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2021年4月11日

2021年4月11日 (日)

「ビキニ事件の真実」④ 第五福竜丸展示館で1日過ごしたい

   

今日は令和3年4月11日。

  

前記事に引き続き

「ビキニ事件の真実 いのちの岐路で」(大石又七著/みすず書房)

より引用。

  

第五福竜丸の船の歴史を、この本の年表からピックアップします。

  

1947(昭和22)年3月20日

     第七事代丸、和歌山県古座造船所でカツオ船として建造、進水

1951(昭和26)年1月

     第七事代丸、清水市金指造船所でマグロ漁船に改造

1953(昭和28)年3月

     第七事代丸、焼津市の西川氏に売却され第五福竜丸と改名、

     著者、第五福竜丸に乗船

1954(昭和29)年1月22日

     第五福竜丸、第五次航海出港。ミッドウェー海域、バール島方面へ。

     2月7日 第1回投縄開始

     2月19日 マーシャル諸島方面へ漁場変更

     3月1日 第五福竜丸、ビキニ海域で第14回目の最終投縄後、

     米軍が行った水爆実験で被爆。

     海域の856隻も被爆。廃棄されたマグロ457トン。

     3月14日 第五福竜丸、焼津港入港。

     3月18日 第五福竜丸立ち入り禁止

     3月22日 米軍、第五福竜丸を横須賀基地に

     曳航(えいこう)して処分したいと申し入れ。

     8月22日 第五福竜丸 焼津港より海上保安庁の「しきね」で

     東京に曳航される。 

1956(昭和31)年5月30日

     第五福竜丸、安全性が確認され、三重県伊勢市強力造船所で

     文部省が800万円かけて大改造。外板および肋骨を残すのみで

     他は全部新しくなり、東京水産大学練習船「はやぶさ丸」となる。

1967(昭和42)年3月10日

     はやぶさ丸、廃船となり、船体は夢の島第14号埋立地に

     捨てられる。エンジンは貨物船三千代川丸に売られて熊野灘で

     座礁、海中へ

1969(昭和44)年7月10日

     第五福竜丸保存委員会発足。

1970(昭和45)年2月

     第五福竜丸船名復活。

1973(昭和48)年11月

     第五福竜丸平和協会設立。

1974(昭和49)年10月

     船体東京都に寄付。

1976(昭和51)年6月10日

     第五福竜丸展示館、開館

1985(昭和60)年10月~翌年3月

     第五福竜丸船体を全面改修工事

1996(平成8)年12月2日

     第五福竜丸のエンジン引き揚げ

1998(平成10)年3月19日

     第五福竜丸エンジン贈呈式

  

  

以上です。

2000年になって何か出来事があったかどうかは、

実際に展示館に行って、確かめてきたい。

今年度中に展示館に行きたい。

行くからには、1日展示館で過ごして勉強をしたいと思う。

「ビキニ事件の真実」③ 亡くなった仲間たち

    

今日は令和3年4月11日。

   

前記事に引き続き、

「ビキニ事件の真実 いのちの岐路で」(大石又七著/みすず書房)

より。

   

1954年のビキニ事件は、日米の政府同士では

早く解決したいものだったようです。

日本で原水爆禁止運動が盛り上がってほしくない米国と、

原子力発電のノウハウをアメリカから手に入れたい日本。

その思惑が一致して、ビキニ事件はふたを閉められるように、

忘れさせられるように仕向けられました。

  

アメリカから東海村に原子炉が送られてきてからは、読売新聞と日

本テレビは、プロレスなど盛んだった娯楽番組の時間をさいて、「

原子力の平和利用、原子力時代到来」という大キャンペーンを始め

る。(中略)

やがて原子力の平和利用計画は、原子力船「むつ」の建造へと進ん

でいく。

庶民もまた、見えない放射能や、遠くで行われる地下実験よりも、

利便さを与えてくれる目先の原子力平和利用のほうに引かれていっ

た。そして、盛り上がっていたビキニ事件に対する関心や、核実験

反対の声も潮が引くように消えていった。

(88~89p)

   

ビキニ事件と引き換えに東海村に原子力施設ができたのですね。

  

 

ビキニ事件は、最初に死んだ久保山愛吉さんについては、

マスコミも大きく取り上げたが、それ以後亡くなった人は、

ひっそり死んでいったと、大石さんは書いています。

この本が発刊された2003年時点で、

第五福竜丸の生存者は11人。

亡くなった人は一覧されていました。

  

亡くなった仲間たち

久保山愛吉 局長 肝機能障害(急性放射能症) 

