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2020年1月

2020年1月13日 (月)

「やりたいことができないという感覚」を味わいたくない

  

今日は令和2年1月13日。

  

この本は後半を熟読しました。

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大人の時間はなぜ短いのか

(一川誠著/集英社新書)

   

引用します。

第6章「現代人をとりまく時間の様々な問題」のうち、

「高速化する生活」に書いてあった文章。

  

車さえもっていれば、私たちは難なく時速40キロの速度で何

百キロと走行できる。日本の市街地の多くの車道では時速が

40キロ以下に制限されているが、車での移動に慣れた多くの

運転手にとってはこの制限速度は速いとは感じられないだろう。

だが、この時速40キロという速度は、私たちの肉体だけで可

能な限界をすでに超えているのである。

人間にとっての移動は、もともと歩いたり走ったりという、自

分の身体を使った手段に基づくものだったはずだ。つまり、た

いていの人間が経験する最速の移動速度は、せいぜい平均時速

20~40キロだったと考えていいだろう。ところが、技術の

発達で高速の移動手段を手に入れた私たちは、これまでの自然

環境下での進化の過程では経験することのなかった速度で移動

している。

(144~145p)

  

たとえば、ドラマで、幕末に薩摩藩の西郷隆盛が京都に行く場面。

歩いている西郷さんを見て、行くだけで時間がかかるよなあと

思っていました。

今は本当に速い。

この速さは、人類の歴史で考えれば、つい最近のことなんですね。

  

  

同じく第6章の「高速化する情報伝達」に書いてあった文章。

 

今や、多量の情報を短時間で、しかも、正確に多方面に伝達で

きる。会話の音声や身振り手振りの映像情報を、瞬時に世界中

に配信することが可能になったためである。テレビなどでは、

登場人物の会話の音声や映像以外に、その時々の最新ニュース

や天気予報、株価などのマーケット情報など、複数の情報を並

行して表示するようなことも日々行われている。

(146p)

  

インターネットの普及は、その気になれば際限なく

情報を浴び続けることができてしまいます。

  

  

以上のことを踏まえて、次の文章が特に印象が残りました。

  

高速化した現在においては、様々な情報が入り、移動も高速化

されたことにより、潜在的に実現可能な事柄の数は増えたに違

いない。やりたいことの中には「どうしても実現したい」とい

うものもあれば「やらないよりはやったほうがまし」というレ

ベルの事柄も多く含まれていることだろう。

しかし、人間が一つのことをやり遂げるにはどうしても一定の

時間がかかる。その時間が技術革新や経験、学習によって、増

えた欲望を満たすのに必要な時間以上に短縮されないとしたら

どうなるだろうか。当然、潜在的な可能性に基づいて肥大する

欲望のうち、実際に満たされるものは一部のみということにな

る。この場合、やりたいこと、やれるはずのことは数多くある

のに、なかなかそれが実現できないジレンマが生じる。

そうなると、むしろ、できる事柄が少なかったころよりも時間

が足りず、忙しく、やりたいことができないという感覚が強く

なっているかもしれない。

(167p)

  

忙しく、やりたいことができない感覚はありました。

今は大丈夫ですが、復職をしたなら、きっとまたこの感覚を

感じる可能性が大です。

上手にやりたい。

優先順位をつけて仕事をしたい。

やりたいことを後回しにして

結局やれなかったという日々にならないようにしたい。 

  

  

日々追われるように仕事をしていると、

あっという間に月日は過ぎて、何をしたのかと思い出そうにも

思いだせないことが起こるそうです。

(テレビ番組で一川氏が言っていました)

仕事を精選して、一つ一つの仕事に思いを込めて取り組みたい。

そうすれば、月日はゆっくり進む。

ゆっくり年をとることができる かも。

真鍋淑郎氏/ジェームズ・ハンセン氏を知る

今日は令和2年1月13日。

  

この本を読み始めました。

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石炭火力が日本を救う~CO2神話の崩壊

(木本協司著/現代書館)

   

温暖化、気候変動に関するいろいろな本を読もうと思って

選んだ本ですが、?と思う文章に早々出合いました。

  

