2011年10月30日 (日)

ツワブキを他の小学校の花壇で発見

  

今日は10月30日。

11月12日の学芸会に向けて、6年生が連日劇の練習をしています。

以前書いたように、今年は合唱劇「ピカドンたけやぶ」に挑戦しています。

「ピカドンたけやぶ」動き出している html

    

「ピカドンたけやぶ」の中で、重要な役目をするのが、

やけどで苦しむカズユキくんを助けるために、動物たちが探してくるツワブキの葉っぱ

   

一度「ツワブキの葉っぱ」を見てみたいと思っていました。

念じれば実現する。

先の木曜日、市内の研究指定校の研究発表に参加した時に、

学校の花壇にありました。

   

何と幸運。さっそく写真撮影。

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つやのある大きな葉っぱです。

ツワブキの名は、艶葉蕗(つやばぶき)、つまり「艶のある葉のフキ」から転じたと考えられているそうです。(Wikipediaより)

この葉をあぶって柔らかくして、冷たくなったものをやけどの部分に貼ると、

化膿をとり膿を吸い出してくれます。

※参考「火傷をしたときの対処法」.html
    

花も咲きそうでした。

調べたらキク科。

なるほどキク科なんだ。だから秋に花が咲くのでしょう。

花期は10~11月と書いてありました。

今に咲くぞう。

    

奥さんに言われました。

ツワブキは家の庭にもあるよ。

トホホ。このパターンはよくあること。

最も見ていないのが、我が家の庭。   

 

 

 

伊勢湾フェリーが「ヤマト」のロケ地

    

今日は10月30日。

10月12日に、渥美半島と伊勢を結ぶ伊勢湾フェリーを使って、

社会見学に行ったことは以前書きました。

「操舵舵輪面舵取舵」html

操舵室に見学に行った時に、フェリー内で映画「SRACE BATTLESHIP ヤマト」のロケが行われたことを知りました。   

操舵室にあったプリントです。

RIMG0071
     

プリントの部分アップ。

RIMG0072上のアップ

「FLASH 2009年11月24日号」の掲載記事であることがわかります。

2年前にロケが行われ、1年前に映画公開されました。

写真だと、記事の文面が読めませんが、

あまり伊勢湾フェリーのことは書いてありませんでした。

森雪役が、最初は沢尻エリカが決まっていたけど、

いろいろトラブルがあって、黒木メイサになったようです。

木村拓也は綾瀬はるかを希望していたとか。

そんなことが書いてありました。 

   

さ~て、伊勢湾フェリーのどこでロケが行われたか?

確かめたいと思うのが、私の性(さが)。

レンタルで借りてきて、調べてみました。

30分ほどして出てきた場面に、喜んじゃいました。

これだこれだ。

それから次々に出てきました。

    

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おそらくこの場所は、フェリーの自動車が乗り入れる場所です。

一番下のEXITの文字が書かれた扉が、

向こう側に倒れて、自動車が乗り込む時の橋代わりになります。

どこかに伊勢湾フェリーを示すものがないか探しましたが、

画像が不鮮明なためあきらめました。

   

木村拓也さんの上に、「頭上注意」と書いた黄色の紙が貼ってあります。

最新鋭の宇宙戦艦に「頭上注意」はそぐわないです。

もともとフェリーにあったものかも。

今度フェリーに乗ったら、確かめてみよう。

   

確かめたいと思っていたことが確かめられて良かった。

2011年10月27日 (木)

咄家は芸を持っていた

  

今日は10月27日。

6年生の歴史の教科書に「落語などが上演される寄席(よせ)」とあります。

そもそも「寄席」とは何?

