2011年5月 7日 (土)

蜆塚3/屋外にある蜆塚貝塚

   

今日は5月7日。

前投稿のつづき。

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浜松市の蜆塚公園の屋外にある蜆塚貝塚

浜松市博物館内にあるはぎ取った貝塚も見ごたえがありましたが、

実際に発見された場所にあるこの貝塚もいいです。

   

アップ写真を載せます。

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本来は腐食しやすい骨が発見されるのは、

貝塚がカルシウム分に富むためだそうです。

カルシウムが溶け出し、弱アルカリ性土壌になったため、

腐敗が抑えられたようです。

    

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かろうじて針がわかります。

動物の骨や角(つの)、牙、殻等で作られた人工物を「骨角器」と言います。
   

   

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前投稿でも登場したアカニシ。

このアカニシをもう少し調べていたら、

私の家からもっと近所にアカニシも出てくる貝塚遺跡があることが判明。

豊川市内にある平井稲荷山貝塚です。

たとえば次のサイトが参考になります。

「豊川市 平井稲荷山貝塚」.html

「NET-PLAZA平井稲荷山貝塚」.html

ここなら自転車でも10分で行けます。

次に行きたい所まで見つけられてラッキー。
   

    

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貝塚の表面にはりつくセミの抜け殻。

ここで羽化したセミがいたんだ。

幼虫は貝塚の土中で生活していたのか?
   

    

    

蜆塚公園はここにあり。

子どもたちに薦めよう。

佐鳴湖は昔はもっと広くて、蜆塚公園近くまであったと予想されています。


 

蜆塚その2/浜松市博物館の貝塚断層

 
  

今日は5月7日。

前投稿のつづき。

振替休日の5月2日、浜松市の蜆塚公園へ。

この日、遠足で訪れている小学生たちがいて、にぎやかでした。

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公園内には、縄文時代の復元家屋があります。

     

公園内の浜松市博物館へ。

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この博物館がとても良かった。

縄文時代から現代に至るまでの浜松市の様子が、

いろいろな展示物と、少し大きめの文字の説明によるパネルで紹介されていました。

    

浜松市の小学生は、必ず来ている場所だろうなと思いました。

ここに来れば、きっと歴史が好きになるだろうと思いました。

   

さて今回の注目はこれ。

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貝塚の断面を樹脂で固めてはがしたもので、、その厚みは見ごたえがありました。

アップ写真も撮りました。

    

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「アカニシ」は巻貝。

Wikiediaによると、、「愛知県の三河地方や瀬戸内海、有明海などでは

食材として流通しており、比較的人気も高い。」とのこと。

三河地方にすむ者としては、ほっとけない貝ですが、

食べたことあったけなぁ。

まあ、三河地方といっても、広いですから。

     

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貝塚で最も多いのは「ヤマトシジミ」

「蜆塚」という地名があるほどですから。

淡水と海水が混ざり合う汽水域に生息する貝。

   

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こんなにじっくり貝塚を観察したのは初めて。

まさか自分たちのゴミ捨て場が、

後の時代にしっかり調査されるとは古代人は思わなかっただろうな。

ちなみに、こういった貝塚の研究は19世紀後半にデンマークで始められたそうです。

最初は自然に堆積したものと考えられましたが、

動物の骨や、土器が一緒にあることから、人工的なものと判明したそうです。

    

こんなに近くに貝塚が観察できる場所があるのは幸運。

子どもたちにも宣伝しよう。

   

蜆塚公園には、屋外にも貝塚を観察できる場所があります。

次の投稿で。

 

 

 

 

 

2011年5月 6日 (金)

蜆塚その1/貝塚調査の歴史/浜松市博物館

  

今日は5月6日。

東京書籍の6年社会科教科書「新しい社会6上」9p、

縄文時代の学習のページに、浜松市の蜆塚(しじみづか)貝塚のことが載っています。

EPSON002シジミ塚 
   

比較的近くにいい所があるぞと思って、

連休中の5月2日(勤務校は振替休日)に行ってきました。

行った時の写真や報告は次の投稿に。

   

蜆塚遺跡に関する歴史を、浜松市博物館のHPより抜粋してみます。

「蜆塚遺跡の調査履歴」htm

   

1713年 (正徳3年)医学者杉浦杉浦国頭が、

      著書『曳馬拾遺』に「蜆塚という場所で土を掘ると

      シジミの貝殻ばかり出て不思議だ」と記す。

   

※この時点では、この程度しかわかっていなかったということです。

 しかし、地名が「蜆塚」だから、すでにシジミの貝殻がよく出る場所だったのでしょう。

    

1839年 (天保10年)入野村の竹村広蔭が、

      著書『変化抄』に「蜆塚の貝殻を畑の肥料として掘り出すことがさかんになり

      貝の山が失われた。

      地名の由来なので庄屋が運び出しをやめるよう願い出た」と記す。

    

