今年は紅葉が見られそう・・・トウカエデではなかった
今日は9月2日。
こんなメールを、先日出しました。
今日は9月2日。
こんなメールを、先日出しました。
今日は9月1日。
今年も山の報告を書きます。第1弾。
8月26日の晩8時過ぎに、山のお師匠さん(これからはNさんで記入)と、
長野県に向かって出発しました。
松本市の沢渡(さわんど)第2駐車場に着いたのは、
確か27日午前1時すぎ。
すぐに駐車場の傍らにテントを張って、仮眠。
朝は5時前から行動開始。
登山の支度をして、タクシー相乗りで上高地に向かいました。
かの有名な「上高地」に初めて入りました。
途中の大正池に興味を持ち、ゆっくり立ち止まって味わいたいと思いましたが、
また次回。
そして上高地バスターミナルへ。
※贅沢にも?このシリーズでは、写真は全てこのサイズで掲載します。
バスターミナルには、たくさんの登山客がたくさんいて、
準備運動をしたり、朝食を食べたりと準備をしていました。
午前5時過ぎなのに、お店はすでに開いていました。
(後日、ここのお店は午後5時にはほとんど閉まっていました。
開くのも閉まるのも早い)
いよいよ歩きだしました。
またまたかの有名な「河童橋」へ。
河童橋からの風景。これもお馴染みの風景。
足元の清流。
とにかく名前は何度も聞いたけど、行ったことがなかった「上高地」「河童橋」を体験。
さらに歩をすすめました。(つづく)
今日は9月1日。
娘と「おおばんぶるまい」という漢字について話していました。
そりゃあ、「大盤振る舞い」だと思いました。
ところがこれが当て字であると、辞書で調べていた娘に教わりました。
なになに、それじゃあ、どうやって書くのが正しいのか、
辞書を見させてもらいました。
「椀飯振る舞い」!
なるほど、これなら意味とも当てはまる。
※この場合の読みは「おうばんぶるまい」となります。やっかい。
【椀飯振舞】の意味
1.盛んなもてなし。また、金品などを気前よく人に施すこと。
2 椀飯の儀礼の影響を受けた江戸時代の正月の行事。
一家の主人が親類縁者を招いて盛んな宴会を催したこと。また、その宴会。
【椀飯】の意味
1.椀に盛った飯。
2.饗応(きょうおう)すること。また、そのための食膳。
公家では殿上(てんじょう)の集会などに、武家では家臣が主君をもてなすさいに行われ、
鎌倉・室町時代には幕府の儀式ともなった。
また新しいことを知りました。
夏休みがすんで、いよいよ2学期が始まります。
子どもたちが出校日に出した宿題のうち、
自主勉強ノートをやっと全て見終わりました。
休み中に20ページやることが宿題でした。
どの子も(とは言い切れないかな)頑張ってやってあり、気持ちよく見ることができました。
このブログは、私の自主勉強。
2197本目(7月20日)から、今回の2284本目までの投稿が夏休みに書いたもの。
88本でした。
毎年100本を目指しますが、今年は届きませんでした。残念。
でも振り返れば、夏休み前に知らなかったことをたくさん知り、
体験したことがなかったことをたくさん体験したから、まあまあかな。
今年は今年のやり方で、夏の充電は完了。
今日から放電が多くなる。いい2学期を目指す。
今日は8月31日。
26日晩に出発して、27日~29日は山の中。
29日の深夜に無事帰還。
その29日深夜の番組「キングコングのあるコトないコト」を見ました。
楽しい雑学番組。
この日のテーマは「お茶」
印象に残った話を3つ。
「無茶苦茶」
番組では、「お茶がない生活などありえない」といった意味から、
今使われているような意味に派生したと言っていました。
そういう説もあるようですが、漢字はただの当て字だから、
漢字に意味を求めるのはおかしいという説も、調べたらありました。
「お~い、お茶」
「お~いお茶」は、
呼びかけるようなセリフと、茶葉が多いという2つの意味があると説明しました。
なるほど!と思いましたが、これは「ナイこと」でした。
「お~いお茶」は、もともとは違う名前でした。
番組中に名前を言ってくれましたが、忘れました。
調べてみました。
「缶入り煎茶」と言いました。
