「ゼンメルワイスの闘い」③ 人間の誕生とともにあった産褥熱/ブダ
今日は令和2年3月14日。
前記事に引き続き、
「手洗いの疫学とゼンメルワイスの闘い」
(玉城英彦著/講談社/2017年)より引用します。
産褥熱は前述のとおり、18世紀になって独立した病気と認めら
れたが、おそらく人間の誕生と同時に妊婦や赤ちゃんを苦しめて
いたと思われる。その証左に、医学の父ヒポクラテス(前460
頃~前375頃)の有名な全集の中にすでに産褥熱の記述がある。
母親になるということは、いつの時代でも、産む”苦しみ”に加え、
自分の生命と生まれてくる子どもの命を危険を冒して”守る”とい
う二重の大きな責務を負っている。19世紀以前には、母親の4
人に1人が自分の赤ちゃんの顔を見ることなく、亡くなることも
珍しくなかった。古来日本では、産褥期での妊産婦の死亡を「産
後の肥立ちが悪く」亡くなったといわれていた。やせ細って、な
かなか体調が回復しない(肥らない)ことに由来するらしい。
(41~42p)
4人に1人が自分の赤ちゃんの顔を見ることができない時代。
今はそうではないことを幸せに思います。
医学の進歩のおかげです。
彼(ゼンメルワイス)は1818年7月1日ブダ(現在のブタベ
スト)に、ドイツ系商人の第5子(4男)として生をうけた。
(43p)
この文章でビックリしたのが、「ブダ」という都市があったこと。
「ペスト」という都市もあって、それが合わさって「ブタペスト」
になったことを知りました。
合併したのは1873年。Wikipedia ブダベスト
ゼンメルワイスは学生時代に、3人の先生の魅力に取りつかれて
おり、その指導ももとで研究の面白さをすでに学んでいた。そし
て何よりも彼らを尊敬していた。人の出会いによって私たちの人
生は大きく変わる。人生行路において何を学ぶかは重要であるが、
それ以上にその過程で”誰に会うか”ということがより重要である。
その誰かの一言は、何十冊の本の内容にも勝るものだ。ゼンメル
ワイスにとって、3人の恩師との出会いはまさに運命的なもので
あった。
(55p)
この本の中で、所々、著者の人生訓が顔を出します。
ここもその場面。
今があるのは、人と出会ってきた結果だと思います。
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