2012年12月11日 (火)

3年ぶりのふたご座流星群の観察をめざす

今日は12月11日。

 

今朝は、庭に残飯を捨てに行ったら、東の空にある月に目が止まりました。

細い月で、またもや地球照(ちきゅうしょう)が見られました。

 

時刻は朝の5時。

残飯+地球照状態は、前にもありました。

いつのことだったかと調べてみると・・・・

ほぼ1ヶ月前の11月12日のことでした。→残飯を捨てに行って、月に見とれる(11月12日投稿)

月の満ち欠けが一巡りしたんだなと思いました。

 

月はこれでもっと細くなって、新月を迎えます。

12月13日の晩です。

新月で、月明かりがなく、星が見やすくなった夜空で天体ショーがあります。

ふたご座流星群 がよく見られる晩なのです。

 

ピークは14日の午前8時頃だそうですが、明るすぎて見ることができません。

だからその前の13日の晩から~14日の明るくなる前が、

新月でもあって絶好の晩なのです。

 

 

明日、子どもたちにも紹介しようかな。

 

2009年は私にとっては天文に力を入れた年でした。

その時にふたご座流星群を見ています。

※参考:12月14日の夜明け前に流れ星(2009年12月10日投稿)

     5時17分、流れ星を目撃(2009年12月14日投稿)

     夜、再び流れ星を見る(2009年12月14日投稿)

     今晩もまたふたご座流星群(2009年12月15日投稿)

あの年以来の観察でしょうか?

昨年は皆既月食に夢中だったなあ~。

※参考:皆既月食を見てる(2011年12月10日投稿)

2009年も参考にしていますが、今年もアストロアーツのサイトを参考にしています。

AstroArts  特集 2012年ふたご座流星群

サイトの図をひとつ転載。

Chart_pln

 

2012年12月10日 (月)

今朝雪が少々、腰痛小康状態

 

今日は12月10日。

  

待ってましたのボーナス支給日。

でも使い道は決まっています。

自転車のヘルメットと、腰痛予防のコルセット。

  

腰痛と言えば、12月6日に発症した腰痛ですが、

今朝はウソみたいに痛くありませんでした。

土日曜日と、安静にしていたのが良かったのでしょう。

今日は絶対に整形外科に行くと思っていましたが、止めました。

うれしいことです。

でも調子に乗らずに、無理はしないように過ごしたいです。

おそらく2010年11月以来の腰痛→※参考:(前略)先の金曜日に、重い物を持った時に腰に痛み・・・

大事にしないように、そうっとそうっと。

  

   

今朝は雪が舞っていました。

雪が舞うのは、基本的に私はうれしくなります。

路面に雪がないのを見て、自転車で出勤しました。

RIMG1927

RIMG1928 RIMG1929 ちょくちょくブログに登場する大根畑

RIMG1931 

三明寺の五重塔

一番上の屋根に雪がありますが、空の色と区別できませんね。

   

  

   

今年の冬はどんどん来る。





   

 

 

 

2012年12月 9日 (日)

今晩大仏殿が炎上する

  

今日は12月9日。

  

今晩の大河ドラマ「平清盛」で、東大寺の大仏殿が炎上し、大仏も溶けてしまう話です。

   

南都焼き討ちとは?次のサイトから引用します。わかりやすい。

侍歴史 平重衡南都焼き討ち

治承4年(1180年)12月28日。

平重衡(たいらのしげひら:清盛の子。24歳)、平通盛(たいらのみちもり:清盛の甥。教盛の子。)率いる平家軍が、

東大寺・興福寺の僧兵と戦ってこれを破り、その兵火で東大寺・興福寺が焼け落ちた。

東大寺・興福寺は挙兵に失敗した以仁王を支持して平家と敵対していた。

この年、清盛が福原遷都を強行したのも、これらの寺社勢力から逃れるためだった、と言われている。

しかし、強引な福原遷都の評判はすこぶる悪く、11月にはやむを得ず京都に戻っていた。

京都に戻った清盛は南都を攻めると盛んに吹聴し、

南都の僧兵らも鞠を清盛の首に見立てて踏んだり蹴ったりして挑発していたという。

この日、南都勢は奈良坂、般若坂に盾と逆茂木を並べて防塞を構築していたが、

平家の騎馬武者が僧兵もろともこれを蹴散らし、戦いは平家の勝利で幕を閉じた。

東大寺や興福寺が焼け落ちたのは、重衡が夜になって周囲を明るくするために、

民家に放った火が瞬く間に延焼したため、といわれている。

   

