2018年2月11日 (日)

なぜ核兵器はなくならないのか?その2/アインシュタインからの手紙

 

今日は2月11日。

  

前投稿に引き続き、1月7日に放映された番組

「ニチファ! 池上彰緊急SP なぜ世界から核兵器はなくならないのか?」より。

  

聞き書きしていきます。

 

池上彰:核分裂の発見を利用して、

  「ドイツが新型爆弾を造るのではないか?」と強く考えたのは

  アメリカに亡命していたユダヤ人科学者たちだったわけですね。 

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  大勢のユダヤ人科学者がヒトラーの迫害を恐れてアメリカに

  亡命していたわけですね。その人たちにしてみれば、

  その発表(核分裂の発見)を見れば、新型爆弾が造れるのではないか、

  ということがわかるわけです。

  もしナチスドイツが先にこんなものを造ったら、

  ユダヤ人が根絶やしにされるという危機感をいだいたんですね。

  そこで彼らはある人に相談しました。

  

  この人です。

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  アルベルト・アインシュタイン。

  当時60歳でした。

  すでに相対性理論で世界的に有名な物理学者でした。

  彼もユダヤ人でしたから、アメリカに亡命していたわけですね。

  アメリカに亡命していたユダヤ人の科学者たちが、

  何とか発言力のある人、それはアインシュタインだろう、

  アインシュタインが声を上げてくれれば、

  大きな影響力があるんじゃないか、と言って、

  第2次世界大戦が勃発する1ヶ月前の1939年8月に、

  ある行動を起こします。こちらをご覧ください。

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  これ(上の写真)は、歴史的出来事だったと言うことで、

  後に当時の様子を再現した写真です。

  当時の写真じゃないんです。こんなふうにしたんですと、

  再現して撮った写真です。

  アインシュタインの向かい側にいる人は、レオ・シアード。

  この人も、ユダヤ系の物理学者なんです。

  この後の出来事に関わる歴史的に重要な手紙を書いている、

  これから手紙を書いているということなんですが・・・

  さあ、いったい誰に手紙を書いているんでしょうか?

  その人がこちら。

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  ルーズベルト大統領に手紙を出しました。

  どんな手紙だったかといいますと、こちらですね。

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  2枚からになる手紙ですが注目すべきはこの部分ですね。

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  新たに発見されたこの現象、ウランの核分裂のことですね、

  これは爆弾の製造にもつながるでしょう。

  これにより極めて強力新型爆弾が造られることが考えられます、

  と書いたんですね。

  ドイツがこの研究発表を使えば、

  ドイツが新型爆弾を造ることができてしまうんですよ、

  危険性を知ってください。という手紙だったわけですね。

  ということは、結果的に、アメリカもドイツに負けずに

  新型爆弾を造る必要があるんじゃないでしょうか、

  ということに繋がっていく、と言うことになるんですね。

  そして、アインシュタインが訴えていた脅威が、

  現実になるかもしれないという出来事が起こります。

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  ドイツのポーランド侵攻、第2次世界大戦というわけですね。  

  

  この状況になりまして、新型爆弾の開発研究が、

  (アメリカで)できるのかという調査を始めさせたんですね。

  アメリカだけではありません。同盟国のイギリスの協力もありまして、

  調査開始の3年後の1942年に本格的にプロジェクトが始まりました。    

  そのプロジェクトの名前、ご存じの方も多いでしょう。

  こちら。

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  「マンハッタン計画」というものですね。

  

  

「マンハッタン計画」の名前は、

「存じの方」の1人で知っていました。

今までにも勉強をしてきました。

この計画が始まるまでに、マイトナー博士とハーン博士の発見、

アインシュタインとユダヤ系科学者たちとのやい取りがあったことを

知りました。

後の歴史を知っている立場から見たら、

ヒトラーがアメリカまで攻めて、アメリカを支配下にするとは思えませんが、

当時のユダヤ系の人たちにとって、ヒトラーはどこまでやるのかわからない、

恐怖の存在だったと想像します。

  

つづく

  

なぜ核兵器はなくならないのか?その1/リーゼ・マイトナー博士

  

今日は2月11日。

  

今朝は、昨年12月に放映された

北斎ミステリー ~幕末美術秘話 もう一人の北斎を追え~」を見ました。

面白かった。

面白かったけど、こんままほっとけばまた忘れてしまうことでしょう。

また読み物化したいです。

しかし、その前に読み物化しておきたい番組があります。

今日はそちらが先。

   