※まだまだ遺跡という発想がなかったのでしょう。とても面白い。

      

1877年 (明治10年)東京大学のエドワード・モースが東京都大森貝塚で、

      日本で初めての縄文時代貝塚発掘調査をする。

       

※大森貝塚の発掘調査が、日本で初めての本格的貝塚研究とのこと。

 蜆塚貝塚もやっと遺跡として発掘調査が始まるわけです。

 今、子どもたちに教えている縄文時代やら貝塚やらは、

 ほんの130年ほど前の研究でわかったことなのです。

 漫画・ドラマ「JIN~仁~」でタイムスリップした幕末には、なかった知識なのです。

 そう思うと不思議です。今から100年たったら、学校ではどんなことを教えているのだろう。

     

1955年 (昭和30年)浜松市による蜆塚遺跡の発掘調査が開始される。

       全国の学者や市内の学生体が参加した本格的な調査。

       以後第四次調査までつづく。 

    

1959年 (昭和34年)蜆塚遺跡が、国指定史跡となる。 

    

1960年 (昭和35年)蜆塚遺跡見学のための整備、保存施設が完成する。

   

※こうして、蜆塚貝塚は見学が可能に。

 さらに1979年に蜆塚貝塚を含む蜆塚公園内に浜松市博物館が開館。

 今回は、この浜松市博物館にも行きました。(次の投稿につづく) 

「積水ハウス」と孫子

  

今日は5月6日。

以前、孫子のことを書いた日めくりを載せました。

最高の勝ち方は、戦わずして相手を屈服させること。

そう書いてありました。

「4月21日の投稿」.html

今日の日めくりは、その実践編。

EPSON003sonnsi 
やっぱり孫子は深い。

    

   

昨日調べものをしていたら、ひょいっと孫子が出てきました。

日めくりで孫子に興味が出てきていたところだったので、

ここにも孫子!と愉快でした。

   

「積水ハウス」の「積水」が気になりました。

なぜ「積水」何だろう?

創業者の名字だろうか。

きっと私同様に疑問に思って調べている人がいると予想して検索。

ヤフー知恵袋で投稿している人がいました。

「どうして積水」9

そこから、西日本セキスイ商事株式会社HPへ。

「セキスイの社名由来」html

そこに「積水」のことが書いてありました。

名字ではなく、孫子に関係がありました。

引用します。

   

孫子の兵法の第四 軍形篇の言葉を引用したものです。

「勝者の戦いは、積水を千仭(せんじん)の谷に、

                    決するがごときは、形なり。」

   

<この言葉の意味は> 

 勝利者の戦闘というものは、満々とたたえられた水(すなわち積水)

を深い谷底へ切って落とすような、激しい勢いの得られる形のもとに

一気に決める。

<企業活動にあてはめると>

事業活動では、必ず「問題」や「課題」に直面する。

これを破るには、相手の実情をよく知り、充分な分析をしたうえで、

当方の体制をつくり、満々たる積水の勢いをもって、勝者の戦いを

 することが大切である。

    

   

このような意味があったのですね。

勉強になりました。疑問を持つことがラッキーです。

2011年5月 5日 (木)

纐纈歩美さんの名前を見かけました

   

今日は5月5日。

大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」のラストの紀行コーナーで、

バックに流れる音楽担当者名に覚えがありました。

  

纐纈歩美

     

昨年の11月の投稿。

「纐纈」という名字.html

「纐纈」という苗字にこだわって書いた時に、

有名人はいないか探して出会えた名前の一つが、

岐阜県出身のサックス奏者「纐纈歩美」さんでした。

メジャーデビューは、昨年の7月でした。

まだ新人さんだったんだ。

でもこうやって再会できて、演奏まで聴けました。

こういう偶然が楽しい。

4月20日に2枚目のアルバムが出たそうです。

Peo1104211615000-p9 
  

どうしようかな?

 

 

 

2011年5月 4日 (水)

東日本大震災新聞スクラップ25/5月3日

   

今日は5月4日。

大震災新聞スクラップ。

  

【5月3日朝日新聞朝刊】

EPSON004遠藤さん 
昨日もブログで書いた宮城県南三陸町の遠藤未希さんの

遺体が確認されたことを伝える記事です。

    

    

EPSON005小松さん 
ここにもグッとくる言葉を含んだ記事がありました。

行方不明の娘の携帯に電話。伝言メッセージに「会いたい」と告げる父親。

彼は言う。

「簡単に撤去と言うがね、ここには家族のとこさ早く帰りたいご遺体が、

見つかるのを待っているのさ。

みんな出してやらんと、復興なんて言えない。」

    

まだ大槌町だけでも1000人近いとのこと。

発見されない一人一人に、待っている人たちがいる。

    

     

