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2022年7月28日 (木)

映画「沖縄スパイ戦史」を観ました

     

今日は令和4年7月28日。

  

この映画を観ました。

Epson118

「沖縄スパイ戦史」(三上智恵、大矢英代監督)

   

戦争が始まれば、こんな悲劇が起こってしまうことを

教えてくれたドキュメンタリー映画だと思いました。

  

沖縄戦での出来事。

悲劇その1は、少年兵。

沖縄では、15~17歳の少年たちが、銃を持たされ、

訓練を受けて少年兵として戦いました。

護郷隊、鉄血勤皇隊、防衛隊などと呼ばれました。

護郷隊の少年たちを訓練したのは、

陸軍中野学校出身の2人の中尉が派遣されて行いました。

日本軍は、沖縄の民間人を巻き込んで

戦争を遂行する方針だったのです。

上陸したアメリカ兵との肉弾戦を強いられました。

追い詰められて、基地を移動する際には、

ケガをしている少年兵は殺されました。

戦友の看護は認められていなかったのです。

足手まといになるし、生きてアメリカ兵の捕虜になれば、

こちらの情報が知られてしまうことを恐れて、殺したのです。

 

派遣された中尉は、戦争を生き残ります。

戦後、元中尉は、元少年兵や少年兵の遺族を訪問します。

遺族からは「何であなたは生きのこって、私の息子は死んだんだ」

と言って、追い返させられます。

中尉も当時は22歳。

少年兵にとっては兄貴のような存在。

少年兵も中尉も、戦争体験をするには若すぎたのです。

  

悲劇のその2は戦争マラリアです。

これについては、以前本で読みました。

ここでも道草 沖縄「戦争マラリア」① 8カ月一緒に生活して話を聞く(2020年4月29日投稿)

沖縄諸島の中にある波照間島での出来事。

この島に、中野学校出身の山下虎雄が赴任します。

最初は学校の優しい先生として、島民には認識されました。

しかし、戦火が近づいてくると、山下は正体を現します。

島民を、西表島に強制移住させるのです。

当時の西表島は、マラリアに罹る可能性が高い恐怖の島でした。

島民は反対しますが、受け入れられません。

西表島で島民の3分の1がマラリアで命を落とします。

なぜ移住させたのか。

軍の作戦を遂行するのに、戦力にならない民間人はじゃまだったのが、

一つの理由。

そしてもう一つの理由は、波照間島で飼われていた牛馬を取り上げて、

沖縄戦で戦う兵士の食糧にするためでした。

  

  

  

沖縄戦では、民間人を利用しながら、戦争が行われました。

しかし、日本軍は、民間人を信じていなくて、

民間人が敵に捕まれば、スパイになると思っていました。

疑心暗鬼の中、民間人をころす兵隊がいました。

民間人同士で疑って、かねてから気に入らなかった人物を、

殺してしまうということもありました。

  

この映画で、沖縄戦は、民間人を巻き込んだ

悲劇的な戦いだったことがわかりました。

軍隊は、敵のせん滅が目的であって、住民を利用すれども、

住民を守ることは作戦には入っていないのです。

味方の軍隊は、私たちを守ってくれるという考えは甘いのです。

それは昔話ではなく、今戦争が起こったとしても言えることなのです。

  

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