2020年2月23日 (日)

パラリンピック〈28〉 「パラアスリート」⑮ マセソンさんの考える「インクルーシブ」

  

今日は令和2年2月23日。

  

前記事に引き続き、

パラアスリート」(山田清機著/PHP研究所)

より引用します。

   

【IPC教育委員 マセソン美季/ませそん・みき】

  

著者は、マセソン美季さんと対談しています。

マセソンさんの発言を引用します。

  

国際パラリンピック委員会が掲げているパラリンピック競技大

会開催の究極の目的は、パラリンピックムーブメントを通じて

インクルーシブな社会を創出することです。

(271p)

  

「インクルーシブ」に反応しました。

マセソン美季さんの言う「インクルーシブ」とは。

  

 

インクルーシブな考え方とは、世の中には多様な人が存在して、

しかも工夫すれば誰もが活躍できるようになるということが最

初から頭にある、ということだと私は思います。そうした考え

の持ち主がつくるモノは、当然、多様な人の存在を前提として

いる。成人男性だけでなく、女性や子どもも、お年寄りも障が

いのある人も、外国人もそれを使うことを前提としている。モ

ノだけでなく、サービスや法律も多様な人の存在を前提として

つくられるようになるので、誰も排除されない社会になるでし

ょう。

(277p)

  

(著者)そもそもの発想がインクルーシブならば、わざわざバ

リアフリー化をする必要はないということですね。

(マセソン)すべてのモノやサービスがそういった考え方でつ

くられることが当たり前になれば、みんなにとって居心地の良

い社会ができあがると思うのです。環境が整えば、誰も排除さ

れないし、誰かを特別に配慮する必要もなくなる。それこそイ

ンクルーシブな社会だと私は考えています。

(279p)

   

  

(著者)連載を通して常に私の念頭にあったのは、むしろ「障

がい者であるパラアスリートに、どのような配慮をすればいい

のか」ということでした。特に脳性麻痺や知的障がいの方には

どう接していいかがわからず、正直言って取材が辛い場面もあ

りました。

(マセソン)自覚はなくても、大きな偏見に邪魔されていたの

かもしれませんね。

(著者)そうかもしれません。

(マセソン)残念ながら、日本では街中で障がいのある人に出

会う機会がとてもすくないので慣れていない。だから、ぎこち

ない対応になるのではないかと考えることがあります。

  

そうかもしれませんね。

  

  

著者がマセソンさんの「インクルーシブ」をまとめています。

  

(著者)マセソンさんのお考えになるインクルーシブな社会と

は、障がい者に特別な対応をしなくても、障がいのある人が自

分のことを自分でできる仕組みがある社会なのですね。それが

「合理的な配慮」の本来の意味なのかもしれません。

  

これが理想であって、そこに向けてひとつひとつできる

「合理的な配慮」をしていきたいと思います。

  

  

  

以上で「パラアスリート」の引用を終えます。

15記事になってしまいました。

パラリンピック〈27〉 「パラアスリート」⑭ ゴールボールの深さ

  

今日は令和2年2月23日。

  

前記事に引き続き、

パラアスリート」(山田清機著/PHP研究所)

より引用します。

  

【ゴールボール選手 小宮正江/こみや・まさえ】その2  

  

著者は2019年2月3日、「天皇陛下御在位30年記念

2019ジャパンパラ ゴールボール競技会」を観戦しています。

  

この大会ではラジオの貸し出しが行われており、試合会場内の

ブースから放送される実況中継でリアルタイムで聴くことがで

きた。

(243p)

  

会場を静かにさせるくらいなので、このラジオはイヤホンで

聞くようになっているのだろうか。

興味を持ったので調べました。

ニッポン放送NEWS LINE 音を使った究極の心理戦「ゴールボール」ってどんな競技?

