「ビキニ事件の真実」③ 亡くなった仲間たち
今日は令和3年4月11日。
前記事に引き続き、
「ビキニ事件の真実 いのちの岐路で」(大石又七著/みすず書房)
より。
1954年のビキニ事件は、日米の政府同士では
早く解決したいものだったようです。
日本で原水爆禁止運動が盛り上がってほしくない米国と、
原子力発電のノウハウをアメリカから手に入れたい日本。
その思惑が一致して、ビキニ事件はふたを閉められるように、
忘れさせられるように仕向けられました。
アメリカから東海村に原子炉が送られてきてからは、読売新聞と日
本テレビは、プロレスなど盛んだった娯楽番組の時間をさいて、「
原子力の平和利用、原子力時代到来」という大キャンペーンを始め
る。(中略)
やがて原子力の平和利用計画は、原子力船「むつ」の建造へと進ん
でいく。
庶民もまた、見えない放射能や、遠くで行われる地下実験よりも、
利便さを与えてくれる目先の原子力平和利用のほうに引かれていっ
た。そして、盛り上がっていたビキニ事件に対する関心や、核実験
反対の声も潮が引くように消えていった。
(88~89p)
ビキニ事件と引き換えに東海村に原子力施設ができたのですね。
ビキニ事件は、最初に死んだ久保山愛吉さんについては、
マスコミも大きく取り上げたが、それ以後亡くなった人は、
ひっそり死んでいったと、大石さんは書いています。
この本が発刊された2003年時点で、
第五福竜丸の生存者は11人。
亡くなった人は一覧されていました。
亡くなった仲間たち
久保山愛吉 局長 肝機能障害(急性放射能症)
1954・9・23死亡 40歳
川島正義 ボースン 肝硬変 肝機能障害
1975・4・11死亡 47歳
増田三次郎 甲板員 肝臓がん (原発性)敗血症等
1979・12・2死亡 54歳
鈴木鎮三 機関員 肝硬変 交通事故
1982・6・18死亡 57歳
増田祐一 機関員 肝硬変(脳出血)
1985・11・4死亡 50歳
山本忠司 機関長 肝臓がん(多発性)肺がん 結腸がん
1987・3・6死亡 59歳
鈴木 隆 甲板員 肝臓がん(原発性)
1989・4・29死亡 59歳
高木兼重 機関員 肝臓がん(原発性)
1989・12・8死亡 66歳
久保山志郎 機関員 肝臓がん(原発性)
1996・8・12死亡 65歳
服部竹治 賄係 肝臓がん(心不全)
1997・1・10死亡 79歳
安藤三郎 甲板員 肝臓がん(原発性)
1997・4・1死亡 71歳
(103~104p)
あまりに早く死んでいる乗船員たちのことがわかります。
※ここでも道草 新聞記事/もう一つの核の悲劇「第五福竜丸被曝」(2019年11月26日投稿)
☝ この記事で紹介した新聞記事の大石さんの発言によると、
存命は4名とあります。
大石さんが3月7日に亡くなったことで、
存命は何人になったのだろう。
この本で、ビキニ事件が、私の中でクローズアップされました。
退職までにビキニ事件で授業をやってみたい。
コメント