2024年9月 8日 (日)

「日本文明の真実」④ なぜ日本では翻訳が活発に行われたのか

   

今日は令和6年9月8日。

  

9月6日の記事の続きで、

「歴史の大ウソを打破する日本文明の真実」

(武田邦彦著/ビジネス社)から引用します。

  

なぜ日本だけがヨーロッパの書物を翻訳できたのか

ちょっと数え上げただけでも、これほど多数の翻訳書があるわけで

す。

明治の初期にも医学方面の著書訳書は依然として旺盛でした。たと

えば、明治元年には松山棟庵(とうあん)の『窒扶斯(チフス)新

論』、大坂医学校校発行のボードウィンの口述書である『日講記聞」

や海軍病院刊行の『講延筆記』など、あげればきりがありません。

江戸時代で自然科学といえば数学と医学が主でした。維新直後には

物理化学工学などの分野の翻訳も多くなります。日本固有の積み重

ねがあった数学と違い、それらの分野では、日本はもともと欧米に

対抗しえるものは皆無であり、おしなべて欧米の一方的な輸入直訳

だったからです。当時の日本人はそれらの翻訳書によって貪欲に吸

収していきました。

海外の書籍を翻訳するーーー現代人は「そんなの当たり前じゃない

か」と思うでしょう。外国の言葉で書かれた本は、日本語に翻訳し

ないと、みんなが読むことはできませんから、

しかしこの当時、ヨーロッパの書物を翻訳する力は、アジア、アフ

リカなど全世界的に見ても、ほとんどの国が持ち合わせていなかっ

た。

アジアでは比較的文明の高いインドや中国でも、外出版物の翻訳は

ほとんどしていません。自国語に翻訳したのは、日本だけなのです。

「なぜ日本だけがヨーロッパの書物を翻訳したか?」というところに、

私がこの本で主張したいポイントが集約されております。

日本は身分制度がない国だからこそ翻訳文化が発達した。つまり国

民全体で海外の技術を会得しようという意識が常にあった、という

ことです。

身分制度のある国では、海外の知識を取り入れようとか最新の情報

を知見するとかは、特権階級である上層部がやればいいのです。だ

から翻訳して知識を広めることは、逆効果だった。支配層の力を強

くするためには、貴重な本は翻訳しないで、英語とかドイツ語が読

める一部の支配層が理解して、支配の役に立てればいい。これが世

界の国ぐにの基本的思想です。

つまり身分制度、階級制度のある国では、支配層が被支配層を統治

しなければならない。日本以外の他の国はすべて、支配層が被支配

層を統治していて、厳然たる上下関係がある。したがって海外から

もたらされる新知識を上層部の専有にすることによって、国を支配

するための道具として使ったわけです。

ところが日本には、この支配被支配関係がない。もとから天皇陛下

の下においては、全部同じ「国民」であるという発想ですから。だ

から新知識は国民が等しく読めなければいけないということで、当

たり前のように翻訳するわけです。

(87〜88p)

  

当たり前と思っていた「翻訳」にも、こんな裏話があるのですね。

武田邦彦さんは、たくさん勉強をしているなあと思います。

現代はどうなんだろう。

翻訳は、どの国でも行われているのか。

それとも、日本は、今も翻訳が多いのか。

疑問に思います。

  

そういえば、翻訳に関して、

チャンネル登録している「かしまし歴史チャンネル」で

面白いことを言っていました。

  

明治時代に英語「I love you」を翻訳するのに、

日本人は苦労したとのこと。

日本人で、相手に、「私はあなたを愛しています」なんていう人は

あまりいません。だから、どう訳すかです。

夏目漱石は、「月が綺麗ですね」と訳したそうです。

きりゅうさんが紹介していました。

関連本がありました。

「I love youの訳し方」(望月竜馬著/東京雷鳥社)

この本、図書館にさっそく予約しました。

  

小説丸 日本の翻訳文化って、どこがすごいの?【教えて!モリソン先生 第2回】

このサイトにも面白いことが書いてありました。

  

分かりやすい具体例を言うと、和製漢語だね。和製漢語というのは、明

治以降、日本において欧米の言語の訳として新しく作られた日本語のボ

キャブラリーのことだ。数えきれないほど沢山あるけど、いくつか例を

挙げると、「社会」 (society)、「文化」 (culture)、「文明」 (civili

zation)、「民族」 (folk)、「時間」 (time)、「美術」 (art)、「空間」

(space)、「科学」(science)、「分子」(molecule)などなどが和

製漢語にあたる。

  

翻訳のために、明治時代以降に生まれた和製漢語。

面白そうです。

  

有名な話だけど、「恋愛」という言葉もまた、当時のロマン派の詩人、

北村透谷により「love」の訳として初めて作られたものだったんだ。

それまでは「恋」とか「色事」とかいろいろな言葉があったが、「恋

愛」という言葉はなかったし、動詞としての「愛する」もなかったん

だよ。

  

