「驚きももの木20世紀」その6/「治療塔」からの引用
今日は2月4日。
前投稿に引き続き、
1993年10月29日放映の
「驚きももの木20世紀 チャレンジャー爆発」をここに書き留めます。
1月28日の「今日は何の日」クイズをきっかけに、
25年前の番組を、このブログに書き留めました。
映像の読み物化をまた実行しました。
もう埋もれてしまいそうだった映像を、
最近はあらためてじっくり見てみました。
埋もれちゃいけない番組だと思いました。
このブログに書き留めたことで、
その気になればすぐに読み返して、
自分の中で再構築ができます。
見たければまたビデオテープを出してきて見ることができます。
もしかしたら、この番組について知りたいと思う人が出てきたら、
検索してヒットします。少しは役に立つでしょう。
今日は6本、番組に関する記事を投稿しました。
時間はかかりましたが、無駄ではないと思いたいです。
今昔の番組をこうやって読み物化していくこと。
私にとって大事な仕事です。
埋もれていってしまう番組を消さないために。
そして有効に活かすために。
テレビ番組は貴重なのです。
最近の動画で、チャレンジャー号の事故を扱ったものを探しました。
この動画はどうでしょう↓
YouTube: 宇宙 緊迫の瞬間 スペースシャトル・チャレンジャー爆発事故
最後に、1月28日が「宇宙からの警告の日」と
なった本からの引用をしたいです。
どうも「今日は何の日~毎日が記念日~」の説明では
納得がいかなかったので、図書館で借りてきました。
※参考:ここでも道草 1月28日に思い出した番組(2018年2月1日投稿)
(ここに説明アリ)
その本は「治療塔」(大江健三郎著/岩波書店)。
1990年発行の本。SF小説。
時代は21世紀前半が舞台。今ですね。
この本に、チャレンジャー号の事故のことが
次のように書かれていました。
リッチャンはまだ生まれていなかったから、
古き善き時代のケープ・カナベラル基地から
NASAのスペース・シャトルが打ち上げられていた、
宇宙航海の揺籃期のことは知らないよね?
しかしテレヴィのノスタルジーの番組で、
離陸したロケットがほんの数秒後に白い煙の輻(や)を
四方に放って爆発した、あの涙ぐましいようなヴィデオは
見たことがあるでしょう?
日本人には有人ロケットの打ち上げができなかった頃でね、
あのロケットにはオニヅカ宇宙飛行士という日系二世が
乗り組んでいたこともあって、とくに関心が集中していたんだよ、
こちらでも。
現場中継のテレヴィは西側世界のどこでも放映されたはずだよ。
あれを見ているとね、スペース・シャトルの関係者は
緊迫した雰囲気だったけれども、見送りに集まった見物人たちの
特設桟敷は花やかなピクニックのようでね。
人類的な規模の大事故が、ああした行楽気分のなかで起るものかと、
後になってつくづく気が滅入ったけれどもね。
ロケットが発射される。
お祭り気分の連中が喚声をあげる。
闘牛かなにかの熱狂ぶりでね、Go、Go!とか叫んでさ。
在郷軍人風の連中は手慣れたもので、
のんびり星条旗の紙旗を振ったりしていた・・・。
そのほんの数秒後、ドカーンと爆発して、
カメラがたまたまとらえていた宇宙飛行士の家族が、
Oh,No!と叫ぶ。
あの瞬間、テレヴィ中継を見ていた、
西側世界全域の人々の心にね、悲劇的な感情がサーッと走ったと思うよ。
そして、その感情は、奥深いところで正しかったんだね。
彼らの胸の底に届いていたのは、人的被害は最小にとどめての
宇宙意志からの警告だったさ。
私はね、あれを機会に、宇宙にロケットを打ち上げる試みは、
すべて断念すべきだったと思うよ。(中略)
ところが人類はそれとは逆の選択をしたんだなあ。(後略)
(16~17p)
こうなると、宇宙に出ることが必ずしも良しではない。
人類は、本当に宇宙に出るべきかどうか考えろ。
1月28日は、そんな日と言うことでしょうか。
少々違うところあり。
打ち上げから爆破まで「数秒」とあるけど、
実際は「73秒前後」
オニヅカさんは「日系二世」ではなくて、
「日系三世」
ふ~、今日はよく書いた。スペースシャトルが夢に出てくるかも。
もうこんな時間。おやすみなさい。
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