2020年2月14日 (金)

日めくりより/猫は魚が大好物?

  

今日は令和2年2月14日。

  

日めくり「雑学王」(TRY-X)より。

   

「猫は魚が大好物」というのは誤解だった?

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2日前の日めくりです。

驚きでした。

魚が好物というネコは、実は少数派だった!

知っていましたか?

ネコを飼っているような人ならとっくにご存知なのでしょう。

ネコはこういうものだと先入観で見ている者には、

驚きのことでした。

しかし、教材になるなとも思いました。

江戸時代の食生活がどうだったか、

明治維新から今までにどのように食生活が変わってきたかなど、

ネコの好物を通して学習ができそうです。

  

「お魚くわえたドラ猫、追っかけて」で始まる

「サザエさん」

これは日本らしい景色だったのですね。

社説/「使える核」などない

今日は令和2年2月14日。

  

2月11日朝日新聞朝刊の「社説」が気になりました。

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「小型核」の配備が進んでいることを知りました。

核兵器がもたらす惨劇を何度も学習してきた身としては、

非常に危険な話だと思います。

これなら使えると思ってしまうのが人間。

見出しにあるように「使える核」などない

ささやかですが、ここでも叫んでおきたい。

このフレーズが世界中の人の頭の中にインプットされることを願います。

将来、重大な決断をする人の頭の中で、

「『使える核』などない」が浮かび上がってほしいです。

 

「フィンランドの教育」③ ロシアとの国境線がヨーロッパでは一番長い

 

今日は令和2年2月14日。

  

2月9日の記事の続きで、

フィンランドの教育はなぜ世界一なのか

(岩竹美加子著/新潮新書)より引用します。

  

フィンランドの歴史に関する記述が印象に残りました。

  

フィンランドでは、愛国教育も行われている。最も顕著なもの

の一つは、高校の卒業式後、各地で「英雄墓地」を訪問、花輪

を置くことだろう。フィンランドの国旗の色、ブルーと白の花

輪で、やはりブルーと白の大きなリボンをつけて、捧げられる。

フィンランドには、戦死者を集合的に祀る機関はない。遺体は

それぞれの出身地に送られ、出身地の境界の一角に埋葬された。

各地の主要な教会には、普通の墓地とは別に「英雄墓地」と呼

ばれる一角がある。そこには、大きな石碑が立ち、その近くに

小さなお墓が並んでいる、個性を排して、画一化されたお墓に

は、名前と生年月日、死亡年月日のみが刻まれている。多くは

20代前半の若者だが、中には10代、30代、40代の人も

散見される。卒業式の後、その墓地を表敬訪問するのである。

(148~149p) 

その墓地には、どのような人が埋葬されているのか?

   

 

埋葬されているのは、第2次世界大戦(冬戦争と継続戦争)の

戦死者が主である。冬戦争は、1939年11月から1940

年3月にかけての3カ月半、単独でソ連の侵攻に対して戦った

戦争である。継続戦争は1941年から1944年にナチス・

ドイツの同盟国として戦った戦争である。また、最近まで、あ

まり語られてこなかったが、1944年9月から1945年4

月にドイツ軍との間で戦ったラップランド戦争がある。英雄墓

地には、1918年の内戦で命を落とした人のお墓があるとこ

ろもある。

(149p)

 

フィンランドがナチス・ドイツの同盟国であったことを、今頃

知りました。しかし、1944年4月からはドイツ軍と戦って

います。複雑な国際情勢が予想されます。

調べてみたところ、冬戦争のみならず、継続戦争も対戦国は

ソ連でした。

さらに内戦に注目します。

   

フィンランドは、1809年から1917ねんまで、ロシアの

自治大公国だった。1917年12月の独立後すぐの1918

年1月から5月、白軍と赤軍に分かれて内戦がおきた。ただし、

内戦の死者の場合、埋葬されているのは政府軍である白軍の死

者のみで、共産主義の赤軍の死者のお墓はないことが多い。

赤軍は、政府に対する叛逆者であり、教会の墓地に葬られるこ

となく、打ち捨てるように少し土をかぶせただけのケースも多

々あった。内戦から100年を経た2018年は、内戦に関す

る多くのテレビ番組や催しなどがあった。内戦の記憶は、現在

も多くのわだかまりをかかえる問題である。

(149p)

   

フィンランドは、ロシア帝国が崩壊してソ連になった時に独立。

しかし、内戦状態になってしまったのです。

  