そもそも「エネルギー資源がないという国内矛盾を外交や軍事

力の行使で解決するのが政治」であり、天才的な戦略家石原莞

爾は第一次世界大戦に最重要な軍需物資となった石油を求めて、

1931年9月に満州事変を起こした。もしも石油生成に関す

る「海成腐泥起源説」という誤った学説に惑わされないで満鉄

が大慶油田群を発見していたら、満州国は「輝ける産油国」と

なって(戦争をする必要がなくなるため)その後の日中戦争ー

太平洋戦争―原爆投下による敗戦という歴史はなかったのであ

る。

(20p)

  

  

著者は2人の学者の温暖化説を批判していますが、

その批判の根拠が読んでもよくわかりませんでした。

その代わりに、温暖化の危機を唱えた2人の学者のことを

知りました。

  

一人は、日本人。真鍋淑郎(しゅくろう)氏。

Wikipedia 真鍋淑郎

そしてもう一人はアメリカ人。ジェームズ・ハンセン氏。

ハンセン氏については、TEDの映像を見て勉強できました。

TED「なぜ気候変動について叫ばなければならなかったか」/ジェームズ・ハンセン

Ted  

 

この2人の学者のことを知ったのは収穫でしたが、

この本を読破するのは諦めました。

 

次の本を読もうと思いました。

日めくりより/斎藤義”龍”興 竹中半兵衛

今日は令和2年1月13日。

  

日めくり「雑学王」(TRY-X)より。

   

知らぬ顔の「半兵衛」って、どんな人?

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この日めくりを提示した機会に、よくこんがらがることを

整理しておきたいです。

  

1月19日から放映が始まる大河ドラマ「麒麟がくる」の

人物相関図の一部です。☟

Nhk  

斎藤道三の長男が齋藤義龍です。

その息子が斎藤龍興です。

軍師竹中半兵衛は、義龍に仕えていて、

義龍死去の後、龍興に仕えました。

義龍と龍興の名前が入れ替わってしまうことがあります。

同じ漢字が使われているので、義「龍」興と覚えたらいいかも。

 

まだだれが斎藤龍興や竹中半兵衛を演じるかは

わかっていません。

竹中半兵衛役では、谷原章介さんが印象深いです。

Em3dnpvvuaaf00s ついっぷるトレンド

大河ドラマ「軍師官兵衛」の時でした。(2014年)

今度の大河ドラマでも、きっと竹中半兵衛は登場しそうです。

誰が演じるのか楽しみです。

2020年1月12日 (日)

「シリア内戦」⑤ パリ同時多発テロ

 

今日は令和2年1月12日。

  

前記事に引き続き、

シリア内戦」(安武塔馬著/あっぷる出版社)より

引用していきます。

  

2015年11月1日、シナイ半島の観光リゾート地シャルム

・シェイクからサンクト・ペテルブルグに向かったロシアの旅

客機が墜落し、乗客・乗員計224名全員が死亡する大事件が

発生した。すかさずISILが犯行声明をだしたが・・・・

(323p)

  

この旅客機墜落事件は、ISILの報復の可能性が高いです。

そして、ISILの報復は各国で頻発しました。

 

2015年7月20日トルコ、シリア国境にほど近い町スルチュで、

自爆テロ。30人以上が犠牲になりました。

2015年10月10日トルコ、首都アンカラで自爆テロ。

103人が犠牲なりました。

ISILは、シリアでクルド人と戦っており、犠牲になったのは、

トルコのクルド系のグループでした。

犯行声明は出されていませんが、2件とも、

ISILの犯行とみられています。

  

2015年11月12日レバノン、ベイルート南郊外で自爆テロ。

40名以上が犠牲になりました。

そこは、シリアでISILが戦っているヒズボッラーの根拠地でした。

そして翌日の2015年11月13日。

パリで同時多発テロ事件が起きました。

引用します。

  