☝ ここで紹介されていました。

Gb08  

骨伝導イヤホンだそうです。

  

  

投球方法には、テイクバックしてボーリングのように投げる方

法と、選手自らが一回転して投げる回転投げの二種類があるが、

回転投げの場合は手からボールが離れるまで鈴の音がしにくく、

テイクバックして投げる場合はテイクバックの最中も鈴の音が

聞こえる。セブタ(トルコ)はテイクバックと回転投げの両方

を使いこなすことができるという。

(244~245p)

  

ここで驚きです。

ボールが転がった時の音・振動だけでなく、

手から離れる前の音も貴重な情報源だったのです。

  

  

ラジオで解説を聞きながらよくよく試合を観察していると、ゴ

ールボールが音をめぐる情報戦であることがわかってくる。攻

撃側は、左のウイングが投げる際にわざと右のウイングも足を

踏みならしてみたり、投球する選手にもうひとりの選手が寄り

添って一緒に助走をし、どちらが投げるかわからないようカム

フラージュをしたり、つまり、相手の耳を攪乱しようとする。

一方、防御する側は、センターの選手を中心にして、相手がど

こから球を投げてくるか、球筋は直球なのかクロスなのかを予

測し合って、その都度、ディフェンスの陣形を変えていく。

日本代表のディフェンスは、センターの浦田がかなり前寄りの

ポジションを取っている。これは、センターがなるべく前の位

置にいたほうが、相手の投球コースを狭めることができる(面

を殺せる)からだが、浦田が捕球に失敗すると、両ウイングの

選手が確実にカバーに入る。コートの中の様子が、見えている

ようにしか思えない。

(245p)

  

ゴールボールの深さがわかる文章です。

次の動画も参考になりました。☟


YouTube: ゴールボール観戦が100倍楽しくなる動画

    

アソウ・ヒューマニーセンターは、福岡県中央区に拠点を置く

人材派遣会社である。小宮は同社のなかの「障がい者スポーツ

雇用センター シーズアスリート」に所属する社員であり、現

役引退後も社員として働くことを前提として同社に雇用されて

いる。東京パラリンピックを目前にして企業に雇用されるパラ

アスリートが増えているが、これまで取材したパラアスリート

の多くが「アスリート雇用」と呼ばれる契約を結んでいた。ア

スリート雇用とは、文字どおり「アスリートとして雇用してい

る/されている」という雇用形態であり、したがってアスリー

トとしての寿命が尽きてしまえば、それまでの雇用関係の見直

しを余儀なくされる可能性がある。

現在、パラスポーツの関係者の多くが”パラバブル”という言葉

を使うが、少なくとも東京パラリンピックが閉幕するまでは、

パラアスリートの存在は世間の耳目(じもく)を集め続けるこ

とが予想される。パラアスリートを雇用していることは企業の

イメージ向上につながるだろう。

では、東京パラ後はどうなるだろうか。パラスポーツが世間か

ら現在ほど注目されなくなったとき、パラアスリートを雇用し

続けることは企業にとってどのようなメリットがあるだろうか。

選手生命がつきてしまったパラアスリートは、実務経験の乏し

いひとりの障がい者にすぎないのだ。

(252~253p)

  

先日、東京パラリンピック後のパラスポーツの費用についての

対策会議があったことをニュースで見ました。

パラスポーツ関係者にとって、今はいいけど、

パラリンピック後は不安であるということでした。

文中に出てきた「シーズアスリート」については、

次の動画が参考になりました。

ゴールボールについても勉強になります。


YouTube: シーズアスリート

  

  

まだつづく。

パラリンピック〈26〉 「パラアスリート」⑬ ゴールボールの基礎知識

  

今日は令和2年2月23日。

  

前記事に引き続き、

パラアスリート」(山田清機著/PHP研究所)

より引用します。

  

【ゴールボール選手 小宮正江/こみや・まさえ】

  

小宮正江は、ゴールボールの世界で「レジェンド」と呼ばれる

存在である。小宮は日本の女子ゴールボールチームが初めて出

場した2004年のアテネオリンピックで銅メダルを獲得する

と、北京、ロンドン、リオと4大会連続でパラリンピックに出

場。2012年のロンドンパラではキャプテンを務め、チーム

を優勝に導いている。まさん、レジェンドと呼ぶにふさわしい

経歴の持ち主なのである。しかし、小宮正江の顔と名前を知っ

ている人は、ほとんどいないのではないか。いや、それ以前に、

ゴールボールという競技の存在自体を知っている人が、いった

い何人いるだろうか。

(237p)