これまたビックリ。

全然有名な話ではないと思います。

さらにもう一つ引用します。これも驚きです。

 

例えば「である」。私たちが記事、論文、エッセーなどを書くときに

しょっちゅう使う、あの「である」という語尾もそうだ。ドイツ語、

英語、フランス語など、ラテン語を起源とする言語にある「be 動詞」

(copula)は、そもそも日本語にないから(前近代の「なり」、「は

べり」、「だ」、「でござる」等を別としてね)、明治の近代化の立

役者たちは欧米の諸学問を翻訳し導入する際、そのcopulaに当たるよ

うな言葉を作らねばならなかった。

彼らとしては、「近代国家」を創設するために「近代国家的言語」を

生み出すことが必要条件であり、その近代国家的な言語はなるべく西

洋の言語に近い方が望ましいと考えていたんだ。「なり」、「はべり」、

「だ」、「でござる」などはあったけれど、歴史的言葉遣いという

ニュアンスが定着していたため、適切とされず、結局「である」が日

本語の「be動詞」として成立し定着したんだね。

(中略)

「である」の起源説はいろいろあるけれど、尾崎紅葉が初めて使った

という人もいれば、島村抱月や国木田独歩が作ったという人もいる、

いずれにせよ、重要なのは、その当時すなわち明治中期から「である」

が普及するに及んだということだ。

そして、「である」以外にも、明治以前の文章と明治以降の文章を比

較すれば分かるように、文法的、構造的相違点は限りなくあって、そ

の多くの違いは欧米の言語との衝突によって発生したものなんだね。

  

「である」は明治時代生まれなんですね。

それも、翻訳の中で生まれてきた言葉。

いやあ、ビックリです。

  

明治時代に大量に行われた翻訳は、

現代の言葉に大きな影響を及ぼしているようです。

これはこれで、関連本があるようです。

「翻訳語成立事情」(柳父章著/岩波文庫)

この本も図書館に予約してしまいました。

  

武田先生の本から、興味が広がりました。

2024年9月 6日 (金)

「日本文明の真実」③ 美祢市にある長登銅山跡

    

今日は令和6年9月6日。

  

前記事に引き続き、

「歴史の大ウソを打破する日本文明の真実」

(武田邦彦著/ビジネス社)から引用します。

    

長い引用です。

  

ピラミッドよりも奇跡的な奈良の大仏

前章で、日本の社会は世界の他の国ぐにとは異なり、階級社会といっ

た立体構造ではない。平坦な構造をしていて、そのなかで日本人全体

がひとつの方向を目指して努力してきたことを書きました。それが

2000年間の日本の発展につながり、やがて20世紀のはじめには、欧

米列強の植民地になっていない有色人種の唯一の国になることができ

た(タイという国も植民地支配を免れましたが)。特殊というか、非常

によい状態をもたらしたわけです。

このことをもうひとつ踏み込んで考察してみましょう。

たとえば会社を見ても、社長がものすごく威張っていて、従業員は金

で縛られていやいや仕事に従事させられている組織。そうではなくて

従業員が心の底からみんなで一緒に会社を守り立てていこうという組

織では、効率や成果がまったく違います。

全体の構造として、どちらが効率的に業績を伸ばすのでしょうか。

歴史的に見ても前者である中国やヨーロッパの体制より、日本が代表

である後者のほうが、より大きな力が発揮されるように思います。つ

まり後者のような社会のほうが、勝ち組であると考えています。

具体的な技術との関係で例をあげると、それは奈良の大仏です。

よくテレビなどでは「ピラミッドの秘密」などといって、クフ王のピ

ラミッドはどのようにしてつくられたかなどと特集をしています。も

ちろんピラミッドも高い技術力の賜物といえます。しかし技術的に見

れば、ピラミッドは石を切り出して角錐形に積み上げていくだけのこ

とです。

これに対して奈良の大仏は、まずは銅を溶かす必要があるわけで大変

です。というのも、銅の融点は1000度以上だからです。通常の窯では

そのような温度に至ることができません。登り窯などでようやく800

度、かなり工夫したら900度ぐらいまで上げることができますが、そ

のあたりが限界です。 あれだけ大量の銅を溶かすということは、容易

なことではないのです。

(60〜61p)

    

