2011年5月 4日 (水)

東日本大震災新聞スクラップ25/5月3日

   

今日は5月4日。

大震災新聞スクラップ。

  

【5月3日朝日新聞朝刊】

EPSON004遠藤さん 
昨日もブログで書いた宮城県南三陸町の遠藤未希さんの

遺体が確認されたことを伝える記事です。

    

    

EPSON005小松さん 
ここにもグッとくる言葉を含んだ記事がありました。

行方不明の娘の携帯に電話。伝言メッセージに「会いたい」と告げる父親。

彼は言う。

「簡単に撤去と言うがね、ここには家族のとこさ早く帰りたいご遺体が、

見つかるのを待っているのさ。

みんな出してやらんと、復興なんて言えない。」

    

まだ大槌町だけでも1000人近いとのこと。

発見されない一人一人に、待っている人たちがいる。

    

     

EPSON006名古屋の記者 
先日もスクラップしたが、名古屋の記者・カメラマンの報告記事が気になります。

これもその1枚。

もしかしたら、同じ愛知の人なので、

近い視点で現場を見ているからだろうか。

私が現場に行ったら、こう思うんだろうなと思いつつ読んでいます。

津波に飲み込まれる人を見た7歳の男の子。

人生にプラスに生かせよと、高学年で出会ったら言いたい。

 

    

     

 

広報の表紙になった三明寺・ポピーの花園

   

今日は5月4日。

地元の広報の表紙です。

「広報にポピーと三重塔が載ってたよ」と教えられて、

今朝初めて見ました。

EPSON003広報とよかわ 

ポピー(ヒナゲシ)の花園の向こうに三明寺の三重塔。

そうか、こんなふうに両方を撮ることができるんだと思いました。

写真の説明によると、昨年5月の撮影でした。

昨年は全く知らなかった三明寺とポピーの花園。

通勤コースを少し変えたことで、未知だったことがどんどん見えてきて楽しい。

    

今年の5月2日に撮影した三明寺傍らのポピーの花園。

RIMG0084ポピー1 

RIMG0087ポピー2 
  

今が満開。近所の人は是非足を運びましょう。

 

向こうの森が、三明寺です。    

6日の出勤時には、広報の表紙写真の撮影位置を探ろう。

2011年5月 3日 (火)

ドラマ「鈴木先生」第2話を見た

 

今日は5月3日。

昨晩はドラマ「鈴木先生」を見ました。

20110420_1427941

第2話でした。

第1話は少し番組タイトルに興味を持ったけど、見ませんでした。

でも第2話は、この番組紹介記事を読んで、俄然見る気になって実行しました。

EPSON001鈴木先生 ※5月2日朝日新聞朝刊

「鈴木先生の武器は過剰に悩むことだ」

「ささいな問題でも、徹底的に考える鈴木先生の姿は一見滑稽だが、

問題が多様化する今の学校には、

鈴木先生のような繊細さと論理性が必要なのかもしれない。」

   

子どもって意外に?いろいろ考えて行動している、

行動にはわけがあります。

その「わけ」がわかると、子どもの行動が見えてきて、へんな対応をしなくてすみます。

でも「わけ」は、すぐに気がつきません。

何でだろうと思い続け、観察していると見えてきます。

そんな体験をちょくちょくします。

鈴木先生の手法に共感するものを感じ、見てみました。

期待通りのドラマでした。

番組紹介記事のおかげです。

     

実は、ドラマ「JIN~仁~」の番組紹介記事もなかなか良かったです。

EPSON002JIN ※4月17日朝日新聞朝刊

「江戸の世界に引き込まれ、直球のせりふに落涙。

圧倒的な熱量に毎週の放送を待ち焦がれることになりそうだ。」

   

そうか、このドラマのいいところは、「圧倒的な熱量」なんだと納得してしまいました。

    

   

2つの記事の筆者は、ともに久保智祥という方でした。

ちょっと気になりだした記者です。


   

 

 

 

 

 

東日本大震災新聞スクラップ24/5月1日   遠藤未希さん発見

   

今日は5月3日。

今朝のニュース番組で、

宮城県南三陸町の遠藤未希さんの遺体が発見されたことが報じられました。

このブログでも今まで4回、遠藤さんについて書きました。

※前回は4月12日でした。「大震災新聞スクラップ4月11日」.html

遠藤さんの死が決定的になりました。波にのまれさぞ苦しかったでしょう、痛かったでしょう。

その時の恐怖は想像できないものでしょう。

そうやって思いやることしかできず。

    

5月1日のサンデー・フロントラインという報道番組に、

元TBSキャスター下村健一さんが出演。

001 
※「テレビにだまされないぞぉ」http://dametv.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/post-1025.html

