2013年1月27日 (日)

H25 1月の花々1/アンズ・サクラ・ウメ

 

今日は1月27日。

 

11月27日以来の「花々」シリーズです。

9月の花々14/ホンアマリリス・ヒガンバナ・コミカンソウ(2012年11月27日投稿)

9月が完結していないし、10~12月は全く書いていませんが1月をスタートさせてしまいました。

 

勤務校にアンズ(杏)があることを知ったのは昨年のこと。

それまではウメだと思っていました。

3年前には、ウメだと思い込んで観察しています。

今日にでもウメの花が咲きそう(2010年2月26日投稿)

しかし、アンズです。

3年前は2月26日・27日で咲いたようです。

今年はどうなるか?

定点観察を子どもたちに呼びかけてスタートさせたのが、1月24日。

その日の写真です。

RIMG0255.jpgnanasi 1月24日(豊川市)

アンズの木

 

RIMG0282 1月24日(豊川市)

アンズの冬芽(ふゆめ)

 

同じ1月24日のサクラの冬芽です。

こちらはまだまだ。

RIMG0280 1月24日(豊川市)

 

 

アンズ、サクラときたら、忘れちゃいけないのがウメ

勤務校の玄関前にあるウメの冬芽です。

もう冬芽というより、つぼみですね。

RIMG0318

RIMG0316 1月27日(豊川市)

まもなく咲くでしょう。

咲いたらまたブログに載せたいです。

 

まだまだ寒いけど、でも早くも春が来てますよ。

冬でさえもあっけない。

「ヒストリア 天文」より7・・・星々の誕生を待つ

 

今日は1月27日。

 

番組「歴史秘話ヒストリア いつだって天文ゴールドイヤー

星々と日本人 はるかな物語」(昨年9月12日放映)から。

いよいよラスト。

 

山形県のアマチュア天文家板垣公一さんが紹介されていました。

RIMG2175

 

超新星を今までに70個も発見しています。

これは世界4位の記録です。

毎晩夜空を見つめ、星々が誕生する瞬間を待ち続けているそうです。

その待ちっぷりがすごい↓。

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以上で、「ヒストリア 天文」シリーズ終了。

「ヒストリア 天文」より6・・・900年前の星の輝き

 

今日は1月27日。

 

番組「歴史秘話ヒストリア いつだって天文ゴールドイヤー

星々と日本人 はるかな物語」(昨年9月12日放映)からです。

 

この話も、ぜひここに書き留めておきたい内容でした。

 

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1958年。オランダの天文学者ヤン・オールトは、

かに星雲から、これまで観測されたことがない電波をとらえました。

それは古い星が爆発し、そこから新しい星が誕生する超新星爆発を示す証拠。

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星の誕生のナゾに迫る世界で初めての発見でした。

 

この発見の手がかりになったのが、ある日本人の日記でした。

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最近の日本人ではありません。

藤原定家(1162~1241年)です。

彼の書いた日記「明月記」に次の記述がありました。

 

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(1054年)4月の中頃のこと。東の空 天関星(てんかんせい)の付近に明るい星が現れた。

 

この記述が手がかりになりました。

天関星があるのはカニ星雲のある方向であったので、

調べてみてわかりました。

900年前の星の輝きが、星の爆発であることを解明したのです。

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時空を越えた、なんと雄大な話ではありませんか。

 

ここで疑問。

1054年は定家が生まれる前のことだぞ?

調べてみました。

「明月記」には、定家自身の体験に基づかない記述もあるそうです。

伝わってきた内容を書き留めたということです。

これが貴重な資料になりました。

 

 

 

 

「ヒストリア 天文」より5・・・水沢の観測所と宮沢賢治

 

今日は1月27日。

 

番組「歴史秘話ヒストリア いつだって天文ゴールドイヤー

星々と日本人 はるかな物語」(昨年9月12日放映)からです。

1900年。地球の自転軸のズレを解明するために、

国際共同天体観測が行われることになりました。

北緯39度8分にある場所で一斉に天体観測することになりました。

この共同観測に日本も参加することになり、

水沢(岩手県奥州市水沢区)に観測所が作られました。

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日本は天文学者木村栄(ひさし)さんを中心に観測を行い、

事業を成功させました。

 

