「ビキニ事件の真実」② 原爆は核分裂、水爆は核融合
今日は令和3年4月11日。
前記事に引き続き
「ビキニ事件の真実 いのちの岐路で」(大石又七著/みすず書房)
より引用。
原爆は核分裂、水爆は核融合。相反するものを、くっつけたり離し
たりして、そのときに起こる大きなエネルギーを利用した爆弾だと
いう。難しいことは分からないが、好いている者同士を無理やり引
き離すのが原爆で、嫌いな者同士を無理やり一緒にさせるのが水爆
だ、と言った人がいた。
(12p)
なるほどと思った説明。
こういうことでいいのかな。
第五福竜丸の船の歴史。☟
神奈川県、三浦三崎の事代(ことしろ)漁業株式会社の発注で、1
947(昭和22)年に和歌山県東牟婁(むろ)郡古座町で作られ、
第七事代丸として進水した。船舶番号58531.機関種類は昭和
18年製のディーゼル・エンジン250馬力。
第七事代丸は5年間カツオ漁船として活躍し、全国でも指折りの好
業績をあげていた。船齢は6・9年。1953(昭和28)年6月、
焼津の西川角市氏がこの船を1200万円で買い受ける。
(12p)
焼津にやってきて、船名は「第五福竜丸」となったのです。
大石さんは、ミッドウェー海戦を生き残った白石信秋さんに
話を聞いています。
「悪運が強いんだな、ミッドウェーで助かって、その後、巡洋艦熊
野に乗り、レイテ作戦でもやられた。そのときは重油の中を泳いだ
よ。その後も、あっちこっち前線を転戦して戦ったが、やられてし
まった。おおいうところでの生き死にってのは、そこにいたから死
んだとか、ここにいたから助かったとか、そういうものじゃないな。
どうしようもない運だね。仲間はみんな死んでしまいましたよ」。
92歳の白石さんは静かに語られた。
(19p)
「どうしようもない運だね」という表現が印象に残りました。
命がかかった運です。
生き残ったのも、運によるもので、
死んでもおかしくなかったことが伝わってきます。
この本には、大石さんが他の人から聞いた証言がいくつも出てきます。
それが正確に描かれています。
その人の語り口が感じられるほどに。
ボイスレコーダーを利用していたのだろうか。
大石さんは、聞いた話を再現できる力があったのか。
(1954年)4月から降りつづいている放射能雨、原爆マグロ、
久保山さんの死。国民の不安と怒りは頂点に達した。核実験反対の
署名運動はますます広がり盛んになっていった。実験継続に対する
不満が反米感情となって目立ってくると、さすがのアメリカ政府も
洋上での核実験や補償問題を真剣に考えるようになっていた。そし
て、このビキニ事件を境に、核実験は地下核実験へと移っていく。
(61p)
生れる前のビキニ事件が、
地下核実験への移行をするきっかけだったのですね。
しかし、地上でやっていたことが、
とんでもないことだと思います。
それを実行してしまう雰囲気があったのですね。
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