「第五福竜丸事件(ビキニ事件)」のことを授業でやった
今日は令和4年2月19日。
現在私が特に関心のあることは2つ。
1985年の日航機墜落事故と
1954年の第五福竜丸事件(ビキニ事件)です。
この両者とも、調べれば調べるほど、
最初に知っていたことを上回る真相が見えてきて、
圧倒されます。
真実がもっと世間に知らしめないといけないと思います。
教師がそのような体験をしていることを、
少しでも生徒にも伝えたいと思うのが、
教師の自然な心情だと思います。
2月になって、第五福竜丸事件について授業をしました。
生徒にとってほとんど知らない事件です。
※ここでも道草 番画〈635〉〈639〉:「ビキニ事件」を生徒に示せる動画はないか(2022年1月27日投稿)
☝ この時に調べた映像のうち、〈638〉の動画を見せて、
あわせて黒板を使って事件の説明をしました。
その後、映画「西から昇った太陽」の見せました。
※ここでも道草 映画「西から昇った太陽」を借りて見ることができた(2021年12月29日投稿)
第五福竜丸が被ばくし、
乗組員が入院して治療を受けるところを見せました。
3人の元乗組員の証言をアニメにした映画。
アニメには力がありましたが、
証言が聞き取りにくく、
その点は生徒の集中力が欠けてしまったところかなと思いました。
この映画を見せるのは、もう少し問題意識をもってからだと
後から思いました。
元乗組員の証言を、聞き耳を立てて聴くくらいにしなければ。
それでも、第五福竜丸について知っていた生徒が、
乗組員全員が入院したことをこの映画で
知ることができたと言っていました。
私も、乗組員全員が治療を受けたことを知ったのはつい最近のことです。
1時間の授業はこれで終わりです。
翌日の授業で生徒に紹介したのが、
二見正直さんの紙芝居「わしのだいじなふね 第五福竜丸」です。
乗組員がどうなったかについては前時の授業でやりました。
では第五福竜丸はその後どうなったかを示すには
最適な紙芝居です。
紙芝居が始まりました。
滅多に見たことのない紙芝居。
生徒はよく集中して見ていました。
食べものがなく、マグロが喜んで食べられていた時代の
説明ができました。
そして被ばく。
水爆のキノコ雲とその近くで操業していた第五福竜丸の近さが、
絵で表されていました。
第五福竜丸はその後どうなったのか。
名前を隠して伊勢の大湊にやってきた第五福竜丸。
それが夜だったことが絵で伝わりました。
「放射能がうつるは!」と言われた船。
お風呂屋さんからも、拒否をされた作業員。
当時の放射能に対する人々の思いは、
昔のことではなく、今でもそう思うのではと伝えました。
名前を隠してある絵に反応した生徒もいました。
「第五福竜丸だとわかってはいけない雰囲気だったんだね」
第五福竜丸は大湊で生まれ変わって練習船として活躍しました。
その後、船は東京のゴミ捨て場に捨てられました。
しかし、船を保存しようという運動のおかげで、
今はこうなっています、と言って、紙芝居の最後の1枚を見せました。
生徒たちは、驚きの声をあげました。
屋根のある大きな建物の中に大切に保存されている第五福竜丸の写真。
マグロをとって、被ばくして、改造されて、捨てられて、
そして今は保存されている。
そんな第五福竜丸の人生を紹介できたと思います。
将来、生徒の中で覚えていた人が、
第五福竜丸展示館まで足を運んだらいいなと思いました。
最後に、水爆による被ばくは、第五福竜丸だけでなく、
多くの船も被ばくして、多くの乗組員の死を早めた話をして
授業を終えました。
第五福竜丸事件(ビキニ事件)は終わった事件ではなくて、
今に続く事件だと思います。
太平洋での原水爆実験による被害は、
いまだ真相が明らかになったとは言えません。
その真相を解明しようと動いている人たちがいます。
2019年の夏に、紙芝居「わしのだいじなふね 第五福竜丸」を
手にして以来、知らなかったことをたくさん知りました。
私は、第五福竜丸事件について、知っていたつもりでいたのであって、
本当は上っ面しか知らなかったのです。
紙芝居を手にして以後、いろいろ調べて、
第五福竜丸事件ではなくて、ビキニ事件と言った方が、
真相を明らかにするためにはいいことだと思うようにもなりました。
退職間際に、ビキニ事件の勉強ができて、授業ができたのは、
いい思い出となりました。
もう一つ。
1985年の日航機墜落事件。
このことも授業でやりたい。
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