ほとんどの犠牲者は、いったい何が起きたのか、起こっている

のかすら、理解する前に命を落としたはずだ。

一連のテロ攻撃は午後9時20分から40分の間に、パリの3

か所で相次いではじまった。

最初に襲われたのは、オランド大統領がサッカー仏独戦を観戦

していた、パリ市北部のサン・ドニ地区にあるスタード・ドゥ・

フランスだった。自爆ベルトを着こんだ3人の男が競技場に入

ろうとして警備員に阻まれ、相次いで自爆した。大統領はSP

に守られ避難した。

ほぼ同じ時刻、別の3人組が黒い「シ~と」社製の車で移動し

ながら、都心部の「プチ・カンボジア」レストランや「ラ・ベ

ル・エキぺ」バーなど、4つの店を次々に襲った。食事を楽し

んでいた客は無差別に乱射される自動小銃の銃弾の餌食となっ

た。「プチ・カンボジア」で15名、「ラ・ベル・エキぺ」で

は19名が命を奪われた。

第3のグループの3人は自爆ベルトを着込み、自動小銃を手に、

収容人数1500人のコンサート・ホール「バタクラン劇場」

を襲った。サッカー・スタジアムのケースと違い、こちらはホ

ールへの襲撃者の侵入を許してしまったため、地獄の惨状を呈

した。銃の乱射と、犯人たちの立てこもり、そして最後の自爆

によって、89人が落命した。

(334p)

 

  

その後の捜査で、犯行グループのメンバーが特定された。その

ほとんどは以下のように、かなり似通った文化的・社会的背景

の持ち主だった。

①国籍はフランス人かベルギー人。

②北アフリカ(モロッコ、アルジェリア)系のアラブ・ムスリ

 ム移民の子孫(第二世代か第三世代)。

③シリア渡航歴とISILメンバーとしての戦闘経験

④年齢25~35歳、独身

⑤シリア渡航前にはイスラムの戒律を守っておらず、生活態度

 はむしろ享楽的・破滅的だった。

(336p)

    

  

フランスやベルギーは、旧植民地などから多くのムスリムを移

民として自国に受け入れたその中から社会的・経済的な成功者

も出たが、圧倒的に少数である。大多数の移民とその子孫は社

会の底辺にとどまり、ホスト国の社会に同化できず、疎外感を

引きずってきた。

そんなムスリム移民社会の中でも、特に社会的にも経済的にも

強い疎外感を感じる層に、ISILの過激思想が入り込んだ。

そしてアバウード(パリ同時多発テロ首謀者と目されている人

物 自爆死)のようなオーガナイザー(まとめ役)を育て、危

険極まりないテロ細胞を築き上げたのだ。

(337p)

   

シリア内戦を知ったうえだと、このパリ同時多発テロはつながります。

フランス軍も、シリアでISILに空爆しているわけです。

  

  

以上で「シリア内戦」の引用を終えます。

すごく勉強になった本です。

テレビで聞いたことがある人名や地名、組織名などが

何だったのかがわかり、つながっていく感じでした。

シリアが、中東が、世界がこんなことになっているなんて

知りませんでした。

そして、シリア内戦を終わらせるのは非常に難しいと思いました。

  

今晩、サッカーU23アジア選手権で日本がシリアと対戦します。

内戦下でもサッカーを頑張っているんだよな。

すごい。見たくなりました。

  

「シリア内戦」④ アメリカとロシアの参戦

  

今日は令和2年1月12日。

  

前記事に引き続き、

シリア内戦」(安武塔馬著/あっぷる出版社)より

引用していきます。

  

  

ISILやヌスラ戦線(NF)のような強硬なジハーディスト

は、そもそも民主主義を信じないので、「既存の政治システム

(民主主義)に参加しながら、緩やかな社会のイスラム化を目

指す」というMB(ムスリム同胞団)の政治戦術も否定する。

そんなまだるっこしいことをやっていても、社会のイスラム化

は達成できない。目的のためには聖戦あるのみ・・・。これが

ジハーディストの思想だ。

(208p)

  

世界にはそう考えて実行している人たちがいます。

  

  

核保有国イスラエルと40年来対峙するアサド政権が、「貧者

の核」たる化学兵器を取得あるいは開発していないことは、お

よそ考えられない。アサド政権軍がマスタード・ガスやサリン

など、大量の化学兵器を備蓄していることは公然の秘密である。

(211p)

  

 

2013年8月21日に政権軍は、ダマスカス郊外で

化学兵器を使用。1000人以上の死者が出ました。

アメリカのオバマ大統領は、アサド政権が化学兵器を使用したら、

軍事攻撃をすると宣言していました。レッドラインでした。

しかし、踏み切れずに、ロシアの出した提案に乗りました。

  

米国が2013年9月に対アサド軍事攻撃を回避したことは、

おそらくはシリア内戦史上の最大の転機だろう。この決定がそ

の後の情勢に及ぼした影響の大きさ、深さは計り知れない。唯

一の超大国が、自ら引いたレッドラインを公然と踏み破られた

のに、懲罰行動をとらなかった。しかも、それを正当化するた

めに、よりによってアサド政権の庇護者であるロシアの提言を

受け入れた。中東における最大・最強の政治的・軍事的プレー

ヤーである米国の権威が完全に失墜した瞬間である。

(218p)