※以下は「ビジュアル源平1000人」(世界文化社)を参考にして書きます。

 

平重衡は清盛の5男。美男子で有名で、4男の知盛ともに平家の軍事面で活躍しました。

重衡が参戦する戦いは、この南都攻め、墨俣川、水島、室山と連戦連勝。

しかし不覚をとったのが、一の谷の戦い。

ここで重衡は生け捕りにされます。

重衡は鎌倉に連行されますが、頼朝の前で

「敵に捕われたことは恥ではない。早く斬罪にするように」と言い、

御家人たちを感動させたそうです。

重衡の器量に頼朝も心をうたれたそうです。

1年後、重衡は東大寺の大衆(だいしゅ=多くの僧の集まり)に引き渡され斬首。

焼き討ちの責任者として、首は奈良坂に晒(さら)されました。

   

    

   

平家の長男重盛、4男知盛、そして重衡。平家も人物は優れていました。

勝つも負けるも時の運。

次のサイトもいい勉強になりました。

平家礼賛 清盛を擁護する3~南都焼き打ちのこと

  

これだけ勉強して、今晩の「平清盛」を楽しみたい。

 

腰痛でも自転車は大丈夫

     

今日は12月9日。

     

今回、腰痛になったのは12月6日。

持久走大会に備えて、ラインをしっかり引くことになり、手伝いました。

その時にやっちゃいました。

たいしたことはないかなと思いましたが、どんどん痛みがひどくなりました。

明日は病院に行こう。

肉離れ→頸椎症→腰痛と同じ病院に厄介になります。

   

腰痛でも、自転車は乗れます。

(あぐらが良くないようです・・・あぐらから立ち上がる時は、もう尋常ではない痛み)

12月7日の自転車通勤で、初めて新しいヘルメットをかぶりました。

7年使ってきたヘルメットに比べて、大きさがひと回り小さくなっていたことに驚きました。

RIMG1889

  

これで頭も寒くなくなると思いきや、

ヘルメットの風通しが良すぎて、寒い寒い。

  

明日はこの辺りも雪らしい。

自動車 or 自転車?

テレビで勉強「承久の乱」

 

今日は12月9日。

 

前投稿のつづき。

2012年9月10日放映「BS歴史館 鎌倉ミステリー 北条一族の陰謀 史上最強のナンバー2

を見て勉強になったこと、調べたことを書いています。

 

1205年に畠山重忠を倒した時に、

北条時政は息子義時と娘政子から追放されています。

数々の陰謀で、政敵を倒してきた時政でしたが、

最後の10年は伊豆に流されて隠居させられ、寂しく死んでいったそうです。

 

 

番組のゲスト石坂浩二さん、加来耕三さん(歴史家)、小林恭二さん(作家)が声をそろえて、

北条氏はすごいと言っていました。

朝廷を相手に戦ったのは、後にも先にも北条氏だけであること、

さらには当時世界で屈指の強さであった蒙古とも戦ったこと、

そして両方の戦いに勝ったことをすごいことだと言っていました。

こういう見方をするんだ。なるほどと思いました。

長く尊ばれる武士の決まりを書いた御成敗式目も北条氏によって作られています。

これもすごいこと。

     

   

番組では特に朝廷に勝った承久の乱についてくわしく紹介されていました。

RIMG1914 1221年のことでした。

朝廷側のボスは後鳥羽上皇でした。

文武両道に優れていた後鳥羽上皇は、朝廷と幕府の両方を掌中におさめようと考えていました。

時の幕府の将軍源実朝は、和歌も得意であったことから、朝廷とも接近。

後鳥羽上皇は実朝とつながり官位を与え、しだいに自分のサイドに引き寄せていました。

その実朝が、頼家の息子公暁に殺されたことから、事態はおかしくなります。

 

   