この水沢にあった観測所を訪れた作家が、

宮沢賢治(1896~1933年)でした。

訪れたのは大正13年(1924年)のこと。

その1年4ヶ月前に最愛の妹を失っていた宮沢賢治。

悲しみを抱えながら、望遠鏡で暗闇に輝く星を観察したそうです。

その数ヵ月後に、賢治は「銀河鉄道の夜」を書き始めます。

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つまり名作の誕生のきっかけになった観測所だったのです。

この偶然の重なりがいいなと思いました。

観測所について調べました。※参考:Wikipedia 水沢VLBI観測所

宮沢賢治に関する記述を引用します。

 

花巻農学校(現・岩手県立花巻農業高等学校)の教師をしていた宮沢賢治が、

たびたび水沢緯度観測所を訪れており、数々の名著の構想を育んたとされる。

童話『風野又三郎』(『風の又三郎』の先駆作品の一つ)には水沢緯度観測所の一文が書かれ、

『銀河鉄道の夜』の題材のヒントになったとされている

(『風野又三郎』では、水沢緯度観測所でテニスに興じる「木村博士」が登場する)。

旧緯度観測所の本館を保存した奥州宇宙遊学館では、

「宮沢賢治と緯度観測所」として、賢治とこの地方の関わりについてたどっている。

また、賢治をモチーフとした「又三郎」がマスコットキャラクターとして使用されている。

 

う~ん、今度は「風の又三郎」に興味を持ちました。

昔読んだような・・・・気のせいだったかな。

でも観測所のことは覚えがないので、また読んでみたい。

ちなみに下は奥州宇宙遊学館のマスコットキャラクター。

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「ヒストリア 天文」より4・・・渋川春海

 

今日は1月27日。

 

「ヒストリア 天文」の続編。1月15日の投稿のつづき。

番組「歴史秘話ヒストリア いつだって天文ゴールドイヤー

星々と日本人 はるかな物語」(昨年9月12日放映)からです。

 

映画「天地明察」のレンタルが始まるのが2月2日

迫ってきました。

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この「歴史秘話ヒストリア」でも渋川春海が扱われました。

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江戸時代のはじめ、日本では10種類もの暦が使われていて、

日付がバラバラでした。

なぜそんなに暦があったかというと、

大元の暦が不正確だったためです。

日本では宣明(せんみょう)暦という中国の暦を使っていました。

この暦が日本に来たのは平安時代。

800年の月日がたつ間に、誤差が積み重なり、

不正確になったというわけです。

人々は宣明暦を信用せずに、それぞれ独自の暦を作っていたので、

混乱が生じていました。

 

1667年、幕府は暦の統一に乗り出します。

その任についたのが渋川春海でした。

渋川春海が見つけ出したのが、400年前に中国で作られた授時(じゅじ)暦でした。

 

授時暦は、宣命暦よりもすぐれていましたが、

それでも日食の予想が外れてしまいました。(延宝3年5月1日)

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春海は日食なしと予想しましたが、日食が起こってしまいました。

   

春海はなぜ外れたのか長く検討して(8年)、

やはり授時暦も中国の暦であるため、日食であることを外したと結論を出しました。

日本独自の暦をつくることが必要と考えて、暦づくりに取り組みました。

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1863年、春海は暦を完成させました。

この暦は、日本の統一された暦に採用され、初の国産暦となりました。

 

春海が作った暦には、今に残る言葉も書かれていました。

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八十八夜(はちじゅうはちや)」

 

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二百十日(にひゃくとうか)」

 

今回書いたようなことが、映画「天地明察」で描かれているわけで、

楽しみです。2月2日と言えば来週の今日。もうすぐだ。

 

2013年1月26日 (土)

原哲男さん、亡くなる

 

今日は1月26日。

 

午前中、冷たい北風の逆風の中、自転車で床屋さんへ。

20分ほど走りました。

帰りは追い風。気持ちよく帰ってきました。

いつも冬はこうですね。

北風が吹いていても自転車で行こうと思えるうちは、

まだまだ自分は大丈夫。

 

 

1月11日に、吉本新喜劇の原哲男さんが亡くなったというニュースを知りました。

78歳。肝ガンだったそうです。

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原哲男さんといえば、花紀京さんでした。

2人の掛け合いは楽しかったです。

花紀京さんは1937年1月生まれだから76歳。

今はどうされているのだろう。

岡八郎さんも思い出します。

浜裕二とか中山美保とか出ていたあの吉本新喜劇。

あれはいつ頃だったのだろう。

1980年代くらい。

つまり私が20代だったころかな。

その頃は土曜日の放映だったか?日曜日だったか?

