2012年1月25日 (水)

行き詰ったら、とにかく一歩踏み出してみる

  

今日は1月25日。

本「将棋をやっている子供は、なぜ『伸びしろ』が大きいのか?」からの引用。

   

「伸び代(のびしろ)」を調べていて見つけた本。

図書館にあることがわかって借りてきて、さっそく読んでいます。

将棋を通して見えてくるものが、

4ページひとまとまりでわかりやすく書いてあって、

すらすら読める本です。

   

行き詰ったら、とにかく一歩踏み出してみる

という項目からの引用。

   

(攻めが行き詰った場合)

将棋には前に進めない駒はありません。

「香車」は後ろに下がることはできませんが、

前には何マスも進めます。

「歩兵」は前に1マス、「桂馬」も前方のみへの移動とされています。

どの駒もみんな、前には進めるようになっています。

すなわち将棋というのは、前に進むようにできているのです。

ですから、やはり一歩踏み出さないと勝つことはできないのです。(中略)

繰り返しになりますが将棋とは、人と人とが対峙して、

そのときの最善の指し手を盤上に描き出す芸術です。

その原点に立ち返ってみれば、行き詰ったら、

今の時点での自分の力を試すことが最善手なのです。

やはり行き詰ったら、とにかく一歩踏み出してみることが大事です。

攻めれば、必ず取られてしまう駒が出てきます。

けれども取られてもいいのです。

損したように見えても、

それによって違う駒が活躍する場が必ず出てくる。

そこからまた局面を打開することができるのです。(132-133p)

    

いいなあ、この文章。

行き詰って、一歩踏み出しても、必ずしもうまくいかないことが起こります。

でも、何が転じて幸いになるかわかりません。

結果、いい方向にいくことがあります。

でも一歩踏み出さないと始まらないのです。

   

さらにこう続きます。

   

ただそれには勇気が必要です。

誰だって損はしたくありませんし、失敗もしたくない。

しかし、「それでもいい。やってみよう!」という

強い気持ちを持たなければ勝つことはできないのです。

いざというときには勇気をもって踏み込むことは、

じつに大切なことなのです。(134p)

   

一歩一歩、これでいいかと思いつつ前進している毎日です。

心臓は使いますね。毎日ドキドキです。

2012年1月24日 (火)

「伸び代」は新語でした

  

今日は1月24日。

先日、学年通信に「伸び代(のびしろ)」という言葉を使いました。

インターネットの国語辞典によると、こう書いてありました。

   

【伸び代】=能力を出し切ってはいず、まず成長する余地があること。

      ◆平成17年(2005年)前後からスポーツ界で使われ、多方面に広がった。

    

ムム、昔からあったと思っていた「伸び代」

2005年前後からスポーツ界で使われ始めた?はて?

あまり使われなかった「伸び代」を、2005年前後によく使うようになって、

広まったと考えました。

関心は最初、この2005年に何があったかということにいきました。

そんなことを学年通信に書きました。

    

しかし、この休み中に、関心が違う方向に。

まてよ。昔からあったと思っている「伸び代」だけど、

もしかしたら、2005年前後に誕生した新語なのでは?

インターネットの国語辞典の記述は、そういうことを表しているのではないか。

そう思って調べ始めたら、どうやら新語説は正しいようです。

以前の国語辞典には、「伸び代」は載っていないとブログなどに書いている人多し。

こうなったら、自分でも確かめようと、今日勤務先で、ちょっと古い広辞苑を開いてみました。

    

ありませんでした。

   

「伸び代」は新しい言葉だったようです。    

ずっと以前から使っていたと思い込んでいたわけです。

間違っていました。

勉強になりました。

   

しかし、きっかけは誰だったのだろう?

誰がどんな場面で、この「伸び代」を使ったのだろう。

こんなに広がり、インターネットの国語辞典に載ると予想しただろうか。

たった7年で、古株のような顔をした「伸び代」

魅力のあるいい言葉だから、広がったのだろうなあ。

 

「跪く(ひざまずく)」は、なぜ「危」なのか?

