「還暦からの底力」④ 江戸末期の日本人の身長が低い理由
今日は令和2年10月29日。
前記事に引き続き、
「還暦からの底力 歴史・人・旅に学ぶ生き方」
(出口治明著/講談社現代新書)から引用します。
日本は非常に恵まれた国です。気候が温暖で四季があり、よく雨が
降るしたくさんの魚も獲れる。自然条件にとても恵まれているので、
人間が生きていきやすい環境にあります。
ところが、世界商品がありません。水や魚は世界のどこにでもあり
ますから、海外の人にとってぜひ欲しいというものではありません。
世界商品の典型が胡椒やお茶や絹です。原油もそうです。つまり、
世界中の人が欲しがるものが世界商品で、それが存在すると世界商
品の獲得のために外部から人がたくさん来訪し、場合によっては国
が乱れる元になったりします。イラクになぜ米軍が入ったかといえ
ば、石油があるからだという人がいます。同じように反米政権であ
っても、スーダンには入りませんでした。
日本にはこれといった世界商品がなかったので、外部からあまり人
が訪ねて来ませんでした。それは商売ができないので、豊かな国に
はならない、ということではありますが。
ところが安土桃山時代に銀という世界商品が大量に発見されました。
その代表が石見銀山です。当時の銀は世界通貨だったので、海外か
ら銀を求める人々がわっと押し寄せてきました。
しかし信長や秀吉の時代をピークとして、乱掘によりだんだん銀は
とれなくなりました。そのタイミングでちょうど鎖国が始まります。
なぜ日本が鎖国ができたかといえば、日本に世界商品がなくなった
ので、海外の人が日本を放っておいてくれたからです。
(165P)
そうかこういう見方もあるんだと思いました。
石見銀山の銀は世界を動かしたんだ。
さらに江戸幕府に対して手厳しい見方をしています。
徳川政権は中国の明に似た退嬰(たいえい)的な政権で、人々の自
由な移動や物資の移動を禁止しました。これが意味するところは、
幕府の許可がない限り、鹿児島で飢饉が発生しても熊本から米を送
れないということです。徳川政権は大名同士が勝手に結び付くこと
を嫌ったので、すべて幕府の許可が必要でした。だから飢饉が発生
すると、どこでも惨憺(さんたん)たる状況になりました。江戸に
報告して許可を待っている間に、みんなが死んでしまうからです。
また人々の移動を禁止したので、人々が通婚する範囲が狭くなりま
した。移動ができなければ、自ずと同じ村か隣村くらいでしか通婚
できません。それが続けば血が濃くなるので、人々の身体は小さく
なっていきます。江戸末期は日本の長い歴史のなかで日本人の身長
と体重が一番小さくなりました。
政治の基本はそこで暮らしている人たちに腹いっぱいご飯を食べさ
せることですから、餓死者を大量に出し(現在の人口スケールで考
えれば、500万人レベル)、日本人の身長・体重を一番小さくし
た江戸時代は史上最低の政権だったといえます。
(165~166P)
江戸末期の日本人の身長の低さは気になっていました。
その原因は、江戸幕府の政策によるんだ?
出口さんが書いていることなので、なるほどと思ってしまいます。
江戸幕府に対する新しい見方です。
つづく
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