そんなことも忘れています。

今はずっと土曜日の昼0:00からの放映。

 

原哲男さんが吉本新喜劇を抜けているのが1990年。

もう20年以上が過ぎています。

月日がいつの間にか流れているんだなあと思いました。

 

ちなみに今日の昼の吉本新喜劇より。

関西地方では昨年12月22日に放映されたものだそうです。

だからクリスマスネタ。

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今日の主役は辻本茂雄。



 

 

 

 



 

2013年1月23日 (水)

「河津掛け(かわづがけ)」は残るかも?

 

今日は1月23日。

 

前投稿で書いたように、「曾我兄弟の話」は消えていくかもしれません。

でも「河津掛け」という言葉は残るかもしれません。

取っ組み合いをした時に、けっこうこの技を私は使いました。

曾我兄弟」(ポプラ社)から引用します。

 

(曾我兄弟の)父は、伊豆の国の武将、河津三郎祐泰(かわづさぶろうすけやす)。

武芸にすぐれ、弓矢でも、相撲でも、かなう者がいなかった。

相撲のきまりての「河津がけ」は、この三郎祐泰が、うみだした技だという。

 

Kawazugake goo 大相撲

自分の右(左)足を相手の左(右)足の内側に掛け、

跳ね上げながら同時に相手の首などを抱え込んで体を反って後ろに倒すこと。   

   

下の映像のラストに出てきます。

 

  

思ったより簡単に相手を倒せます。

しかし、自分も一緒に倒れる可能性が有り、捨て身の技です。  

名前を知っていましたが、こんな古い時代にいわれがあるのですね。

  

これからどうなる「曾我兄弟の物語」

 

今日は1月23日。そうか1・2・3か~・

 

夕方、内科医へ。

コレステロールを減らす薬を飲んできましたが、

どうも減り具合が少ないようです。

1ヶ月薬を飲んで、また検査。

今度下がらなかったら、薬を2倍にすると言われました。

おっしゃる通りにします。健康になって、長く頑張るぞ。

 

病院の待合室で「曾我兄弟」(ポプラ社)読破。

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北条政子」(永井路子歴史小説全集9/中央公論社)についてブログを書いた時に、

曾我兄弟の敵討ちのことを書きました。

「北条政子」より・・・曾我兄弟のかたき討ち

 

勤務校の図書室で偶然見つけ、読んでみました。

今の小学生はこの話をどう思うのだろう。

仇討ち。それも似た名前が出てきて理解が難しい。

父の敵が祐経(すけつね)。

曾我兄弟の父が祐泰(すけやす)、祖父が祐親(すけちか)。

なかなか厄介です。

あまり興味を示さないように思います。

 

「あとがき」にこう書いてありました。

 

今日(こんにち)では曾我兄弟のことなど知る子どもはいませんが、

 

知る子どもはいないと言い切っています。

こんな文章が続きます。

 

明治時代には教科書に取りあげられ、

おとなばかりか子どもたちのアイドルにもなっていました。

親の無念を晴らすため、相手が権力者の側近であるにもかかわらず、

命をかけてたたかう勇気ある姿が賞賛されたからです。

 

北条義時の時も思いましたが、明治時代と今の価値観の違いを感じました。

 

江戸時代も、曾我兄弟の話は、

浄瑠璃、歌舞伎、謡曲などの演劇作品が生まれ人気がありました。

しかし、これからこの話はどうなっていくのだろう。

図書室にあっても、手に取る子どもは少ないと思われます。

これを読み聞かせて、最後まで子どもたちの集中力を保たせるのは苦しい。

よっぽど平安時代末期鎌倉時代初期の勉強をしたあとならと思いますが、

そうなると、曾我兄弟は利用されたのだといった裏事情も耳に入って、

お話にのめり込めない。

テレビドラマでも見た覚えがありません。

 

