2012年2月 6日 (月)

今度は100回目の「歴史秘話ヒストリア」

 

今日は2月6日。

NHK放映の「歴史秘話ヒストリア」が、2月8日放映で100回を迎えるそうです。

そのうちのどれだけ見られたかな。

    

2月8日は、

大奥シンデレラ・ストーリー~将軍の母・桂昌院 玉の輿(たまのこし)物語」です。

「玉の輿」というのは、女性が結婚によって富貴(ふうき)の身分になること。

※富貴=金持ちで、かつ地位や身分が高いこと。

もともとあった言葉のようですが、

八百屋の娘であった玉が、3代将軍家光の側室になり、

男子を生んで、家光死後は桂昌院と名のりました。

その男子が、後に5代将軍綱吉になります。

将軍の母に登りつめた桂昌院は、文字通り「玉の輿」をした女性。

「生類憐みの令」に深くかかわった女性でもあるので、興味があります。

   

偶然、同じ日に放送する「今夜はヒストリー」も大奥のことをやります。

大奥のことが勉強できる晩になりそうです。

 

 

2012年2月 5日 (日)

寒風のお手伝いで思い出した仕事

 

今日は2月5日。

昨日は息子の野球チームの練習試合のお手伝い。

朝の6時30分から晩の6時20分まで。(おっと昨日はほぼ12時間だったんだ)

気温は-3度から日中9度に上がってくれましたが、

一日中吹いていた寒風のためつらかった。

厚着でのぞみましたが、凍えました。

なので、仕事の合間に、駐車場の車に入って体を温めていました。

   

昔を思い出しました。

就職前に、2月~3月の40日間、

北海道のオホーツク海沿岸の斜里~稚内を歩いたことがありました。

道々、いろいろな体験をさせてもらいながらの旅でした。

どこだったか、漁船の下部のパテ塗りを手伝ったことがありました。

流氷が来るため漁に出られないから、

漁船は浜にあげられていました。

その漁船の下部のペンキを塗りなおす前に、隙間を埋めるパテを塗る仕事です。

漁船の下にもぐりこんで塗るのですが、

吹きっさらしの場所なので、流氷の上を吹いてくる寒風が尋常ではなかったです。

さらに寝そべっている場所も雪が凍っている状態。

10分間ほど頑張って塗って、急いで小屋へ。

小屋ではストーブがバンバンに焚かれていて、冷えた体を温めます。

それが15分間。働いていた時間より長かったです。

温まったところで、再び外へ飛び出して、パテ塗り。

この繰り返し。

世の中には、こんな過酷な仕事があるのかと体感しました。    

   

昨日、練習試合の手伝いをしていて思い出した話です。

昔話のお付き合い、ありがとうございます。

 

 

節分/4年前の話をまたしてくれた

 

今日は2月5日。

先週金曜日(2月3日)発行の学年通信は「節分」のことを書きました。

以前、ブログで投稿した内容を2つ使いました。

一つは2008年2月1日のラジオ放送で聴いた内容です。

「豆まき 子どもたちの追い出したい鬼」html (2008年2月3日投稿)

「FM豊橋」の渡辺欣生(よしお)さんの話でした。

なぜ炒った豆をまくのかという話です。

もう一つは番組「雑学王」で知った内容です。

「節分/昔は桃をまいていた」html(2009年2月3日投稿)

昔は豆の代わりに桃をまいていたという話です。

 

私のブログでよく登場する渡辺さんは、「FM豊橋」の名パーソナリティーです。

朝の放送では水曜日と金曜日を担当。

実は先の2月3日は金曜日!