   

今日は1月24日。

先日、本の文章をブログに引用していて、「跪く(ひざまずく)」が出てきました。

本の引用「内部被曝の脅威」html

   

その時に、なぜ「危」なのか疑問に思い、今朝調べてみました。

日本テレビの番組「世界一受けたい授業」で、武田鉄矢さんがこのことを語っていました。

2008年10月4日のことでした。

06_t

HP:http://www.ntv.co.jp/sekaju/200910/class/081004/06.html

   

その答えを引用します。

「跪」という字は(ひざまずく)と読みます。

「足」へんに「危」ない。なぜ跪くのが危ないのかというと中国の服装(チャイナドレス)は、

跪くと太ももがあらわになり下着まで見えそうになるから危険だ、

と感じられるからです。

   

なるほどと思いつつ、他の説もあるのではと思います。

2012年1月23日 (月)

宿題ができない

  

今日は1月23日。

研究紀要のまとめの時期。

なかなか原稿が書けない。明日までの宿題なのに。

他の人の原稿を読んで、いろいろコメントを言わなければならないのに、

内容がちっとも頭に入ってこない。

頭が衰えた?

昨年の今頃もそう思った。

ちょっと自己嫌悪に陥る時期です。

    

昨日は息子の野球の手伝い。

紅白戦で、息子がレフト線に痛烈な当たり。

何とホームラン。初めて見た!

チームで最も小さく、打っても弱々しい打球ばっかり。今日も9番打者。

でも今日の打球は違った。

毎晩の家の前での練習が活きてきたのかな。

素振りをしたり、

奥さんがバトミントンの羽根を投げたのをミート練習をしている。

次はセンター前ヒット。3打数2安打。

リリーフでもいい投球をしていた。

いいところがたくさん出た日だった。

やるな息子。

   

お父(おとう)も頑張りたいが、研究紀要の文は難敵だ。

  

 

先週気になった原発関連記事2つ・・・・内部被曝は現実

  

今日は1月23日。

昨日の投稿のつづき。

    

そして1月19日朝日新聞朝刊一面の見出し。

福島1日の食事4ベクトル 

年間(内部)被曝新基準の40分の1

    

この記事をスキャナーでとったものを載せます。

EPSON074
    

記事の最後に「カリウム40」のことが出てきます。

「結果から推定される年間の被曝線量は福島でも、

食品にもともと含まれていて誰も被曝しているカリウム40の

自然放射線による被曝量よりもはるかに低い。」

この点については、昨日の投稿で扱った本「内部被曝の脅威」のなかにこう書いてありました。

    

日本人の場合、一般に成人の体内に存在しているカリウム40の放射能の総量は、

約4000ベクレルである。

だから、「ほら、人間の体内にはもともと放射能があるのですよ、怖がる必要はありません」

と言われている。

しかし、放射能の生物に与える影響を研究する遺伝学者は

「カリウムの代謝は早く、どんな生物もカリウム濃度をほぼ一定に保つ機能をもっているため、

カリウム40が蓄積することはない」

「カリウムを蓄積するような生物がかりに現れたとしても、蓄積部位の体内被曝が大きくなり、

そのような生物は不利を負うことになるから、進化の途上で淘汰されたであろう」

と述べている。(83-84p)

   

放射性物質の蓄積が問題なのであって、

どこの部位にどのくらい蓄積するのかよくわかっていない今、

実際にセシウムが食品に入っていて、

それを食べている人たちがいることがショックです。

食べざるをえないのです。

あらためて、放射性物質は大量に拡散し、

人間に影響を与え続けていることがわかった記事です。

まだ53家族です。より詳しい調査結果が知りたい気持ちです。

自分の身体にも、この1年でどれくらいの放射性物質が蓄積しただろう?

