「おれは一万石 囲米の罠」読破/献残屋という商い
今日は令和4年3月12日。
この本を読みました。
「おれは一万石 囲米の罠」(千野隆司著/双葉文庫)
通算9冊目。最初から数えて第8弾。
引用します。
「江戸廻米の触(ふれ)は、昨年の十二月に出されただけではありま
せぬ。定信様が老中になる前の三月や五月にも、藩を特定して廻米の
触が出ておりました。越後高田藩、白河藩、二本松藩、会津藩などの
東北諸藩です。
「そういえば、大坂城の城詰米も江戸への廻送が命じられたな」
これは大坂定番を務める舅(しゅうと)正国からの文で知った。城詰
米は、大坂城の兵糧米の役割も果たす、軍事上の重要物資だ。それを
江戸へ回してしまうのは、太平の世だから許されるとしても、きわめ
て異例な話である。
(20~21p)
大坂からの廻米について、思い出すことがありました。
大塩平八郎の乱の原因の一つだった記憶が・・・
☝ ここに次のような記述がありました。
前年の天保7年(1836年)までの天保の大飢饉により、各地で
百姓一揆が多発していた。
大坂でも米不足が起こり、大坂東町奉行の元与力であり陽明学者で
もある大塩平八郎(略)は、奉行所に対して民衆の救援を提言した
が拒否され、仕方なく自らの蔵書5万冊を全て売却し(六百数十両
になったといわれる)、得た資金を持って救済に当たっていた。
しかしこれをも奉行所は「売名行為」とみなしていた。
そのような世情であるにもかかわらず、大坂町奉行の跡部良弼(老
中水野忠邦の実弟)は大坂の窮状を省みず、豪商の北風家から購入
した米を新将軍徳川家慶就任の儀式のため江戸へ廻送していた。
大坂も米がないのに、とんでもないことをするとその時は思いました。
しかし、この本を読むことで、当時は江戸が中心に考えられていて、
江戸の市場価格を正常に戻すために、他地域の事情に関係なく、
廻米が行われていた可能性があることがわかりました。
少々納得です。
「今後は、こうした新物が増えますぞ。大いに助かります」
浮き浮きとさえしている、奏者番が将軍家に近侍する役目であるこ
とは分かるが、どれほど進物の対象になるのか、正紀には考えもつ
かない。ただ井尻は大きな期待を寄せている。
「受け取った品には、不要なものもあるのではないか」
「その場合には、売りまする」
不要な進物を買い取る、献残屋(けんざんや)という商いがあるそ
うだ。これは初めて知った。
(90p)
井上正紀が養子に入った井上家の当主正国が奏者番に
なるという。そうすると進物(しんもつ)を持ってくる
者が増えるのだそうだ。その進物のうち不要なものを売る
商い「献残屋」・・・・この本はこんな江戸時代の勉強ができます。
こんな本もあるそうです。
「まいない節 献残屋佐吉御用帖」
好奇心は止まらない。
その気になれば、どんどん連鎖していきます。
「おれは一万石」シリーズにのめり込んだのも、
もとは、札差(年貢米を金にかえる業者)が
登場する小説だからがきっかけでした。
※ここでも道草 「おれは一万石 商武の絆」読破(2021年11月23日投稿)
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