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2021年3月23日 (火)

「この国の不寛容の果てに」⑤ 「オープンダイアローグ」

   

今日は令和3年3月23日。

  

前記事に引き続き、

「この国の不寛容の果てに 相模原事件と私たちの時代」

(雨宮処凜編著/大月書店)より。

  

森川すいめいさんと雨宮処凛(かりん)さんとの対談。

   

森川:私が現在取り組んでいて、いちばん腑に落ちている精神医療

のアプローチが「オープンダイアローグ」というものです。日本語

では「開かれた対話」という意味ですが、患者さんと医師を含む数

人のグループで輪になって、ひたすらお互いの話を聞くというもの

です。フィンランドの精神医療で始まった取り組みですが、これが

功を奏すると、従来のような投薬や強制入院といった医療的介入を

劇的に減らすことができると言われていて、現在世界的に注目され

ている手法です。

(75%)

   

投薬治療を受けている身としては気になる文章です。

受容的に話を聞いてもらう体験がいいのです。

さらに続きます。

  

森川:これまでの精神科医療というのは、患者さん(相談者)に対

して医療者が権威的な立場にいて、一方的に診断を下し、治療法を

命令する立場にありました。オープンダイアローグでは、それをフ

ラットな関係性にするための工夫をしています。一対一のの対話で

はなく、3人以上にするのもそのひとつです。

当然のことですが、医者も個人としてそれほど豊富な人生経験を持

っているわけではありません。しかし、相談者と一対一で向き合う

と、どうしても知識や権威の圧倒的な差が生まれ、医師のいうこと

を相談者が「聞くか・聞かないか」という関係になってしまいがち

です。精神科医療でいえば、医師の言うことを聞かないなら身体的

な自由を奪う判断さえ、医師の胸先三寸でできてしまうわけです。

こういう関係におちいる危険を回避するために、オープンダイアロ

ーグでは、医療などの専門家はかならず2人以上で参加することが

大切にされています。そうすると、一方の専門家が言っていること

をもうひとりが否定したり、別の見方を示したりします。相談者と

専門家の間の力の差は消えるわけではありませんが、専門家が2人

いることで権力が相対化されて、結果として対等な関係に近づくん

ですね。

雨宮:なるほど。

森川:ひとりの医師の固定された視点ではなく、複数の視点で見る

ことで、相談者にとっても見える世界が広がります。相談者だけで

なく専門職側も同様です。さらに、専門家だけでなく、たとえば相

談者のご両親に入ってもらうとか、複数の人が参加することで、そ

れぞれの人生経験が重ねあわされて、立体的な世界が立ち上がって

くるんですね。

(76%)

   

私は心療内科では一対一です。

それが普通だと思っていました。

「オープンダイアローグ」という診断方法?も面白いなと思います。

もう少し具体的にどのようにやっているのか知りたくなりました。

「オープンダイアローグ」だと、時間的にも余裕が欲しいし、

医師も1人ではなく複数です。

どれくらいの頻度で行っているのだろう。

  

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