EPSON006名古屋の記者 
先日もスクラップしたが、名古屋の記者・カメラマンの報告記事が気になります。

これもその1枚。

もしかしたら、同じ愛知の人なので、

近い視点で現場を見ているからだろうか。

私が現場に行ったら、こう思うんだろうなと思いつつ読んでいます。

津波に飲み込まれる人を見た7歳の男の子。

人生にプラスに生かせよと、高学年で出会ったら言いたい。

 

    

     

 

広報の表紙になった三明寺・ポピーの花園

   

今日は5月4日。

地元の広報の表紙です。

「広報にポピーと三重塔が載ってたよ」と教えられて、

今朝初めて見ました。

EPSON003広報とよかわ 

ポピー(ヒナゲシ)の花園の向こうに三明寺の三重塔。

そうか、こんなふうに両方を撮ることができるんだと思いました。

写真の説明によると、昨年5月の撮影でした。

昨年は全く知らなかった三明寺とポピーの花園。

通勤コースを少し変えたことで、未知だったことがどんどん見えてきて楽しい。

    

今年の5月2日に撮影した三明寺傍らのポピーの花園。

RIMG0084ポピー1 

RIMG0087ポピー2 
  

今が満開。近所の人は是非足を運びましょう。

 

向こうの森が、三明寺です。    

6日の出勤時には、広報の表紙写真の撮影位置を探ろう。

2011年5月 3日 (火)

ドラマ「鈴木先生」第2話を見た

 

今日は5月3日。

昨晩はドラマ「鈴木先生」を見ました。

20110420_1427941

第2話でした。

第1話は少し番組タイトルに興味を持ったけど、見ませんでした。

でも第2話は、この番組紹介記事を読んで、俄然見る気になって実行しました。

EPSON001鈴木先生 ※5月2日朝日新聞朝刊

「鈴木先生の武器は過剰に悩むことだ」

「ささいな問題でも、徹底的に考える鈴木先生の姿は一見滑稽だが、

問題が多様化する今の学校には、

鈴木先生のような繊細さと論理性が必要なのかもしれない。」

   

子どもって意外に?いろいろ考えて行動している、

行動にはわけがあります。

その「わけ」がわかると、子どもの行動が見えてきて、へんな対応をしなくてすみます。

でも「わけ」は、すぐに気がつきません。

何でだろうと思い続け、観察していると見えてきます。

そんな体験をちょくちょくします。

鈴木先生の手法に共感するものを感じ、見てみました。

期待通りのドラマでした。

番組紹介記事のおかげです。

     

実は、ドラマ「JIN~仁~」の番組紹介記事もなかなか良かったです。

EPSON002JIN ※4月17日朝日新聞朝刊

「江戸の世界に引き込まれ、直球のせりふに落涙。

圧倒的な熱量に毎週の放送を待ち焦がれることになりそうだ。」

   

そうか、このドラマのいいところは、「圧倒的な熱量」なんだと納得してしまいました。

    

   

2つの記事の筆者は、ともに久保智祥という方でした。

ちょっと気になりだした記者です。


   

 

 

 

 

 

東日本大震災新聞スクラップ24/5月1日   遠藤未希さん発見

   

今日は5月3日。

今朝のニュース番組で、

宮城県南三陸町の遠藤未希さんの遺体が発見されたことが報じられました。

このブログでも今まで4回、遠藤さんについて書きました。

※前回は4月12日でした。「大震災新聞スクラップ4月11日」.html

遠藤さんの死が決定的になりました。波にのまれさぞ苦しかったでしょう、痛かったでしょう。

その時の恐怖は想像できないものでしょう。

そうやって思いやることしかできず。

    

5月1日のサンデー・フロントラインという報道番組に、

元TBSキャスター下村健一さんが出演。

001 
※「テレビにだまされないぞぉ」http://dametv.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/post-1025.html

   

現在、内閣審議官広報担当という役職にいて、

菅総理大臣を助けて一生懸命復興のために尽くされていることがわかりました。

やつれている姿を見て、司会の小宮悦子さんが、

「少し体を休めてください」を声をかけました。

その時下村さんは、遠藤未希さんのことを言いました。

最後まで避難を呼び掛けて津波にのまれた遠藤さんのことを考えると休めないと。

   

ふたたびこの言葉を思い出します。

    

「人生意気に感ず」

意味は「人は、相手の心意気を感じて仕事をするものであり、

金銭や名誉のためにするのではない」ということ。

    

大震災の犠牲者・被災者の頑張りを知るたびに、

俺だって頑張ろうと思わせられます。下村さんもそんな気持ちなのでしょう。

この日の下村さんについては、次のブログに詳しいです。

内容に賛成です。

※「元TBSキャスター下村健一現内閣審議官広報担当の姿に感動した」

http://johokan.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/post-871e.html

   

     