   

現在、内閣審議官広報担当という役職にいて、

菅総理大臣を助けて一生懸命復興のために尽くされていることがわかりました。

やつれている姿を見て、司会の小宮悦子さんが、

「少し体を休めてください」を声をかけました。

その時下村さんは、遠藤未希さんのことを言いました。

最後まで避難を呼び掛けて津波にのまれた遠藤さんのことを考えると休めないと。

   

ふたたびこの言葉を思い出します。

    

「人生意気に感ず」

意味は「人は、相手の心意気を感じて仕事をするものであり、

金銭や名誉のためにするのではない」ということ。

    

大震災の犠牲者・被災者の頑張りを知るたびに、

俺だって頑張ろうと思わせられます。下村さんもそんな気持ちなのでしょう。

この日の下村さんについては、次のブログに詳しいです。

内容に賛成です。

※「元TBSキャスター下村健一現内閣審議官広報担当の姿に感動した」

http://johokan.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/post-871e.html

   

     

5月1日にインターネットで見たニュースをスクラップします。

その日に記録しなかったら、

もう他のたくさんのニュースの中に埋もれていました。

見つけ出しました。

【5月1日 産経新聞】http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110501-00000079-san-soci

警察の使命感 学校生時に知った仕事の重さ

警察官の卵として初めての仕事は、収容された遺体をきれいに拭くことだった。

東日本大震災で甚大な被害が出た宮城県。

人手が足りない県警は警察学校生を現場に駆り出した。

髪の泥を拭った女の子の遺体、母親から差し出された小さな男の子…。

「警察官の仕事の重さを知った」。

厳しい現場を経た“卵”は今、使命感を胸に、

警察官として現場で不明者の捜索やパトロールを続けている。(楠秀司、中村昌史)

震災から3日後の3月14日夕方、

竹谷信宏さん(25)=現巡査=を含む41人の宮城県警察学校生に教官から思いもよらぬ命令が下された。

「明日から検視の仕事を手伝ってもらう」。

学校生たちはそれまで、宮城県名取市の高台にある警察学校に避難してきた人の世話などに当たっていた。

竹谷さんは「警察官になった以上、遺体と接することは覚悟していたが、まさかこんなに早くとは…。

『遺体はどんな状態なんだろうか』『苦しそうな表情をしているのだろうか』。

前日の夜は恐怖心で眠れなかった」と話す。

翌日、収容所でいきなり言葉を失った。

最初に対峙(たいじ)した遺体はまだ5~6歳の女の子。

悲しみを通り越してしまうほどの衝撃を受けた。

厳しい寒さの中、黙々と水でぬらしたタオルで体と髪に付いた泥を拭った。

竹谷さんとペアを組んだ警察学校生の女性は涙をこぼしていた。

検視の手伝いは約半月続き、70~80人の遺体をきれいにした。

中でも竹谷さんのまぶたに焼き付いている光景がある。

仕事中に声をかけられ振り向くと、放心状態の女性がたたずんでいた。

両腕に3~4歳くらいの男の子の遺体を抱えていた。

「息子なんです。きれいにしていただけませんか」

やり場のない悔しさを感じながら、

少しでもきれいにしてあげようと丁寧に体を拭き、納棺師に引き渡した。

このとき、警察官の仕事の重さと奥深さを感じたという。

子供のころに警察車両の展示会で「かっこいい」と思って以来、

ずっと警察官に憧れ続けた竹谷さん。

地元の大学を出て、一度は神奈川県警の試験に合格したものの、

「どうしても地元の治安を守りたい」と宮城県警の試験を受け続けたという。

3月末、警察学校を卒業。岩沼署地域課増田交番に配属された。

岩沼署は今回の震災で計6人が殉職するほど被害が大きい地域だ。

朝7時に出勤し、明るいうちは不明者の捜索、夜はパトロール、

翌日昼過ぎに寮に帰って寝て、また翌朝7時に出勤という過酷な毎日が続く。

休日はこれまで1日もなく、体力は限界を超えている。

それでも、「住民の方から『ごくろうさま』『ありがとう』といわれると力がわいてくる」。

いつ街が元の姿に戻るのか、想像もつかないが、

「とにかくやるしかない。一人でも多くの不明者を見つけたい」とがれきに立ち向かっている。

       

    

遺体の姿はニュース画面でも新聞写真でも出てきません。

でも遺体は必ずあるわけで、

そのことを少しでも知らないと真実を知ったことにはならないと思います。

間接的ですが、このようなニュースを読み、

災害地であったことを知りたいと思います。

 

 

     

     

     

 

2011年5月 2日 (月)

東日本大震災新聞スクラップ23/5月2日

   

