3日ぶりの投稿/透明マスクの必要性を感じた読み聞かせ
今日は令和2年6月6日。
3日ぶりの投稿です。
これだけ空いたのは久々です。
理由は2つ。
投稿よりも読書を優先したこと。
今週、6時間授業が始まって日々へたばっていたこと。
昨晩金曜日の体重は、普段よりも2㎏少なかったです。
今日、マイペースで過ごしたら、体重は戻りました。
金曜日の道徳の時間の導入で、
7年ぶりに「フングリコングリ」の読み聞かせをしました。
※ここでも道草 「フングリコングリ」久々の読み聞かせ(2013年10月27日投稿)
「図工室のお話し会 フングリコングリ」(岡田淳作・絵/偕成社)
読み聞かせをしてみて思ったのは、
マスクをしていて口元を見せられないのは、
表現的に制限されるんだということ。
お話の盛り上げのところが、
十分に伝わらないもどかしさを感じました。
口は予想以上に大事でした。
その同じ金曜日(6月5日)朝日新聞朝刊で、
東山動物園の上野吉一さんが
次のようなことを言っていました。
口元は表現の道具です。チンパンジーは怒ったり、逆に恐怖を感じ
たりすると歯をむきだし、うれしいと口が半開きにゆるみます。離れ
ていても顔から、どんな状態かわかる。周囲に感情を伝えているわけ
です。
ヒトの表情筋はサルよりも発達しています。その半分がマスクで隠
された状態で、目の動きからどれだけのことが読み取れるのか。
なるほどです。
教師の職業にとって、マスクは厄介です。
あごにつける透明マスクが先日職員に配付されましたが、
それは口の形で発声を伝える英語と音楽の先生用と思っていました。
とんでもない。
私も使わねばと思いました。
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