武田邦彦さんは、この本で日本人の良さを語っています。

奴隷制がなかった日本、階級社会ではなかった日本の良さを

書いています。

ここでは銅に着目しています。続きです。

  
銅の「同族元素」を理解していた奈良時代の人々

ところが、ここがまた日本および日本人の面白いところなのです。

じつは奈良時代にはすでに「同族元素」を理解していたのです。同

族元素というのは、化学的性質が似ている元素のことです。

学生時代に勉強した通り、元素を原子番号順に並べた周期表があり

ます。 同族元素は、周期表で同じ縦の列中に配列されています。こ

の縦の並びを「族」といいます。同族元素は、最外殻の電子が同じ

配列になっているため、よく似た性質をあらわします。

火山国である日本は金、銀、銅がよく採れる。金銀銅は同族元素で

あり他にも、鉛、水銀、ヒ素が、それにあたります。

したがって銅とはいっても、なかにはさまざまな同族元素が含まれ

ているのです。もちろん、当時の日本人が元素という科学的知識を

持っていたわけではありません。それでも同じ銅でも産地によって

違いがあることを知っていたのです。

現在の山口県に長登(ながのぼり)銅山という鉱山があります。こ

この銅は、ヒ素を含んでおりました。銅はヒ素を9%含んでいると、

融点がぐっと下がって900度ぐらいで溶けるのです。このことを奈

良時代の日本人は理解していて、しかもその銅を溶かす工場を長登

付近につくっています。

どういう工場かというと、坂になっているところの土を掘って、そ

こで松明(たいまつ)を燃やすようにして炉をつくったわけです。

銅山跡の中心的位置にある大切製錬遺跡は、大切谷内の小丘陵を壇

状に整地してつくられたことをうかがわせます。そこに選鉱作業場、

炉を中心とした製錬作業場、大溝、暗渠(あんきょ/排水溝)、柵(

さく)などが設けられました。その炉をつくったのは長登に住んで

いる農民で、ご普通の人びとであったようです。

今でも当時の様子を描いた絵が残っています。 棟梁みたいな人はい

るものの、あくまで日本流だし、組織だっているわけではなく、村

人が集まって作業しているといった風情です。

「大仏さんをつくるのだから、一緒にみんなでやろう」という感じ

でしょうか。 地元の伝承では、長登の「ナガノボリ」の語源は、

「奈良のぼり」。つまり奈良に送る銅を産出する、という意味であ

ったといわれます。 その光景がまるで目に見えるようです。

今は使用されていませんが、奈良時代の溶鉱炉の跡は残っています。

実際見に行くといかにも日本流の、全員参加の作業が目に見えてく

るようです。全員で銅の鉱石を運んできて、それを選別し、松明で

燃やして溶かし、一次溶融物をつくって、それを水路で奈良まで運

んでいく。銅はものすごく重たいですから、水路を利用した。この

一連の作業は、素晴らしく見事にシステマティックです。

鋳造で、銅剣や銅鍋などの大きさのものをつくるだけでも大変なの

に、ましてやあの大きな大仏です。 大変さの度合いが格段に違い

ます。こんな技術は世界に類例がないのではないか、と驚くばかり

です。

(62〜64p)

   

奈良の東大寺の大仏の銅は、ここから調達されたそうです。

長登銅山は、閉山を何度かしましたが、

復活を繰り返し、1960年まで使われた銅山だそうです。

現在は観光地化されているようです。

まだ知らない面白いところが日本にはあるんだなと思いました。

グーグルアースで調べます。

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住所は、山口県美祢市美東町。

この市町名は、読み方に自信なし。

美祢市(みねし)、美東町(みとうちょう)でした。

2024年9月 5日 (木)

「日本文明の真実」② 縄文土器はすぐれていた

    

今日は令和6年9月5日。

  

8月30日の記事の続きで、

「歴史の大ウソを打破する日本文明の真実」

(武田邦彦著/ビジネス社)から引用します。

  

紀元前1万4000年頃になると、動物がほとんど獲れなくなります。この

結果、世界各地で人口が減る。 その時期に日本人が始めたのが土器づく

りです。 おかげで日本でも多少の人口減少傾向は見られたものの、乗り

切ることができました。

それが縄文土器です。

縄文土器というと、火焔式土器に見られるような装飾的な形をイメージ

されるかもしれません。それはむしろ例外で、本来の縄文土器はツルっ

としたお鍋みたいなもので、模様などもほとんど入っていません。

子供の頃に教科書に掲載されていた装飾的な縄文土器を見て、「いった

い何に使ったのだろう?」と不思議に思ったものですが、実際の縄文土

器というものは非常に合理性が高い。

それは、形だけではありません。土の品質のいいものをきちんと選び、

遠くから運び、それを溶かして火で焼いて固めると、粒子と粒子ががっ

ちりとつながる。きっと縄文人たちは、粒子のつながり方を研究したの

でしょう。非常に頑丈な器をつくりあげた。土器といっても貯蔵用なの

に火で炊いた跡のある土器というのは、世界中でも日本でしか見つかり

ません。

それも非常に古い。 はじまりは、およそ1万6500年前にさかのぼる。

世界的に見ても、こんな時代に、こんなに高度な土器をつくっている

例はまったくありません。それが、縄文土器というものなのです。

ですから他の国では、土器時代ではありません。旧石器時代と新石器

時代という区分です。ところが日本の場合は、歴史上は「旧石器時代」

などと呼称しています。 ただし日本にかぎって実情に即していうなら、

「石器時代の土器時代」と区分する。これが文化の面からアプローチ

した正しい時代区分です。

どうして例外的な実用性の低い装飾土器が、あたかも縄文土器の代表

のように教科書に出てくるかというと、これも近隣諸国条項です。

「この時代、最高の技術を持った土器は日本でつくられていました」

と、書いてはいけないのです。

ですから日本における正しい区分は、5万年前から1万6500年前が旧

石器時代。その時代に、もう高度の石器がつくられています。それか

ら土器時代が1万6500年前から紀元0年頃までということになります。

現在の教科書のように縄文土器、 弥生土器とい区分は、あまり適当

ではないのです。

(33〜35p)