これがわかっていませんでした。

国語辞典には

《「人寄せ席」の略》落語・講談・漫才・浪曲・奇術・音曲などの大衆芸能を興行する演芸場、

とありました。

今の寄席は、落語中心です。

昔は、落語の咄家(はなしか)が、いろいろな芸をやったようです。

そのあたりのことを、「お江戸でござる」(杉浦日向子監修/新潮文庫)より引用します。

    

咄家は、咄をするだけでなく、必ず他に芸があります。

「影絵」「曲独楽(きょくごま)」「百面相」、扇子から水を出す「水芸」。

手品のことは、「手妻(てづま)」といいます。

咄だけだと「素咄(すばなし)」といって、味気ないものと思われました。

余芸がなければ、一人前と認められません。

余芸の中には、大食い、早食いといったものもあり、

お客さんから「これを食べてみろ」と差し入れられて、人気がありました。(109-110p)

    

昔の咄家は大変だぁ。

 

 

 

2011年10月26日 (水)

「クレーン」の語源

  

今日は10月26日。

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今週の月曜日の朝。

用事があって、いつもとは違うコースで自動車出勤。

信号待ちで、向こうに見えるクレーンに心ひかれて撮影。

   

「クレーン」はある動物に由来する言葉です。何だ?

   

9月30日が「クレーンの日」でした。

その日の朝のFM豊橋で、渡辺欣生さん(よっちゃん)が言っていました。

「クレーン」(CRANE)の由来は、鶴(crane)です。

鶴の形に似ているからです。

でもよっちゃんは、クレーンは鶴じゃなくてキリンだと言っていました。

私もそう思う。

首はかなり長いし、四足動物だから。

    

 

2011年10月25日 (火)

お薦めの「へうげもの」

  

今日は10月25日。

22日に一緒に飲んだ人から薦められたマンガ本。

へうげもの」(山田芳裕著 講談社)

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戦国時代。織田信長に仕えた古田左介(織部)を主人公とする話。

最近興味を持ち始めた茶の湯に関係深いマンガ。

さっそく3巻購入。

今日、2巻を読破。そして3巻目を読んでいます。

なかなか面白い。

いきなり茶器と爆死した松永久秀の話、

そして九鬼水軍の鉄甲船も登場。

昨年出向いた安土城がらみの話も出てきます。

引き込まれてしまい、授業と授業の合間にも読んでいました。

マンガから伝わってくる信長の鬼気迫る迫力、

そして秀吉の策士ぶりが印象に残りました。

本能寺で信長を討ったのが、☐☐だったとは驚き。

   

NHKのBSプレミアムで、毎週木曜日午後11時からアニメが放映中。

これも見たい。さっそく次の木曜日の番組を録画予約。

また忙しくしてしまった。

   

2011年10月23日 (日)

タータントラック

  

今日は10月23日。

昨晩は久々の先生と飲み会。

体育の先生だけど歴史も詳しい先生。

話していて、そうなんだと思うことがたくさんありました。

    

隣市の競技場のゴム製グランドの名前がわかりました。

※参考「アンツーカではなかった競技場」html

   

タータントラック(tartan track)でした。

これは登録商標。タータンターフという人工芝もあり。(ターフ=芝)

タータンという企業があるのかな?

   

タータンチェックがどんなものか思い浮かばなかったので、

ついでに調べました。

Nb291
http://item.rakuten.co.jp/h-harada/nb291/

多くの色を使った格子柄のこと。

お馴染みでしたね。   

 

 

2011年10月22日 (土)

日めくりより・・・拙速/カミカゼ/戻りガツオ/鱧

   

今日は10月22日。

日めくりより。

    

EPSON002

この日めくりの文章を書いているライターの中で、

孫子(兵法書のこと/孫武の作とされる)に詳しい方がきっといます。

よく出てくる孫子の文章の一つ。

   

「兵は拙速を聞くも、未だ巧久を賭ざるなり」から、

「戦いは少々納得のいかないことがあったとしても、

さっさと切り上げよ」の意味はなかなか読み取れません。

    

拙速がここでは「やり方はまずくても早めに終わらせる」

巧久は「うまい具合に長く行う」ことのようです。

拙速はあっても、巧久はないというわけです。

※参考http://sonshi.roudokus.com/sonshi02_01.html

   

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カミカゼの写真。

Cocktail399
http://www.misichan.com/cocktail/d/cocktail399.html

「神風特攻隊」の名前が残ることには賛成。

ずっと、「神風特攻隊」について語られるといいなと思います。

戦争が愚かであること。

愚かなことのために、尊い命を失った人たちがいること。

この「カクテル」を飲む人は、その度に思い出してほしい。

    

EPSON016

今がまさに「戻りガツオ」のシーズン。

ニュースで、今年は不漁だと聞きましたが、どうなのだろう?