今日は5月2日。

八十八夜。立春から数えて八十八日目。

春から夏に季節が移る節目の時。

今日は暑かった。自動車の気温計で最高24℃でした。

「黄砂」が初めて舞った日でもありました。

見るからに「黄砂」で視界が悪い日でした。

RIMG0088 静岡県浜松市三ケ日で撮影

    

     

大震災新聞スクラップ。

【5月2日朝日新聞朝刊】

EPSON0032日朝刊 

「想定外」の想定必要。

今回、大きな津波で被害を受けた人たちは、

津波を甘く見ていたわけではありません。

避難訓練もしていたし、

かつての大津波でどこまで水が来たかテープでわかるようにしてありました。

過去の大津波よりは、ひどいことにはならないだろうと考えたわけです。

それ以上はないだろうと思ってしまったのです。

その時点で未曾有の大災害だったら、そう考えてしまうのが当然でしょう。

でも、今回の大災害は、「想定外」を想定すべきだと教えてくれました。

    

名古屋の記者は、愛知でこの教えを生かすべきだと書いています。

有り得ないことはない。自然に対して思い込みは捨てよう。

2009年の「水俣病被害者救済特措法」

  

今日は5月2日。

ガイドブックを買ってきて、昨晩はiphoneと格闘しました。

おかげでいろいろできるようになりました。

余裕のある連休だからこそできたこと。

   

昨日は5月1日。

このブログのサイドバーにある「今日何の日」によると、

5月1日は「スズランの日」とありました。

なぜ?と思って調べました。

フランスに理由がありました。

   

フランスでは、この日に日頃お世話になっている人などにスズランの花を贈る習慣があり、

贈られた人には幸せが訪れると言われている。

http://www.nnh.to/05/01.html

        

なるほど。

5月1日の他の記念日を調べました。

   

水俣病啓発の日

2006年に制定。

1956年のこの日、熊本県水俣市の保健所へ市内のチッソ附属病院から

「原因不明の奇病」の報告があった。これが水俣病が広く知られるきっかけとなった。

   

とありました。

ちょうど50年たった2006年に制定したそうです。

中学校勤務の時に社会科の授業で何度か教えた「水俣病」

時の流れとともに風化しているのが事実。

2006年という最近の記念日制定が、

風化してほいくないという気持ちが込められているように思います。

「公害」という言葉すら縁が遠くなったように思えます。

「公害の原点」であり、四大公害病の一つである水俣病。

(他の3つは新潟阿賀野川流域の第二水俣病、富山県神通川流域のイタイイタイ病、

そして四日市ぜんそく)

そして今もこの病気で苦しんでいる人たちがいます。

2009年には水俣病被害者救済特措法という法律ができ、

被害者救済への動きがあったほどです。

私は法律について知りませんでした。

2009年のニュース映像。法律制定にかかわることです。

 

   

水俣病であるかないかの検診を受けなかった理由が、

差別を恐れたことと、情報不足のため。残念なことです。 

あらためて忘れてはならない公害病だと思います。

私も「スズランの日」を調べたことで思い出し、最新情報も知りました。

記念日制定は成功だと思います。

 

2011年5月 1日 (日)

やっと思い出した番組名、そして曲名

   

今日は5月1日。

   

職場での話。

棒つきの飴玉をなめていたら、

「刑事コジャック」のコジャックみたいだと言われました。

Kojak--img-mc2ede1e3cfbeebb3c7315ac2a7f4eed4 
  

「コジャック」と聞いて、他の番組のことがうっすら思い浮かびました。

主人公の名前が「コジャック」によく似ている覚えが・・・・

でも番組名が浮かびません。

「刑事コジャック」同様、昔テレビ放映されたアメリカのドラマで、

怪奇ものの事件を扱ったもの。その番組名が何だったか?

でもインターネットのすごさ。いろいろな単語を入力して検索していくうちにつきとめました。

「事件記者コルチャック」です。

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判明するとうれしいです。

1976年放映でした。

35年前!