  

これってびっくりの内容です。

縄文土器って、装飾土器は例外なんですね。

ちゃんと実用的な土器が存在していたんだ。

思い込みは怖いですね。

  

縄文時代について、ついでに動画で勉強。


YouTube: 【縄文時代】1万年前の驚きの食生活とは?縄文人は何を恐れどんな世界観で生きていたのか?分かりやすく解説!

ここでも「煮る」ことが、

人類初で縄文時代に行われたとあります。

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日本、進んでいますよ。

2024年9月 2日 (月)

オケラと言ったら「手のひらを太陽に」ですね

   

今日は令和6年9月2日。

   

今日は2学期最初の勤務日。

駐車場についたら、まずはコミカンソウをチェック。

なんと、抜かれていました。

どなたかが、気になって抜いてしまったのでしょう。

残念。少し生き残りがあったので、

よく見たら、赤い実がついていました。

帰りにじっくり写真に撮りたいと思いました。

  

ハトの巣も気になったので、見に行きました。

なんと、巣立ってしまったようです。

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こちらも残念。

ピジョンミルクを親がヒナに与えているのを見たかったし、

ドバトかキジバトかも判断したかったです。

  

家で飼育していた生き物を、少しずつ教室に運ぼうと思います。

今日はオケラ。

ここでも道草 「どぶ」の中から出てきたのは、オケラでした(2024年7月30日投稿)

オケラを発見したのは、7月29日でした。

飼育して1ヶ月以上になります。

数日前に姿を見ました。

まだ生きています。

子どもたちも、実物を見られるといいのだけど。

まずは、私が撮った動画を見せます。

あの歌は知っているのかな。

「手のひらを太陽に」

作詞は、やなせたかしさん。

アンパンマンのやなせさんです。

作曲はいずみたくさん。

この2人のコンビは、

アンパンマンの歌があります。

参考:いずみたく 作曲リスト

このサイトによると、

「あんぱんまんマーチ」(1977年)

「アンパンマン音頭」(1989年)

「アンパンマンえかきうた」(1989年)

「生きてるパンをつくろう」(1989年)

「いくぞバイキンマン」(1989年)

これらの曲を一緒に作っています。

そうそう、8月に記事にした「ゲゲゲの鬼太郎」の

テーマソングは、歌詞は水木しげる、そして作曲はいずみたくさんです。

「からんころんの歌」ももちろんそうです。

1968年の歌です。

  

「手のひらを太陽に」に出てくる生き物チェック。

曲を聴きながらと思ったけど、

3番までのフルバージョンの動画があまりありませんでした。

2番で終わってしまうのが多かったです。

これは3番まででした。

手のひらを太陽に 歌:AIきりたん

そして、生き物が画面に全員登場するシーンもありました。

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ミミズ、オケラ、アメンボ

トンボ、カエル、ミツバチ

スズメ、イナゴ、カゲロウ

  

この9種類。

この中で、オケラとカゲロウの選択はすごいなあと思います。

1963年の歌ですが、オケラやカゲロウは

もっと身近だったのかなあ。

  

  

「手のひらを太陽に」の動画を探していて、

2011年に東日本大震災の復興の応援で作られた動画を発見。

これも3番まであっていいし、応援してるよという気持ちが出ている

良い動画でした。


YouTube: 手のひらを太陽に / パパイヤ鈴木 & Friends(Smile for Japan Official)mov

亡くなってしまった水木一郎さんの姿もありました。

参考までに、動画に付けられた説明です。

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オケラで勉強しました。


  

スズムシ、4匹となる

   

今日は令和6年9月2日。

  

家で飼育しているスズムシ。

5匹いたのですが、昨日1匹死んでいるのを発見。

観察するために、死骸をスプーンで救って、

接写レンズで撮影してみました。

  

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羽根が白いです。

これは羽化した時の状態。

と言うことは、羽化に失敗したのでしょうか。

残念。

 

これで飼育箱の中には、オス2匹、メス2匹です。

  

せっかく飼っているのだから、様子を録画したいと思いました。

オスを撮影してみました。


YouTube: 2024年9月1日 スズムシのオスを接写レンズで撮影 特に変わった動きはしていません

こんな顔をしているんだと、思いました。

触覚を口できれいに掃除するらしいけど、

実際に見てみたいと撮影しましたが、

そう簡単には見せてくれませんでした。

  

また今度挑戦。

  

スズムシの寿命を調べました。

鈴虫を飼いたい!飼い方のコツと必要なもの、注意点まとめ

このサイトから引用します。

  