出勤中の自動車でラジオのスイッチを入れました。

予定通り、(渡辺)よっちゃんの声。

そして節分の話。

もしかしたら、4年前に話したことが出るかなと期待していました。

いや期待していたと言うより、きっと話すだろうと確信めいたものがありました。

 

結果。よッちゃんは話しました。

炒った豆を節分でまく理由を。やっほ~、うれしかったなあ。

もうすでに言っている話でしたが、よっちゃんの巧みな話術で、とても楽しく聴けました。

 

そんなことがあった節分の朝でした。

   

もう一つ。こうやって、以前にブログに書いたことが通信のネタになることがありがたいなと思います。

当時の自分に感謝。 

2012年2月 3日 (金)

グリコのゴールインマーク

 

今日は2月3日。

昨日、金栗四三(かなぐりしそう)さんの話を書きました。

その投稿に、ふっとわーくさんからコメントをもらいました。

「この方、某菓子メーカー(道頓堀にマークが)のマークのモデルだと聞いた気がするのですが、

 気のせいだったかしら??」

これはグリコのマークのことだと思いますが、

ちょうど昨日紹介した「知識と雑学の備忘録」にこのことが書いてありました。

引用します。

「知識と雑学の備忘録」48

   

みんな知っているグリコのパッケージのマラソンランナー。

この人は、実は日本人ではなくフィリピン人である。

第五回極東競技大会でゴールしたカタロンというフィリピンのマラソン選手の

笑顔がグリコの商品イメージにぴったりだった為、採用されたとのことである。
    

  

フィリピン人だったんですね。

しかし、今のグリコのマークは、昔の顔ではありません。

大正11年にできた時のモデルが、カタロン選手だったのでしょう。

それ以後いろいろ変ってきて今に至ったようです。

その様子は次のサイトでわかります。

「ゴールインマークの歴史」htm

Goal_02
       

何にでも歴史あり。

 

 

2012年2月 2日 (木)

今朝の雪景色/マラソンの最長記録

   

今日は2月2日。

今朝は雪景色でした。

通勤路にある三明寺の三重塔の写真。

RIMG0562
  

勤務校の運動場の写真。

RIMG0564RIMG0565
  

RIMG0566RIMG0568
    

さて、前投稿に続いてマラソンの話。

今回も引用です。

引用元はここ。前回と同じブログです。なかなか面白いブログです。

「知識と雑学の備忘録」ml 

    

マラソンの最長記録、つまりはワースト記録は、

日本の金栗四三が記録した54年8ヶ月6日5時間32分20秒3である。

金栗四三は1912年に開催されたストックホルムオリンピックのマラソンに出場したが、

32キロ付近で意識不明となり棄権した。

しかし、棄権の意思がオリンピック委員会に伝わらず金栗は記録上、

「競技中に失踪し行方不明」となった。

時は流れて、1967年にストックホルム市が

オリンピック開催55周年を記念する式典を開催することになったのだが、

当時の記録を調べていたオリンピック委員会は

金栗が「行方不明」のまま、完走も棄権もしていないことを発見し、

金栗に改めて棄権、もしくは完走するように要請した。

要請を受けた金栗はストックホルムへ赴き、式典の中で当時のコース

(実際には競技場内の100メートルを走っただけで、残りの10キロを走ったことにした)

を走ってゴールし、ゴールまで半世紀以上という公式記録が残された。

ゴールの瞬間には「日本の金栗がただ今ゴール。タイムは55年。

これで第5回ストックホルム大会の全日程は終わりました」とアナウンスされ、

金栗四三は「長い道のりでした。この間に孫が5人できました」と応えた。
    

  

最後の金栗さんの発言に笑っちゃいました。
 

こういう面白い出来事を作り出したいですね。

何かいろいろ調べていたら、見つかるかな。

金栗さんのことを調べて、金栗さんに声をかけた人がすごい。    

 

 

42.195㎞の理由

  

今日は2月2日。

先日、大坂国際女子マラソンがありました。

福士加代子選手が注目されましたが、途中から後退。9位でした。

優勝は重友梨佐選手。

   

観戦中に、娘から「何で42.195kmなの?」と尋ねられ、

昔、マラトンからアテネまで勝利を伝えるために兵士が走って息絶えた故事から、

マラトンーアテネの距離42.195㎞が「マラソン(←マラトン)」の距離になったと言いました。

 