  

政治の難しさを感じた場面です。

著者は米国の権威が失墜した瞬間と書いていますが、

なぜオバマ大統領が踏み出せなかったかも分析しています。

それはそれで理由があるわけです。

命がかかった政治的な決断は、

本当に難しいことなのだと思った出来事でした。

  

  

ISILはアル・カーイダ(AQ)と違い、過激な反シーア派

思想に凝り固まっている。ISIL相手の敗北はシーア派にと

っては皆殺しか、奴隷化を意味する。イラクのシーア派国民に

とりISILとの闘いには生死がかかrが、それはシーア派国

家イランにとってもまったく同じことなのだ。

(イラン)革命防衛隊コドゥス軍のスレイマーニ司令官は、モ

スル陥落後に多数の軍事教官とともにイラク領に入った。そし

てイラク政府軍やPMCの民兵、さらにはペシュメルガさえも

指揮して、ディヤーラ県やジャルフ・サクル等の要衝でISI

Lを相手に戦うことになる。もしイランのこの迅速な軍事介入

がなえれば、あるいはバグダードやナジャフ、カルパラ等もI

SILに蹂躙されていたかもしれない。

(257p)

  

  

アメリカ軍に殺されたスレイマーニ司令官も登場しました。

彼はイラン革命防衛隊を率いて、アサド政権側で戦っていました。

しかし、ISILに対しても戦っていたので、

後にその点に関してはアメリカ軍と狙いが一致していたのです。

  

   

(2014年)8月7日の夜、オバマ大統領はホワイトハウス

で記者会見を開き、ISILによるエルビル攻撃をふせぐため、

米空軍が限定的に空爆作戦を実施すると発表した。

(273p)

 

アメリカは翌9月には、

シリアでもISILへの空爆を開始します。

  

シリア内戦は複雑化します。

アサド政権と政権打倒のめざす数多くのグループとの闘いと、

ジハーディストであるISILとの闘いです。

政権打倒をめざすグループはさまざまであり、

欧米諸国は、どのグループを指示して政権をとらせようか

決めかねていました。

そこに残虐なISILの予想以上の台頭。

アメリカ軍はついに参戦しました。

  

 

(2015年)9月末、国連総会出席のため訪米したプーチン

は、総会演説に先立ちオバマ大統領と会談した。

オバマはアサドこそがシリア紛争の元凶であり、アサドが居座

る限り、紛争解決はない、との立場を繰り返し主張した。そし

て、アサドの立場を強化するため軍事介入しないように。プー

チンに警告した。

これに対しプーチンは、ISILをはじめとする凶悪な「テロ

リスト」と勇敢に戦っているのはアサド政権だけであり、支援

しないわけにはいかない、と主張した。また、アサドを排除す

るかたちでの紛争収拾策に反対する立場も取り下げなかった。

(307~308p)

  

ロシア軍が2015年9月にシリア参戦。

アサド政権側につきました。

おかげでアサド政権は持ち直しました。

内戦はさらに続きます。

  

2015年9月以降、シリア上空は、シリア政府軍に加え、米、

露、仏、英、豪、ヨルダン、サウジ、トルコ、イスラエル等

十か国以上の空軍が作戦行動を行う、おそらく世界一の過密空

域となった。

(319p)

 

 

つづく

「シリア内戦」③ 2013年から内戦にISILが加わる

  

今日は令和2年1月12日。

  

前記事に引き続き、

シリア内戦」(安武塔馬著/あっぷる出版社)より

引用していきます。

  

クルド人は多民族国家「シリア・アラブ共和国」における最大

の民族的マイノリティ(少数民族)である。

周知のとおり、クルド人とは元来、言語的には印欧語族の一部

で、広義のペルシア語であるクルド語を母語とする人々を指す。  

だからアラビア語を母語とするアラブ人や、トルコ語を母語と

するトルコ人とは、別の民族集団とみなされる。

(136p)              

   

シリア、トルコの問題として出てくるクルド人の復習。

  

「アラブの春」は独裁政権に対する民衆の正当な抗議活動であ

り、その結果生じた体制転換と、その後の民主的な政権移行プ

ロセスを全面的に支持する。これが西側諸国の建前上の立場で

ある。

ところがその結果、社会のイスラム化を追及するMB(ムスリ

ム同胞団)が(エジプトとチュニジア の)政権を掌握してしま

った。

社会のイスラム化とは、究極的には議会制民主主義の否定であ

る。しかも、MBはそのパレスチナ支部であるハマースがそう

であるように、根本的にユダヤ国家イスラエルの生存権を認め

ない。そのような政権を、米欧諸国が歓迎できるだろうか?