野生の鈴虫は、ススキや小さな虫の死骸などを食べる雑食性です。寿命は

約1年ですが、成虫として生きる期間は2ヵ月ほどしかありません。

鈴虫は卵の状態で半年以上を過ごし、孵化してから成虫になるまでにも

2ヵ月ほどかかるため、あのキレイな鳴き声を聞ける期間はほんのわずか

しかないのです。

  

8月中に成虫になったので、10月半ばくらいまでかな。

そう考えると、愛しいなあ。

2024年9月 1日 (日)

勤務校にハトの巣/ピジョンミルクを知る

   

今日は令和6年9月1日。

  

8月21日。

出勤した日に、「ハトの巣ができていて、

今は抱卵しているようだよ」と教えてもらいました。

さっそく現場へ行きました。

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ハトの巣は初めて見るかな。

ちょっと下からだと、様子がわかりませんでした。

  

8月30日に出勤した時に、また見に行きました。

ヒナがわかりました。

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ツバメの巣でお世話になった日本野鳥の会のNさんに、

ハトの子育てについて教えてほしいと聞きました。

でもNさんは、ツバメは詳しいけど、ハトはわからんねえとのこと。

でも「ピジョンミルク」を教えてくれました。

  

調べました。

人間の母乳のように、ヒナに与えるミルクがあるそうです。

ハトは、特別であって、なのでピジョンミルク。

母乳は母親だけですが、ピジョンミルクは、

メスだけでなくオスも出すことができるそうです。

  

関連動画をいろいろ見ました。

ピジョンミルクは、口から出します。

けっこうヒナが大きくなっても、

おねだりするシーンがたくさんありました。

  

参考動画。


YouTube: ハトのミルクの秘密 | ナショジオ

  

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メスがオスにOKを出す仕草が決まっているようです。

キスをしているんだという説。

オスがちゃんとピジョンミルクが出るのか

メスが確かめている説。

2通りの説があるようです。

この後、交尾をして、卵を産みます。

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勤務校と同じような材料で作っています。

こういう枝がいいんだ。

  

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素嚢の壁が剥がれて、それがピジョンミルクになるそうです。

高タンパク高脂質だそうです。

いくつか動画を見ましたが、ヒナはピジョンミルクが大好きなようです。

複数ヒナがいると、競って、親の口の中にクチバシを入れています。

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大人になるまでに1ヶ月。

この期間に観察しておきたいです。

  

明日、いい撮影場所を見つけたいなあ。

  

ドバトとキジバトを聞いたことがあります。

鳴き声が違うようです。

典型的な鳴き方「ポッポー」はキジバト。

「デッデ、ポッポー」もキジバト。

「クックー」はドバト。

もともとカワラバトと呼ばれ、人間に飼われていたのがドバト。

こち他の方が人間慣れしていて、家鳩(イエバト)とも言われます。

キジバトは人間慣れしていなくて、

木の上とかに巣を作ります。

と、いうことは、今回の勤務校のハトは、ドバト?

実際に動画で聞いてみよう。


YouTube: キジバトの鳴き声

よく聞くなあ。


YouTube: 鳩[ドバト]の鳴き声~喉元を膨らませながら屋根の上でクルクル回る


これも聞く。

  

鳩ぽっぽーの歌は、キジバトなんだ。

  

明日、ハトの種類も見極めたいですね。  

なぜ「コミカン(小蜜柑)」なのだろう?

   

今日は令和6年9月1日。

  

8月30日に出勤。

2学期の準備を少々しました。

始まりますね、2学期。

いい学期にしたいですね。

  

駐車場にあった草が気になりました。

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気になったら撮影。

Googleレンズで調べると、この草は「コミカンソウ」と判明。

葉っぱの下側に小さな花を咲かせて、実ができることがわかりました。

実の色は白っぽかったです。

なぜ「コミカン(小蜜柑)」なのかなとは思いましたが、

詳しくは調べませんでした。

  

今日、庭の草取りをしていたら、

同じ草を見かけました。

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ここにもあるじゃんと思って、

今回は抜きました。

ゴミ袋に入れたら、コミカンソウの実ができていることに

気がつきました。

また写真を撮りました。

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そうか、こうやって実ができるんだと、

実際に見られて得した気持ちになりました。

  

そこでもう少し調べて、なぜ「コミカン」なのか

突きとめようと思いました。

三河の植物観察 コミカンソウ(小蜜柑草)  

このサイトを見たら、納得しました。

ここに載っていた写真。

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既視感。

見たことあるぞ、この草。

でも今まであまり気にしてきませんでした。

次の2枚の写真が良かったです。

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いやもう1枚。

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実は2mmほど。

とても小さい世界です。

こうやって実をアップで見ると、

その色から蜜柑を連想します。

そしてタネは、蜜柑の房のように分裂するのです。

これは蜜柑だと思いました。

そして「コミカン」に納得です。

  