5月1日にインターネットで見たニュースをスクラップします。

その日に記録しなかったら、

もう他のたくさんのニュースの中に埋もれていました。

見つけ出しました。

【5月1日 産経新聞】http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110501-00000079-san-soci

警察の使命感 学校生時に知った仕事の重さ

警察官の卵として初めての仕事は、収容された遺体をきれいに拭くことだった。

東日本大震災で甚大な被害が出た宮城県。

人手が足りない県警は警察学校生を現場に駆り出した。

髪の泥を拭った女の子の遺体、母親から差し出された小さな男の子…。

「警察官の仕事の重さを知った」。

厳しい現場を経た“卵”は今、使命感を胸に、

警察官として現場で不明者の捜索やパトロールを続けている。(楠秀司、中村昌史)

震災から3日後の3月14日夕方、

竹谷信宏さん(25)=現巡査=を含む41人の宮城県警察学校生に教官から思いもよらぬ命令が下された。

「明日から検視の仕事を手伝ってもらう」。

学校生たちはそれまで、宮城県名取市の高台にある警察学校に避難してきた人の世話などに当たっていた。

竹谷さんは「警察官になった以上、遺体と接することは覚悟していたが、まさかこんなに早くとは…。

『遺体はどんな状態なんだろうか』『苦しそうな表情をしているのだろうか』。

前日の夜は恐怖心で眠れなかった」と話す。

翌日、収容所でいきなり言葉を失った。

最初に対峙(たいじ)した遺体はまだ5~6歳の女の子。

悲しみを通り越してしまうほどの衝撃を受けた。

厳しい寒さの中、黙々と水でぬらしたタオルで体と髪に付いた泥を拭った。

竹谷さんとペアを組んだ警察学校生の女性は涙をこぼしていた。

検視の手伝いは約半月続き、70~80人の遺体をきれいにした。

中でも竹谷さんのまぶたに焼き付いている光景がある。

仕事中に声をかけられ振り向くと、放心状態の女性がたたずんでいた。

両腕に3~4歳くらいの男の子の遺体を抱えていた。

「息子なんです。きれいにしていただけませんか」

やり場のない悔しさを感じながら、

少しでもきれいにしてあげようと丁寧に体を拭き、納棺師に引き渡した。

このとき、警察官の仕事の重さと奥深さを感じたという。

子供のころに警察車両の展示会で「かっこいい」と思って以来、

ずっと警察官に憧れ続けた竹谷さん。

地元の大学を出て、一度は神奈川県警の試験に合格したものの、

「どうしても地元の治安を守りたい」と宮城県警の試験を受け続けたという。

3月末、警察学校を卒業。岩沼署地域課増田交番に配属された。

岩沼署は今回の震災で計6人が殉職するほど被害が大きい地域だ。

朝7時に出勤し、明るいうちは不明者の捜索、夜はパトロール、

翌日昼過ぎに寮に帰って寝て、また翌朝7時に出勤という過酷な毎日が続く。

休日はこれまで1日もなく、体力は限界を超えている。

それでも、「住民の方から『ごくろうさま』『ありがとう』といわれると力がわいてくる」。

いつ街が元の姿に戻るのか、想像もつかないが、

「とにかくやるしかない。一人でも多くの不明者を見つけたい」とがれきに立ち向かっている。

       

    

遺体の姿はニュース画面でも新聞写真でも出てきません。

でも遺体は必ずあるわけで、

そのことを少しでも知らないと真実を知ったことにはならないと思います。

間接的ですが、このようなニュースを読み、

災害地であったことを知りたいと思います。

 

 

     

     

     

 

2011年5月 2日 (月)

東日本大震災新聞スクラップ23/5月2日

   

今日は5月2日。

八十八夜。立春から数えて八十八日目。

春から夏に季節が移る節目の時。

今日は暑かった。自動車の気温計で最高24℃でした。

「黄砂」が初めて舞った日でもありました。

見るからに「黄砂」で視界が悪い日でした。

RIMG0088 静岡県浜松市三ケ日で撮影

    

     

大震災新聞スクラップ。

【5月2日朝日新聞朝刊】

EPSON0032日朝刊 

「想定外」の想定必要。

今回、大きな津波で被害を受けた人たちは、

津波を甘く見ていたわけではありません。

避難訓練もしていたし、

かつての大津波でどこまで水が来たかテープでわかるようにしてありました。

過去の大津波よりは、ひどいことにはならないだろうと考えたわけです。

それ以上はないだろうと思ってしまったのです。

その時点で未曾有の大災害だったら、そう考えてしまうのが当然でしょう。

でも、今回の大災害は、「想定外」を想定すべきだと教えてくれました。

    

名古屋の記者は、愛知でこの教えを生かすべきだと書いています。

有り得ないことはない。自然に対して思い込みは捨てよう。

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