« 2021年3月26日 | メイン | 2021年3月29日 »

2021年3月28日

2021年3月28日 (日)

認知症本人の尊重と介護家族の負担軽減の両立

   

今日は令和3年3月28日。

   

2021年3月27日朝日新聞朝刊の記事です。

Epson635

「マンガ認知症」(ちくま新書)のことを書いた記事。

印象に残った文章が2つ。

  

本文2段目の文章。

  

(サトー先生は)とても分かりやすく認知症の人の「心の中」を

解説していくのだ。本人たちがいかに孤独を感じ、不安と闘って

いるかと。

  

父親は89歳。脚を悪くして車いす生活になり、

認知症となってから、

老人クラブの集い等に行くことはなくなりました。

ショートスティやデイサービスに行かない日曜日は、

朝から食卓にいて、新聞を読んだり、ハーモニカをならしたり、

電気髭剃りをいじくったりしていますが、居眠りしていることも多々。

時々家族が声をかける程度。

孤独を感じているだろうなあ。

  

不安に思うと、家族に何度も質問攻めをしてきます。

「明日の朝は何時に起こしてくれるのか」

「着がえる服は用意してあるのか」

「家を出発するのは何時だ」

「おまえが送っていってくれるのか、迎えに来てくれるのか」

「本当に大丈夫だろうな」

答え終わるころには、再びこの質問が出ます。

「明日の朝は何時に起こしてくれるのか」

だから・・・さっき言ったばかりなのになあ。

父親はおそらく仕事に対して、

慎重にことを進めるタイプだったと、

認知症になったあとのこのような会話から想像します。

そういう父親の真面目さを知ったことは収穫ですが、

ひとつずつ確認しつつも、一方で忘れてしまうので、

何度も何度も質問攻めをしてきます。

こちらもストレスが蓄積してきて、

「もう知らん!」と怒ってしまうこともあります。

父親は少しでも不安を解消したのだとわかってはいるけど、

なかなか心穏やかにはおれません。

本文4段目には次のような文章がありました。

  

強調したいのは、本人の尊重と介護家族の負担軽減は両立しうる、

ということだ。もちろん苦労や葛藤は雲散霧消しない。だが、本

人の心を理解することは家族にも変化を及ぼす。

  

本人の尊重と介護家族の負担軽減の両立。

難しいと思いますが、この本を読むとヒントがあるのでしょうか。

図書館に予約しました。

こざかい葵風館のオープン日がわかった

   

今日は令和3年3月28日。

   

楽しみにしている「こざかい葵風館」の

オープンする日が今日判明しました。

回覧板にこのチラシが入っていました。

1

それは5月2日(日)でした。

開館記念式典もあるそうです。

行っちゃおうかな。

   

きっと自分にとって大事な場所になると予想するところ。

開館からかかわりたい。

「この国の不寛容の果てに」⑨ かつては社会的フィルターが存在していた

   

今日は令和3年3月28日。

  

前記事に引き続き、

「この国の不寛容の果てに 相模原事件と私たちの時代」

(雨宮処凜編著/大月書店)より。

  

向谷地生良さんと雨宮処凛さんとの対談です。

  

う~ん、どう引用したら、伝えたいことが伝わるのか。

とにかく引用してみます。

  

向谷地:人間はそもそも、社会や世界の中に飛び交う言葉や雰囲気、

文化を取り込みながら自分をつくっている。(中略)

いままでの医療は、統合失調症や精神疾患を抱えた人たちの幻聴と

か自殺念慮、マイナス思考に対して、薬を飲ませてその人を変える

ことで解消しようとしてきたわけですが、それが間違っていたんじ

ゃないか。その人たちは、たまたま人より敏感なアンテナを持って

いたために、周囲の社会の空気や現実を人よりも素直に取り込んで、

その結果として生きづらさや病気というものが症状として立ち上が

っているのではないか。そういう考え方ができると思い至ったんで

す。

(89%)

  

私も投薬治療を受けている最中。

私がうつ病を発病した理由は何だったのか。

マイナス思考で「辞めたい」と思ったのはなぜなのか。

その理由を社会の空気に求めてもいいと思いました。

そこを改善しないと、私が再び発病するかもしれないし、

自分のように発病する人も出てくるかもしれません。

   

  

