らなかった戦争のことを知る上で注目の番組です。

Photo01 Photo03

     

8月4日朝日新聞夕刊に、この番組の記事がありました。

  

【旧制愛知一中 700人が予科練志願】

太平洋戦争中、名古屋市の旧制愛知一中(現 旭丘高校)で、

約700人の生徒が、飛行機搭乗員を養成する予科練(旧海軍飛行予科練習生)に志願する

「総決起事件」が起きた。

NHK名古屋が事件をドラマ化、「15歳の志願兵」として、

15日午後9時から、総合テレビで放送する。(朝日新聞)

     

「幻の甲子園」にも出てきた旧制中等学校。

旧制中等学校は5年生まであって、

1~3年が後に中学校に。

4・5年生が高等学校になります。

    

記事によると、軍部は兵員不足の解消のために、

旧制中等学生の兵隊志願者を募っていました。

なかなか志願者が出ないために、各中等学校に志願者が割り当てられました。

悩む教師。

そんな1943年(昭和18年)7月5日。

愛知一中で「事件」は起こりました。

Pict02
     

その日は志願者を募るための時局講演会が開かれ、

教師らの呼びかけに刺激された上級生らが

その後の生徒大会で次々と志願を表明。

集まった3~5年生約700人全員が、

志願の意志を示したとされる。

翌日の朝日新聞は「愛知一中の快挙」と報じた。

当時3年生だった水野金平さん(81)は志願年齢に達していなかったが、

手を挙げた。

「盛り上がった上級生が”国を守るために立たなきゃいかん”とぶちあげ、

泣いて叫ぶ生徒もいた。

素直に先生の言うことを聞き、

国のために戦うというのが普通の考え。

先輩も怖かった。

年齢に達していないかもと思ったが、

手を挙げないわけにはいかなかった」と振り返る。

     

全員が手を挙げざるをえなかった異様な集会がドラマのメインになるのでしょう。

教師に説得され、集団心理も働いての「愛知一中の快挙」

その背後にある生徒や教師の苦悩が描かれることになるでしょう。

学徒動員よりもさらに若い中等学生の動員。

原作は次の本。


     

     

積乱雲の彼方に〈新装版〉―愛知一中予科練総決起事件の記録― 積乱雲の彼方に〈新装版〉―愛知一中予科練総決起事件の記録―
江藤 千秋

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江藤さんも7月5日の「事件」に生徒として遭遇した当事者。

戦後に母校に教師として赴任し、

昭和18年になぜ、どのようにしてあのようなことが起きたのかを克明に記録しようと思い立ち、

当時の教師や戦場で命を落とした級友の遺族から証言を集め、

残された日記や資料などを調べ上げて「積乱雲の彼方に」を書き上げたそうです。

    

戦後65年。社会科教師になってだいぶたつのに、

また新しい戦争のことを知ることになります。 

本宮山の行方不明者発見

  

今日は8月6日。

昨日朝のニュースで、本宮山で登山客が行方不明になっているとのこと。

このブログにもよく登場する御馴染の山だけに、

どうなったか気になっていました。

そしたら次のニュース。

http://www.chunichi.co.jp/s/article/2010080590113126.html

   

本宮山で不明の女子大生を保護 

2010年8月5日 14時05分

愛知県豊川市の本宮山(789メートル)で4日夜から行方不明となっていた同市内の女子大生(19)が

5日午前9時すぎ、約14時間ぶりに無事保護された。

豊川署によると、女子大生は登山道東側の斜面を下りてきたところを

第2東名高速道路の建設作業員に保護された。

女子大生は左ひざ打撲などの軽傷。

女子大生は4日、一人で本宮山に登り、

別の道から下りようとして午後7時25分ごろ「道に迷った」と家族に連絡、

行方不明となっていた。

同署や同市消防本部は5日早朝から、94人態勢で捜索を続けていた。

(中日新聞)

     

よかったです。

いつもたくさんの人たちが登る山ですが、

コースを外れたら、落とし穴あり。

気をつけましょう。気をつけよう。

2010年8月 5日 (木)

7月30日 仲島正教さんの講演

   

今日は8月5日。

やっと7月30日の講演会のことをここにうちます。

講師は仲島正教さん。肩書きは教育サポーター。

プロフィールを簡単に。

739

  

1956年生まれ。

兵庫県西宮市で小学校教師を21年間勤め、その後西宮市教育委員会人権教育室指導主事、

学校人権教育課係長を務めた後、2005年3月に48歳で退職。

2005年4月より、教育サポーターとして若手教師対象に「授業づくり」や「学級づくり」等のセミナーを開く。

そのかたわら、講演活動は全国各地にわたり、

「人権教育」や「子育て」「学級づくり」等をテーマに、年間250回を数える。

     

すでに私の年(49歳)には、新しい道へ、

それも後輩を育てる道へと進んでいることに驚き。

まだまだ自分を向上させる方にウエイトのある私です。

    

