2020年3月17日 (火)

「星ちりばめたる旗」を読む② 「せつない」という日本語

 

今日は令和2年3月17日。

  

前記事に引き続き、

「星ちりばめたる旗」(小手鞠るい著/ポプラ社)

より引用します。

   

  

当時、私の気に入っていた言葉のひとつに「せつない」という日本

語があった。「アイム・サッド」でも「アイ・ミス・ユー」でも「

アイ・フィール・ブルー」でもない、曰く言い難い微妙な感情が「

せつない」という言葉で言い切れてしまう。好き、でもなく、愛し

ている、でもなく、でも恋しくてたまらない、というような気持ち。

彼に会って、楽しい時間を過ごしたあと、彼と別れるときにはいつ

も「私はせつない」と、日本語で思っていた。

(81p)

 

これも日系アメリカ人3世の思いです。

   

日系アメリカ人1世の大原幹三郎は、

マスクメロンづくりに挑戦していました。

  

サンダーストームに備えて材木で補強しておいた入り口の戸をあけ

て、幹三郎はハウス内に足を踏み入れた。その瞬間、もわっとした

南国の空気に包まれる。常夏の空気を胸いっぱい吸い込むと、微か

ではあるけれど、微妙に鋭い、神秘的な香りに鼻腔をくすぐられる。

「はぁ、ええ匂いじゃ」

思わず知らず、ひとりごとがこぼれ落ちる。

この匂いをいったい、何にたとえたらいいのか。いつ嗅いでも、幹

三郎にはわからない。書物を読んで知識を得た佳乃の話によれば「

マスクメロンの『マスク』には、麝香(じゃこう)という意味があ

るそうです」ということらしいが、そもそも麝香とは、どんな香り

なのか。

「それは、おまえらの、この香(かぐわ)しい匂いなんよなぁ」

天国の香りかもしれない、などと思いながら、幹三郎は腰を曲げ、

手塩にかけて育て上げた苗木たちに話しかける。

(93~94p)

   

この文章も、以前の知識と結びつきました。

私も麝香の香りがわかっていません。

参考:ここでも道草 日めくりより/「マスクメロン」の「マスク」の由来(2019年6月19日投稿)

      

    

玄関から前庭に張り出しているポーチで、大原佳乃は、お気に入り

の揺り椅子に腰を沈めて、お気に入りの江戸川乱歩を読んでいる。

好きな作家は、ほかにもいる。内田百閒、長谷川如是閑(にょぜか

ん)、谷崎潤一郎、稲垣足穂(たるほ)、佐藤春夫・・・・ほかに

もまだまだ。育児、家事、畑仕事の手伝い、近所づきあい。体がい

くつあっても、時間がどれだけあっても足りないと思えるほど忙し

い日常のなかで、わずかな暇を見つけては、佳乃は活字の世界ーー

海かもしれないーーに身を浸す。作家の言葉によって創られた、こ

の世に存在しない人間の、実際には存在しない人生の物語を読むこ

とによって、なぜ、こんなにも心が豊かになり、現実の人生まで生

き生きとするのか。佳乃には不思議でならない。

(104p)

   

昨日、中学校の図書館に入り、この本を開いたおかげで、

今朝まで私の頭の中は、20世紀初頭から太平洋戦争中の

在米日系人の生活に染まっていました。

  

  

裸一貫、ふんどし一丁でアメリカに渡ったのは1904年の春。弱

冠17歳だった日本男子が、苦行にも似た船旅の果てに、栄養不足

のために霞んだ視界にアメリカ大陸をとらえてから26年が過ぎ、

いわゆる棄民ーー国内におけ人口膨張を緩和するために、当時の日

本政府は主に地方の農村の男子を対象として、アメリカへの移民を

奨励していたーーに過ぎなかった男が、アメリカで成功した移民一

世となって家族を引き連れ、故国にもどってきたのである。これが

凱旋でなくてなんだろう。

(140~141p)

  

明治時代以降の日本の人口急増のため、

諸外国への移民が奨励されたようです。

今の日本にはない状態です。

  

  

つづく

読む本がない/「星ちりばめたる旗」を読む① アメリカは自由の新天地

  

今日は令和2年3月17日。

  