毎年、12月6日の独立記念日が近づくと、テレビ・雑誌が戦

争特集を始める。中心になるのは、冬戦争と継続戦争である。

特に冬戦争は重要だ。内戦は、国を二分した。しかし、冬戦争

はソ連という共通の敵に対して皆の心が一つになったことは、

内戦の苦い記憶を忘れさせてくれる。独立記念日の近くには、

退役軍人が高校など、学校に招かれ、生徒全員がその話を聞く

催しもある。第二次世界大戦時に兵隊だった高齢者から、直接

話を聞く。語られるのは、極寒の冬、小国フィンランドが、大

国ソ連に勇敢に立ち向かって国の独立を守ったという物語であ

る。

(150p)

  

  

フィンランドはNATOに不加入です。

その理由の一つは、隣国ロシアとの関係への配慮であると

著者は書いています。

 

現大統領のサウリ・二ーストは、フィンランドはロシアとの国

境線がヨーロッパで一番長いので、兵役が必要だと言ったこと

がある。

(183p)

 

フィンランドには、1901年に徴集兵から成る軍隊をロシア

によって解散させられた過去がある。軍隊がないのは、国家と

して屈辱的なことだと感じられる。軍隊がなければ、主権国家、

独立国家とは言えないのだ。小国意識も強い。

(184p)

  

  

隣国であるソ連、そしてロシアとの関係が、

フィンランドにとって重要な政策の要因であることが

わかりました。

ノルウェー、スウェーデン、フィンランドの北欧三国の位置は、

時には混乱します。しかし、このような歴史を知ると、

フィンランドの位置は揺るぎません。

(社会科教師としては情けないですが)  

Photo 楽天トラベル

2020年2月13日 (木)

20200212報告③ 大川入山登山 こんな雪道を歩けることに感謝

  

今日は令和2年2月13日。

  

前記事のつづきです。

下山の景色を載せていきます。

大川入山は、下山にも時間がかかります。

登りで2時間50分。下山で2時間30分かかりました。

単純に下りのみではなくアップダウンがあること、

疲労でペースが落ちていることが理由でしょう。

  

 

道の半分は泥水でした。☟

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今回、山で出会った人は3人。3人ともアイゼン未使用。

こんな急で凍った坂を、アイゼンなしでよく下れるなあ。☟

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それでも下りの方が気楽なのでしょう。

雪道をより楽しめました。

「いいなあ、この道」と思ったら、まずは写真を撮ります。

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撮影した後、「今からこの道を歩くんだよな」「歩けるんだよな」

「贅沢だ~」と思います。

そして実際にサクサク歩きます。

アイゼンをつけているとサクサクって感じになります。

 

この道もよかった。☟

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こんな道なら、登りでも頑張っちゃおう。☟

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この曲がり具合もいい。☟

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  すがすがしいです。☟

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こんないい道をありがとうです。☟

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この木、部分的に枝が多くて、不思議なシルエットでした。☟

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雲もあったけど、このフレーム内は青空でした。☟

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壊れそうなベンチにザックをそっと置いてみました。☟

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駐車場です。

私より後から登った人たちの自動車が増えました。☟

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以上です。歩き切った。

20200212報告② 大川入山登山 2時間50分の使い方

  

今日は令和2年2月13日。

  

前記事の続きです。

  

雪道は続きます。

おそらく例年よりは積雪は少ないと思いますが、

思った以上に雪道を楽しめました。

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あと1km。☟ ここからが長い。

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あそこまで登れば、視界が広がる。☟

大川入山登山ではおなじみの景色です。

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視界が広がって、これから登るコースが見えます。☟

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登りがきつい時は、100歩数えて顔を上げることをしています。

100歩進めば、景色も変わり、進んだと実感できます。

とにかく100歩までは、小股であろうと歩を進めて、

100で小休止します。その繰り返し。

  

小休止すると、周囲が見えます。

枝が折れて間もない痕を発見しました。☟

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下をよ~く見たら、折れた枝が落ちていました。☟

(笹に紛れて、よくわからないですよね)

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開く可能性がほぼなくなってしまった新芽です。☟

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周囲はクマザサ中心となります。☟

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これも大川入山登山のお気に入りの景色。☟

「坂の上の雲」が浮かんでくる景色です。

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頂上は近いのですが、なかなかやって来ない。

もう歩くのを止めてもいいかと思ってしまうところ。☟

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最後の最後まできつい登りの大川入山。

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2時間50分かけて、ついにたどり着いた頂上です。☟

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2時間50分の使い方はいろいろあると思いますが、

頂上に着いた時には、最高の2時間50分の使い方だと

自慢したくなります。

気分がいいです。

登山は、頂上を極めた時と、全て歩き終えた時の

2回の気分よさのために、必死で歩くんだと思えます。

  