1月7日に放映された番組

「ニチファ! 池上彰緊急SP なぜ世界から核兵器はなくならないのか?」

3時間のスペシャルでした。

  

この番組中の忘れてはならないことはここに書き留めたいと思います。

  

番組のタイトルである「なぜ世界から核兵器はなくならないのか?」

迫る内容のところを書き留めます。

  

理由は3つ紹介されました。

その1つ目は、

ドイツで世紀の発見がなされたから」でした。

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池上彰さんの説明を聞き書きしていきます。

  

池上:世界から核兵器がなくならないその1つの理由が、

  「ドイツで世紀の発見がなされたから」ということなんです。

  どういうことか。その世紀の発見をした人がこの人です。

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  ドイツ人科学者のオットー・ハーン博士ですね。

  彼は1938年、ウランの原子核が分裂をする、そしてその時、

  膨大なエネルギーが生まれることを発見し、翌年に論文で発表したんです。

  莫大なエネルギーが生まれる。

  人類にとって、一見、有意義な発見だと思われたのですが、

  さあこれによって、莫大なエネルギーが得られるって

  喜んだ人たちがいる一方で、

  ちょっと待てよ、このエネルギーを使えば、

  強力な爆弾がつくれるんじゃないか、

  と考える人たちが出てきたと言うわけですね。

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  というのも、この少し前、1933年からヒトラーが政権を握り、

  独裁政治が始まっていたわけです。

  ナチスドイツの時代になり、ユダヤ人の迫害が始まっていた、

  その頃時代は戦争に向かっていた、となると、

  ドイツがもしこれによって新型爆弾を開発することができたら、

  それこそ世界中のユダヤ人が絶滅してしまうのではないか、

  ヨーロッパをドイツが占領してしまうのではないか、

  と、心配する科学者が、大勢いたと言うことなんですね。

  

  オットー・ハーン博士は、核分裂の発見により、   

  1944年にノーベル化学賞を受賞しているんですが、

  実はあまり知られていないんですが、この研究には

  一人、ユダヤ系物理学者も関わっていました。

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  その人が、こちら・・

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  リーゼ・マイトナーという女性の物理学者です。

  実はこの研究を最初に始めたのが彼女だったんですが、

  ハーン博士が加わり、共同研究となったんですが、  

  マイトナーはユダヤ系だったから、

  ヒトラー政権の迫害から逃れるため、研究を途中で断念して、

  スウェーデンに亡命したんですね。

  その後、ハーン博士が論文を発表し、

  ノーベル賞を受賞したということだったんですが、

  実は、このオットー・ハーン博士、研究の途中で、

  どうしてもわからないことがあった、これはどういうことなんだろうか、

  といって、スウェーデンに亡命したリーゼ・マイトナーに疑問をぶつけた。

  それに対して、彼女はこういうことじゃないですか、と答えてくれた。

  これによって、研究を成功させた、ということなんです。

  ところが、リーゼ・マイトナーという人はユダヤ人です。

  ユダヤ人と一緒に共同研究をしたということになると、

  自分も立場が悪くなるので、彼女のことを一切隠したまんま、

  オットー・ハーン博士がこの研究を発表し、ノーベル賞を受賞する

  ということになったというわけなんですね。

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興味深い2人です。

生年月日を見て、よく似ていると思いました。

ハーン博士が生まれたのは1879年。マイトナー博士はその前年。

そして亡くなたのは同じ1968年。

調べたところ、マイトナー博士が1968年10月27日。89歳。

ハーン博士が亡くなったのはその3ヶ月前、

1968年7月28日。89歳でした。

Wikipediaで調べると、リーゼ・マイトナーの説明は長く、

オットー・ハーンの説明は短かったです。

※参考:Wikipedia リーゼ・マイトナー

※参考:Wikipedia オットー・ハーン

それも、オットー・ハーンの説明のほとんどは「マイトナーとの関係」の章。

ノーベル賞は得たものの、マイトナーの方が関心が高い人生なのでしょうか。

人はきっと賞とかよりも、物語を求めている証拠かな。

  

  

しかし、たった80年前。ウランの核分裂によって

膨大なエネルギーが生じることが発見されなかったら、

広島や長崎での悲劇はなかったし、

今のような核兵器があふれる世の中にはならなかったんですよね。

 

つづく。

 

 

2018年2月10日 (土)

「驚きももの木20世紀」その7/事故直後乗組員は生存していた?