地元図書館が休館なため、読む本がない事態。

解決策がありました。

中学生には申し訳ありませんが、

勤務校の図書館です。

昨日、図書館に入りました。

本が次々誘ってきます。

「いいよ、この本」「面白いよ」

「全3巻、今なら読めるよ」

誘惑の声の中、選んだのは次の本でした。

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「星ちりばめたる旗」(小手鞠るい著/ポプラ社)

ここでも道草 「あんずの木の下で」/著者は小手鞠るいさん(2018年2月25日投稿) 

ここでも道草 「優しいライオン」からの引用1.「作家は人生で作品を書くべきだ」(2018年3月18日投稿) 

小手鞠るいさん、3冊目です。

今朝読み終えました。

第2次世界大戦中のアメリカでの日系人強制収容の話でした。

少しずつ引用していきます。

  

空港が近づいてきた。空の港。そう言い換えただけで、無味乾燥な

空港が途方もなくロマンチックな場所のように思えてくる。日本語

は不思議だ。日本語には、控えめで、でもしたたかに、何かを煙に

巻いてしまう力がある。学んでも学んでも、日本語は私の手のひら

から滑り落ちて、さらさら流れていく。水のようでもあり、風のよ

うでもある。

(20p)

   

これは日系アメリカ人3世の思いです。

日本語をこのように表現するのは、

日本語を客観的に見ることができる環境にある人でしょう。

     

   

 

一方、日本政府も海外への移民を奨励した。奨励には「遺棄」とい

う意図も隠されていた。政府の側からすれば、移民事業とはすなわ

ち棄民政策だった。貧しい農民は、国家から見放された捨て子たち

だったのである。

(25p)

日本がとった政策です。後により詳しく出てきます。

   

  

「ほら、ここにも書いてあるじゃろ。アメリカはな、外国から貧し

い移民をどんどん受け入れて、国をつくっていったんよ。『じゃが

いも飢饉』が起こって、大変な目に遭(お)うとったアイルランド

の農民は、百万人以上も、アメリカに渡ったんよ。つまりアメリカ

は農民の国、いうことじゃ。よう覚えとき、農民にとって、アメリ

カは自由の新天地なんよ」

(33p)

 

移民1世の幹三郎の兄、葉次郎の言葉。

アメリカは移民の国であると語っています。

幹三郎がアメリカに移住する時に、思い浮かべた言葉です。

しかし、実際は・・・・。

アイルランド移民には、こんな歴史があったのですね。

参考:Wikipedia ジャガイモ飢饉

昔、勉強をした覚えがうっすらあります。

    

    

1906年、サンフランシスコが大地震に見舞われたときには、校

舎が壊滅的な被害を受けたことを理由にして、サンフランシスコ教

育委員会は、市内の公立小学校に通う日本人生徒たちを全員、東洋

人学校に移す、と決議した。

移そうとしたのではなくて、隔離しようとしたのである。

(57p)

 

日本人への差別が露見した出来事なのですね。  

  

参考:Wikipedia サンフランシスコ地震

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2020年3月16日 (月)

読む本がない/「阿・吽(あ・うん)」4巻まで読む

今日は令和2年3月16日。

  

本をよく借りている地元図書館。

新型コロナウイルスの影響で、当初は今日まで休館でした。

ところが休館が延長されて3月31日までに延びてしまいました。

予約している本はすでに図書館に用意されているのに、

借りることができません。4冊も。

読む本がないという状況に陥りました。

  

我が家にマンガ本がありました。

「阿・吽(あ・うん)」(おかざき真里作/小学館)

2巻を再読し、3・4巻を読みました。

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このマンガでは、最澄、空海、桓武天皇、坂上田村麻呂等、

生き生きと、生臭く?描かれています。

桓武天皇と坂上田村麻呂が時代が同じとは知っていましたが、

最澄と空海も?

調べました。Wikipediaで調べました。

  

桓武天皇(737~806年)

坂上田村麻呂(758~811年)

最澄(766/767~822年)

空海(774~835年) 

   

そうか、同じ時代を生きた人たちだったんだ。

社会科教師として情けないけど、今さら4人がつながりました。

「阿・吽」のおかげです。

   

各話の末尾に、豆知識風のカットがあり、

なかなかいいです。

 

2巻六話の末尾より。☟

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参考:ここでも道草 「ネコはいつ日本へ」その2/須恵器にネコの足跡(2019年3月26日投稿)

ネコの歴史の復習ができました。

 

  

  