幕府の執権北条義時は、源氏が絶えてしまったので、

後鳥羽上皇に、息子(親王)を将軍につかせたいとお願いします。

後鳥羽上皇は了承しますが、条件をつけました。

朝廷領にいる地頭を罷免しろというものでした。

もともと地頭および守護は、平家の残党を取り締まるために頼朝が命じて置いたものでした。

しだいに強力になった地頭・守護は、年貢にも口を出すようになり、

朝廷への年貢が激減していました。それが後鳥羽上皇には気に入りませんでした。

院宣(いんぜん/院司などが上皇、法皇の意を受けて発行する文書)の形で、地頭罷免の命令が出ました。

RIMG1915

鎌倉幕府にとって、地頭・守護は勢力を拡大する大事な役職。

より多く、広い範囲に地頭・守護を置くことで、勢力を拡大していった。

これを罷免するというのは、幕府の根幹を揺るがすものだったため、

後鳥羽上皇の命令を断ります。

下が、義時が断った理由です。

RIMG1916

RIMG1917

後鳥羽上皇は、義時追討の院宣を発します。

RIMG1918

ここに後鳥羽上皇の策略があります。

幕府の中には、北条氏に不満を持っている一族もいるので、

「義時」追討とピンポイントで攻めたのです。

幕府内での内乱を引き起こしたかったのです。

しかし、ここで北条政子が登場。

家来の御家人たちの前で名演説をします。

その中で、上皇は義時を追討して鎌倉を滅ぼそうとしている・・・・

つまり義時「だけ」追討だったのに、鎌倉を滅ぼそうとしているとすり替えてしまいます。

こうして幕府内での内乱は起こらず、御家人は京都に攻め上がって、朝廷に勝ちました。

  

   

承久の乱が起こった理由が見えてきました。

収穫アリ。北条義時はなかなかの人物でした。

作家永井路子さんが、義時を優秀な人物として描いているそうです。

そんな本も読んでみたいです。



テレビで勉強「比企能員の乱」

 

今日は12月9日。

 

昨日は腰痛のため多くの時間、横になっていました。

しかし今朝になっても治らず・・・どころかさらに痛い。

靴下を履くのも難儀でした。

本当は9時からサークルに行く予定でしたが、不参加を伝えました。

明日は出勤なので、安静にしていようと思います。

 

昨日横になりながら見た番組について書いてみます。

2012年9月10日放映「BS歴史館 鎌倉ミステリー 北条一族の陰謀 史上最強のナンバー2

 

番組を見て新しく知ったことを書きます。

大河ドラマ「平清盛」で、源頼朝が挙兵したところが放映されましたが、

頼朝挙兵に大きく関わった北条氏の話でした。

鎌倉幕府が始まっても、北条氏が揺るぎない有力一族だったわけではなく、

北条氏はどうなるかわからない存在だったようです。

弱さを自覚した北条氏は、陰謀などによって他の有力一族を一つ一つ潰していきます。

中心は北条時政でした。

 

RIMG1897

「北条氏が滅ぼしたライバル」として上の画面のような武将が挙げられています。

梶原景時といえば、石橋山の戦いで、源頼朝や北条時政が潜んでいたのを救った武将。

それなのにやられてしまうのですね。

大河ドラマ「義経」(義経役は滝沢秀明)で、中尾彬さんが演じた梶原景時が印象に残っています)

 

畠山重忠は武勇の誉れ高く、その清廉潔白な人柄で「坂東武士の鑑」と称された人。

怪力の人で、一の谷の戦いで義経に従い、

鵯越の逆落としでは、馬を損ねてはいけないと馬を担いで下りたという逸話のある人。

それなのに、それだからこそやられてしまったのでしょう。

 

番組では特に比企能員(ひきよしかず)について詳しく扱っていました。

RIMG1910

 

比企一族が有力になったのは、

2代将軍頼家に比企能員の娘が嫁いだためです。

RIMG1912

こんなルールがあるそうです↓

RIMG1911

外戚とは、母方の親族のこと。

頼家の子が将軍になれば、比企一族が北条氏にとって変わる可能性がありました。

娘が頼朝に嫁いだおかげで有力になった北条一族。

外戚から離れたら、また普通の一族に戻ってしまう、そんな弱い一族でした。

 

RIMG1913 バックの人物は北条時政

 

そこで北条時政は、頼家の力を奪い、実質弟の実朝が政治を行う体制にしてしまいます。

さらに謀反の疑いがあるとして比企一族を滅ぼします。頼家は暗殺されてしまいます。

時政は、孫である頼家を殺してしまったのです。

 