日本三大仇(かたき)討ちである3つ。

 

1193年 曾我兄弟かたき討ち

1632年 伊賀越えのかたき討ち(鍵屋の辻の決闘)

1703年 赤穂浪士のかたき討ち  

   

下の2つはまだ生き残りそうですが、曾我兄弟の話は消えていく可能性大。

しょうがない?どうにかしないといけない?    

2013年1月22日 (火)

早く行きたい竹田城址/早く見たい「天地明察」

 

今日は1月22日。

 

昨日までうっていた「兵庫での2日間」シリーズで、

調べていて知った竹田城址

フォトギャラリーで見かけた写真を、このブログに掲載したいとお願いしたら、

OKをいただいたので、前投稿に大きく載せました。

場所を地図で調べると、先日すぐ近くを通っていたことを知りました。

ああ、知らないことはもったいないことです。

 

映画のロケ地でもよく使われるそうです。

昨年夏公開の映画「あなたへ」(高倉健主演)も、

雲海の中に浮かぶ竹田城址のシーンがあるそうです。

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2月1日からレンタルが始まる映画「天地明察」も、

小田原城として登場するようです。

さらに2月2日が楽しみになってきました。

 

 

2013年1月21日 (月)

兵庫での2日間11・・・帰路/氷ノ山登頂証/朝来市

 

今日は1月21日。

 

「兵庫での2日間」シリーズラスト。

 

氷ノ山下山後、宿泊した宿「岳水」に行きました。

登山届けをここに出しているので、ちゃんと戻ったことを確認しなくてはなりません。

戻ったら、お風呂に入れさせてもらって、

さらに温かいおしるこをご馳走になり、

さらにこんないいものをもらいました。

 

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あらかじめ氷ノ山情報をたくさんいただき、

下山後もお世話になりました。

登っただけでなく、その前後でいい思い出をつくることができました。

また夏に登りに行きたくなりました。今度は一人ではなく家族で。

 

帰路につきました。

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そこで寄ったサービスエリア。

「フレッシュあさご」という名前のようです。

立派なサービスエリアでした。

ネギに関する勉強ができました。

兵庫県朝来(あさご)市は、岩津ネギというのが有名なようです。

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案内板に書かれていることを書き写します。

 

日本三大  岩津ねぎ

岩津ねぎは、兵庫県の中央部に位置する朝来市で栽培されています。

朝来の「岩津ねぎ」、博多の「万能ねぎ」、群馬の「下仁田ねぎ」と並ぶ

日本三大ねぎのひとつとして全国にその名を知られています。

その歴史は古く、江戸時代隣町の生野代官所の役人が京都に出向いた際に、

九条ねぎの種を持ち帰ったのが始まりと言われています。

その後、生野銀山の労働者の冬季の重要な野菜供給として定着し、

栽培されるようになり、

この地方独特の土壌と気候によりおいしい「岩津ねぎ」になっていきました。

朝来町商工会 製作 平成20年11月23日

 

 

岩津ねぎ・・・すごく興味がありましたが、

私にとってネギは非常に苦手なもの。

試しに買って食べてみるというチャレンジにどうしても踏み切れませんでした。

したがって写真のみ。

 

「フレッシュあさご」の中に竹田城のお土産がありました。

竹田城・・聞いたことがあるぞと思って調べました。

雲海の中、まるで天空に浮いたように見える城だとわかりました。

このサイトに素晴らしい写真がありました。

朝来市 竹田城址フォトギャラリー

 

1枚掲載OKをいただいたので、大判でここに載せます。

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                                        撮影者 吉田利栄さん

 

こんな写真を見たら、すごく行きたくなりました。

再び氷ノ山登山と、竹田城址見学をセットに、再び兵庫県に行きたいですね。

兵庫県の2日間、いい思い出たっぷりで終了です。



 

 

 

 

 

 

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