  

競技の存在はうっすら知っていましたが、その深さについては

この本を読んで知りました。

いかに薄っぺらい知識であったと知らされました。

もちろん小宮さんの名前も知りませんでした。

この本を読んだ後だったので、2月17日に小宮さんが、

5年連続でパラリンピック代表に選ばれたニュースに

反応できました。

Cs_01 麻生看護大学校HP

☝ 右が小宮正江選手。左は同じく代表に選ばれた浦田理恵選手。

  

パラスポーツは、車いすバスケや車いすテニス、パラ陸上、パ

ラ水泳などのように、健常者スポーツに原型があって、それを

障がい者向けにアレンジしたものと、ボッチャのように最初か

ら障がい者のためにつくられたスポーツに大別できる。

ゴールボールは健常者のスポーツに原型をもっていないから後

者に属することになるが、ボッチャの試合はクラス別に行われ

るのに対し、ゴールボールの試合は全クラスが一緒に行われる。

障がいの程度によって選手を分けるのではなく、参加者全員が

最重度(全盲)に合わせることによって障がいを均一にしてし

まうのだ。

その結果、コートの中では完全に平等な状態が実現しており、

障がいの軽い・重いは意味をもたないのである。

(241p)

   

フムフムです。こうやって基礎知識を確認します。

次の基礎知識。

  

ボールはバスケットボールとほぼ同じサイズの7号球で、非常

に硬い素材でできている。重さは1.25キロとバスケットボ

ールのほぼ2倍。中が空洞になっていて鈴が入っているから、

動くと音がする。選手はこの音を頼りにボールの軌道を予測し、

ボールの来る方向に体を投げ出して捕球するのである。

プレーがはじまるときは、審判が必ず、

「Quiet Please!」

と観客に向けて注意を促す。ゴールボールは音と振動がすべて

のスポーツだから、プレー中に声援を送ることはご法度なので

ある。

(243p)  

 

バスケットボールの重さの2倍というのは、

振動を生じさせるための重さなのでしょう。

   

つづく。

  

パラリンピック〈25〉 「パラアスリート」⑫ 車いすに向いた身体と操作

  

今日は令和2年2月23日。

  

前日の記事に引き続き、

パラアスリート」(山田清機著/PHP研究所)

より引用します。

パラスポーツに対して理解が深まる本です。

  

【パラ陸上選手 鈴木朋樹/すずき・ともき】その2

  

鈴木の上体は文字どおりの逆三角形をしていて胸板も厚い。脚

ではなく車輪で漕ぐのだから当然と言えば当然なのだが、鈴木

の体には、競技力に直結するある秘密があった。

「僕は身長が167センチなのですが、両手を広げた幅が190

センチあるんです」

一般的に両手を広げた幅(ウイング・スパン)は、身長とほぼ

イコールだと言われている。しかし、鈴木のウイング・スパン

は、身長よりも20センチ以上も長い。つまり、腕が桁外れに

長いのである。

「腕が長いと、車輪の一番高い位置から低い位置まで手が届き

ますよね。その間ずっと車輪に力を加え続けることができるの

で、強いパワーを出せるんです」

腕が長いだけでなく、鈴木の肩の動きも車いすを漕ぐのに適し

た動き方をするという。

「最近になってわかってきたのですが、健常者の人の車いすの

漕ぎ方と僕の漕ぎ方はぜんぜん違う。僕の体の構造は、車いす

を濃くために特化していたんですね」

(220p)

  

鈴木は乳児の時代に大怪我を負ったことで、車いすの操作に適

した身体を発達させてきた。それが現在、アスリートとしての

鈴木の大きな武器になっている。そして、鈴木には障がい者で

あるという意識がない。

(222p)

  