 

 

 

 

 

2012年1月22日 (日)

先週気になった原発関連記事2つ・・・・原発運転最長60年

 

今日は1月22日。

なかなか忙しかった先週ですが(いつも忙しいかな)、

ちらっと見た新聞に気になる記事がありました。

休みの今日、じっくり見ています。

1月18日朝日新聞朝刊一面。

原発運転 最長60年 

改革準備室方針 例外延長は20年

   

そして1月19日朝日新聞朝刊一面

福島1日の食事4ベクトル 

年間(内部)被曝新基準の40分の1

  

この2件です。

原子力発電所の運転期間は原則として40年として、

例外的に認められる延長期間を20年とするという方針。

これが国会で通れば、原発は最長で60年で廃炉。

それまでは存続する可能性ありということ。

もう絶対おかしいと思います。

   

 毎日放送「たまねぎジャーナル」に出演した小出裕章さんが、

この60年の方針について述べた音声がありました。

福島原発4号機が倒壊の恐れがあるという発言もあります。

よかったら聞いてみてください。1月9日のものだそうです。 

  

   

内部被曝の記事については次の投稿で。

本の引用「内部被曝の脅威」・・・原爆による内部被曝

   

今日は1月22日。

う~ん、さっきまで時間をかけて作った長めの投稿が、なぜか消えてしまいました。

こういうのがつらい。

もっとこまめに投稿していかないと、ショックが大きい。

でもあらためて文章をうちます。

   

本「内部被曝の脅威」(肥田舜太郎・鎌仲ひとみ著/ちくま新書)より。

鎌仲ひとみさんは、昨年10月に映画を見て、トークを聴いてきた人。

その時のことは次の投稿に。

「脱原発の映画・トーク」0d 

   

肥田舜太郎さんについては知りませんでした。

どんな人だろうと読んでいて、すごい体験をしてきた人だと知りました。

   

1945年に広島で自ら原爆で被爆をしたお医者さん。

多くの被爆者を治療した体験があります。

その治療の体験記と、治療体験から内部被曝に気づいていく過程の話は迫力があります。

その一部を引用します。

   

ピカに遭った者には早い遅いはあっても、発熱から脱毛にいたる急性症状が現れ、

死ぬ者が多いことが経験的に頭に染み付いて、なんとなく馴れてしまった頃のある日、

軽症で治療することもなかった男性が突然、急変して鬼籍に入った症例に出会った。

駆け付けると、げっそり頬の落ちた顔に死相があらわれている。

跪いて(ひざまずいて)脈をとったが力がない。

二の腕に紫斑が目立ち、少し伸びた五分刈りの髪の毛が抜けて薄くなっている。

近くの者に聞くと、昨日から下痢と嘔吐がひっきりなしに続いて急に弱ったという。

前をはだけて腹部を触ろうと手を入れると、それまで瞑目していた男が眼を大きく開け、

私の手を力いっぱい引き寄せながら、意外な大声で、

「わしゃピカには遭う(おう)とらんのじゃ。

あの日の昼から中隊長の命令で広島に入り、怪我人を助けて運んだり、

死骸を運んだりした。

二晩、浅野邸で寝て、三日目に救援作業に出ようと思うたら気分が悪うなり、

ここへ運ばれてきた。

なして、わしの髪の毛は抜けるんじゃ、ピカには遭うとらんのに」

最後の方は息ぎれしてしどろもどろになったが、

ピカには遭っていないと繰り返し訴える通り、からだのどこにも火傷や怪我がなく、

衣服にも破れや焼け焦げはない。

本人の訴える通り、原爆の爆発時に市内にいなかった者に、

どうして死んでゆく被害者と同じ症状が現れるのか。

漠然とした疑問が頭の中に急に大きくふくれ上がってきた。

しかし、事を深く考えるには疲れ過ぎていたし、あまりに患者の数が多すぎた。

死因不明で私の手のなかで死んだこの人の名を私は知らない。

しかし、この人こそ、その後60年、

私が生涯かけて探求することになった原爆の内部被曝の最初の証人だった。(36-37p)

    