2月12日のお昼時、頂上は独り占めでした。

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昼食ラインナップです。

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つづく

20200212報告① 大川入山登山 アイゼン使用

  

今日は令和2年2月13日。

  

復職前にぜひ登りたいと思っていたのが大川入山です。

昨日登ってきました。

  

「報告」と書きましたが、「記録」として写真を並べていきます。

   

国道沿いにある駐車場は、私の車だけでした。

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登山口。☟

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川には氷がはっていました。☟

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序盤の根っこ道。冬。いつもならアイスバーンになっている場所。

今回は雪はまばらにありましたが、氷はまったくなし。☟

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今回は雪がないのかな?アイゼンも必要がなかったかな?

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しかし、雪はありました。さすが大川入山。☟

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天気は下り坂と聞いていましたが、

予想外に南アルプスを見ることができました。☟

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登った先に横岳頂上が見えてきました。☟

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横岳頂上。☟ いつ以来でしょう?変わらぬ配置。ホッとします。

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気持ちのいい道。☟

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いい天気でしょ?☟

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壊れかけたベンチ。脚の1本は内側に向いています。☟

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中央アルプスもよく見えました。☟

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アイゼンを履くことにしました。☟

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雪道が続く!☟

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少し低い位置から撮影。☟

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あと2km。ここからが長い。☟

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つづく

20200211報告 鳳来寺山登山 天狗岩から見えた赤い屋根の建物

  

今日は令和2年2月11日。

  

この日の鳳来寺山は、従来の逆コースで登りました。

スタートは、行者越えの駐車場。

そこから東照宮→鷹打場→天狗岩→頂上→本堂→

行者越え駐車場というルート。

  

いつもの本堂前のカエデの木の写真。

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毎回登るといろいろな発見がありますが、

今回は天狗岩から見える建物がどの建物か判明しました。

まずは天狗岩から見える建物の屋根。☟

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下から見たところ。

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この建物の屋根が見えていました。☟

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そして天狗岩の壊れかけた建物が

下から見えることに初めて気がつきました。☟

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2日連続、サルを見かけました。

この日は撮影に成功しました。

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遠くでしたが、しばらくにらみ合いをしていました。

向こうの方が視力はいいのかなと思いつつ。

20200210報告 鳳来寺山登山 新しいバーナー/メジロの交尾

今日は令和2年2月13日。

   

復職が迫ってきました。

当初は2月12日からのスタートでしたが、

2月25日からのスタートに変更されました。

3か月ほど試験期間で、大丈夫となれば、完全復職です。

大丈夫です。身体は拒否反応をしていなくて、

気持ちは楽観的になっています。

充分休めました。

  

治療の一環としてもやってきた登山も、駆け込みです。

3日間連続で登ってきました。

 

2月10日。娘と鳳来寺山登山。

2月11日。奥さんと鳳来寺山登山。

2月12日、1人で大川入山登山。

  

今回は2月10日の報告。

 

鳳来寺山に向かう時に、交差点で前に停まっている車が

気になりました。☟

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レンガ模様が気になりました。

どこのトラックだろうと知りたくなり、左折して次の交差点で

並んだ時に写真撮影をしました。☟

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充分宣伝になっているトラックです。私は興味津々です。

写真には写っていませんが、店名は「タカキベーカリー」とありました。

豊橋市の方に向かって行ったので、豊橋にあるお店かなと推理。

帰宅後調べました。

何と広島県を根拠地にするパン屋さんでした。

タカキベーカリーHP

このトラックは、タカキベーカリーの商品を配送している

タカキ物流サービスの自動車のようです。

  

   

2月10日の定点観察しているカエデの木です。☟

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寒い朝でした。氷を見ました。☟ この冬、私的に初氷かな?