  

今日は2月10日。

3連休の初日。

 

1993年10月29日放映の

驚きももの木20世紀 チャレンジャー爆発」について書いてきました。

もう書き終えたつもりでしたが、

もう1本書きたくなりました。

2月4日に書いた記事の続きです。

  

 

今回の記事を書くためにいろいろ調べました。

その時に、乗組員が乗っていた部屋は、爆発でも壊れることなく、

爆発直後には乗組員は生存していたという説に出会いました。

驚きました。

この映像でも説明しています↓


YouTube: 【衝撃映像と説明】 チャレンジャー号爆発事故 Space Shuttle Challenger disaster

動画の写真です。

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この乗員室で乗組員が生きていて、

どのような会話がなされたのかという動画もありました。


YouTube: 【死の直前最後の言葉】チャレンジャー号爆発事故後の通信記録:時速300キロ以上で海に激突するまでの恐怖と絶望の7分間

  

この動画の文章を一部引用します。

 

彼らがシャトルの”爆発”で即死したという説が一般的なのは、

その方が慰めになるからだろう。

  

それはあると思う。

でももし生きていて、この動画にあるような会話がなされたのなら、

知るべきだろうと思う。

絶望の中でも、どうにかしようとしていた乗組員の行動は歴史に残るべきだと思う。

このブログにも書き留めておきたいと思って、

今朝は書いてみました。

  

   

  

4日の投稿で引用した本「治療塔」(大江健三郎著/岩波書店) 

もう一つ引用します。

  

大江さんは、エリスン・オニヅカさんと母親のミツエ・オニヅカさんのことも

書いていました。

  

船団が大挙して帰って来ますならばな、誰より先にオニヅカさんが

スペースシャトルから降り立たれて、苦労されたハワイ移民の

お母さんの手を握っていただきたいものですな!

(20p)

  

「驚きももの木20世紀」でもお母さんのことをたくさん扱っていました。

報道できっとお母さんのことをよく報道していたのでしょう。

その影響で、この文章ができたと思います。

(”当時”を知る人間ですが、どのような報道がなされたか忘れています)

「治療塔」は今日、図書館に返却予定。

 

以上です。

2018年2月 7日 (水)

来た道戻るの大嫌い!/毎日リクエスト

今日は2月7日。

  

2月3日から生活のBGMを変えています。

竹原ピストルのアルバム4枚目。

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ROUTE to ROOTS

 

以前話題にした曲「オールドルーキー」が含まれています。

ここでも道草 晩から今朝にかけて触れた言葉その3/大晦日にたくさんの人が撃たれた(2018年1月11日投稿)

  

このアルバムに入っている曲で、

来た道戻るの大嫌い!」もいいなあ。


YouTube: 来た道戻るの大嫌い!/竹原ピストル

♪ 過去はどうにもならない

  未来はどうとでもできる

  くやんでちゃだめさ  

 

以前にも書いたと思うけど、

私が曲に求めるのは、癒しか励まし。

竹原ピストルの曲は励まし派ですね。

   

  

夏木陽介さん主演の映画「野盗風の中を走る」のテレビ放映を願って、

2月4日から毎日2か所にリクエストをしています。

NHK BSシネマ

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時代劇専門チャンネル

  

1か月ほどリクエストを続けたら、成果が出ないかな?

参考:ここでも道草 夏木陽介さん亡くなるのニュース(2018年1月19日投稿)

 

 

そんなこと、やっています。 

2018年2月 6日 (火)

雪の中を走って帰りました/運動不足解消をめざす

今日は2月6日。

  

2月3日に、久々に仲間と登山。

浜松市の観音山を登ってきました。

5時間余りを歩きました。

この山の報告は、また書こうと思いますが、

歩いてみて運動不足を感じました。

こんなことで、こんなに疲れなかったよなあと思いました。

  

  

今度の土曜日には、バスケットボールの大会があり、

審判で笛を吹かなくてはなりません。

この運動不足のままでは、十分に走れないことは目に見えています。

  

  

そこで・・・・

昨日(月曜日)から金曜日まで5日間連続で

自転車通勤をしようと決めました。

昨年度後半から思うように続かない自転車通勤。

寒い最中ですが、

片道30分、往復1時間を頑張ろうと決めました。

そして大会を迎えたいです。

  

有言実行。

勤務校の校長先生に、

「5日連続で自転車で通うつもりです」と宣言しました。

そして今日で2日間連続で達成。

  