2巻九話の末尾より。☟

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参考:ここでも道草 火が常に灯されている話/延暦寺の「不滅の法灯」(2018年9月17日投稿)

「不滅の法灯」の復習ができました。

 

    

昔の知識とつながるのが楽しい。

常磐線 9年ぶりに全線開通

   

今日は令和2年3月16日。

   

2月に福島県大熊町に行きましたが、

その大熊町に関するニュース2つに注目しました。

  

1つは3月6日です。

その日のNHKのニュース番組「ニュースウォッチ9」の

写真です。

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ピンク色に塗られている場所は、避難指示区域でした。

全域が、避難指示区域であった双葉町では、

初めて北東の一部と、双葉駅に向かう道が、

避難指示解除となりました。☟

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そして大熊町では、今まで避難指示解除されていた地域から、

大野駅に向かう道が新たに避難指示解除になりました。☟

Rimg2129  

このように準備をしてきて、3月14日を迎えました。

3月15日の朝日新聞朝刊の記事です。

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双葉駅と大野駅に向かうか細い避難解除区域を見ると、

まだまだ復興は先ではあるなと思いますが、

そうまでして開通した常磐線が、地域の活性化に

つながればいいなと思います。

たった、2泊3日の滞在でしたが、福島県に行けたことは

改めていいことだったと思います。

新幹線で4時間の場所で起こっていることが、

身近に感じることができます。

2020年3月15日 (日)

「ゼンメルワイスの闘い」⑤ 歴史に名を残したゼンメルワイス

  

今日は令和2年3月15日。

   

前記事に引き続き、

 「手洗いの疫学とゼンメルワイスの闘い

(玉城英彦著/講談社/2017年)より引用します。

   

  

ウイーン総合病院(医学校)の教授や医師、医学生らは、死体解剖

や内診を通じて死体や生体の“何らかの未知の物質”に触れる機会が

多い。妊産婦を診察する時に、未知の物質で汚染された手がこれら

の婦人の生殖器(性器)に接触し、それが体内に吸収され、血流に

侵入している、とゼンメルワイスは確信した。

(102p)

   

まだ細菌が発見されていない時代。

この結論に至ったのは、すごいことなのだそうです。

  

  

彼(ゼンメルワイス)は、この有害な未知の物質が生きた“有機体”

(細菌)であることは知らなかった。

細菌の発見には、パスツールやコッホのような偉大ない細菌学者の

出現を待たなければならなかった。一方で、彼は、産褥熱の原因が

生きた細菌であることを知らなくても、産褥熱を予防することはで

きた。病気の予防・対策には真の原因の特定は必ずしも必要ではな

い、ということをゼンメルワイスの仕事は示している。

(中略)

彼は、産褥熱の原因本体の解明には関心がなかったのではないだろ

うか。というのは、「手洗い」で産褥熱はほぼ完全に予防できるの

で、その本体が何であろうがなかろうが、彼にとってはそれほど重

要なことではなかったのではないかと思われるのである。

(124p)

  

産褥熱の病因は1879年、ルイ・パスツールが発見したといわれ

る。ゼンメルハウスの発見から30数年が経っていた。パスツール

はその原因物質を、「数珠のような微生物(ストレプトコッカス・

ピオゲネス、化膿連鎖球菌)」として報告した。新しい時代の幕開

けであった。

ゼンメルワイスは、細菌学や外科学、産婦人科学の新しい時代の黎

明期に亡くなった。パスツールらは、ゼンメルワイスがはじめた闘

いを勝利へと導き、最終的に、戦勝の美酒に酔った。人は、それぞ

れの時代にそれぞれの役割を果たして、次の世代につながっていく。

不幸な死を遂げたゼンメルワイスであったが、その役割を立派に成

就した人として、彼は歴史に名を残した。

(125p)

  

   

ゼンメルハウスは確実に歴史に名を残し、

私の目に留まり、こうやって書き残しています。

手洗いが話題になると、何分かの1の可能性で、

ゼンメルワイスの名前が出ることでしょう。

「ゼンメルワイスの闘い」④ 18世紀に多くの病院が建設された

  

今日は令和2年3月15日。

 

前記事に引き続き、

 「手洗いの疫学とゼンメルワイスの闘い

(玉城英彦著/講談社/2017年)より引用します。

                 

