« 「白土三平選集 1」/白土三平が考えた分身の術 | メイン | 11日目 照ノ富士が負ける 座布団の舞を見る »

2024年7月28日 (日)

「白土三平選集 1」/「少年忍者風のフジ丸」の原作が「忍者旋風」

  

今日は令和6年7月28日。

前記事にひきつづき、

「白土三平選集 1 忍者旋風(一)」

(1970年 秋田書店)より。

  

Epson130

この漫画の時代は、明智光秀が秀吉に敗れた直後。

天正10年(1582年)頃となります。

盗賊石川五右衛門は、1558年?~1594年の人生です。

「泥棒みたいな名前だな」発言は、最初はおかしいと思いましたが、

そうは言えないんだ、同時期の人なんだと知りました。

  

Epson131

武田邦彦先生が繰り返して言うのは、

兵隊通しで戦うのが戦争であって、

それ以外の人を殺し始めたら、それは虐殺だと。

  

白髪の十官道人が

「いくさに竜煙を使えば、敵はもちろん、いくさに関係のない者も

良い人間も悪い人間も竜煙の風下にある者は、すべて死んでしまう

のは明らかじゃ」

と言っています。竜煙とは毒ガスでした。

虐殺に通じる武器です。

第二次世界大戦で人類は「虐殺」を体験したと思います。

その体験をしたであろう白土三平が、

そんな「虐殺」を許していいのかと問うている場面だと思います。

主人公は、竜煙を捨てますと言っています。

それが白土三平さんの答えなのでしょう。

  

  

Epson132

Epson133

Epson134

白土三平は、「乱心法虫遁変化」の術も編み出したのかな。

この忍術の名前で検索すると、「忍者旋風」しか出てきません。

やはりオリジナルなんでしょう。

忍者のイメージは、こうやって私たちの世代に

埋め込まれていったのでしょうね。

実際に「ムー」とやった人がいるのかな。

本当かな?と思いますが、白土三平は念押しに、

「ほんとうのことですよ」と言っているのが楽しい。

  

この「忍者旋風」を原作に生まれたテレビアニメが、

「少年忍者風のフジ丸」だそうです。

原作の主人公は「小太郎」

主人公の「フジ丸」は、スポンサーの「藤沢薬品」から

ついたということがこのサイトに書いてありました。↓

少年忍者風のフジ丸

さらに強引な話が書いてありました。

  

このアニメは白土 三平さん作品のアニメ 第一作になるが、制作

の東映動画が利潤を求め、キャラクター権を独占したくて第29話以

降白土三平さんを原作から外した、この東映動画側の原作無視行動

に対して白土三平さんが怒って、これ以後の白土三平さんは漫画映

画化に対して反応を厳しくしたという噂がささやかれた作品。

放映回数65回のうち前半は「忍者旋風」だが、人気が出た後、話を勝

手に作り、放映継続された、原作者無視のアニメ作品だったとも言

われていた。

  

今の時代は、原作者の意向をテレビ局が大事にしていますが、

このアニメ番組が放映された1960年代は、

そうではなかったのですね。

映画会社が強く、原作者を軽視した時代だったのでしょう。

  

YouTubeで「少年忍者風のフジ丸」は見ることができます。

闇の調査隊 少年忍者風のフジ丸 モノクロ、カラー

オープニング。

最初のテロップは、スポンサーでした。

1  

原作者は、エンド曲で出てきます。

2

3

しかし、原作者の名前が消えたバージョンがありました。

4

ここで白土三平は降ろされてしまったのでしょう。

  

Wikipediaによると、、第1話のみモノクロ版とは別にテスト用とし

て制作されたカラー版が存在するとのこと。

上記の動画には、カラー版のオープニング、エンディングがありました。

そこには、白土三平の名前がありました。

6

オープニングの終わりは、やっぱり藤沢薬品です。

5

  

  

今回、「少年忍者風のフジ丸」の主題歌は聞いたことがありました。

放映が1964年の6月~1965年8月なので、

私は3歳~4歳。内容は覚えていないだろうし、

主題歌は、後に聞いたのでしょう。

コメント

コメントを投稿

最近の写真

  • Img_8523
  • Img_8520
  • Img_8519
  • Img_8518
  • Img_8522
  • Img_8521
  • Img_8517
  • Img_8512
  • Img_8510
  • Img_8508
  • Img_8507
  • Img_8504

楽餓鬼

今日はにゃんの日

いま ここ 浜松

がん治療で悩むあなたに贈る言葉