昨晩は雪降る中を帰りました。

その時に撮った写真です↓

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気づけば、股の間の自転車の細いフレームの上にも積もるほどの

雪でした。

前面から襲ってきて、ハンドルやハンドルを握る腕の上にもはりつく

雪でした。

  

こりゃあ翌朝は雪道でたいへんだぞと思いました。

 

でも、晩に雪はあまり降らず、道路に雪はほとんどありませんでした。

  

今朝の写真です。

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少々寒かったけど、空気の澄んだ気持ちのいい

朝らしい朝でした。朝はこうでなくっちゃ。

自転車は快適でした。

  

2018年2月 4日 (日)

「驚きももの木20世紀」その6/「治療塔」からの引用

 

今日は2月4日。

 

前投稿に引き続き、

1993年10月29日放映の

驚きももの木20世紀 チャレンジャー爆発」をここに書き留めます。

  

1月28日の「今日は何の日」クイズをきっかけに、

25年前の番組を、このブログに書き留めました。

映像の読み物化をまた実行しました。

もう埋もれてしまいそうだった映像を、

最近はあらためてじっくり見てみました。

埋もれちゃいけない番組だと思いました。

このブログに書き留めたことで、

その気になればすぐに読み返して、

自分の中で再構築ができます。

見たければまたビデオテープを出してきて見ることができます。

もしかしたら、この番組について知りたいと思う人が出てきたら、

検索してヒットします。少しは役に立つでしょう。

今日は6本、番組に関する記事を投稿しました。

時間はかかりましたが、無駄ではないと思いたいです。

  

今昔の番組をこうやって読み物化していくこと。

私にとって大事な仕事です。

埋もれていってしまう番組を消さないために。

そして有効に活かすために。 

テレビ番組は貴重なのです。

最近の動画で、チャレンジャー号の事故を扱ったものを探しました。

この動画はどうでしょう↓


YouTube: 宇宙 緊迫の瞬間 スペースシャトル・チャレンジャー爆発事故

  

最後に、1月28日が「宇宙からの警告の日」と

なった本からの引用をしたいです。

どうも「今日は何の日~毎日が記念日~」の説明では

納得がいかなかったので、図書館で借りてきました。

※参考:ここでも道草 1月28日に思い出した番組(2018年2月1日投稿)

(ここに説明アリ)

    

その本は「治療塔」(大江健三郎著/岩波書店)。

1990年発行の本。SF小説。

時代は21世紀前半が舞台。今ですね。

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この本に、チャレンジャー号の事故のことが

次のように書かれていました。

  

リッチャンはまだ生まれていなかったから、

古き善き時代のケープ・カナベラル基地から

NASAのスペース・シャトルが打ち上げられていた、

宇宙航海の揺籃期のことは知らないよね?

しかしテレヴィのノスタルジーの番組で、

離陸したロケットがほんの数秒後に白い煙の輻(や)を

四方に放って爆発した、あの涙ぐましいようなヴィデオは

見たことがあるでしょう?

日本人には有人ロケットの打ち上げができなかった頃でね、

あのロケットにはオニヅカ宇宙飛行士という日系二世が

乗り組んでいたこともあって、とくに関心が集中していたんだよ、

こちらでも。

現場中継のテレヴィは西側世界のどこでも放映されたはずだよ。

あれを見ているとね、スペース・シャトルの関係者は

緊迫した雰囲気だったけれども、見送りに集まった見物人たちの

特設桟敷は花やかなピクニックのようでね。

人類的な規模の大事故が、ああした行楽気分のなかで起るものかと、

後になってつくづく気が滅入ったけれどもね。

ロケットが発射される。

お祭り気分の連中が喚声をあげる。

闘牛かなにかの熱狂ぶりでね、Go、Go!とか叫んでさ。

在郷軍人風の連中は手慣れたもので、

のんびり星条旗の紙旗を振ったりしていた・・・。

そのほんの数秒後、ドカーンと爆発して、

カメラがたまたまとらえていた宇宙飛行士の家族が、

Oh,No!と叫ぶ。

あの瞬間、テレヴィ中継を見ていた、

西側世界全域の人々の心にね、悲劇的な感情がサーッと走ったと思うよ。

そして、その感情は、奥深いところで正しかったんだね。

彼らの胸の底に届いていたのは、人的被害は最小にとどめての

宇宙意志からの警告だったさ。

私はね、あれを機会に、宇宙にロケットを打ち上げる試みは、

すべて断念すべきだったと思うよ。(中略)