コミカンソウの全体を見てしまうと、

その良さはわかりませんでした。

こうやって迫って見ると、

この草の可愛らしさがわかります。

  

家の庭のコミカンソウは実が赤くなる前に、

抜いてしまい、ゴミ袋の中。

勤務校の駐車場のコミカンソウで、

私もこの赤い実を接写で撮ってみたいです。

 

1本の枝に雌花と雄花ができます。

先にできるのが雄花。

根元側にできるのが雌花。

根元側に実ができるのも、そのためです。

2024年8月31日 (土)

もしかしたら、今年はアレチヌスビトハギに勝った

  

今日は令和6年8月31日。

  

以前にも書きましたが、町内会にある公園の一つで、

毎年秋にアレチヌスビトハギが繁茂してしまいます。

かなり大きく成長します。

8月4日に、高速道路の掛川PA駐車場で撮った写真です。

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こんな大きさになります。

そして花が咲き、実ができます。

この実が厄介者です。

ひっつき虫です。

毎年、その頃に豊川市環境美化活動があって、

草刈りを皆さんでするのですが、

ひっつき虫が服について、大変なことになります。

  

そこで昨年度から、公園のアレチヌスビトハギを撲滅しようと

取り組んできました。

今年度の作戦は、春から始まっています。

暖かくなって、アレチヌスビトハギの芽が出てきたら、

摘み取っていく作戦です。

アレチヌスビトハギは地下茎があるので、

芽を摘み取っても、また出てきます。

それも逃さず摘み取っていきます。

そうするとどうなるか。

アレチヌスビトハギは、芽が成長する前に摘み取られるので、

葉っぱで光合成ができません。

光合成ができなければ、栄養であるデンプンを作ることができません。

デンプンを貯蔵するはずの地下茎が、

きっと悲鳴をあげる?だろうと考えました。

  

これを3年ほど繰り返したら、地下茎は衰退して消滅。

公園からアレチヌスビトハギが撲滅できるという作戦です。

  

とにかく毎週、公園に通いました。

他の草もあるのですが、エネルギーの3割は他の草、

7割はアレチヌスビトハギを摘みまくりました。

ほとんど摘み取ったと思っても、1週間後には、

あちこちで芽が出て生長していました。

その繰り返し。

8月8日の写真。

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8月17日

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8月22日

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そして今日。

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変化は、8月22日に感じました。

摘み取っても、1週間後にまた発芽していた場所から、

発芽していなかったのです。

ブランコの周囲は、顕著でした。

昨年度は、ブランコの周囲は、アレチヌスビトハギが

鬱蒼としていましたが、1本も発芽していなかったのです。

お、これはいい傾向だぞと思いました。

  

そして今日、雨の合間に草取りに行きました。

アレチヌスビトハギをよく探しましたが、

小さな芽が、ほんの10本ほど!

もちろん全部摘み取りました。

地下茎は、新しい芽を発芽させていなかったのです。

季節的に、発芽させる時期ではなくなった可能性もあります。

地下茎が根負けして、今年は芽を出すのはやめたと判断したかもしれません。

  

今年度、私は、アレチヌスビトハギに勝ったと確信しました。

この秋、この公園で、花を咲かせるアレチヌスビトハギは

おそらく1本もありません。

もちろんひっつき虫はできません。

  

やり遂げた!

  

でも油断しては行けない。

参考にした動画によると、この活動を3年ぐらいやると

地下茎が撲滅できる可能性があるとのこと。

来年度もまたやりたい。

  

  

これらの様子は、町内会の電子回覧板「結ネット」で紹介しているので、

もしかしたら、私が気が付かない時に、アレチヌスビトハギを

摘み取ってくれていた人もいたかも。

ブランコの付近に芽が出ていなかったのは、

その人たちのおかげだったかも。

そうだとしたら感謝。

きっとどなたかが協力してくれていると思った方が気分がいいです。

  

以上です。

和田秀樹さん吠える 薬の「多剤併用」で“せん妄“が起こっている

   

今日は令和6年8月31日。

  

いつの間にか、通算9500本目を踏んでいました。

2本前の記事です。

今朝気がついて、タイトルに「通算9500本目の投稿」と

タイトルに書き加えました。

夏休みに、たくさん書くぞと思っていましたが、

書けませんでしたね。残念。

書き留めておきたいことが山ほどあるのに、

なかなか山は小さくなりません。

麓を少し削っている感じです。

  

でも少しずつ、削っていきます。

  

  

世間の風潮とは違ったことを発言している人、

そしてその言っていることに裏付けがあると、

いい話を聞くとこができたと思います。

テレビとか新聞が作る風潮を、

「本当にそうなのか?」という視点で見ることができます。

  

この動画がよかったです。


YouTube: 【TVタックル出演】製薬会社のCMを禁止しろ!

