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2022年8月16日 (火)

「翼をください」④ とにかく書き始めた小説

  

今日は令和4年8月16日。

  

前記事に引き続き、

「翼をください」(原田マハ著/毎日新聞社)

より。

  

いまでもアメリカにはエイミー・イーグルウィングの信奉者は多い。

カンザスではエイミーの誕生日を記念した航空フェスティバルが毎

年行われ、スミソニアン博物館にも彼女のコーナーがあるくらいな

のだ。彼女の伝記はミュージカルや映画にもなっている。エイミー・

イーグルウィングとは、アメリカ人ならば誰もが絵本や教科書に見

つける偉人、永遠の英雄なのだ。

(452p)

  

映画「ナイトミュージアム2」はスミソニアン博物館が舞台で、

アメリア・イアハートが登場することは知っています。

この夏休み中に見ておきたい映画です。

  

ニッポンを設計された航空界の名匠、本庄季郎さんのご子息、本庄

創(はじめ)さんからも多くの資料をご提供いただいた。子供時代

にトンボの飛び方を注意深く観察していた季郎さんは、純粋な好奇

心をそのまま持ち続け、数々の名機を誕生させた。戦後、飛行機製

造を禁止されていたときは自転車の設計をし、平和な時代が訪れて

からは「鳥人間」の設計にも挑戦されたという。飛行機とメカニズ

ムに対する情熱と探求は生涯色あせることはなかった。

(475~476p) 

  

あとがきの原田マハさんの文章です。

世界一周を果たしたニッポンの設計者。

「季郎」は何と読むのだろうか?

Wikipediaで調べたら、「きろう」でした。

映画「風立ちぬ」(2013年)に、

主人公の堀越二郎の同僚として登場しているとのこと。

ぬぬぬ、この映画は見ているけど、そこまで意識して見ていません。

映画「風立ちぬ」ももう一度見なければ。

  

 

太平洋戦争の敗戦国となった日本は、戦後7年間、飛行機を製造す

ることが許されなかった。その呪縛が解けた1965年、戦後初の

国産飛行機YS11がようやく登場するが、すでに欧米航空機に支

配された世界マーケットに入っていくには時すでに遅く、事業的に

は成功したとはみなされなかった。しかし2008年、満を持して

新たな国産機の製造開始が発表された。それが三菱リージョナルジ

ェット(MRJ)である。日本が本格的に翼を取り戻す日がいよい

よ現実になるのだ。

(475~476p) 

  

戦後、日本は飛行機製造が禁止されていた歴史を復習。

YS11は子供心に夢中で見ていた覚えがあります。

機影は思い浮かびます。

この本が発刊されたのは、2009年。

その頃はMRJは、盛り上がったいたのでしょうが、今はどうなった?

Wikipedia

今は名称を変更しているようです。

Mitsubishi SpaceJetが新名称。

ただ今は事実上の開発凍結状態だそうです。

うまくいきませんね。

  

信じがたいほど膨大な資料と、徹底的な取材、いったいこれだけの

情報をどうやってまとめたらいいのか、当初は途方にくれてしまっ

た。しかしとにかく書き始めた。やみくもに羽ばたきを始めるヒナ

鳥のようなものだった。

(477p)

  

こんな感じで書き始めたんだなと思いました。

小説家の正直な思いに触れたように思いました。

でもこうやってすごい本を仕上げてしまうのだから

さすがです。

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