向谷地:SNSやネットがない時代は、どんなことであれ、語った

ことは人のつながりのフィルターを通してゆっくりと世に出ていっ

た。地上の泥水がゆっくり土に染み込んで地層の中で浄化されるよ

うに、ある種の社会的なフィルターが存在していたと思うんです。

現在はそこに穴が空いてしまって、発した言葉がそのままストレー

トに、無批判に世の中に出て行く。

(91%)

  

SNSやネットがない時代には、

社会的なフィルターが存在していたという説になるほどと思いました。

この視点は持っておきたいなと思いました。

  

この本からの引用はここまでにしましょう。

初めての電子書籍でした。

たくさん勉強ができた本でした。

  

「この国の不寛容の果てに」⑧ 「べてるの家」の名前の由来

   

今日は令和3年3月28日。

  

3月24日の記事の続きで、

「この国の不寛容の果てに 相模原事件と私たちの時代」

(雨宮処凜編著/大月書店)より。

  

向谷地生良(むかいやちいくよし)さんと

雨宮処凛さんとの対談。

  

向谷地:従来の精神科医療の考え方では、統合失調症などの患者さ

んに対しては、投薬治療して段階的にリハビリを施して、自立・回

復をめざす。そういうひとつのイメージがあったわけです。でも私

は、お医者さんには悪いけど、病院の中での回復っていうのに違和

感があった。当事者運動とか当事者活動の影響を受けてきたことも

あって、病院に就職してすぐ思ったのは「医学の医は”囲い込み”の

囲、看護の看は”管理”の管、福祉の福は”服従”の服」だなって。こ

の構造が精神科の中に根を張っている。そういう中での回復とか治

療なんてありうるだろうか、と。

だから、なるべく精神科から離れたところで、患者さんといろんな

ことをしてみたいっていう思いがあったんです。

(86~87%)

   

向谷地さんは、地域で患者さんと一緒に住んで、

良い方向にもっていこうとしました。

向谷地さんらが活動している「浦河べてるの家」の

名前の由来に関する話。☟

 

向谷地:その由来は、ドイツのビューレフェルト市という、オラン

ダに近い工業都市の中にある、ベーテル(ヘブライ語で「神の家」)

という小さな町の名前です。いまから170年くらい前、その町に

ある小さな教会が、てんかんの青年たちを受け入れて共同生活を始

めた。当時、てんかんの人たちも社会から理解されず、非常に困難

な立場にあったようです。そこに、いろいろな障害を持つ人たちが

集まるようになって、働く場所や暮らす場所、病院などが徐々にで

きて、町に発展したんだだそうです。(中略)

ナチスの時代になって、ドイツは障害者や難病患者は国の発展の阻

害要因だと考えて、安楽死計画を実行しました。とりわけ精神障害

者をターゲットに、選別して安楽死させる政策が始まって、当然ベ

ーテルの障害者たちも対象になったんですが、町の人々があの手こ

の手で抵抗して彼らを守ったそうです。たとえば、詳細なチェック

リストに基づいて対象者を選別する段階で、この人はこれができま

す、あれもできます、と証言したりして。そういう逸話のある町な

んです。

雨宮:T4作戦といわれた障害者絶滅政策ですね。てんかんの患者

も対象だったんですか。

向谷地:精神障害、知的障害、病弱者など全部ですよね。それが実

行された先にユダヤ人の大量虐殺があったわけですが、最初は精神

障害者の安楽死政策から始まったと言われています。それに抵抗し

た町がベーテルで、たまたまその話を聞いた宮島牧師が、「べてる」

と名付けようとおっしゃったんです。

(86~87%)  

  

「べてるの家」については以前勉強をしました。

ここでも道草 縁を大切にして「べてるの家」について調べ始めました(2018年3月21日投稿)

ここでも道草 本「治りませんように」からの引用(2018年4月9日投稿)

これを機会に読みなおしてみました。

「べてるの家」の「べてる」は、

ドイツの町の名前が由来だったのですね。

日本語としては不思議な音色だと思っていましたが、

由来を聞いて納得です。

  

最近の写真

  • Img_9574
  • Img_9550
  • Img_9549
  • Img_9527
  • Img_9525
  • Img_9490
  • Img_7933
  • Img_9450
  • Img_7936
  • Img_9557
  • Img_9556
  • Img_9555

楽餓鬼

今日はにゃんの日

いま ここ 浜松

がん治療で悩むあなたに贈る言葉