「缶入り煎茶」は1985年に日本で初めて缶入りの緑茶飲料として誕生したもの。
1989年に「缶入り煎茶」は名前を「お~いお茶」に変わりました。
番組では、その理由がCMでのセリフが好評だったからだそうです。
誰が言ったのか調べました。
島田正吾さんだそうです。
どんなCMだったけなあ~。
何となく覚えていますが、もう一度見てみたいです。
カップの受け皿の役目
これは聞いたことがあったので、復習でした。
ヨーロッパの人は、猫舌の人が多く、
熱い飲料(コーヒーとか紅茶とか)を受け皿に入れて冷ましてから飲みました。
それが本来の受け皿の役目。
その頃の受け皿は、飲料を入れるために、少し深めでした。
今はそんな習慣がなくなったため、受け皿は浅くなってきたそうです。
http://shisei.blog.eonet.jp/default/2009/02/post-f96c.html
↑このサイトにも、受け皿について書いてあって、参考になりました。
山から帰還してへとへとでしたが、ついつい見てしまった番組でした。
今日は8月26日。
普段自転車通勤を心がけているのはなぜか。
できるだけ階段を1段飛ばしでなるべく早く駆けあがっているのはなぜか。
できるだけ体重を下げようと努力しているのはなぜか。
(結局あまり下がりませんが・・・)
やっぱり、夏の北アルプス登山で、なるべく軽く登りたいがためです。
いよいよ今年の北アルプス行も、今晩スタート。
行ってきます。
山のお師匠さんとの北アルプス登山もこれで4回目。
ブログを始めた年2007年。
http://mitikusa.typepad.jp/blog/2007/08/post_1f67.html
2008年。
http://mitikusa.typepad.jp/blog/2008/08/post-590e.html
2009年。
http://mitikusa.typepad.jp/blog/2009/08/post-4d2d.html
2010年は都合が合わず断念。
そして2011年。
きっといい登山になると思います。
毎回そうだったから。贅沢してきます。今晩8時に出発。
今日は8月25日。
東京国際空港80周年記念切手発売日。
※http://kitte-shop.post.japanpost.jp/goods/goods/item_detail.asp?item_id=100589
東京国際空港と言えば、羽田空港。
年数が気になりました。
「80周年」
つまり戦前からあったということ。
知りませんでした。
「Wikipedia 東京国際空港」AFによると・・・・
1917年には日本飛行大学校がこの地に開かれ、
「羽田飛行場」と呼ばれた飛行訓練施設が置かれていました。
飛行訓練が行われたものの、民間の旅客機の離着陸はまだ行われていませんでした。
1931年(昭和6年)8月25日に、
日本初の国営(逓信省管轄)民間航空専用空港東京飛行場(羽田飛行場)として正式に開港しました。
日本の民間航空黎明期における重要な飛行場であったそうです。
私の父親が8月31日に80歳の誕生日を迎えます。
羽田空港と同い年だったよと教えてあげようと思います。
今日は8月25日。
今日も一日たくさん動くぞう。
2年前の夏に松原用水について調べて回り、ブログにまとめました。
いつか誰かが「松原用水」を調べる時に役に立てばいいなと思って書きました。
2年たって、こばさんが訪れてくれて、上手に利用してくれました。
その時に載せた1枚の写真。松原用水頭首工付近の写真(昭和42年頃)でした。
※http://mitikusa.typepad.jp/blog/2009/08/post-96a9.html
こばさんにとってはよく知っている場所だったため、詳しく教えてくれました。
こばさんのブログでは、この写真にコメントをつけてくれました。
さらに、現在の様子を同じ場所からの写真で紹介してくれています。
うれしい企画です。
※こばさんのブログ「いっぱいいっぱいの毎日だぁ~/豊川2」html#main
これが縁で、こばさんのブログを拝見。
興味深い投稿を見つけました。
本宮山のスケートリンクの写真。
初めて見ました!