しかし、その直後に見た子どもの自主勉を見て、

それが間違いであることがわかりました。

42.195㎞の理由は次のようです。

あらためて調べなおして、次のサイトから引用しました。

「知識と雑学の備忘録」48

   

マラソンの起源は、アテナイ軍とペルシャ軍が戦ったマラトンの戦いでの

アテナイ軍の勝利を伝えるため、戦場から完全武装のままアテナイまで走り、

城門の前で絶命したエウクレスという兵士である。

この故事を元に、第一回のアテネオリンピックでは、

マラトン-アテネ競技場間で初のマラソン競技が行われた。

だが、この時行われたマラソンの距離はまだ42.195kmではない。

 

マラソンが42.195kmという距離で初めて行われたのは、

第四回のロンドンオリンピックである。

当初、マラソンは国王の住むウィンザー城からシェファードブッシュ競技場までの

26マイル(約40km)で競われる予定だったが、時の王妃アレクサンドラが、

「スタートを城の窓から見たいのでスタート地点は城の庭で、

ゴールの瞬間は競技場のボックス席で見たいので、

ゴール地点は競技場のボックス席の前にして」と

わがままを言った為、42.195kmという半端な数字になったとか。

そして、第八回のパリオリンピック以降、42.195kmが採用され現在に至る。

   

ちなみに、実際のマラソンコースは42.195kmよりちょっとだけ長い。

コースの距離が42.195kmより短いと参考記録となってしまうので、

ちょっとだけ長くして、42.195kmより短くなるのを避けるためである。

なお、42.195kmより短くても許される誤差は42.195mである
    

   

面白い。誤差がいい。

42.195kmもあると、42mぐらいの誤差はいいんだ。

でも走っている人にとってはきついと思うけどなあ。   

  

マラトンーアテネの距離だから、こんな中途半端だと思い込んでいました。

覆してもらえました。感謝。

さらに調べていたら、マラソンの面白い話にぶつかりました。

次の投稿で。

 

 

2012年1月31日 (火)

2500本目の投稿 重宝しているアプリ


今日は1月31日。

昨晩、我が家のパソコンがいきなり壊れました。

HDDが壊れた模様。原因はわからず。

まいった。

2500本目の記念投稿は、iphoneからうっています。

iphoneは昨年4月に買いましたが、

使いこなしていませんでした。

でも最近手に入れたアプリは重宝しています。

実際の山にかざせば山の名前がわかるアプリと、

実際に夜空にかざせば星や星座の名前がわかるアプリです。
   
特に山の名前がわかるアプリは、

こんなのがあるといいなと思っていたので、特にうれしい。
  
「AR山(ARyama)」というアプリです。
   
   
どこか出かけたくなります。
  

2012年1月30日 (月)

ジャスト1000円

  

今日は1月30日。

尿酸値が少し高いから、ビールを飲むのを減らした方がいいと

お医者さんに言われました。

それから赤ワインを飲むようになりました。

スタートしたのは昨年12月2日。

それ以来、1日おきにビールと赤ワインです。

今日は、帰り道で酒屋に寄りました。

赤ワインを買いました。ポリフェノールだけでなく、

ブルーベリーのエキスも入ったワイン。720ml1本。

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「絹の贅沢」というビール、いや発泡酒か。350ml2缶。

A00055-2

小さなお菓子。1袋。

レジに持って行って、いくらかなと思っていたら、何とジャスト1000円!