鈴木さんは生後8か月の時に、交通事故に巻き込まれて

脊髄を損傷しています。

ほぼ生まれた時からの車いす生活が、

車いすに向いた身体をつくり、操作も長けたものとなったようです。

見てみたくなりました。


YouTube: 【公式】PARA☆DO!<#95鈴木朋樹選手>

6  

う~ん、私にはどう操作が違うのかはわかりませんでした。

2020年2月22日 (土)

パラリンピック〈24〉 「パラアスリート」⑪ 車いすの陸上競技の醍醐味を知ったのは・・・

  

今は令和2年2月22日22時22分22秒

の2時間ほど前です。

  

前記事に続いて

パラアスリート」(山田清機著/PHP研究所)

より引用します。この本からの引用は大量になってきました。

  

【パラ陸上選手 鈴木朋樹/すずき・ともき】

  

鈴木は言う。

「車いすの陸上競技は、健常者の陸上競技よりもむしろツール

・ド・フランスのような自転車レースに似ていると思います。

前を走る選手の後ろにピタリとつけて風をよけながら、どのタ

イミングで勝負に出るかを考える。勝負をかけるために、最適

なポジションを奪い合う。そうしたひとりひとりの選手の思惑

が絡み合って、レースが展開していきます。それがわかってく

ると、見ていて面白い競技だと思います。」

(219p)

  

この車いすの陸上競技の醍醐味は、

だいぶ前に味わったことがあります。

その番組は、ビデオテープに収まっていて、

生徒たちにも見せた覚えがあります。

道徳の時間だったと思います。

どの番組だったか調べました。

  

すぐに見つかりました。

番組名は

「プライム11 その腕で走れ 車いすランナーの熱き闘い

放映されたのは、1995年の11月25日。

25年前の番組でした。

車いすマラソンを扱っていました。

    

少し再生して、番組で登場していた選手名を思い出しました。

ハインツ・フレイ(フライ)(1958年生まれ)

絶対王者でした。

その王者に迫ろうとしていた日本人選手が

室塚一也(むろづかかずや/1964年生まれ)

※参考:Wikipedia ハインツ・フライ Wikipedia 室塚一也

お二人とも、その後も輝かしい戦績を残されていました。

 

本の文章から、ずっと過去に見た番組を思い出せたのは

大きな収穫でした。

その番組が今も手元にあって再生できました。

過去が現在になりました。

   

この番組で私は、車いすの陸上競技の醍醐味を知りました。

パラリンピック〈23〉 「パラアスリート」⑩ 断端 足の切断面の名前 

  

今日は令和2年2月22日。

  

前記事に続いて

パラアスリート」(山田清機著/PHP研究所)

より引用します。

  

【パラ陸上選手 佐藤圭太/さとう・けいた】

  

足の切断面を「断端(だんたん)」と呼ぶ。義足を装着すると

きには、断端を覆う靴下のようなシリコン製のライナーを履い

てから、ソケットと呼ばれる筒状の部分に断端を入れる。こう

した緩衝材を使わないとソケットにピタリとジョイントしない

し、断端に傷ができてしまうという。

(佐藤)「特に足を切った当初は断端が薄い皮膚で巻いている

だけで、足の裏のように皮が厚くなかったので、簡単に傷がで

きてしまいました。だんだん皮が厚くなってはきますが、断端

にすべての荷重を受けるので、ちょっとしたことで傷ができや

すいですね。」

(198p)

   

足の裏の皮は厚くなっていて、保護されていることを知りました。

足の裏に感謝です。

  

ちなみに、佐藤が初めて使った義足は「今仙(いません/今仙

技術研究所)」という日本のメーカーの義足だったが、世界的

にはドイツの「オットーボック」とアイスランドの「オズール」

というメーカーが二大勢力だという。モノづくり大国日本の製

品が、義足に関してはこの二社の後塵を拝しているというのも

意外なことである。

(200p)

  

佐藤の(現在の)義足を手がけているのは、このランニングス

タジアムのラボに入っている「Xiborg(サイボーグ)」である。

Xiborgは2014年にソニーコンピュータサイエンス研究所研

究員の遠藤謙が為末大らとともに設立したベンチャー企業だ。

競技用義足だけでなく、ロボット義足や途上国向けの低価格義

足の開発なども行っている。

(205p)