ところが人類はそれとは逆の選択をしたんだなあ。(後略)

(16~17p)

  

こうなると、宇宙に出ることが必ずしも良しではない。

人類は、本当に宇宙に出るべきかどうか考えろ。

1月28日は、そんな日と言うことでしょうか。

  

少々違うところあり。

打ち上げから爆破まで「数秒」とあるけど、

実際は「73秒前後」

オニヅカさんは「日系二世」ではなくて、

「日系三世」

  

  

ふ~、今日はよく書いた。スペースシャトルが夢に出てくるかも。

もうこんな時間。おやすみなさい。

 

「驚きももの木20世紀」その5/Come Fly with me

 

今日は2月4日。

 

前投稿に引き続き、

1993年10月29日放映の

驚きももの木20世紀 チャレンジャー爆発」をここに書き留めます。

 

 

いよいよ打ち上げです。

番組の写真を並べます。

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次の瞬間だ。

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ナレーターの森本レオさんが、この大事故を伝えます。

 

ナレーター:高度1万6千メートルで起こった大事故。

  一瞬の時を置いて、

  現実の悲惨さが誰にも伝わった。

  事態は最悪だった。

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  ひとつ、またひとつ、

  チャレンジャー号の残骸が海に落ちていく。

  肉親を、友人を目の前で失う。

  観客席はどうにもならない悲鳴で埋まった。

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  だが、その中で1人、毅然としていた女性がいた。

  オニヅカの母だった。

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  「泣かないで皆さん、泣かないで。

   私は皆さんがいるから大丈夫。

   どうか泣かないで」

 

  

エリスンさんが母に送った言葉を、弟さんが紹介してくれました。

ディスカバリー号成功後の渡されたものと思われます↓

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お母さんへ

僕の夢を信じてくれたことに

多くの愛と感謝を込めて。

あなたの助けがなくては

これは成し遂げられなかった。

母さんい一緒に飛ぼうよ。

(Come Fly with me)

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お母さんの証言。

息子がいないのは淋しいけれど

一人だけじゃなく 

仲間6人と一緒に逝ったのだから

あの子は幸せ者ですよ。

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ここで映像は終了。

その直後の三宅裕司さんの顔。

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この顔は覚えていました。

チャレンジャー打ち上げから爆発までの大事故を見て、

そしてエリスンさんの言葉、お母さんの言葉を聞くと

この顔になってしまうのです。

目が奪われ、心も奪われてしまう映像なのです。

  

「強いなあ、お母さん」

三宅さんはそう言います。

  

立川志の輔が言います。

 

本当に、お母さんというのが最後まで

印象に残りますね。

もしあそこで、お母さんが、

「雑貨屋は私一人でやっていけるんだから、

 あなたはあなたの夢を追いかけなさい」

と言わないで、

「あなたがいないとこの雑貨屋はやれないし、

 私のそばを去らないで」

と言っておけば、ひょっとすると、

オニヅカさんは今、生きてはいるかもしれないけど、

その夢は一切何もできない、実現されていない。

 

 

周りの人の助けを受けて努力することで、夢は叶う。

この番組のテーマはここだと思います。

  

つづく

「驚きももの木20世紀」その4/NASAは焦っていた

 

今日は2月4日。

  

前投稿に引き続き、

1993年10月29日放映の

驚きももの木20世紀 チャレンジャー爆発」をここに書き留めます。

  

いよいよ打ち上げが迫ってきました。

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ナレーター:チャレンジャー号の打ち上げが迫っていた。

  当初、スペースシャトルは年に50回の

  宇宙への往復を目指していた。

  しかし、実行できたのは、年にわずか10回程度。

  NASAは焦っていた。

  

司会の三宅裕司さんが「NASAは焦っていた」のことを

専門家の中村浩美さんに尋ねました。

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中村さんが言うには、事故の後、レーガン大統領による

特別命令を受けた調査委員会が調査して、

報告書が出されました。

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この報告書によると、Oリングというロケットブースターをつなげる部品が、

合成ゴムでできているため、寒さのために破損したんが、

直接原因とのこと。

それはそれとして、スペースシャトルにはビジネスの面もありました。

お金をいただいて人工衛星を運んだりするといった面です。

延期したり計画を取りやめたりすると信用にかかわります。

だからNASAは、何とかスペースシャトルを飛ばしたかったという

背景はあったと中村さんは言います。

  

