「この国の不寛容の果てに」⑧ 「べてるの家」の名前の由来
今日は令和3年3月28日。
3月24日の記事の続きで、
「この国の不寛容の果てに 相模原事件と私たちの時代」
(雨宮処凜編著/大月書店)より。
向谷地生良(むかいやちいくよし)さんと
雨宮処凛さんとの対談。
向谷地:従来の精神科医療の考え方では、統合失調症などの患者さ
んに対しては、投薬治療して段階的にリハビリを施して、自立・回
復をめざす。そういうひとつのイメージがあったわけです。でも私
は、お医者さんには悪いけど、病院の中での回復っていうのに違和
感があった。当事者運動とか当事者活動の影響を受けてきたことも
あって、病院に就職してすぐ思ったのは「医学の医は”囲い込み”の
囲、看護の看は”管理”の管、福祉の福は”服従”の服」だなって。こ
の構造が精神科の中に根を張っている。そういう中での回復とか治
療なんてありうるだろうか、と。
だから、なるべく精神科から離れたところで、患者さんといろんな
ことをしてみたいっていう思いがあったんです。
(86~87%)
向谷地さんは、地域で患者さんと一緒に住んで、
良い方向にもっていこうとしました。
向谷地さんらが活動している「浦河べてるの家」の
名前の由来に関する話。☟
向谷地:その由来は、ドイツのビューレフェルト市という、オラン
ダに近い工業都市の中にある、ベーテル(ヘブライ語で「神の家」)
という小さな町の名前です。いまから170年くらい前、その町に
ある小さな教会が、てんかんの青年たちを受け入れて共同生活を始
めた。当時、てんかんの人たちも社会から理解されず、非常に困難
な立場にあったようです。そこに、いろいろな障害を持つ人たちが
集まるようになって、働く場所や暮らす場所、病院などが徐々にで
きて、町に発展したんだだそうです。(中略)
ナチスの時代になって、ドイツは障害者や難病患者は国の発展の阻
害要因だと考えて、安楽死計画を実行しました。とりわけ精神障害
者をターゲットに、選別して安楽死させる政策が始まって、当然ベ
ーテルの障害者たちも対象になったんですが、町の人々があの手こ
の手で抵抗して彼らを守ったそうです。たとえば、詳細なチェック
リストに基づいて対象者を選別する段階で、この人はこれができま
す、あれもできます、と証言したりして。そういう逸話のある町な
んです。
雨宮:T4作戦といわれた障害者絶滅政策ですね。てんかんの患者
も対象だったんですか。
向谷地:精神障害、知的障害、病弱者など全部ですよね。それが実
行された先にユダヤ人の大量虐殺があったわけですが、最初は精神
障害者の安楽死政策から始まったと言われています。それに抵抗し
た町がベーテルで、たまたまその話を聞いた宮島牧師が、「べてる」
と名付けようとおっしゃったんです。
(86~87%)
「べてるの家」については以前勉強をしました。
※ここでも道草 縁を大切にして「べてるの家」について調べ始めました(2018年3月21日投稿)
※ここでも道草 本「治りませんように」からの引用(2018年4月9日投稿)
これを機会に読みなおしてみました。
「べてるの家」の「べてる」は、
ドイツの町の名前が由来だったのですね。
日本語としては不思議な音色だと思っていましたが、
由来を聞いて納得です。
コメント