  

佐藤は、義足がフィットしていないと断端に荷重がかかってい

るように感じるが、フィットしているときはつま先に荷重がか

かっているように感じると言う。つまり、無い足があるように

感じられるというのだ。裏返して言えば、足が無いことを忘れ

させてくれる義足こそ、ベストな義足ということになるだろう。

(207p)

   

遠藤は、”義足のメガネ化”を目指しているということかもしれ

ない。それが実現されれば、足が無いことを忘れさせてくれる

だけなく、「その義足おしゃれだね」などという会話が自然に

交わされる世の中になるのかもしれない。

(207p)

  

だが、現在の義足はまだ過渡期にある。そして、過渡期である

ことを象徴する存在が、義足の走り幅跳びジャンパー、マルク

ス・レームと、義足のランナー、オスカー・ピストリウスだと

いう。

(遠藤)「ふたりとも義足のアスリートでありながら、レーム

はオリンピックへ参加が認められず、ピストリウスは認められ

ました。では、いったいふたりのどこが違ったのかといえば、

レームがオリンピックに出ると金メダルをとってしまう可能性

があり、ピストリウスにはその可能性はほぼなかったというこ

とに尽きます。健常者は無意識のうちに義足の人の運動能力は

自分たちよりも劣ると思っており、その認識が脅かされない範

囲では『義足なのに頑張っているんだから(オリンピックに)

出してあげよう』と考える。しかし、義足のアスリートが健常

者に勝ってしまった瞬間、義足はズルいとなってしまうのです。」

(208p)

  

義足に関する勉強ができる章です。

マルクス・レームが8m50cmを跳んだ時の映像です。☟


YouTube: 【パラ陸上】マルクス・レーム 8m50‼︎ 東京2020 1 Year to Go 世界記録チャレンジ

 

次の映像は2012年ロンドンオリンピックでのオスカー・

ピストリウス。400m準決勝。8位であったため決勝進出ならず。☟


YouTube: Oscar Pistorius runs 400M London Summer Olympics 2012

2020年2月21日 (金)

パラリンピック〈22〉 「パラアスリート」⑨  道下美里選手と防府読売マラソン

 

今日は令和2年2月21日。

  

前記事に続いて

パラアスリート」(山田清機著/PHP研究所)

より引用します。

  

【パラマラソンランナー 道下美里 みちした・みさと】

  

ふたり(道下美里と夫の孝幸)は、孝幸の地元である福岡に新

居を構えることになった。左目でわずかに光を感知できる道下

は、買い物から料理まで、家事の大半をひとりでこなしている。

料理には黒と白、2枚の俎板(まないた)を使う。白っぽい食

材は黒い俎板に、色の濃い食材は白い俎板にのせると食材の輪

郭がはっきりする。その輪郭を頼りに包丁を入れていく。

(176p)

  

この克服の仕方がすごい。

人はどうにかするものなんだと、人間の力を思い知りました。

  

  

ブラインドランナーとはいえ、2時間56分14秒という世界

記録をもつ道下は相当に速い。サブスリー(3時間切り)が夢

と言われる市民ランナーのレベルで道下の高速練習のパートナ

ーを務めるのは難しい。

(179p)

  

道下美里さんは、先日世界記録を更新しました。

ここでも道草 パラリンピック〈13〉 道下美里選手優勝(2020年2月3日投稿)

  

  

長い距離をひとりで走り抜くマラソンは、孤独な競技という印

象が強い。しかし、不空の伴走者と走るブラインドマラソンは、

健常者のマラソンとは質的に異なるスポーツ、つまりチームス

ポーツなのかもしれない。そして、伴走という行為は、想像以

上に高度なスキルが要求されるものなのかもしれない。

(183p)

   

これも新しい視点です。

ブラインドマラソンは、競技中であってもチームスポーツ。

  

  