  

和田秀樹さんは、本をよく読んで、いろいろ参考にしてきました。

YouTubeの動画を見たのはあまりなかったけど、

この動画は良かったので、チャンネル登録しました。

  

高齢者の自動車免許返納の話です。

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和田さんは免許返納反対派です。

  

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反対の理由の一つが、返納後に高齢者の要介護率が上がること。

自動車を運転しなければ、外出が減り、家にいることが増え、

心身ともに衰えることはあるでしょう。

 

もう一つの理由が、高齢者が事故を起こすのは、

薬をたくさん飲んでいるからだというもの。

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ふだん、安全運転をしている高齢者が、

その時だけ意識が朦朧として、後でその時の記憶がないという

症状を見ると、高齢者は「せん妄(もう)」になっていると

和田さんは言います。

「せん妄」?

調べました。横浜市立市民病院

引用します。症状です。

  

ボーッとしたり、つじつまの合わない話をしたり、昼夜のリズムが乱

れたり(昼間にウトウトして夜間は眠れない)、夕方あたりからソワ

ソワと落ち着かなくなったり、現実にはないものが見えたり、時間・

場所が分からなくなったりするなどの症状が生じます。

日内変動を伴うことも多く、典型的には夜間に悪化し、日中には改善

することが多いです。

せん妄時の体験は、患者さん本人にとっても恐怖、混乱を伴うことも

多いです。またせん妄時の体験を覚えている患者さんも一定程度いら

っしゃいます。

  

「意識の混乱」との説明もありました。

その治療法も書いてありましたが、薬の調整でした。

薬によって「せん妄」が起こりやすいようです。

和田秀樹さんは、薬をあまり与えない欧米では、

高齢者の運転が問題になっていないことから、

日本の薬の投与が必要以上に多いと指摘します。

 

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血圧が下がったり、血糖値が下がることで、意識がなくなる。

あるいは、運転時には飲んではいけない薬がたくさんあるので、

それを飲んでいる可能性もあると言っています。

 

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「多剤併用」

いろいろな薬をたくさん飲むことで、副作用で「せん妄」になるとも

考えています。

これは実体験があります。

心療内科の薬と、整形外科でもらった薬の飲み合わせが悪く、

非常に眠くなったことがあります。

「お薬手帳」を使っているのに、飲み合わせが危険な薬だったのが、

後でわかりました。整形外科でもらった薬が悪かったのです。

  

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日本は、高齢者に対して薬を与えすぎている。

そのため8兆円の税金が使われている。

無駄な薬を削って、これが半分になれば、

皆さんの給料から年間7〜8万円削られなくて済むそうです。

削らなくてもいいので、高齢者の運転免許返納をしてほしいなら

ともかく、無駄な薬を削ったほうが、事故も減るし、

税金で払うのも減るので、両得なのです。

    

そんな話を和田秀樹さんは、久々に出た「TVタックル」で

発言したそうです。

そしたら、その部分は全てカットされてしまったそうです。

なぜだと考えた時に、スポンサーに「原沢製薬」がありました。

この製薬会社が、テレビ局にクレームをつけたか、

あるいは、製薬会社は何も言わなかったけど、

テレビ局が忖度したか。和田さんはそう考えています。

  

和田さんは言います。

昔はパチンコ屋さんやサラ金はスポンサーになってはいけないという

ルールがありました。

うん、あった、あった。

でも今はなし崩しでそれらの企業もスポンサーになっています。

経営が苦しくなったからでしょう。

製薬会社もスポンサーになっては行けないのではと

和田さんは提案しています。

薬害についてテレビが言えなくなるからです。

小林製薬の問題も、テレビ局が扱うようになったのは、

遅れました。死者が出てから扱うようになりました。

だからこう言っています。

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こんなことを発言すると、「TVタックル」だけでなく、

民放局からは呼ばれなくなるかもしれないけど、

私は言っていくと和田秀樹さん。

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そして、この本を紹介しました。

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読んでみよっと。












  

2024年8月30日 (金)

「日本文明の真実」① 大誤報「侵略」を「進出」にはしていなかった

   

今日は令和6年8月30日。

  

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アマゾン

「歴史の大ウソを打破する日本文明の真実」

(武田邦彦著/ビジネス社)

  

付箋をページにたくさん貼ったけど、厳選して引用します。

  

「日本文化」といえるものは、旧石器時代(5万年前から土器が見つか

った1万6500年前)から確認することができます。遺跡の数も世界一

多く約1万カ所以上。そのうち4万年前の遺跡が確定しているだけでも

約8000カ所もあります。遺跡が発見されてはいても、推定年代が確

定していないものも多いのです。なかには推定12万年前のものもあり

ます。そうした旧石器時代のものではないかと思われる遺跡数は1万

3000カ所にものぼります。あと10年ほど経てば、年代が確定する遺

跡が多数出てくることでしょう。

したがって現在確定しつつある遺跡だけでも、4万年前には日本人が

日本列島に住み、ある程度の村落を形成していたことがわかります。

北海道や東北地方を中心に、人口を保った集落が1万カ所前後あった

と言えます。これは世界で一番大規模です。

それなのに日本の教科書には、そのような記載は一切ありません。

なぜなら文部科学省が管轄する教科書検定には、「近隣諸国条項」

という非常に厳しい縛りがあるからです。

これは昭和56年度の教科書検定で、日本軍の中国での行動が「侵略」

から「進出」に書き換えさせられたと新聞やテレビが報じたため、

中国や韓国から激しい抗議を受けたことにより設けられた条項です。

しかし、「侵略」が「進出」に書き換えられた事実はなく、誤報で

した。

(17p)

  

え、誤報だったの?

