糸山泰造さんの本を読みました。
「子育てと教育の大原則」(株式会社エクスナレッジ)
今までとは違う視点を与えてくれる本でした。奮発して引用。
今自分がやっていることを見直す時に、読んでみて、修正していきたいです。
大きな障害は私達の勘違いにあります。
私達の文化が記号文化(イメージを文字や数字でシンボル化して表す文化)なので、
頭の中まで記号で考えていると思っているのです。
確かに私達は、言葉を使い数式を使って内容を伝達したり、記録したりします。
ですが、伝えていること、記録していること自体はイメージなのです。
ですから、私達が気をつけるべき最大のポイントは「言葉→イメージ」の変換、
そして「イメージ再現→イメージ操作」をする視考力なのです。(10p)
辞書の引き方は知っておいたほうがいいのですが、習熟させる必要はまったくありません(34p)
分からないときには「調べるのではなく尋ねる」のです。
親以外の人に相談する習慣を育ててあげることで、将来何かで行き詰まったときにでも最良の選択をさせることができます。(34p)
子供時代の記憶力は、思考モデルを作るための一時的な記憶力であり、
多量の知識を暗記するためのものではないことを知っていなければ、危険な学習を強いることになります。(42p)
学力養成の大敵は9才以前の徹底反復です。その中でも単純計算は致命傷を与えます。(48p)
12才までのテレビは制限しましょう。(中略)私達は視覚情報を信じなければ歩くことすらできません。
目から入っている情報は肯定されるようになっているのです。
そして意識するしないに拘わらず記録されるのです。(56p)
スラスラ読めることを目指してはいけません。(中略)「スラスラ」読めるようになるために何度も同じ文を読んでいると、読むことの本質である「イメージを再現して味わうこと」をしなくなってしまいます。
イメージを再現しない音読は全く無意味です。(69p)
さらに、よくあることですが、スラスラ読みが高じて高速読みになってしまうと言葉が持っている響きも異なってきますので、語感さえ狂ってきてしまいます。(69p)
(漢字の)なぞり書きは一見良さそうですが、なぞり書きをしている時に目はお手本を見ていません。
つまり線に沿って書いているだけで、漢字の練習にはなっていないのです。また、全体を意識しにくい方法です。(76p)
自主的な遊びの中には子供自身が自分で予測したことを実践し、修正・加工して何回も豊富なイメージ操作(思考)をするように工夫する仕組みが入っているのです。
人間は人間になるために遊びを十分に経験する必要があるのです。
遊びを犠牲にしてまですべき宿題などはありません。
十分な体験学習である「遊び」の後で高度な学習が可能になるからです。
この体験学習なくして高度な学習は成り立ちません。(164p)
高速多量にできることで自信を持たせないようにしましょう。(178p)
教育と調教を取り違えていると「させること」が教育だと思ってしまうようですが、
教育とはさせることではなく「お手本」を何度も見せることなのです。
そのお手本を見せる人が先生であり、保護者なのです。(中略)
「お手本」通りに「させる」ことが教育だと思っている人がいます。全く違います。
何度でも毎回「お手本」を見せ続けることが教育です。(203p)
「「幼児・児童期に計算を速くしてはいけない」ことは非常に重大な理由があります。
計算を速くする練習は「考えるな」という命令を出していることになるからです。(207p)
この本を読んで、教育の難しさをまた感じました。
今までやってきたことを見直していきたい。