(チーム道下のキャプテン)樋口(敬洋)によれば、、道下は

2012年の防府読売マラソンへの参加を、最初は断られたの

だという。伴走者つきで走るという前例がなかったため、安全

を保障できないというのが拒否の理由だった。

「僕(樋口)は頭にきて、『そんな大会に出なくていい』と言

ったのですが、道下さんは江口さん(大濠公園ブラインドラン

ナーズクラブメンバー)の伝手(つて)で自ら防府市長に会い

に行って、市長の心を動かしてしまったんです」

以降、防府読売マラソンはブラインドランナーの参加に積極的

になり、いまや女子ブラインドマラソンの日本選手権大会とし

て位置づけられるまでになった。

(191p)

  

昨年の12月の防府読売マラソンを道下選手は走っています。

道下選手と防府読売マラソンとの関係が知れてよかったです。

それと、「防府」をずっと「ぼうふ」と読んでいました。

「ぼうふ」ではなくて「ほうふ」なのですね。

第50回記念 防府読売マラソン大会HPより ☟

5  

「(兼)第20回日本視覚障がい女子マラソン選手権大会」

とあります。

20回?

防府では少なくとも2012年より前は視覚障害の大会は

行っていません。

20回はいろいろな会場での大会の積み重ねと予想されます。

その歴史が知りたい。

ネットで調べた限りでは、

「防府読売マラソン大会(兼)日本視覚障がい女子マラソン

選手権大会」となったのは、

第48回防府マラソンの時までさかのぼれました。

日本視覚障がい女子マラソン選手権大会は第18回です。

第17回以前がいつどこで行われたのかは

今のところ不明です。

  

樋口の長男は広汎性発達障害という病を抱えている。いわゆる自

閉症である。中学3年生で身長は180センチもあるが、樋口と

も幼児なみのコミュニケーションしかとれない。ストレスがかか

ると奇声を発してパニックを起こしてしまうという。

「知的障がい者に対する理解は、身体障がい者に対する理解より

ももっと低いと思います。でも僕は、道下さんの生き方に出会っ 

て、人間、こんなに変われるんだって驚いたんです。だって6,

7年前まで普通の女の子だった彼女が、いまや世界のトップアス

リートなんですよ。そのことが僕自身の希望になっているし、息

子の未来を信じる力にもなっているんです」

樋口は自閉症への理解を広めるため、多忙な歯科医業の傍ら、全

国を飛び回って講演活動を続けている。

(192p)

 

こんな方でした。☟

effect 正真正銘のサポートランナー//〈TEAM 道下〉樋口 敬洋さん    

  

パラリンピック〈21〉 「パラアスリート」⑧ ボッチャの普及について

 

今日は令和2年2月21日。

  

2月17日の記事に続いて

パラアスリート」(山田清機著/PHP研究所)

より引用します。

   

【ボッチャ選手 江崎駿 えざき・しゅん】その2

  

(駿の父親の)泰秀が言う。

「初めてボッチャって聞いたときは、かわいい名前だなと思っ

たものですが(笑)、いまはパラスポーツのなかでも特別な競

技なのだと思っています。パラアスリートには『俺は障がい者

じゃない』と主張する人が多いし、実際、健常者がかなわない

運動能力の持ち主はたくさんいます。でも、ボッチャはあくま

でも障がい者のスポーツであり、ボッチャの選手はアスリート

ではあるけれど、あくまでも障がい者なのだと思うのです。健

常者に勝とうとするのではなく、障がい者として自分ができる

ことをやろうというのが、ボッチャの世界ではないでしょうか」

多くのパラスポーツは健常者を障がい者向けにアレンジしたも

のだが、ボッチャはそもそも障がい者のためにつくられたスポ

ーツであり、それゆえに高齢者や子どもも参加できる「間口の

広さ」をもっている。それこそが、ボッチャの魅力であり可能

性でもある。

(142~143p)

  

なるほどなるほどです。

  

  

現在、千葉県立東金(とうがね)特別支援学校に勤務している

古賀(稔啓/としひろ)は、日本に初めてボッチャを”輸入”し

た人物である。

(中略)