チャレンジャー号の発射は近づいていました。

発射台のあるフロリダ州は、異常な寒波。

発射台は凍てついていました。  

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その日(1月28日)は寒かったので、

発射は延期されるのではと思っていたと広報官。

しかし、延期されませんでした。

  

  

チャレンジャー号打ち上げの1週間前、

宇宙飛行士たちは、発射台のあるフロリダのケネディー宇宙基地に到着。

 

ハワイから来た応援団60人余りも

フロリダに来ていました。

もちろん、エリスンさんのお母さんであるミツエさんも。

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弟のクロード・オニヅカさんの証言。

打ち上げ前に、エリスンさんは母親に会いたがっていまた。

しかし、エリスンさんのいる隔離室に入るためには、

面倒な身体検査が必要でした。

年老いた母親には無理と判断して、会うことをあきらめました。

「会わせておけばよかった」と、

クロードさんは後悔しています。

  

いよいよ1986年1月28日。

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午前5時。

チャレンジャー号の乗組員はにこやかに朝食。

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打ち上げ30分前。

ハワイから応援団を乗せたバスもやってきて、

用意された”応援席”に着きました。

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ナレーター:刻々と近づく発射の時間。

  全てが順調に進んでいるようだった。

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姉のシャーリー・マツオカさんの証言。

打ち上げ前に電話で弟と話しました。

最後にエリスンさんはこう言ったそうです。

「お母さんのことをよろしくたのんだよ」

   

午前8時。

7人の宇宙飛行士は発射台へ向かいました。

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打ち上げ前日の夜、エリスンさんは、

お母さんのいるホテルの部屋に電話しています。

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家族の様子、応援団の様子を話した後に、

エリスンさんはこう言ったそうです。

「みんなうまくいっているから、心配しないで」

  

いよいよ打ち上げ。

  

  

つづく。

  

「驚きももの木20世紀」その3/442連隊の精神

  

今日は2月4日。

 

前投稿に引き続き、

1993年10月29日放映の

驚きももの木20世紀 チャレンジャー爆発」をここに書き留めます。

   

宇宙飛行士は、宇宙に行くときに持参するものがあります。

どれだけでも持参できるわけではなく、

限られた量だけでした。

したがって、何を持参するかで、宇宙飛行士の思いが表れます。

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ディスカバリー号搭乗の際に、

エリスン・オニヅカさんは3つのワッペ持参しました。

その中の、このワッペンにまつわるお話を、書き留めます。

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ディスカバリー号搭乗後、彼はハワイに凱旋帰郷。

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偉業を成し遂げたお祝いのパーティーが行われました。

そこには母の姿もありました。

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夢だった宇宙に行くことができたエリスンさん。

その喜びは、エリスンさんだけでの喜びではなく、

エリスンさんのことをアメリカ中の日系人が、

まるで自分の息子のように祝いました。

 

なぜか?

  

ハワイの農園には、日本人の血と涙がしみ込んでいます。

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ハワイに日本の移民が移り住んだのは、135年ほど前だそうです。

(番組では110年ほど前と言っていました)

そのほとんどが、サトウキビ畑やパイナップル畑の労働者でした。

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日系人たちは団結し、

お互いに助け合わないと生きていけませんでした。

やがて苦労は実を結び、ほとんどの人たちが、

自分の土地を持てるようになりました。

1941年。

突然に日本軍がハワイを攻撃しました。

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太平洋戦争の勃発です。

  

祖国日本とアメリカとの戦い。

日系人は苦難の時代を迎えました。

強制収容所に入れられた人も多かったそうです。

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日系人への迫害の嵐が、自由の国アメリカで吹き荒れました。

  

この時に立ち上がった日系人がいました。

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なぜ日系人だけ差別を受けるのか。

彼らは、アメリカ軍として戦うことで、

日系人としての誇りを保とうとしました。

そんな日系人の部隊が442連隊です。

442連隊は、ヨーロッパ戦線で、命を惜しまぬ戦いっぷりで

活躍をしました。

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442連隊が、アメリカ軍部隊の中でも、

最も勲章を得た部隊として記録されています。

ただその勲章の陰には、おびただしい犠牲がありました。

部隊の半数以上の者が負傷あるいは戦死しました。

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↑これがエリスンさんが宇宙に持参したワッペンのマーク。

442連隊のマークでした。

442連隊のことを今も日系人は忘れていません。

そしてエリスンさんも。

  