福島原発事故以後、「内部被曝」という言葉を聞くようになりました。

そしてこの本を読んで、福島原発と広島の原爆が、「内部被曝」でつながりました。

広島の原爆で、後になって症状が出て苦しんでいた人たちは、

体外被爆の症状が遅めに出たのだと思っていました。

しかし、内部被曝で徐々に蝕まれていった結果だったことがわかりました。

そして福島原発の場合も、拡散した放射性物質が何らかの形で身体のなかに入ったことによる内部被曝が心配されています。

内部被爆でそうなってしまかの症例を、日本は悲しいことに持っているのです。

次のブログでこんな文を見ました。「内部被曝の脅威」を読んだ感想文のなかにあった文です。

「散歩の変人 内部被曝の脅威」/

  

核兵器実験、劣化ウラン弾の使用、核兵器の製造過程、原子力発電所や再処理工場、

原発事故、ウラン鉱山などから大量の放射性物質が排出され続けています。

それが気流や海流に乗って世界中に拡散し、貝や海草やプランクトンに取り込まれ、

食物連鎖のなかで生体濃縮され、食物としてわたしたちの体内に入り組織に沈着する。

わたしたちはみな「ヒバクシャ」であるのかもしれません。

   

そう思います。

もう原子力発電所はいらないです。

   

 

2012年1月21日 (土)

本の引用「気にしない技術」2・・・小さな書店で選んだ本

   

今日は1月21日。

本「気にしない技術」(香山リカ著/PHP新書)より。

   

この文章も印象に残りました。

   

じつは私は、書店、とくに大型の書店に行くのがあまり好きではありません。

なぜかというと、「世の中にはこんなに本があるのか。

ああ、これも知らないことだし、この本もまだ読んでいない・・・」と自分の知識のなさ、

学ぶべきことの多さに、ぐったりと脱力感を覚えるからです。(中略)

でもそんな私にも、好きな”書店”があります。

それは地方の空港や駅の売店の隅などの本コーナーです。

並んでいるのはせいぜい50冊、100冊くらいでしょう。

それくらいの本なら、圧迫を感じずに眺め、気軽に読みたいものをチョイスできます。

そう言うと、「えー、50冊しかなければ、そのなかに読みたい本がないかもしれないじゃない」

との声も聞こえてきそうですが、そんなことはありません。

「どうしてもこのなかから選ばなければならないんだ」と自分に言い聞かせ、

さして興味のない剣豪小説などを求めて飛行機の中で読みだすと、

感涙、爆笑、熟考でたいへんなことに・・・・という経験もよくあるのです。

つまりは、期待せずに手に取った本のなかに名著あり、ということです。(80-81p)

    

この発想に賛成。

全てのことを知ろうとか体験しようというのは無理です。

それを目指すと疲れちゃいます。

大事なのは「縁」です。今はこの考え方。

たくさんのなかから選ぶのではなく、偶然の出会い「縁」を大切したいです。

目に入ってきたことにこだわって深く知ろうとしています。

このやり方、大好きです。このブログがまさにそれです。

 

本の引用「気にしない技術」・・・「失敗した自分」を客観視するクセ

  

今日は1月21日。

本「気にしない技術」(香山リカ著/PHP新書)より。

ISBN978-4-569-79807-3
   

私のこの情けない一例でもわかるように、

「気になってどうしようもない」ケースのほとんどは、

じつのところ「気にする必要がない」か「気にしても意味がない」ことで、

むしろ「気にすることで、さらなる事態の悪化を招く」のです。

そうなると、悩み多き私たちの人生をうまく生き抜くために必要なのは、

「気にする原因がなくなるように、一つひとつ問題を解決していくこと」ではなくて、

「最初から気にしないようにすること」なのではないでしょうか・・・・。(8-9p)

「テレビで話題の〇〇を早く手に入れなければ」とか、

「☐☐をマスターしなければ職場で取り残されるかも」とか、

あるいは「あんなこと言っちゃって、どうしよう」とか、

自分をとりまくさまざまな情報や出来事について、

必要以上にあれこれと気にしすぎて、

心のエネルギーを消耗してしまうのだけは避けなければならないと思うのです。

困難な時代だからこそ、それを乗り切るために、気にしない。気にしすぎない。(10p)