スケート場跡は何度も目にしています。
(今月は4回も登りましたから)
その跡地に、かつてこんな立派なスケート場があったんだ。驚きでした。
このスケート場はいつまであったのでしょう?疑問。
卒業生で、本宮山研究をしている人は、
ぜひスケート場の写真を見に行ってください。
現在スケート場跡地には、ミズバショウ園が作られています。
検索して自分のブログに訪れてくれて、こばさんのような交流ができたことは、
ブログ冥利に尽きるような体験でした。
こういうことがあるから、ブログはやめられないです。
今日は8月24日。
昨日、娘がホームステイをしていたアメリカ・バージニア州で地震があった模様。
滅多に地震がない場所らしく、住民は騒然としたようです。
どれくらいの揺れだったのかなと思ったら、
アメリカには「震度」がないそうで、揺れの大きさは不明。
「震度」がないなんて・・・・、日本が揺れすぎなのかな。
奈良公園の勉強のつづき。
いろいろ調べていて、印象に残った話題。
花札でおなじみの絵です。
この絵が生まれた話が悲しい。
前投稿で紹介したサイトから引用します。
「石子詰伝説」(菩提院大御堂の境内)興福寺南側
むか~し三作という子供がこのお堂の側の寺子屋で習字をしていると
そこに春日の鹿がやってきて廊下に置いてあった草子を食べてしまった。
そこで、三作はこらっとばかりに文鎮を投げたら当たり所が悪く鹿は死んでしまった。
三作は罪にとられ大御堂側の庭に死んだ鹿と一緒に石子詰の刑に処されてしまった。
これを悲しんだ三作の母は永年供養の花としてそばにもみじを植えた。
「鹿にもみじ」の取り合わせはこれに由来しています。
「草子」とは、書物や習字用帳面の意味。ここではなんだろう?
大事なものを鹿に食べられ、怒れた子どもが文鎮を投げて鹿を殺してしまいました。
しかし、それで生き埋めとは残酷。親は切なかっただろうなあ。
こんな生類憐みの令のような決まりがあったのですね。
鹿にまつわる故事として、
「早起きは三文の得」が生まれた話は楽しい。(鹿にとっては、残酷)
これも次のサイトから引用。
実は、これは三文得するのという意味ではなく、
早起きすれば、三文、損しないという意味なんですね。
そして、これは、奈良が起源になっています。
奈良の鹿にまつわるお話です。
昔、鹿は神様の使いとして、とても大事に扱われていました。
粗末に扱ったり、殺した者には罰をもうけたのです。
ある朝、家の玄関先で鹿が行き倒れていました。
その家の主人が鹿を殺したのではないかと疑われ、罰金として三文を徴収されたそうです。
これを機に、早く起きて鹿が倒れていないか確かめる習慣がひろまったそうです。
早く起きないと、三文損するゾという起源となったのですね。
いやはやいやはや、奈良公園の鹿を調べていたら、いろいろ出てきます。
奈良公園で鹿を見るのが楽しみになってきました。いつかは実物。
今日は8月24日。
奈良公園の勉強のつづき。
こうやって事前勉強をしておいて、機会があったら実物で確かめる。
こういう勉強は実に楽しい。
奈良の鹿の祖先は、どこから来たと伝えられているか?
次のサイトがわかりやすいです。
和銅13年(710)年藤原不比等が氏神として春日大社を創建する際に
鹿島(茨城県鹿島神宮)から勧請した神が
白鹿に乗って春日山に入ったという言い伝えから、
神の使いとして大切に保護されてきました。
とのこと。
白鹿だけでなく、多くの鹿を引き連れて1年かけて春日山に入ったそうです。
奈良の鹿の祖先は、茨城県の鹿島神宮からやってきました。
茨城県の鹿島と言えば、鹿島アントラーズ。
鹿島に「鹿」の字が使われているし、「アントラー」は鹿の枝角のこと。
確かに鹿がたくさんいそうな地域です。(誤解か?)
鹿島の鹿について調べました。
鹿島神宮に30数頭の鹿がいるそうです。
1000頭以上の奈良公園は圧倒的に多いです。
奈良公園の鹿は、だれかに飼われているわけではなく、
つまり「放し飼い」ではないわけです。
放し飼いのように見えますが、飼い主がいないのだから、違います。
野生の鹿です。
今日は8月24日。
奈良公園の勉強のつづき。
奈良公園の鹿のおやつは、観光客が与える鹿せんべい。
それでは主食は?
公園内の芝生や木の実だそうです。
「芝生」にビックリ。
そうか、芝生を食べているのですね。今度はよく見てこよう。
近づくと、芝生をバッシバッシと食べているそうです。
根は残し、上の方だけ上手に食べているそうです。
さらに鹿の糞は芝生の栄養になります。
奈良公園の芝生の草原は、鹿のおかげというわけです。
次のサイトに面白いことが書いてありました。
鹿は、後ろ足で立って、届くところの木の葉を食べます。
口が届く最大が190センチくらいだそうです。
その結果、奈良公園の木は190センチより低い場所には、枝や葉があまりありません。
並んでいる木々がすべてそうなので、ちょうどラインで区切られたように見えるそうです。
ラインより上には枝や葉があり、その下はなし。
このラインを、Deer Line(ディアライン)と言うそうです。
Deerは、もちろん「鹿」
このDeer Lineも、修学旅行で見てきたいです。