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2020年1月25日 (土)

「山海記」③ ショーソンの「詩曲」を初めて聴く

  

今日は令和2年1月25日。

  

前記事に引き続き「山海記」(佐伯一麦著/講談社)より

引用していきます。

  

 

地名をよく見せたいという思いは、何も戦後に始まったもので

はなく、すでに奈良時代にその先駆が見受けられるようだ。元

明天皇の世、713(和銅六)年に発せられた勅令、いわゆる

好字令である。それまでの旧国名や郡名、郷名の表記は大和言

葉に無理に漢字を当てたもので、漢字の当て方が一定していな

かったり無理があるものもあった。そこで漢字を当てるさいに

はできるだけ好字を用い、二字の名称になるようにしたので好

字二字令ともいう。泉が和泉に、近淡海(ちかつあはうみ)が

近江(おうみ)に、遠淡海(とほつあはうみ)が遠江(とおと

うみ)というように・・・・。

これは、遣唐使が唐で日本の地名を説明するときに、粟(あわ)

国や木(き)国、无耶志(むさし)国などという文字に引け目

を感じ、洛陽や長安などの中国の地名に倣ったからだとされる。

そして、阿波国、紀伊国、武蔵国などとしたというのである。

(49~50p)

  

こんな勉強ができる「小説」なんですね。

  

   

  

十九世紀末のフランスの作曲家ショーソンは、1899年に別

荘のあったパリ郊外のセーヌ河畔の小村で自転車事故で死んだ。

長女と一緒に自転車で、パリから着く夫人と子供たちを迎えに

近くの駅まで行く途中、先に走っていた長女がしばらく行って

振り向くと、父親の姿が見えず、引き返すと門柱の根元にショ

ーソンは倒れていた。こめかみを砕かれて即死だった。目撃者

がいなかったことから、その死因は謎として残され、自殺とす

る説もあったことを、病床で彼は思い出した。クライスラーは、

亡友イザイから譲られたショーソン自筆の詩曲の原譜をアメリ

カ議会図書館に寄贈するまで所有していたことでも知られてい

た。

(110~111p)

  

この謎の死で興味をもち、ショーソンについてWikipedia

調べてみました。次のように書いてありました。

 

41歳(1896年)のときに作曲したヴァイオリンと

管弦楽のための『詩曲 』が群を抜いて有名だが(後略)

  

その群を抜いて有名な「詩曲」を知りませんでした。

「山海記」でもこの曲が何度か出てきます。

聴きたくなりました。


YouTube: Chausson: Poème, Akiko Suwanai (vn), Dutoit & PO ショーソン「詩曲」諏訪内晶子 & デュトワ指揮フィルハーモニア管弦楽団

  

群を抜いて有名な曲を私は初めて聴きました。

いくら群を抜いていても、立ち寄らなかった範囲なので、

やっと知ることができました。

生活のBGMにしてもいいなと思いました。

  

 

降り過ぎる雨も困るが、雨が降らないのも農作業に被害をもた

らす。十津川で大水害が起こった明治二十二年は、夏に入ると

猛暑となり、八月は日照り続きで村民は黍(きび)などの穀物

や野菜が枯れるのを心配して雨を待ち望んでいたというから、

雨乞いも行われたのだろう。そして八月十五日になってやっと

空が曇り出し、十六日は蒸し蒸しする不安定な空模様となり、

十七日になって待望のにわか雨が降った。村人たちは喜んだが、

それが大豪雨の予兆だった・・・。

(119p) 

  

昨年末まで読んでいた「新十津川物語」(川村たかし著)の

話の発端になった明治22年8月の十津川豪雨災害。

それまでは日照り続きだったのですね。

  

  

つづく 

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