そこんところ、今までしっかり確かめていませんでした。

この機会にネットで勉強。

この記事が良かったです。

産経新聞 追悼・渡部昇一さん 教科書検定「侵略→進出」は大誤報だった 「虚に吠えた中韓」暴いた渡部昇一さん

2017年4月の記事です。

  

それによると、昭和57年(1982年)6月26日の

新聞各紙は、文部省(現在の文部科学省)による教科書検定で、

中国への「侵略」が「進出」となったことを報じました。

文部省が、「侵略」を「進出」に書き換えさせたという報道です。

朝日新聞、毎日新聞、読売新聞、産経新聞、東京新聞の名前が

挙がっています。

この報道を聞いた中国、韓国が抗議。

北朝鮮も反発、ソ連も非難しました。

外交問題に発展したのです。

しかし、これは大誤報でした。

文部省がそのようなことをした事実はありませんでした。

  

当時、膨大な教科書を、報道機関が分担してチェックしていました。

実教出版の「世界史」を担当した日本テレビの記者が、

「侵略」だったのが「進出」に変わっていると報告しました。

それを聞いた他の報道機関は、自分たちで確認せずに、

そのまま報じたのです。

実教出版の「世界史」は、もともと「進出」と書いており、

教科書検定で、「侵略」を「進出」にした事実はありませんでした。

  

文部省は、7月29日、30日に、そのような事実はないと答弁。

しかし、誤報に基づいた中国、韓国の抗議であるにもかかわらず、

9月に鈴木善幸首相の訪中を控えていたこともあり、官邸と外務省

は中韓に屈服しました。

宮沢喜一官房長官は8月26日、「(教科書記述を)政府の責任に

おいて是正する」「検定基準を改め、前記の趣旨(アジアの近隣諸

国との友好、親善)が十分実現するよう配慮する」との宮沢談話を

発表しました。

この談話が教科書の検定基準に含まれました。

これが「近隣諸国条項」なのです。

  

この記事の中で、渡部昇一さんが、誤報だと知ったのは、

8月6日の「世界日報」の記事だったそうです。

「世界日報」は統一教会(現在、世界平和統一家庭連合)に

関係する日刊紙です。

問題のある日刊紙ですが、当時は海外特派員も多く、

反共色の強い独自の記事が豊富で、

保守派の間に愛読者が多かったそうです。

    

報道機関は、すぐにではないのですが、

誤報を認めて、謝罪をしました。

論点をすり替えて、十分に謝罪をしなかったのが

朝日新聞だったそうです。

  

見えてきました。そうだったのですね。

42年前の出来事を、今、理解しました。

誤報であったことは、認識していませんでした。

  

  

そこで武田氏の本の記述の続きを引用します。

  

それにもかかわらず、以来「近隣のアジア諸国との間の近現代の歴史

的事象の扱いに国際理解と国際協調の見地から必要な配慮がされてい

ること」が求められるようになったのです。

平たく言えば、中国や朝鮮より文化が早いとか、優れているとかを絶

対に教科書に書くな、という縛りです。 そのような記述と判定されれ

ば検定が通らない。

ですから「日本では4万年前にすでに1万カ所以上の遺跡が確認されて

いる」などという話は、残念ながらほとんどの日本人に知られていま

せん。

しかしこの古い遺跡を見れば、日本および日本人の特徴というものが、

このときすでにでき上がっていることがわかるのです。

この当時の日本の遺跡は、肉食をしている狩猟民族であるにもかかわ

らず定住型です。

石器をつくるための工場から、素材を確保するルートまでも確保され

ています。この集落のあり方そのものに、私は非常に日本的特徴を感

じます。

また、当時の遺跡の数を他の国と比べると別に朝鮮の悪口を言うわけ

ではありませんが日本の1万カ所以上の遺跡に相当する遺跡は朝鮮に

400しかない。ここからもうかがえるように、文化のレベルが違うわ

けです。

一例をあげると、旧石器時代の石器。 この多くが大陸に輸出されて

います。当時の大陸の石器よりも日本の石器はずっと優れていたので、

中国の石器時代の遺跡からも、日本の石器が見つかっているのです。

日本の教科書は「大陸で発達した文化が奈良時代くらいに日本に来

た」と洗脳していますが、明らかな錯誤です。

(18〜19p)

  

そうなんだよ。

自分たちが住んでいる日本の歴史をちゃんと知って、

日本人であることに自信を持たないといけません。

 

続く

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