逆に比企能員も北条時政排除をくわだてていましたが、時政に敗れました。

 

 

鎌倉時代初期の危ない北条氏の立場がよくわかった話でした。(つづく)





 

 

 

2012年12月 8日 (土)

11月・日本ヶ塚山登山8/下山後に見た風景

 

今日は12月8日。

 

前投稿のつづき。

 

日本ヶ塚山登山後に見た風景を並べてみます。

 

RIMG1385

日本ヶ塚山から下山した場所。紅葉した木が大きくきれいでした。

 

RIMG1399

RIMG1401

RIMG1402

佐久間湖を下る船を発見。何を運ぶ船だろう。

佐久間湖では、浚渫(しゅんせつ)が行われているそうです。

(浚渫=海底・河床などの土砂を、水深を深くするために掘削すること)

浚渫して取り出した土砂を運ぶ船でしょうか。

巨大なパレットの上には、何やら土があるように見えます。

次のサイトによると、佐久間湖はできた時には水深99mありましたが、

今は18m(平成18年現在)になっているとありました。

※参考:富山村

穏やかな日。穏やかな湖面。

紅葉の山に包まれて、あの船に乗っている人は気持ちがいいだろうなあ。

 

 

RIMG1406

もうすぐ佐久間湖を作った佐久間ダムが近し。

湖面を広く見られる場所で撮影。

これでトンネルをいくつか抜けると、佐久間ダムです。

 

 

RIMG1408

湖岸に作られたトンネル。

自動車で通ってもスリルあるトンネル。

25年ほど前に、自転車で走ったことを思い出しました。

当時は東栄町に勤めていて、そこから自転車で富山村を往復しました。

 

 

RIMG1409

トンネルを抜けると、佐久間ダムがありました。

佐久間ダムは1956年完成。

 

 

RIMG1416

RIMG1415

佐久間町内での風景。

今回はこの大きな木の紅葉が気になりました。

旧富山村でも見ています。(この投稿の最初の写真)

木の名前をまた調べよう。

 

 

以上で、日本ヶ塚山登山の報告を終了。

やっと山から下りてきた気分です。

 

 










11月・日本ヶ塚山登山7/登山道の老朽化

 

今日は12月8日。

 

夏に肉離れを起こし、秋に頸椎症。

その頚椎症が、どうにか治ってきたと思ったら、何と腰痛。

また整形外科のお世話になるのかな。

 

 

日本ヶ塚山登山報告がまだ途中でした。

いまだに下山せず。

今回で下山まで書きたいです。ちなみに前回はここ。→11月・日本ヶ塚山登山6/熊の心配をしつつ下山

 

 

「100」が登山道の終点で、「95」くらいだともう熊は出ないだろうと思えます。

しかし、危険はなくなりません。

新たな危険が出てきます。

登山道の老朽化です。

RIMG1360

まずはこの橋。

え、これを渡るの?と驚きます。

少し上流側に、石を伝って渡る場所があったので、

この橋を渡らずにすみました。

川が増水したら、困ってしまいます。

 

 

RIMG1363  RIMG1364

まだこの橋は合格ですが、

次の橋は怖かったです。

RIMG1367

さらにこんな場所もありました↓

RIMG1369

 

 

橋がなくて、こんな場所がありました。

RIMG1366

ここも怖かったです。

水が流れていて、歩く場所がぬれていました。

雨の日はより危険です。

 

 

RIMG1370

やっと「100」

熊も怖かったけど、登山道の老朽化?の怖さも相当でした。

 

何年か前に登った時でさえ、登山道の老朽化は明らかでした。

今回久々に登ってみて、数字の札が設置されたのが変化でした。

これはこれで登っていてメドがたっていいなと思いました。

しかし、他のことは変わっていませんでした。

確実に老朽化が進み、安全が危なくなってきていると思います。

きっと人手やお金が回らないのでしょう。

そうなると、お世話になっている登山者が何かしないといけないのかな。

 

 

 

ただこれで終わりませんでした。

登山道がすんで歩いた林道にも怖さがありました。

 

RIMG1372

林道の先に、崩れた土砂がありました。

RIMG1373

崖崩れが起こったままの状態でした。

確かに登山口に貼ってあった地図にもこのことは明記されていました。

RIMG1266 ※11月22日の掲示物。登った日の前日です。

RIMG1266崩落のアップ

 