大震災による津波被害や放射能汚染がどう影響するかも気になるところ。

   

EPSON015
 

カツオが出たところで、魚の話。

修学旅行で泊まった宿でいただいたお土産。

「鱧」・・・さて何と読むのだろう?

   

調べて、「はも」と判明。

「はも」はこんな姿。

01
http://www.zukan-bouz.com/unagi/hamo/hamo.html

ウナギの仲間なのですね。    


    

 

 

 

   

 

2011年10月21日 (金)

江戸時代の眼鏡 額で支える

   

今日は10月21日。

今日は金曜日。今週も一週間頑張りました。

    

昨日の内容に関連して・・・

江戸時代の眼鏡について。

どこかいいサイトはないか探しました。

    

「幸得潤眼鏡院 眼鏡タイムトリップ江戸時代の眼鏡」1

ここに写真があります。

説明を引用します。

   

ごくまれに時代劇などで見かける昔のめがね、

本当に当時の人はあんなものを使っていたのか?

はい、使っていました、当店に実物があります。

材質は金属、鼈甲、木、などですが、

当店には現在、鼈甲のもの、真鍮のもの、鼈甲と真鍮のコンビのものなど数種類あります。

レンズの材質はガラスと天然水晶の二種類があります。

用途は、遠視と老眼は同じ凸レンズを使うことが多いので、正確には不明ですが、

おそらく老眼用だと思われます。

当時はまだ、現在テンプルと呼ばれる耳の後ろでホールドするための部品は、無く、

紐などで耳に引っかけて、額の部分の三点で留める形式です。

    

そうか・・・テンプル。

テンプルのおかげで、眼鏡は位置を保てているわけです。

テンプルがなくて紐(ひも)だと、鼻の2か所と額の3か所留めなんだ。

   

江戸時代の眼鏡のイメージは、2つのレンズの上に何かあったイメージ。

それは眼鏡を固定する3点目というわけです。

 

2011年10月20日 (木)

浮世絵はチームで作った

 

今日は10月20日。

社会の時間。

昔の番組を見せています。

1995年5月25日放映の

「コメディーお江戸でござる はやらぬ宿には福来たる」です。

江戸時代を勉強するにあたって、杉浦日向子(ひなこ)さんに出会わせたいと思いました。

「コメディーお江戸でござる」では、

毎週江戸時代の劇が演じられ、その後に杉浦日向子さんが登場。

江戸時代の劇として、「ここが間違い」というのをどんどん話していきます。

それがとても楽しい。へ~そうなんだと思うことがいくつもあります。

杉浦日向子さんは、江戸時代に生きていた人ではないかと疑うほど、

まるで見たかのように、まるで体験したかのように話をしていました。

   

前時で劇を見せました。

明日の次時で、杉浦日向子さんが、「ここが間違い」という話をするところを見せます。

子どもたちに、どこが間違っているとか考えておいてと話しましたが、

ちょっと難しい。

   

ここで答えを書いておきます。

〇劇では、浮世絵の元絵を描く絵師は「先生」と呼ばれ、評判のいい絵師は重宝がられたとしていました。

ところがこれが間違い。

次の本から引用します。

「お江戸でござる」(新潮文庫)

「脱線 コメディーお江戸でござる」html

  

浮世絵は、ひとつのプロジェクトチームで作られていきます。

絵師はその一員として、「版下絵」を担当します。

「絵師」というより、しばしば「画工(がこう)」と呼ばれました。

「版元」(出版社)があって、プロデュースをする「案じ役(あんじやく)」がいて、

画工がいて、「彫り師」がいて、「刷り師」がいて、

みんなが集まってできていくのが、浮世絵です。

モデルは誰にしようとか、色はどうしようかということも、

皆で頭を寄せ合って決めます。(21~22p)

   

