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2022年12月23日 (金)

本「アンゲラ・メルケル」① コソボ紛争とは?

       

今日は令和4年12月23日。

   

この本を読みました。

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「アンゲラ・メルケル 東ドイツの物理学者がヨーロッパの

母になるまで」(マリオン・ヴァン・ランテルゲム著

清水珠代訳 東京書籍)

     

2005年11月から2021年12月まで、

ドイツの首相を務めたメルケル首相。

現在68歳。

ふと興味をもち、この本を手に入れ、読んでみました。

  

さっそく脱線します。

10pにコソボ紛争のことが書かれていました。

サッカーW杯で、セルビアのストイコビッチ監督が

コソボをののしることを言ったとニュースで見ました。

「クソッタレ!」ストイコビッチ監督が興奮し問題発言

ストイコビッチと言えば、名古屋グランパスに所属して活躍。

その時は、私もJリーグをよく見ており、

素晴らしい人だなあと思っていました。

その素晴らしい人が、ののしるなんて、

セルビアとコソボはどういう関係なんだと思っていました。

そしたらこの本にコソボが登場。

  

コソヴォはアルバニア人が圧倒的多数を占める地域だったが、当時

はセルビアの領土に属していた。セルビアはコソヴォの独立を認め

ようとせず、民族浄化を繰り広げていた。

(10p)

   

コソボ紛争は聞いた事はありますが、よく覚えていません。

勉強しました。

コソボ紛争 原因などをわかりやすく解説

このサイトをじっくり読みました。

1998年~1999年に起こった紛争でした。

ユーゴスラビアの一部であったセルビアの、

そのまた一部であったコソボは、

アルバニア人が90%を占める場所でした。

そこにアルバニア人が住むようになったのは、

オスマントルコの政策でした。

しかしその場所は、セルビアの聖地でした。

セルビアはキリスト教であり、

由緒ある建造物がコソボにあったのです。

そしてコソボに住むアルバニア人はイスラム教でした。

セルビアは、コソボに住むアルバニア人が許せなかったのです。

そして、コソボに住むアルバニア人は、

セルビアから独立したかったのです。

この状況で紛争が起こりました。

オスマントルコがまいた種が、ひどい状況を招いてしまいました。

NATOはコソボのアルバニア人に味方をします。

多くの血が流れ、紛争は終結します。

コソボは2008年に独立します。コソボ共和国。

しかし、その独立を認めていない国もあります。

セルビアは認めていません。

今も、セルビアの一部とみなしています。

ストイコビッチ監督が、コソボのことをののしった背景が見えてきました。

日本は、コソボ共和国を独立国と認めているのか。

認めていました。

学校で使っている地図帳には、

ちゃんとコソボが独立したようになっています。

   

コソボ紛争の頃、メルケルは、ドイツの政党の党首になるべく、

策略を行っていました。

現党首を追い落とし、その後に就こうとしていました。

その策略は成功して、メルケルは党首となります。

メルケルにはこのような面もあるのだと知りました。

  

つづく  

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