前記事で「ブダ」と「ペスト」が合併して

「ブダペスト」が誕生したことを書きました。

その時に疑問に思ったことは、伝染病の「ペスト」との関係。

由来・語源辞典」に次のように書いてありました。

 

ラテン語で、伝染病を意味するpestisに由来する。

  

都市「ペスト」とは関係ないかな。

  

それでは本からの引用を続けます。

   

ヨーロッパでは18世紀に多くの病院が建設された。イギリス全土で

1736〜1799年の間に32の病院が開院され、ロンドンだけ

でも1719〜1745年の間に5つの病院が建築された。(中略)

18世紀には、この現象がヨーロッパ大陸にも浸透し、多くの病院

が開設された。

病院の急増は(中略)、18世紀に始まる工業化に伴って、多くの

人が地方から都市へ流入したことに関係している。都市部への人口

流入は都市の混雑をもたらし、生活環境や衛生状況の悪化へとつな

がって、結果として病気が流行し、傷害が増加するようになった。

そこで、病院の必要性が年々大きくなっていった。と同時に、貧し

い人々に対する社会や個人の責任感の高まりが、これらの人々のた

めに病院を建設しようという気運となった。

当時、裕福な人は自宅で治療を受けるのがふつうであったが、ロン

ドンのような大都市では、貧困者が増え、彼らは金持ちのような選

択肢はなかった。このような背景から、大都市では病院の建設ラッ

シュが始まったともいえる。

(60〜61p)

   

そうかと思って読みました。

昔は病院はなかったわけです。

病院に行くのではなく、医者を呼びに行っていたんです。

日本には養生所というのもありましたが、

おそらく数は少なかったのではないでしょうか。

大河ドラマ「麒麟がくる」でも、患者が動かず、

医者を呼びに行っていました。

  

  

「チャンスは準備されたものに微笑む」といわれるように、この丹

念な、そして地味な仕事を通じてチャンスをつかまえる心の準備が

できていたように思う。チャンスはとつぜん訪れるものではない。

入念な準備をしている者にのみ訪れる。本著は、チャンスを逃さな

かったゼンメルワイスの物語でもある。

(63p)

  

再び著者の人生訓が登場。

自分にもこれから何かチャンスが来るだろうか?

どんなチャンスが来るのだろうか?

やはり死ぬまで何かチャンスはあると信じて、

これは自分にとってプラスであると思うことを、

日々積み重ねていきたいですね。

このブログもそのひとつ。

2020年3月14日 (土)

「ゼンメルワイスの闘い」③ 人間の誕生とともにあった産褥熱/ブダ

今日は令和2年3月14日。

  

前記事に引き続き、

 「手洗いの疫学とゼンメルワイスの闘い

(玉城英彦著/講談社/2017年)より引用します。

  

  

産褥熱は前述のとおり、18世紀になって独立した病気と認めら

れたが、おそらく人間の誕生と同時に妊婦や赤ちゃんを苦しめて

いたと思われる。その証左に、医学の父ヒポクラテス(前460

頃~前375頃)の有名な全集の中にすでに産褥熱の記述がある。

母親になるということは、いつの時代でも、産む”苦しみ”に加え、

自分の生命と生まれてくる子どもの命を危険を冒して”守る”とい

う二重の大きな責務を負っている。19世紀以前には、母親の4

人に1人が自分の赤ちゃんの顔を見ることなく、亡くなることも

珍しくなかった。古来日本では、産褥期での妊産婦の死亡を「産

後の肥立ちが悪く」亡くなったといわれていた。やせ細って、な

かなか体調が回復しない(肥らない)ことに由来するらしい。

(41~42p)

  

4人に1人が自分の赤ちゃんの顔を見ることができない時代。

今はそうではないことを幸せに思います。

医学の進歩のおかげです。

  

  

彼(ゼンメルワイス)は1818年7月1日ブダ(現在のブタベ

スト)に、ドイツ系商人の第5子(4男)として生をうけた。

(43p)

  

この文章でビックリしたのが、「ブダ」という都市があったこと。

「ペスト」という都市もあって、それが合わさって「ブタペスト」

になったことを知りました。

合併したのは1873年。Wikipedia ブダベスト

    

  