「北斎(ほくさい)」とか「写楽(しゃらく)」「歌麿(うたまろ)」というのも、

プロジェクトチームを指すものであって、ひとりの名前とは限りません。

絵師のことは、本名で呼ぶことが多く、

北斎であれば「鉄蔵(てつぞう)さんやい」と呼び「北斎先生」と呼ぶ人はほとんどいません。

浮世絵師は、画家というよりは、テレビや映画の制作スタッフに近い存在です。(22p)

   

    

Hokusai062※北斎作品

これは意外でした。

「葛飾北斎」「東洲斎写楽」「喜多川歌麿」という絵師はいたのですが、

これはプロジェクトチーム名であって、絵師もチームの一人にすぎなかったようです。

番組の中で杉浦さんが、絵師が絵に色を塗ることは滅多になかったと言っています。

あの浮世絵は、チームみんなで作ったものだったのです。

   

   

〇間違いはもう一つ。

絵師役の矢崎滋さんが、自前のメガネをはめていましたが、これが間違い。

江戸時代のメガネは、耳にかけるところはひもだったとのこと。

   

メガネの歴史も面白そう。

   

 

 

2011年10月18日 (火)

方広寺に行ってきました

  

今日は10月18日。

番組「ザ・今夜はヒストリー」で、大坂冬の陣が扱われる前夜。

    

【大坂冬の陣】

慶長19年(1614)冬、京都の方広寺の鐘銘事件を口実に徳川家康が豊臣氏を大坂城に攻めた戦い。

豊臣秀頼の軍の奮戦で城は落ちず、いったん和議を結んだ。

和議の条件として、大阪城の堀が埋められる。

これによって大阪城の守りは大幅に減少。その状態で夏の陣を迎えることになる。

     

はたして明日の番組ではどの辺りに焦点が絞られるかな。

   

徳川家康が大坂冬の陣の口実にした方広寺鐘銘事件とは。

 

【方広寺鐘銘事件】

方広寺は、豊臣秀吉が、1586年に作ったお寺。

大仏が大仏殿の中に置かれ、その大きさは19mあったそうです。

東大寺の大仏が18m(台座を含む)ですから、それ以上あったわけです。

しかし大仏は、1596年の大地震によって壊れてしまい、

大仏殿もいたみます。

徳川家康のすすめによって、秀頼が方広寺大仏殿を修復することになりました。

何年もかけて大仏と大仏殿が修復された1614年に、大梵鐘(ぼんしょう)も鋳造されます。

しかし、その鐘に記された銘文に家康がいちゃもんをつけます。

「国家安康」は家康の名前が切られていること、

「君臣豊楽」は豊臣家の繁栄を祈願して、

徳川家に対するのろいが込められていると断定しました。

これが方広寺鐘銘事件。これによって家康は大坂城に軍を進めました。

     

この鐘は今も残っています。

その鐘を見るために、修学旅行の1日目(9月25日)に方広寺に行ってきました。

その時の写真。

   

RIMG0060

鐘楼

    

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大梵鐘。

高さ4.2m 外径2.8m 厚さ27㎝ 重さ82.7トン

(方広寺拝観の栞より)

    

鐘に白く縁取られたところあり。

これが問題になった銘文です。

アップで写してみました。

   

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1614年の歴史的な事件のきっかけになった銘文が、

400年近く経った今も、こうやって見ることができるのはすごいこと。

秀頼も家康も見たのでしょうか。

写真では何度も見た銘文を、しっかり見てきました。

    

方広寺入口には、巨石が並びます。

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「大仏殿石垣」と書かれた石塔が立っていました。

ここに高さ50mの大仏殿が建っていたのでしょうか。

大坂城もすっぽり入る大きな建物でした。

※参考「幻の方広寺大仏2」html・・・大仏殿と大坂城の大きさ比較がわかりやすいです。

   

大仏の10分の1のサイズの仏像が、本堂にありました。

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※参考「幻の方広寺大仏1」html・・・方広寺の見どころがコンパクトにまとめられています。

    

今は大仏殿も大仏もありません。

しかし、名残りは残ります。

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方広寺付近で見つけた郵便局。

名前は「京都大仏前郵便局」

大仏は失われましたが、地名は残りました。

  

以上で方広寺報告終わり。

   



 

 

 

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