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2024年3月20日 (水)

本「高熱隧道」③ 志合谷宿舎泡雪崩事故

   

今日は令和6年3月20日。

  

今朝早く、愛知県東三河地方に暴風警報が出ました。

外を見たら、無風。

でも昨日の天気予報でも、

今日はすごい風が吹くと言っていました。

まさかの暴風警報ですが、気をつけたいですね。

今日は自宅の庭にレンガを並べて花壇を作ったり、

防草シートを敷く予定でしたが、明日に延期。

明日は木曜日なので、私は休みです。

  

昨日は脱線してしまいましたが、

「高熱隧道」(吉村昭著/新潮文庫)を読んで、

印象に残った文章を引用していきます。

  

技師と人夫。そこには、監督する者と従属する者という関係以外に、

根本的に異なった世界に住む者の違和感がひそんでいる。それは、一

言にしていえば、技師は生命の危険にさらされることは少いが、人夫

は、より多く傷つき死ぬということである。と言うより、人夫たちに

は、死が前提となっているとさえ言ってよい。或る工事がはじまる時、

その予算案の中の雑費という項目には弔慰金に該当するものが必ず組

みこまれている。死はあらかじめ予定されている事柄であり、しかも、

それはより多く人夫の死に対して支払われる含みをもっているのであ

る。

(97p)

  

死者が出ることが前提になっているのが怖い。

この黒三ダムでも、その後の黒四ダムでも、

たくさんの犠牲者が出ました。

黒三ダムの場合、多くの朝鮮人が命を落としています。

  

  

藤平は、焦躁感にかられながら事務所にこもって、深夜まで本店に送

るその年一年間の工事報告書の作成を急いでいた。その末尾にしるさ

れた人命の損失は、顚落(てんらく)事故、火薬事故、熱湯噴出事故、

落石事故等合計三十一名で、二年四カ月前の着工以来の死者は、総計

八十五名に達していた。

(118p)

  

この時点で、85名なのです。この後、黒三ダムの関係者は、

未曾有の事故に襲われるので、この数ではすみませんでした。

その事故については、上の記述の後、118p最後から4行目から

書かれています。

  

正月休みも間近に迫った十二月二十七日の深夜、佐川組第ニ校区志合

谷(しあいだに)で大事故が発生した。

(118p)

  

「見て下さい、ないんです」

藤平たちは、伊与田の指さす方向に眼を向けた。

「なにがないんだ」

根津が、反射的に叫んだ。

「宿舎です。 宿舎がないんです」

伊与田の声は、甲高くふるえていた。

短い叫びが、根津たちの口から一斉にもれた。

藤平は、ハンマーで背中をどやしつけられたような激しい衝撃を感じ

ながら眼をこらした。志合谷宿舎は、坑口の近くに高々とそびえ立っ

ていたはずだ。荒々しいコンクリートの肌をむき出しにして、いかつ

い姿で立っていたのだ。が、雪のちらつく夜空の淡い明るみをすかし

て見上げても、鉄筋五階建ての角ばった建物の影は見えず、遠く切り

立った渓谷の岩壁の輪郭が黒々と迫っているだけであった。

根津も口がきけないのか、眼を大きくみひらいて藤平の顔を見つめて

いる。

信じがたいことが起ったのだ。 宿舎が消えたというのは、いったい

どういうことなのか。藤平は、自分の体がはげしくふるえ出してい

るのを意識していた。

(121p)

  

雪崩が、頑丈な宿舎の3・4階を、600m吹き飛ばした事故でした。

  

この事故については、動画でも勉強ができます。


YouTube: 宿舎が空中を600m飛行し大岩壁に激突!雪崩の1000倍ヤバイ『泡雪崩』を知っていますか?1938年 黒部志合谷の宿舎を襲った泡雪崩について徹底解説!【ゆっくり解説】

飛ばされた宿舎は、75mの尾根を飛び越えて、

大岩壁に激突。その途中に、瓦礫などが落ちていなかったので、

宿舎は、形を保ったまま飛んでいったと考えられています。

上の映像の写真です。

Img_4777

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Img_4776

奥鐘山は「おくがねやま」と読むようです。

  

「どうでした、警察では」

藤平は、根津の青ざめた顔を不安そうに見つめた。

「芳しくない空気だ。工事中止だと息まいていやがる。犠牲者があま

り多く出るので、強硬なんだ。中央の本省でどう言おうと、絶対に工

事は中止させると言っていたよ」

根津がうつろな表情で言った。

藤平は、根津の眼に光るものを見た。たしかに警察側の判断は当然す

ぎるほど当然だろう。今度の事故で行方不明になった者はおそらく一

人の例外もなく絶望的だろうし、その数を加えると工事着手以来佐川

組関係だけでも人夫・ボッカの死者は百七十名に達している。宇奈月

の町の者が口にしているように、黒部渓谷は、まだ人間の知識や能力

ではおよびもつかない為体(えたい)の知れぬ強大な力をもつ大自然

なのだろうか。強引に工事をすすめてきてはみたが、人間の生命は、

その力の前にあっけなく次々とすりつぶされてゆく。

しかし根津にしてみれば、自然に屈することは堪えがたい屈辱にちが

いない。作業員の死が山積しても、かれは、その死骸を踏んまえて隧

道を貫通させるために全力を傾ける人間なのだ。

(136〜137p)


  

泡雪崩という暴風のような雪崩による事故。

警察は当然、工事を中止させようとします。

でも、工事は継続されました。その理由は、上の動画にあります。

良かったら見てください。
  

  

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