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冬はこうでなくっちゃ。

  

この日のコースは、一般コース。

かさすぎ横の駐車場に車をとめて、階段を本堂まで。

そこから頂上→天狗岩→鷹打場→東照宮→本堂と行って、

階段を下るコースでした。

  

初めて新しいカセットバーナーを使いました。

※参考:ここでも道草 SOTOの「マイクロレギュレーターストーブ」購入(2010年1月24日投稿)

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火力が強く、お湯が早くわきました。

さすが最新モデル。ワクワクしました。

  

  

山の中でサルを見かけました。

メジロも見ました。

メジロには驚きました。

登山道で、おそらくつがいが絡み合ってバタバタしていました。

写真を撮る前に飛び上がってしまいましたが、

森の中でやはり、ぶつかりながら落下していくのを目撃しました。

あれは何をしているんだ。

豊橋市の梅林園でも、つがいが一緒に飛び立って、

空中でぶつかっているのを目撃しています。

ここでも道草 梅林園でメジロの観察(2020年2月8日投稿)

あれが交尾?

調べました。

  

写真であそぼ! メジロの交尾

このサイトで、素晴らしい写真とともに説明がありました。

  

文章を引用します。

オスがメスを捕らえ交尾が始まると、2羽は一つの団子状態になり、

地上近くまで落ちてきます。

  

写真を1枚だけ転載。

1  

空中で交尾してそのまま登山道に落下していたのを、

私は見たことになります。

いやあ、空中で交尾は初めて知りました。

もう少し詳しく調べてみたい。

  

  

「明日をさがす旅」④ 一刻も早く生徒に読ませたい本です

  

今日は令和2年2月13日。

  

前記事の続きで、

明日をさがす旅 故郷を追われた子どもたち

(アラン・グラッツ作/さくまゆみこ訳/福音館書店)

より、印象に残った文章を引用します。

  

今日、この本は図書館に返します。

  

「著者あとがき」からの引用です。

  

キューバで投獄される可能性があるにもかかわらず、また海に

出れば、大きなうねりや、嵐や、溺死や、サメや、脱脂症状、

飢えといった危険があるにもかかわらず、多くのキューバ人が

今でも(2016年10月)ハバナとフロリダ間の150キロ

をこえようとしています。ピュー研究所の調査によれば、20

15年には43635人のキューバ難民がアメリカにやってき

ました。2016年にはすでに10月の時点で、この人数をこ

えています。

(中略)

イサベルの物語の舞台である1994年には、海をわたろうと

したキューバ難民は、60パーセントくらいが海で命を落とし

ていたと推定されています。

(402p)

  

  

海での死は、推定となってしまうのでしょう。

「世界に知られずに死んでいってしまう」悲劇です。

  

「訳者注」として難民について書かれています。

その文章を引用します。

  

2018年は、国連難民高等弁務官のデータでは、過去70年

間で最も難民の数が多くなっています。戦争や飢餓や迫害など

によって故郷を出なくてはいけなくなった人たちが7080万

人、そのうち国外ににげることを余儀なくされた人たちが25

90万人いるといいます。そして、難民の半数以上は子どもで

す。避難の途中で親とはぐれて一人になってしまった子どもは

2018年だけで11万人以上もいるそうです。難民を生み出

しているのは、シリア、アフガニスタン、南スーダン、ミャン

マー、ソマリアなどです。

本書の著者は、アメリカ合衆国の難民受け入れ数が少ないと書

いていますが、日本はもっと少ない数しか難民認定をしていま

せん。たとえば2015年には27人、2016年には28人、

2017年には20人、2018年には42人といった具合で

す。2018年で言うと、申請した人のたった1パーセントに

もとどかない数です。それは、一つには日本の法務省が、「難

民を助ける」のではなく「難民をとりしまる」ほうに重点をお

いているからです。もう一つには、日本の人々の難民に対する

関心が低い、ということがあげられるでしょう。

(410p)

  

関心を高める仕事は教師ができることです。

やっていきたいです。

復職したら、すぐにでもやりたいです。

  

「明日をさがす旅」の原本は2017年に発刊され、

訳本が発刊されたのは2019年11月15日です。

シリアで起こっていることは、今現在も起こっていることです。

一刻も早く読ませたい本です。

  

「明日をさがす旅」③ フェンスを作るハンガリー/セントルイス号入国拒否

  

今日は令和2年2月13日。

  

前記事の続きで、

明日をさがす旅 故郷を追われた子どもたち

(アラン・グラッツ作/さくまゆみこ訳/福音館書店)

より、印象に残った文章を引用します。

  

  

シリア人で難民のマフムードと家族は

セルビアまでやってきました。

セルビアから、ハンガリー、オーストリアを経由して

ドイツを目指します。

しかし、ハンガリーに入ることは難しかった。

  