 

   

iphoneでちょくちょくyoutubeを見ています。

FUNKY MONKEY BABYSの「希望の唄」の出だしのメロディーを聞くと、

以前聞いていた曲が思い出され、せつない気持ちになります。

 

その曲が何だったか?歌っていたグループ名も浮かばず。

  

たしかCDがあるはずだと、屋根裏倉庫に上がり探しました。

あった~これだ。

 

裸~Nude~ 裸~Nude~
Vo Vo Tau

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それでは「裸~Nude~」を聞いてみてください。

そっくりだと思った出だしのメロディーは、多少違いますが、

共通点はありますよ。

2004年の曲。何度も何度も聞いた曲。

過ぎ去った時の流れが感じられて、切なくなったのでしょう。もう昔は戻ってこない。

    

音楽ってそんな力がありますよね。 

 

2011年4月30日 (土)

東日本大震災新聞スクラップ22/4月28日、29日

   

今日は4月30日。

大震災の新聞スクラップ。

  

【4月28日朝日新聞夕刊】

EPSON005ookawasyougakkou 
宮城県石巻市大川小学校の記事は、

どうしても目が行きます。

震災後四十九日目の日の合同供養式典の記事。

今だに発見されない子どもや教師がいる、

でもぐっとその数は減ってきています。

懸命の捜索が行われているからでしょう。

小学6年生の狩野愛さんは、

この記事ではまだ発見されていないとかかれていましたが、

翌29日の記事で遺体発見が伝えられました。(下)

    

【4月29日 朝日新聞朝刊】

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狩野愛さん発見を伝える記事。

ズボンやベルトから判断したとのこと。

遺体の状態を思うとつらい。

魂はすでに体を離れ、天国にあることを祈ります。

    

被災から一度も泣かなかった男の人の号泣写真も心に残る。

祖母の納骨をすませての涙。

「やっとお墓に入れてよがったなあ。これから頑張っから見ててけろ」

毎日力を出し切っている姿が思い浮かびます。

応援したいです。

肉眼黒点2

  

今日は4月30日。早くも4月ラスト。

   

前投稿のつづき。

「肉眼黒点」という魅力的な言葉に出会ったのが昨日。

その昨日のこと。

さっそく夕日を見てみたいという気持ちになりました。

しかし空は曇り気味。無理かとあきらめかけていました。

ところが、飲み会に行く途中、雲がすっかり晴れて、

沈みつつある夕日を発見。何という幸運!

飲み会の約束の時間午後6:30が近づいてきましたが、

夕日をじっくり眺め、黒点は見えないかと探しました。

     

見えませんでした。

その時の写真です。

RIMG0081暮れる 
RIMG0083暮れる2 
  

稀にしか見ることができない肉眼黒点を、

こんなに安直に見れるわけがないですよね。

でも新しい視点で夕日が見られて、新鮮でした。

飲み会には遅刻してしまいました。

       

      

「肉眼黒点」でいろいろ検索して、調べました。

3月11日に撮影されている方がいました。

http://www.astroarts.jp/photo-gallery/gallery.pl/photo/4818.html

最近はあまり黒点が出現していないという話も聞きましたが、

まったく見られないわけではないようです。

    

肉眼黒点、いつか見てみたいです。

    

     

「日」の中央の横線を「黒点」とする説だけではありません。

「常用字解」によると次のように書いてあります。

   

象形。太陽の形。(中略)

太陽は丸い形で表すが、中がからっぽの丸い輪ではなく、

中身があることを示すために、中に小さな点を加えた。

(500p)

     

「黒点」だと思い込むのはやめよう。

「黒点」だと面白いけど。

2011年4月29日 (金)

肉眼黒点

  

今日は4月29日。

授業参観、PTA総会、学級懇談会があった日です。

漢字の字源についての授業をしました。

「日」は、太陽から作られた漢字ですが、

真ん中の横棒は何か?と子どもたちから質問あり。

それは今回参考にした資料によると、「黒点」を表したものだそうです。

O0512051210414049046黒点

http://ameblo.jp/addicto/entry-10456909060.html    

   

ここで素朴な疑問。

「黒点」なんて、昔の人は見ることができたのでしょうか。

斜光板を通せば見ることができるかもしれませんが、

昔の人が斜光板を持っていたか、斜光板で太陽を見る必要があるかどうか。

    

    

調べました。「黒点」で。

やっぱりまず調べるのがWikipedia.

この記述がピッタシ。

   

古代の中国では、太陽に「カラス」が住んでいるとした。

これは「肉眼黒点」と呼ばれる肉眼で見ることができる太陽表面の黒点を観察したものと思われる。

肉眼黒点は、日食や日没など太陽光が減光された際に稀に見られる現象であり、

大きな黒点であれば肉眼で観測できる。

この黒点が観測する度に移動していることから、

カラスなどの動物が住んでいると思われていた。

なお、この太陽に住むカラスの話は、日本にも渡り、

日本サッカー協会のシンボルにもなっている「八咫烏(やたがらす)」伝説の基にもなっている。

   

「肉眼黒点」・・・なんとワクワクする言葉。

夕日なら黒点が肉眼で見られるんだ。

それをカラスと考えたんだ。

 八咫烏ともつながりビックリ。

1211452607 

今度は「肉眼黒点」で調べてみよう。

しかし、今日はここまで。晩は飲み会。

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