ゼンメルワイスは学生時代に、3人の先生の魅力に取りつかれて

おり、その指導ももとで研究の面白さをすでに学んでいた。そし

て何よりも彼らを尊敬していた。人の出会いによって私たちの人

生は大きく変わる。人生行路において何を学ぶかは重要であるが、

それ以上にその過程で”誰に会うか”ということがより重要である。

その誰かの一言は、何十冊の本の内容にも勝るものだ。ゼンメル

ワイスにとって、3人の恩師との出会いはまさに運命的なもので

あった。

(55p)

  

この本の中で、所々、著者の人生訓が顔を出します。

ここもその場面。

今があるのは、人と出会ってきた結果だと思います。

2020年3月13日 (金)

「ゼンメルワイスの闘い」② 世界手洗いの日/CDC

  

今日は令和2年3月13日。

  

昨日の記事に引き続いて、

手洗いの疫学とゼンメルワイスの闘い

(玉城英彦著/講談社/2017年)より引用します。

 
国際連合(国連)は、「国際衛生年」であった2008年から、

毎年10月15日を「世界手洗いの日:Globai Handwashing

Day」と定めた。今さら感がないでもないが、世界のリーダーた

ちが「世界手洗いの日」という特別の日を設定する背景には、感

染症予防に対する”手洗い”の重要性が再認識されてきていること

があると思われる。つまり、手洗いや衛生の効果は明らかである

が、個人のレベルでも政策のレベルにおいても、その重要性が認

識されず、行動としての優先度が低いことにも一因がある。

(15~16p)

  

この本を読んで、手洗いの歴史を知って、

手洗いの意識は確実に上がったと思います。

新型コロナウィルスが流行する今、

手洗いは重要な予防方法として励行されています。

本当に効果があることなのです。

やるべきです。

身近では、息子がまだできていないので、勧めよう。

  

  

特にここ40~50年、院内感染対策の重要性が強調され、医療

従事者のとくにその汚染した手が感染源となって院内感染を発生

させていることが知られるようになってきた。そこで特に重要な

役割を果たしたのが、アメリカ合衆国ジョージア州アトランタに

あるアメリカ合衆国保健福祉課(HHS:Department of Health

Services)所管の感染症対策の総合研究所「CDC」(Centers

for Disease Control:アメリカ疾病予防管理センター)である。

その背景には、アメリカにおける耐性菌による院内感染の流行が

多発し、問題が深刻であったため、どこの国よりも先だって医療

従事者が問題認識を共有したことと無関係ではない。1981年

にCDCの院内感染プログラムは「院内感染予防対策のガイドライ

ン」と「病院環境対策のためのガイドライン」を発刊し、院内感

染予防対策を推し進めていった。

(20p)

  

 

現在の新型コロナウィルスのニュースで、

「CDC」についてよく耳にしていました。

その「CDC」が、この本に登場しました。

耐性菌による院内感染の流行がCDCを生んだのですね。

いい機会なので、Wikipediaを見ました。

  

次のように書いてありました。

  

1946年に創設され、

アメリカ国内・国外を問わず、人々の健康と、

安全の保護を主導する立場にあるアメリカ合衆国連邦政府機関。

健康に関する信頼できる情報の提供と、健康の増進が主目的である。

結核など脅威となる疾病には、国内外を問わず駆けつけ、

調査・対策を講じる上で主導的な役割を果たしている。 

   

  

素晴らしいですね。

映画やドラマでも扱われているようです。

  

2020年3月12日 (木)

映画「アンノウン・ソルジャー 英雄なき戦場」を見る

  

今日は令和2年3月12日。

  

今週2本目の映画を見ました。

昨日書いた記事で紹介した映画です。

ここでも道草 「独ソ戦」② 「大祖国戦争」 報復感情を正当化(2020年3月11日投稿)

2017年製作の

映画「アンノウン・ソルジャー 英雄なき戦場」

(TUNTEMATON SOTILAS/UNKNOWN SOLDIER) です。

ここで予告編を見ることができます。☟

映画.com アンノウン・ソルジャー 英雄なき戦場

予告編の写真を並べます。

1_2  

フィンランドの人口が551万人(2018年12月現在)なので、

5人に1人は映画館に足を運んだと単純に思います。

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今年の2月に

フィンランドの教育はなぜ世界一なのか

(岩竹美加子著/新潮新書)を読んだことで

第2次世界大戦中にフィンランドは2回ソ連と戦争をしたことを

知りました。

1939年11月にソ連が侵攻してきた時には、

3カ月戦って、多くの犠牲を払って独立を守りました。

冬戦争と呼ばれます。

1941年6月から1944年9月までは、

ナチスドイツと同盟を組んでソ連と戦います。

冬戦争の継続ということで、フィンランドでは継続戦争と呼ばれます。

ソ連に敗れた後、フィンランドは残留するドイツ軍を排除するために、

ドイツ軍とも戦います。

 