古賀は1997年に日本ボッチャ協会を設立して理事長に就任

すると、1999年に第1回の日本選手権を開催している。世

界的に見れば、ボッチャはすでに1992年のバルセロナパラ

から正式種目に採用されているが、日本代表が初めてパラリン

ピックへの出場を果たしたのは2008年の北京パラ。古賀が

協会を設立してから、実に11年後のことであった。

(150p)

  

私のブログで、「ボッチャ」が初登場したのは、

2015年の6月でした。(いい機会なので再読します)

ここでも道草 特別支援学校に行ってきました(2015年6月11日投稿)

まだ日本では20年ほどのスポーツです。

しかし、リオパラリンピックでの日本チームの活躍で、

有名になりました。

  

  

奥田(邦晴/大阪府立大学教授)が目指そうとしているボッチ

ャの世界とは、いったいどのようなものだろうか。

「2020年までのショートタイムで言えば、とにかく勝たせ

ることですね。日本代表が金メダルを取ることによってボッチ

ャがメジャーになり、障がい者がリスペクトの目で見られるよ

うになる。しかも、ボッチャは障がい者だけでなく高齢者でも

子どもでもできるスポーツですから、強制社会の実現に貢献で

きる。ボッチャには社会を変えていく力があるんですよ」

ボッチャが誰にでもできるスポーツであり、やってみると面白

いことはすでに体験済みだ。奥田は競技ボッチャではなく誰も

が楽しんでやれるボッチャのことを「i -BOCCIA」と名付

けて、その普及にも取り組んでいる。i には intimate(親しみ

やすい)、inclusion(共に)、interest(面白い)という3

の意味があるという。

(154p)  

  

(ボッチャの)普及活動の中心にいる村上光輝に話を聞いた。

「(中略)いくら競技団体がガツガツ広めようとしたって、楽

しくないスポーツは広まりません。リオパラで日本代表が銀を

取ったことで、たしかにボッチャの名前は広まりましたが、『

重度障がい者のスポーツ』という部分だけが有名になって、実

際にどんなスポーツなのかほとんど浸透しませんでした。私は

ボッチャから『重度障がい者の』という枕詞を外したいのです」

(中略)

「ボッチャは障がい者と健常者が一緒にプレーできる数少ない

スポーツのひとつですから、いずれ世界中からフルオープンで

(障がいの有無に関係なく)選手を招く国際大会を開きたいで

すね」

協会は、こうした大会のひな型である「東京カップ」という大

会を、すでに2017年から準備している。東京カップは障が

いの有無に関係なく参加できる「国内初の本格的インクルーシ

ブ大会」であり、ボッチャ以外のオリ・パラの選手で構成され

るアスリートチームや企業のボッチャ部、そしてボッチャの日

本代表選手で構成される火の玉JAPANなど、多様なチーム

が参加している。現在は国内大会だが、ゆくゆくはこの大会を

国際的なフルオープンの大会にしたいと村上は言うのである。

(155~157p)

  

  

小学校の特別支援学級担任の時には、

学級でボッチャをやりました。

「インクルーシブ」か~。

インクルーシブ教育の一環として、

ボッチャをするのもいいなと思いました。

これは比較的たやすく実行に移せます。

私はその視点でボッチャと関わりたくなりました。

 

  

そういえば、まだボッチャのデザインの

Tシャツは手に入っていません。☟

ここでも道草 ボッチャのTシャツは手に入ったかい?(2016年9月24日投稿)

小説「熱源」が読みたくなりました

今日は令和2年2月21日。

  

2月17日の朝日新聞朝刊の「天声人語」は

書き留めておきたいと思いました。

  