       

この本の内容は、この考えからスタートしています。

そうだそうだと思いたい。

どっぷり気にするタイプなので、この本に期待したいと思って読みました。

   

責任感が強ければいいわけじゃない。

マイナスの感情のループにはまってはいけない。(49p)

※ループ=ここではらせん状の輪のことを言っていると思います。

私の診察室にも、「仕事の失敗がきっかけでうつ病になった」という人がたくさんいらっしゃいますが、

その”失敗”のレベルはほんとうにさまざま。

「コピーがズレて用紙を10枚ムダにちゃって」という人から、

「投資判断を誤って数千万円の損を出した」といった人もいます。

つまり、失敗の大きさと、それが招く個人的なダメージには、

はっきりとした相関関係はないのです。

では、どうしてこの人たちはみな、同じようにうつ病になってしまうのかといえば、

それは、「ああ、しまった、失敗しちゃった。自分ってダメだなあ、ミスばかりだ・・・」と、

どんどんマイナス感情のループにはまってしまうからです。

いったんそうなると、入り口が「コピー10枚の失敗」でも

「損害額5000万円」でも、出口は同じということになってしまう。

だから、まずはマイナス感情のループの入口に近寄らないようにすることが大切なのです。(52-53p)

   

賛成します。私はこのマイナス感情のループにはまりやすかったです。

大きな病気になって、それ以後「さあ、どうやって切り抜けるか」「まあどうにかなるか」と

考えられるようになってきました。

香山リカさんはこう書いています。

    

「失敗した自分」を客観視するクセ(53p)

「結果は結果として事実をクールに受け止め、そこから感情を切り離す」(53p)

失敗がわかった際に、「マズイ」とか「困った」といったマイナスの感情が勝手に動き出さないよう、

脳にストップをかけることが大切なのです。

具体的にどうしたらいいかというと、

「もう一人の自分が、ちょっと高いところから今の自分を見下ろしている」様子をイメージするといいでしょう。

そうして失敗した自分の姿を客観視することで、

一時的に感情をフリーズできます。

そうすれば、おのずとやるべきことも見えてくるはずです。(53-54p)

ここで気をつけなければならないのは、感情を切り離すあまり、

調子に乗って失敗の原因をほかになすりつけてしまうこと。(54p)

    

「さあ、どうやって切り抜けるか」と考えるのは、少しは客観視できた時のセリフだと思います。

「さあ、どうやって切り抜けるか」「きっとどうにかなる」のセットでものごとを考えられる時は、

大丈夫だ。

(つづく)   

     

   

2012年1月19日 (木)

「うた魂♪」のラストシーンの曲「あなたに」

   

今日は1月19日。

映画「うた魂♪」を子どもたちと見ました。

「うた魂♪」は以前2回投稿しました。

待ってました「うた魂♪」html(2008年)

映画「うた魂♪」html(2011年)

いい映画です。

ラストシーンの「あなたに」の大合唱は感動です。

  

何と、そのラストシーンがyoutubeで見られました。

  

卒業式を思い浮かべてしまいました。

卒業式の最後は、この映像のように、式場内のみんなで大合唱してみたいなあ。

「あなたに」がいいけど、卒業式には合わないなあ。

        

この映像を職員室でこっそり聴いていたら、

隣の席の先生が、「あなたに」のもと歌を教えてくれました。

モンゴル800というグループの2001年の曲だそうです。

全く違うイメージの曲なので、合唱になっていてビックリとのこと。

もっとアップテンポのにぎやかな曲だそうです。

こうなるとさっそく聴きたくなります。

   

youtubeで発見!ありがたいねえ。

 

 この曲もいい。

やっぱりさびがいいなあ。

「あなたに 会いたくて~ 会いたくて~」

   

今晩はこの曲とより馴染めました。

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