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2025年5月19日 (月)

「饗庭塩」というブランド/塩の製法にまつわる吉良家と浅野家

   

今日は令和7年5月19日。

  

前記事の続きです。

「饗庭塩(あいばじお)」というのは、

ブランド名みたいなものなんですね。

Wikipedia 饗庭塩

このサイトを見ると、ちょっと話は複雑です。

俗説では、吉良上野介で有名な吉良義央(よしひさ)が、

吉良領である饗庭で塩田開発を始めたのが饗庭塩の始まりです。

しかし、この付近では、戦国時代から塩づくりは行われていて、

その場所は、現在の西尾市吉田本浜と白浜新田付近であって、

饗庭ではないのです。

現在の地図で、該当する箇所を示します。

Googleマップを使います。

Img_2150

饗庭は海沿いではないのです。

動画「吉良の塩田 吉良の塩づくりの歴史」


YouTube: 吉良の塩⽥ 吉良の塩づくりの歴史

この動画で出てきた昭和初期の塩田。

(饗庭の文字は私が後づけ)

Img_2151

吉田本浜と白浜は存在します。

なぜ「饗庭」の名前がついたのか?

ここは疑問点です。

思うに、浜で作られた塩が、製品化されたのが饗庭だったのでしょうか。

2つの浜で取れた塩を集めて、パッケージをした場所かもしれません。

現時点では予想であって、確かめるところまでいっていません。

   

  

さて、有名な忠臣蔵のお話で、

吉良と赤穂の塩をめぐる出来事があったようです。


YouTube: 第10回赤穂事件松の廊下刃傷事件の真の原因は塩だった!


この22分の動画。

繰り返し動画の中で説明されているのですが、

5分22秒がいいかもしれません。

  

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吉良家の「饗庭塩」は品質が高く有名でした。

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赤穂に国替された浅野家は、吉良家に塩の製法を教えてほしいと懇願します。

吉良家は浅野家に製法を伝えます。

  

Img_2154  

その結果、浅野家は塩田経営を成功させます。

  

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赤穂藩の塩田の成功を見て、今度は吉良家が製法を学びたいと

申し出ました。

  

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浅野内匠頭は、吉良上野介の申し入れを拒否します。

当時吉良藩と赤穂藩の塩の製造は、競争状態であり、

しのぎを削っていました。

その緊張状態の中での浅野内匠頭の判断だったのでしょうか。

  

Img_2157

本当にそこまでやったのかどうか?

  

同じ愛知県ですが、吉良の塩については

ほぼイメージが浮かびませんでした。

いいきっかけだと思って、勉強をしました。

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