「豪州の日」と呼ばれる記念日がある。1788年1月26日

に英国の船団が上陸したことを祝う。豪州国民の休日だ。しか

しそれは先住民からすれば「侵略の日」に他ならない。祝賀行

事をやめる自治体が出ていると、先日の紙面にあった▼ある市

長からは「先住民の追放、言語や文化の破壊の始まりだった」

との発言もあったという。どこに視点を置くかにより、歴史は

その像をがらりと変える。直木賞に選ばれた歴史小説『熱源』

は、明治以降の近代化をアイヌ民族の目から描いている▼樺太

から北海道の石狩川沿いに集団移住させられた主人公の少年は、

学校で「文明人たれ」と教えられた。アイヌ民族を未開人扱い

することと同義である。そんな和人の国は列強から野蛮人扱い

されないよう、富国強兵へともがいていた▼文明とは何か。ア

イヌ集落の長に作者はこう語らせる。「馬鹿で弱い奴は死んじ

まうっていう、思い込みだろうな」。その帰結として、日露戦

争そして第2次大戦の戦場がある▼北海道と樺太を軸に、東京、

ロシア、南極にまで小説の舞台は及ぶ。作者の川越宗一さんは、

旅行で訪れた北海道で歴史に触れ、いちから調べたという。読

んでいて、登場人物たちと同じ時代を生きているような気持ち

になる▼他者の目で歴史を見る。そのことに私たちは慣れてい

ない。だからこそ文学の力が、大きな助けになる。「日本は一

つの民族が続いている」などと口走っていた政治家は、手にと

ってみただろうか。

   

  

「北海道」「石狩川」「集団移住」という用語が、

私の好奇心のアンテナにピピッと来ました。

『熱源』の著者は、北海道の旅行がきっかけで

この本を書いたという点も注目です。

そのきかっけについて、次のサイトで著者が語っています。

小説丸 川越宗一さん『熱源』

  

九州にルーツを持ち大阪で生まれ育った著者が、北海道の先住

民族たちの物語を書くことになったきっかけは、夫婦旅行だっ

た。妻のリクエストで二〇一五年夏に北海道へと足を運んだと

ころ、知られざる歴史と出合った。「たまたま室蘭から足を延

ばして、白老町のアイヌ民族博物館へ立ち寄ったんです。そこ

に、ブロニスワフ・ピウスツキという人物の銅像があったんで

すよ。説明書きには、一九世紀末から二〇世紀前半にかけて活

躍したポーランド人の民族学者で、アイヌを研究していたと記

されていました。彼はわざわざ地球を約半周してきて、北海道

の少数民族研究の先駆者になった。その歴史的事実に不思議さ

というか違和感を覚え、ピウスツキについて調べ始めたんです。

その過程で樺太出身のアイヌ、いわゆる〝樺太アイヌ〟であり、

日本初の南極探検隊に参加した山辺安之助という人物の存在を

知りました。ピウスツキと山辺安之助が出会い、二つの人生が

交差したポイントを軸に、物語を生み出せないだろうかという

構想が生まれたんです」

  

 

違和感から始まった小説でした。

ワクワクします。

小説によって、隠れていたものが表に出てきたのです。

これぞ歴史小説。

読んでみたくなりました。

  

もうじき復職で、あわただしくなると思いますが、

読書は続けたいなあ。

読んだっていいですよね。

2020年2月18日 (火)

大熊町の勉強「おおくま通信」「大熊食堂」

 

今日は令和2年2月18日。

  

福島県大熊町では「おおくま通信」が発行されています。

毎月発行されているのかな。

ネット上では昨年の10月号を見ることができます。

大熊町復興通信 おおくま通信

震災の前の町の様子から始まり、震災による被害の様子、

そして現在までの町の様子がコンパクトにまとめられています。

その中から少々引用。

 

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4  

9年が経とうとしています。

揺れ動く町民の皆さんの気持ちが伝わってきます。

  

  

☟ こういう新たな動きについても、

大熊町に行ったのなら知りたいなと思います。

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大熊食堂について知りました。

相双ビューロー 【大熊町】大熊食堂(どなたでも利用できます)

一部引用します。

  

一時帰宅した住民の方が利用できるようにと

昨年(2017年)から営業が始まった「大熊食堂」。

  

なるほどです。

「どなたでも利用できます」の言葉に甘えて、

ここで食べてみたいです。

カツカレーはなかなかのボリュームです。

写真を転載します。☟

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