      1954・9・23死亡 40歳

川島正義  ボースン 肝硬変 肝機能障害

      1975・4・11死亡 47歳

増田三次郎 甲板員 肝臓がん (原発性)敗血症等

      1979・12・2死亡 54歳

鈴木鎮三  機関員 肝硬変 交通事故

      1982・6・18死亡 57歳

増田祐一  機関員 肝硬変(脳出血)

      1985・11・4死亡 50歳

山本忠司  機関長 肝臓がん(多発性)肺がん 結腸がん

      1987・3・6死亡 59歳

鈴木 隆  甲板員 肝臓がん(原発性)

      1989・4・29死亡 59歳

高木兼重  機関員 肝臓がん(原発性)

      1989・12・8死亡 66歳

久保山志郎 機関員 肝臓がん(原発性)

      1996・8・12死亡 65歳

服部竹治  賄係 肝臓がん(心不全)

      1997・1・10死亡 79歳

安藤三郎  甲板員 肝臓がん(原発性)

      1997・4・1死亡 71歳

(103~104p)

   

あまりに早く死んでいる乗船員たちのことがわかります。

  

ここでも道草 新聞記事/もう一つの核の悲劇「第五福竜丸被曝」(2019年11月26日投稿)

☝ この記事で紹介した新聞記事の大石さんの発言によると、

存命は4名とあります。

大石さんが3月7日に亡くなったことで、

存命は何人になったのだろう。

  

  

この本で、ビキニ事件が、私の中でクローズアップされました。

退職までにビキニ事件で授業をやってみたい。

「ビキニ事件の真実」② 原爆は核分裂、水爆は核融合

   

今日は令和3年4月11日。

   

前記事に引き続き

「ビキニ事件の真実 いのちの岐路で」(大石又七著/みすず書房)

より引用。

  

原爆は核分裂、水爆は核融合。相反するものを、くっつけたり離し

たりして、そのときに起こる大きなエネルギーを利用した爆弾だと

いう。難しいことは分からないが、好いている者同士を無理やり引

き離すのが原爆で、嫌いな者同士を無理やり一緒にさせるのが水爆

だ、と言った人がいた。

(12p)

  

なるほどと思った説明。

こういうことでいいのかな。

  

第五福竜丸の船の歴史。☟

  

神奈川県、三浦三崎の事代(ことしろ)漁業株式会社の発注で、1

947(昭和22)年に和歌山県東牟婁(むろ)郡古座町で作られ、

第七事代丸として進水した。船舶番号58531.機関種類は昭和

18年製のディーゼル・エンジン250馬力。

第七事代丸は5年間カツオ漁船として活躍し、全国でも指折りの好

業績をあげていた。船齢は6・9年。1953(昭和28)年6月、

焼津の西川角市氏がこの船を1200万円で買い受ける。

(12p) 

   

焼津にやってきて、船名は「第五福竜丸」となったのです。

  

  

大石さんは、ミッドウェー海戦を生き残った白石信秋さんに

話を聞いています。 

  

「悪運が強いんだな、ミッドウェーで助かって、その後、巡洋艦熊

野に乗り、レイテ作戦でもやられた。そのときは重油の中を泳いだ

よ。その後も、あっちこっち前線を転戦して戦ったが、やられてし

まった。おおいうところでの生き死にってのは、そこにいたから死

んだとか、ここにいたから助かったとか、そういうものじゃないな。

どうしようもない運だね。仲間はみんな死んでしまいましたよ」。

92歳の白石さんは静かに語られた。

(19p)

  

「どうしようもない運だね」という表現が印象に残りました。

命がかかった運です。

生き残ったのも、運によるもので、

死んでもおかしくなかったことが伝わってきます。

  

  

この本には、大石さんが他の人から聞いた証言がいくつも出てきます。

それが正確に描かれています。

その人の語り口が感じられるほどに。

ボイスレコーダーを利用していたのだろうか。

大石さんは、聞いた話を再現できる力があったのか。

  

  

(1954年)4月から降りつづいている放射能雨、原爆マグロ、

久保山さんの死。国民の不安と怒りは頂点に達した。核実験反対の

署名運動はますます広がり盛んになっていった。実験継続に対する

不満が反米感情となって目立ってくると、さすがのアメリカ政府も

洋上での核実験や補償問題を真剣に考えるようになっていた。そし

て、このビキニ事件を境に、核実験は地下核実験へと移っていく。

(61p)

  

  

生れる前のビキニ事件が、

地下核実験への移行をするきっかけだったのですね。

しかし、地上でやっていたことが、

とんでもないことだと思います。

それを実行してしまう雰囲気があったのですね。  

  

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