ハンガリーが、国境にフェンスを張りめぐらせていたからだ。

フェンスはまだすっかりできあがっていなくて、夜になると、

ハンガリー兵が国境ぞいの地面に高さ4メートルの金属製の

ポールをつき立て、その間に金網を張る作業をけんめいに行

っていた。金網を張り終わると、別のグループがやってきて、

かみそりの刃のようなものがついたワイヤーのコイルを三段

にとりつける。フェンスをのぼることができないようにする

ためだ。

(306p)  

 

高さといい、念の入ったコイルの設置の仕方を見ると、

難民を受け入れないこと意思がわかります。 

 

この点についても「著者あとがき」で次のように書いています。

  

(難民が)EU(欧州連合)にたどり着いたとしても、難民

を望まない国や、莫大な難民の流入に資金的に対応しきれな

い国では、迫害を受けたり、投獄されたりしました。北上し

ていく中東からの難民をしめ出すためのフェンスを最初に築

いたのはハンガリーです。難民を大歓迎していたオーストリ

アでさえ、2016年にはフェンスの建設を開始しています。

(406~407p)

  

  

あまりに難民が多く、慈善による受け入れオーバーをしてしまい、

問題化しています。

日本人にとって、難民問題は身近ではありません。

明日をさがす旅 故郷を追われた子どもたち」は、

生徒だけではなく、大人難民問題に関心を持つ

きっかけになる本だと思います。だからお薦めです。

  

 

ドイツからキューバに逃れようとするユダヤ人のヨーゼフの家族。

キューバからアメリカに逃れようとするイサベルの家族、仲間。

シリアからドイツに逃れようとするマフムードの家族。

時代も場所も違うのに、この3つの話はラストで絡み合います。

新聞記事で「圧巻」と表現していましたが、賛成です。

筋については、明かしません。ぜひ、読んでみてください。

勤務校になかったら、ぜひ買ってほしい本です。

  

「著者あとがき」に、フィクションもとになった話を

一部紹介してくれています。

書き留めます。

  

ヨーゼフもイサベルもマフムードも、架空の人物ですが、彼ら

の物語は、実際にあった事実に基づいて書かれています。

  

セントルイス号は実際にあった船で、1939年に937人の

乗客を乗せて、ナチスが支配するドイツから出航しました。乗

客のほとんど全員が、ナチスの手からのがれようとするユダヤ

人難民で、キューバへの入国を認められるはずでした。キュー

バでずっと暮らそうと思っていた人もいるし、アメリカかカナ

ダが入国を認めるまでの間、一時的にキューバにいようと思っ

ていた人もいました。でも、船がキューバに着いてみると、ユ

ダヤ人たちは上陸を許されなかったのです。理由は政治的なも

のでした。難民たちに入国ビザを発行したキューバの高官は、

当時のキューバ大統領フェデリコ・ブルーに嫌われていました。

ブルー大統領はその高官をこまらせるために、ユダヤ人のビザ

をさかのぼって無効としたのです。ハバナにいたナチスの工作

員も、ユダヤ人を締め出そうとして宣伝活動を行い、キューバ

人が難民たちを嫌うように仕向けていました。ナチスが支配す

るドイツは、ユダヤ人を自国から追放したいと思っていました

が、そればかりではなく、難民たちがほかの国から拒否される

ことも歓迎していました。それがナチスにとって、世界中が、

ドイツのユダヤ人に対するやり方にひそかに賛成している証拠

になると思ったからです。

(394~395p)

  

このセントルイス号のお話は映画化もされています。

「さすらいの航海」(1976年 イギリス)

Wikipedia 「さすらいの航海」

T02000283_0200028311963290464 『シネマ de もんど』 ももじろう2号のブログ

  

「著者あとがき」より引用。

   

セントルイス号のユダヤ人は、キューバに入国できず、

ふたたびヨーロッパに戻ります。

イギリス、フランス、ベルギー、オランダの4国がユダヤ人を

受け入れました。しかし、第2次世界大戦が始まり、

ナチスの手が、再びユダヤ人に迫ります。

  

セントルイス号のユダヤ人難民のうち、イギリスに入国を許可

された人たちは幸運でした。ホロコーストをのがれることがで

きたからです。アメリカのホロコースト記念館の推定によれば、

セントルイス号でヨーロッパ大陸にもどったユダヤ人難民62

0人のうち、254人は、ホロコーストの犠牲になって命を落

としました。

(398p)

つづく

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