エリスンさんも、お祝いの会のスピーチで言っています。

 

もう一度宇宙に行けるとすれば、

442連隊や100大隊の日系人がしたのと同じように、

私も合衆国に忠誠を誓います。

  

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戦後生まれのエリスンさんに、

442連隊のことをいつも語っていたのは、

母親でした。

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日系人の人たちにとって、442連隊の人たちの精神は、

心の中に植えつけられているものなのでしょう。

きっとそれは私たちの予想を上回っていると思います。

 

ただ、この番組から25年。

エリスンさんの世代は引退して、今は次の、

あるいはその次の世代が中心です。

442連隊の精神は、今も日系人に受け継がれているのでしょうか。  

古い番組を書き留めていると、今はどうなんだろうと思います。

  

「驚きももの木20世紀」その2/母は強かった

 

今日は2月4日。

  

前投稿に引き続き、

1993年10月29日放映の

驚きももの木20世紀 チャレンジャー爆発」をここに書き留めます。

  

1978年スペースシャトル計画のスタート。

宇宙飛行士を募集。

一般の人から初めて集められた。

募集したのは8000人!

その中から選ばれたのが35人。

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チャレンジャー号に乗っていた7人も、その中のメンバー。

ではエリスン・オニヅカはどこで生まれ、

なぜ宇宙飛行士を志したのか?

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生まれはアメリカのハワイ島コナ。

1946年生まれ。

ゲストの中村浩美さんが、「同じ年生まれ」と言っていました。

したがって、現在生きていたら71歳。

  

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両親は日系2世。中央がエリスンさんを思われる。

  

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オニヅカ家は、コーヒーを栽培しながら、

小さな雑貨店を経営してました。

  

オニヅカさんが9歳の頃、実験を行いました。

家の床下で、花火を使ってロケット実験を行いました。

床からはもうもうと煙。

しかし、母親は頭ごなしに怒ることなく、

訳を聞いてくれる母親だったと、

エリスンさんの姉や弟が証言しています。

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宇宙へのあこがれがうかがわれるエピソードですが、

エリスンさんのあこがれを決定づける出来事が続きます。Rimg1775  

1961年4月12日。私が生まれた3日後。

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ガガーリンは言いました。

「地球は青かった」

  

番組からは一時離れますが、この有名な言葉の続きがあることを

最近知りました。

「ここに神は見当たらない」です。

日本では「地球は青かった」が有名ですが、

世界では「ここに神は見当たらない」の方が有名なのだそうです。

※参考:Wikipedia ガガーリン

  

番組の内容に戻ります。

同じく1961年5月5日。

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アメリカ、ケネディ大統領の演説。

 

1960年代の終わる前に、

アメリカは人類を月に着陸させ、

安全に地球に帰還させるという

目標を達成するであろう。

  

この言葉が、エリスンさんの心に火をつけました。

1964年。エリスンさんはハワイから出て、コロラド大学に入学。

宇宙工学を学ぶためでした。

  

しかし、卒業を控えたエリスンさんのもとに、

悲報が届きます。

1968年2月20日。

父親マサミツさんが亡くなったのです。

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エリスンさんは悲しみに暮れ、そして悩みます。

年老いた母親をほっておいて、そのまま勉強をしていていいものか。

  

オニヅカ家のことをよく知るノーマン・サカタさんの証言。

 

オニヅカは大学をやめて、

ハワイに戻る決心をしていたようです。

でもあの時、お母さんは、オニヅカにこう言ったのです。

「小さな雑貨店のひとつぐらい、母さん一人でやっていけるよ。

余計なことを考えずに、好きな勉強を続けなさい」って。

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次にナレーターの森本レオさんの語り。

 

母は強かった。

母の言葉を胸に、オニヅカは再び夢に向かって羽根を広げた。

この母がいたから、ハワイ初の、そして日系人初の

宇宙飛行士が生まれた。 

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ここが感動のシーンでした。

自分一人では、夢は成し遂げられない。

誰かの力を借りながら、自分が努力して成し遂げられるもの。

言い古されていることかもしれませんが、

実際の典型例をここで知ることができました。

  

エリスンさんは、ディスカバリー号に搭乗しました。

チャレンジャー号は2回目の搭乗でした。

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宇宙で箸を最初に使った人物でもあります。

 

  

つづく。

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