崩れた土砂の上を歩くのは、おそらく初体験。

RIMG1374

土砂の上で撮影したもの。

斜面がきつく、滑落の心配をしながら越えました。

越えて振り返って撮影したのが下の写真。

RIMG1375

この場所も、登山者の誰かがケガをする前になおしてほしいなと思いました。

 

 

私もこれで無事下山ができました。

熊にも襲われず、滑落もなくすみました。

やっぱり日本ヶ塚山は登りがいがあり、景色もいい山だとあらためて思いました。

ただ、安全面で少しでも向上してくれたらと思った登山でした。

私も何かやりたくなりました。(つづく)



 








2012年12月 5日 (水)

アオサギ/Grey Heron(グレイ・へロン)

 

今日は12月5日。

 

昨日は自動車のキーの電池切れで交換。

今日は腕時計の電池が消耗した模様。

急に時刻が不正確になったので、電池交換。

立て続けの電池交換でした。

2度あることは3度ある。明日は何が起こる?

 

 

自転車通勤。今朝は寒くて、この冬初のスキーウェア着用。

ネックウォーマーも出してきて着用。両方とも効果あり。

明日ヘルメットが届けば、頭も少しは風が遮られます。

 

 

さて本題。

前投稿で、教室に入ってきた鳥「アオジ」について書きました。

日本で「青」はけっこう範囲が広い。

その例として、同僚の鳥にくわしい先生に、「アオサギ」のことを教えてもらいました。

またまた鳥の勉強になったので、ここに書きます。

アオサギも、青と言うよりも灰色ですが、「青」サギです。

英名はGrey Heron。実は「灰色のサギ」の意味です。

これ以外にも灰色のサギと呼んでいる国は圧倒的に多く、

青いサギと呼んでいるのは、日本以外では中国、オランダなどごく少数です。

むかしの日本では白でも黒でもない中間的な淡い色を青と称していたため、

灰色っぽいサギは「アオ」サギと呼ばれたようです。

※参考:アオサギのプロフィール

 

鳥の勉強が連日できました。

 

無題

2007年8月8日の撮影。

鉄塔の下に白いサギ。

鉄塔の中段にアオサギがいました。

※次の投稿から写真を転載しました→田んぼの傍らでスイカを御馳走になる

 

 

 

 

 

ヘルメットの注文/アオジの飛来

 

今日は12月5日。

12月1回目の自転車通勤の予定。

寒そう。

7年あまり使ってきたヘルメットが破損。

部品を取り寄せようとしましたが、販売していないようなので、

思い切って新しいヘルメットを購入することにしました。

通販で注文しました。これが今回のボーナスの使い道になりました。

無題

ちょっと派手かな?

明日届きます。

思ったより高かったけど、命を助けてもらうこともあるかもね。

 

 

 

RIMG1179

RIMG1179鳥のアップ 11月21日撮影

授業中に教室に飛び込んできて、再び外に出ようとして窓に激突。

しばらく気を失っていましたが、復活。

その時に撮影しました。

この後、無事に飛び去りました。

鳥に詳しい先生に鳥の名前を尋ねたところ、

アオジ

ではないかと教えてもらいました。  

 

アオジは、渡り鳥。

 

夏季に中華人民共和国、ロシア南東部、朝鮮半島北部で繁殖し、

冬季になると中華人民共和国南部、台湾、インドシナ半島などへ南下し越冬する。

日本では亜種アオジが北海道や本州中部以北で繁殖し、中部以西で越冬する。Wikipedia

 

亜種アオジが、越冬のために南下してきた途中だったのでしょう。

元気になってよかったです。

10年ほど前に、教室の窓にぶつかって

あっけなく死んでしまった鳥を見たことがあったので、

ホッとしました。

昔は緑も含めて青と言っていたため、この名前があるようです。

青い鳥は、オオルリやルリビタキのように、瑠璃色で表現されるようです。

※参考:Wikipedia アオジ



 

 

最近の写真

  • Img_6560_2
  • Img_6560
  • Img_6557_2
  • Img_6557
  • Img_6556_2
  • Img_6556
  • Img_8207
  • Img_8223
  • Img_8216
  • Img_8215
  • Img_8206
  • Img_8205

楽餓鬼

今日はにゃんの日

いま ここ 浜松

がん治療で悩むあなたに贈る言葉