この値段が、とてもうれしかったです。

    

詳細・・・

ワイン 680円

発泡酒 110円×2=220円

お菓子 100円

・・・・・・・合計1000円。

   

ちなみに今晩は発泡酒の日でした。

2012年1月29日 (日)

7が並んだ!/悩みを克服する方法の映像

   

今日は1月29日。

1月20日のこと、朝、自動車に乗って出勤。

ふとメーターを見たら、「7」がずらっと並んでいました。

これは貴重だと思い、すぐに路肩に自動車をとめて、メーターを撮影しました。

RIMG0558
   

2007年3月に買った、スバルのフォレスター。

いろいろな所に一緒に行きました。

ちょうどこのブログと同じくらいの付き合いだ。もうじき5年。

   

   

ムッシュさんのブログで、またいい映像が紹介されていました。

http://mussyusiawase.blog.so-net.ne.jp/2012-01-24-1

ここにも載せて、いつでも見れるようにしたいです。

折れやすい自分の心の杖に。

先日紹介した「気にしない技術」(香山リカ著)に通じる内容もあります。

 

     

映像の最後に出てくること・・・・

次の4段階をふめば悩みの9割を追い払うことができる。

1.悩んでいる事柄を詳しく書き記す

2.それについて自分にできることを書き記す

3.どうするかを決断する

4.その決断をただちに実行する

     

ウィリアム・ジェームズ(1841ー1910年 アメリカ 心理学者)の言葉も心に残りました。

いわゆる禍いの多くは、

それに悩む人の心の持ち方を、

恐怖心から闘志に変えてやるだけで、

人を元気づけ励ます幸せに

変換できる。

   

 

 

 

2012年1月28日 (土)

山岡鉄舟の予習

   

今日は1月28日。

復活の投稿。風邪と持病でダウンしていました。

6年生の追い込みの大事な時なのに。

明日1日準備、また月曜日から頑張りたい。

   

   

次の水曜日の「歴史秘話ヒストリア」で、山岡鉄舟のことをやるそうです。

どうも山岡鉄舟のことをあまり知らない私としては、

勉強のチャンスになりそうです。

  

予習!

Tessyuusouzou山岡鉄舟
http://www.aikido-yawatahama.jp/newpage31.htm

1836誕生~1888年没

1868年(慶応4)3月戊辰(ぼしん)戦争の際、

勝海舟の使者として駿府に行き、西郷隆盛と会見して、

江戸開城についての勝・西郷会談の道を開いたとのこと。

そうか、勝・西郷会談の前に、山岡鉄舟がお膳立てをしたのかあ。

西郷は鉄舟のことを次の言葉で称賛しています。

「金もいらぬ、名誉もいらぬ、命もいらぬ人は始末に困るが、

そのような人でなければ天下の偉業は成し遂げられない」

この言葉聞いたことがありましたが、西郷が鉄舟を賞した言葉でした。

   

鉄舟が23歳の時に作って、自分に課した「修身二十則」も心に残りました。

   

一、嘘を言うべからず

一、君の御恩忘れるべからず

一、父母の御恩忘れるべからず

一、師の御恩忘れるべからず

一、人の御恩忘れるべからず

一、神仏ならびに長者を粗末にすべからず

一、幼者を侮るべからず

一、己に心よからず事 他人に求めるべからず

一、腹をたつるは道にあらず

一、何事も不幸を喜ぶべからず

一、力の及ぶ限りは善き方に尽くすべし

一、他を顧して自分の善ばかりするべからず

一、食する度に農業の艱難をおもうべし 草木土石にても粗末にすべからず

一、殊更に着物を飾りあるいはうわべをつくろうものは心濁りあるものと心得べし

一、礼儀をみだるべからず

一、何時何人に接するも客人に接するよう心得べし

一、己の知らざることは何人にてもならうべし

一、名利のため学問技芸すべからず

一、人にはすべて能不能あり、いちがいに人を捨て、あるいは笑うべからず

一、己の善行を誇り人に知らしむべからず すべて我心に努むるべし
   

   

難しい言葉が並びますが、じっくり読むと身にしみてきます。

十分今に通じる内容です。

次のサイトが勉強になりそう。

http://tesshu.kcnote.com/

それでは予習はこれくらいにして、水曜日の「歴史秘話ヒストリア」に期待しよう。

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