そんな知らなかったフィンランドの歴史が、2月以降、

私の頭の中に流れ込んでいます。

  

上記の「映画.com」に載っていた感想を転載。

  

中年熟練兵士ロッカのセリフ、表情がこの作品の製作者達の

戦争への思いを表していると思う。

「家族のため、奪われた土地を取り戻すために戦っている、

国や上官のためじゃない」

敗走する兵士達を止めようとする太った上官を見つめる哀しげな眼差し。

  

この上官というのがドイツ軍人です。

敗走するフィンランド兵士を、銃で脅しながら

留まるように命じます。(7枚目の写真)

その時のロッカの哀しげな眼差しは、私も印象に残りました。

独ソ戦 絶滅戦争の惨禍」(大木毅著/岩波新書)を読んで

ドイツ軍の敗北が決定的になっても、

ヒトラーの命令で最後まで戦わされたドイツ軍のことを知りました。

当時のドイツ軍の様子がわかるシーンでした。

  

  

いい映画でした。

これも教材研究。

 

「ゼンメルワイスの闘い」① 産褥熱/今でこそ「感染防護の父」ですが・・

  

今日は令和2年3月12日。

  

ここでも道草 「手洗い」にも歴史あり/「天声人語」(2020年3月2日投稿)

☝ ここで出合った本を、読み終えることができました。

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手洗いの疫学とゼンメルワイスの闘い

(玉城英彦著/講談社/2017年)

143pまでは歴史として面白かったけど、

それ以後は、専門学者向けになってきたので、

読みとばしてしまいました。

でも十分楽しめた本です。

装丁が”固い”本に見えますが、そんなことはなかったです。

引用していきます。

  


この本で「産褥熱」が何度も出てきます。

何と読むのかなと思いつつ、最初に登場したときに

読み仮名がついていたんだろうな、

それを見逃したなあと思いつつ最後まで読み終えました。

「屈辱」の「辱」に似ているから「じょく」と読むかなとは

思っていました。つまり「さんじょくねつ」

読後に、ページを戻って、最初に「産褥熱」が

登場したところを見てみました。

  

3pでした。

でも読み仮名はついていませんでした。

調べました。

「さんじょくねつ」でした。

この本を選ぶ人が免疫学の学者とか、医師なのかな。

その人たちにとっては「産褥熱」は読めて当然なのでしょう。

   

  

ゼンメルワイスは病気の原因が病理学説から細菌説に移る、転換

期に生まれ活動していました。彼が診療実践していた1847年

ごろは、その過渡期、パラダイムシフトのまっただ中にありまし

た。

権威者は、大家は古いパラダイムにしがみつき、新しいパラダイ

ムの出現を怖がります。(上司の)クライン教授もその例に漏れ

ず、保身のためにいろいろな方法をもってゼンメルワイスの仕事

を妨害しました。

(中略)

ゼンメルワイスはさらに活動の領域を広げ、あたかも神に呪われ

たかのように医師や医学生に手洗いを徹底させて、多くの妊産婦

の命を救いました。

(中略)

でも残念ながら、彼の考えを受け入れるほどに社会はまだ熟して

いませんでした。パイオニアの悲劇というのは往々にして、この

ようなパラダイムの狭間において起こるのです。ゼンメルワイス

の場合も例外ではありませんでした。

ゼンメルワイスは今でこそ「感染防護の父」「母親の救世主」と

呼ばれていますが、彼の人生は極めてドラマティックでかつ悲劇

的なものでした。

(5p)

  

「はじめに」のこのページに、本の要約が書いてありました。

上記の通りです。

今は当たり前に言われている「手洗い」は、

150年ほど前にやっとその価値がわかって、

励行されるようになったのです。

それには、ゼンメルワイスという人が深くかかわりました。

 

2月28日朝日新聞朝刊の「天声人語」で初めて知った

ゼンメルワイス。

「全滅(ぜんめつ)」「エーデルワイス」と混同してしまいますが、

この本を読んで、名前にだいぶ慣れました。

今一度。ゼンメルワイス。

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