印象に残った話。私の解釈も十分入っているので、事実とはずれます、きっと。

・子どもの心を開放することが大事。それには教師も心を開放する。

・みんなで楽しいことをする。みんなでつらいことを乗り越える。

・「優しい」の「優」は、「憂いている人」の横に「人」が寄り添う状態。

 こちらからそばに行ってやろう。

・教育とは足で稼ぐもの。教育は「今日行く」

・出会いがあって、気づきがあって、広がる。

 出会いがあるからつながりができる。

 つながりがないと、噂を信じてしまう。その人のことを信じることができない。

・とにかく出会おう。出会う機会を設けよう。

・優しさを子どもに。子どもの心の銀行に貯金。

 この貯金を使いながら、子どもは苦難を乗り切る。

・子どもが小さな時は、無償の愛を周りから受ける時。

 それを受けられない子は悲しい。自分がされた虐待を繰り返す可能性高い。

・子どもにとって大事なのは今と未来。過去は考えない。でも大人は過去を考えてしまう。

 大人は子どもの未来への応援団。大人も子どもの今と未来を考え応援しよう。

・子どもには自尊感情を持たせたい。「自分が好き」「自分もなかなかやるな」

・子どもはたった一人でも応援がいたら頑張る。

・できるできないではなく、するかしないか。

・教師は子どもの前でもっと喜怒哀楽を出すべきです。

資料より・・・

・学級通信の薦め。学級通信は、子どもを育て、親を育て、教師を育てる。

・子どものつまづきをとるのではなく、つまづきを乗り越える力をつけてやること。

 つまづいた時それは成長のチャンス。指導の半分は待つことである。

・何といっても授業が一番。授業がうまい先生になる!授業を通しての学級づくり。

   

講演会の終盤で、「あーよかった」の合唱をしました。

元歌をyoutubeで・・・


 


    

講演の最中、ステージを縦横無尽に歩いて(走って)いました。

その頑張り、その元気に大いに刺激を受けました。いい講演会でした。チャンチャン。


幼虫の名前がわかった・・・セダカシャチホコ

    

今日は8月5日。

先日、同じ職場の人にこの幼虫の名前わかる?と尋ねられました。

RIMG0003
   

    

昨年の私の行動を見て、理科の先生と勘違いした方がいて、

それ以後こうやって尋ねられます。

本当は社会科教師ですと言いながら、

いい勉強の機会だから調べています。

    

この幼虫は何だ?

調べましたがわかりません。

そこで救援を求めたのが、「幼虫図鑑」サイト。

 http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/youtyuu/index.html

ここには、不明の幼虫の写真を投稿すると、

詳しい人が教えてくれるシステムがあります。

初めて投稿してみました。 

     

クプクプさんという方が教えてくれました。

        

いっぱい道草さん、こんにちは。

おそらく、「セダカシャチホコ」だと思います。

http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/youtyuu/HTMLs/sedakashatihoko.html

色が赤っぽくなっているのは、蛹化が近いからだと思います。

もう一種類、「アオセダカシャチホコ」というのがいますが、

幼虫が食べる植物がわかっていません。そちらだったら、大発見ですね。

いずれにしても、どの植物を食べていたか想像してみてください。

     

調べていたときに、私もセダカシャチホコかなと思いました。

でも色が違う。

だけど赤いのは蛹化が近いという説明で納得。

すっきりしました。

とてもありがたいシステムです。

     

アオセダカシャチホコの可能性もあるとのこと。

どの植物にいるところを発見したのか確かめたいです。

2010年8月 4日 (水)

「昭和十七年の夏 幻の甲子園 戦時下の球児たち~」読破

   

今日は8月4日。

今朝、「幻の甲子園」を読破。

昭和十七年の夏 幻の甲子園―戦時下の球児たち 昭和十七年の夏 幻の甲子園―戦時下の球児たち
早坂 隆

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私は教師だけど、この作者がやられていることにはすごく興味があります。

ある出来事について、関係者に話を聞いて、

実際どんな事があったのか出来事を構築していく。

素晴らしい仕事だと思います。

教師をやりながらでも、こんな仕事をやってみたいなと思いました。

    

昭和17年の8月に行われた高校野球甲子園大会。

戦争時だったために昭和16年は中止になっていた大会が復活したかに見えました。

しかし主催者は、それまでの大阪朝日新聞社ではなく文部省でした。

高校野球は、戦意高揚のために利用されようとしたのです。

センターのスコアーボードには、

「勝って兜の緒を締めよ」「戦い抜かう大東亜戦」と大きく掲げられていました

      

でも出場した高校生は、他の甲子園大会に出場した選手のように、

甲子園を目指して猛烈な練習をして甲子園出場を果たし、

精一杯戦います。それは戦時中も、今も変わりません。

そんないつもと変わらない高校生の戦いっぷりを著者は丹念に書いています。

そして、戦時中の高校生だから体験せざるをえなかったことも書いています。

70年前のこと。

当時の高校生は80歳後半。

そういう人たちから聴いたことが随時織り込まれて話は進んでいきます。

     

大会で優勝したのは徳島商業。

しかし、徳島県が初優勝を果たしたのは、

昭和57年(1982年)の池田高校となっています。

主催者が異なる昭和17年の甲子園大会は別大会扱いなのです。

準優勝の平安中学の富樫淳が1回戦で達成したノーヒットノーランも、

大会史には存在しません。

昭和17年の大会は「幻の甲子園」と呼ばれています。

    

出場した選手や、その時代に生きて、選手を応援した人たちにとっては

決して「幻の甲子園」ではなかったはずです。

でも「幻」扱いをしたら、それは選手や応援した人を否定するように思えます。

この本を読んで、私にとって「幻の甲子園」は、もう幻ではありません。

輪郭のはっきりした現実の甲子園になりました。

もしかしたら埋もれていってしまう歴史が、

生存者がギリギリ残っていた今、浮かび上がってきたイメージです。

     

8月7日、第92回全国高校野球選手権大会開会式のある日の晩放映される

「幻の甲子園」に注目です。絶対見逃さない。

午後8時~8時45分。45分間でどう表現するのか楽しみ。

最近の写真

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楽餓鬼

今日はにゃんの日

いま ここ 浜松

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