(155p)

 

このような見方も必要。

  

2013年春から、シリア内戦に新たなプレイヤーが参入する。

「イラクとシャームのイスラム国」、すなわちISILである。

ISILは広い意味でのシリア反体制武装勢力である。つまり、

アサド政権を力で打倒するため、次から次へと誕生し、合同し、

消滅してきた、おそらくは何百という武将集団のひとつに違い

ない。しかし、他の集団とは根本的に異質な、不気味きわまり

ない部分がISILにはある。その徹底的な独善性であり、残

虐さである。

(164p)

   

  

ジハーディストの究極の目的は、ただ一人のカリフが統治し、

イスラム法が施行される統一イスラム国家の建設である。その

ためには、欧米諸国が第1次世界大戦後に勝手に中東に引っ張

った国境線や、諸国の利益にかなうように勝手に作ったーーと

ジハーディストは考える――既存の国家群を認めるわけにはい

かない。

(174p)

  

ISILも過激派ジハーディストです。

  

  

レバノンはシリア危機と内戦の影響を最も大きく受けた国のひ

とつである。

1923年のフランスによる委任統治まで、シリアとレバノン

は実質的にひとつの国であり、不可分の文化圏に属していたこ

と。両国国境をまたいで広がる部族社会や宗派集団の存在。レ

バノンの国境線のほろんどはシリアに隣接していること、など

が原因で、1943年に両国が別個の国として独立して以降も、

お互いに隣国情勢の影響を受けやすい。1971年のハーフェ

ズ・アサドにょるシリア政権の把握以降、特にその傾向は強ま

った。

(186p)

  

カルロス・ゴーン氏の逃走先としてレバノンは、

最近のニュースでよく出てきます。

レバノンも、シリア内戦に深くかかわっています。

  

 

つづく

「シリア内戦」② 政権に反対する者は断固討伐するほかない

  

今日は令和2年1月12日。  

  

シリア内戦」(安武塔馬著/あっぷる出版社)より

引用していきます。付箋を貼ったところ全部では、

とても書き写せませんので、厳選していきます。

  

「アラブの春」の経緯も結果も、国によって様々で、その多く

は悲惨な結果をもたらした。だから「アラブの春」を「アラブ

の民衆が、変革を求めて強権体制を打倒した」現象であると、

と単純に美化し賞賛するわけにはいかない。

しかし、それでも筆者は「アラブの春」に、歴史的意義をみる。

生まれた時から、同じ支配者が君臨する社会。

縁故主義や官僚の汚職・不正が蔓延し、それを批判しようもの

なら、誰かに密告され、たちまち社会的に、時には肉体的にも

抹殺される。

改革を実現するための民主的な制度はない。選挙はすべてが出

来レースで、何度やっても国民の90%以上の圧倒的多数の支

持で、体制が承認される社会。

そんな社会で生まれ育ち、経済的にも、社会的にも何の夢も希

望も持てない若者たちが、怒りを爆発させ、恐怖を振り払って、

抗議の声を上げる。そして、絶対に越えられないと思ってきた

壁を突き崩す。

独裁や強権政治が、民衆の意志によって倒れ得る、ということ

を示した点は、「アラブの春」の功績といえると思う。「倒し

た後をどうするか考えていない」と第三者が批判するのは簡単

だ。

(36p)

  

もう「アラブの春」という言葉が、

昔の言葉になってしまっていました。

この本で思い出させてくれました。

これがシリアでも起こったのです。

   

(シリアの)アサド政権は敵対勢力に容赦はしない。国際世論

の批判を気にするイスラエルなどと違い、アサド政権は状況次

第で桁違いの殺戮を平気で遂行する。

(39p)

  

アサド政権はまったくブレていない。

「政権に反対する者はすべからく外国の支援を受けたテロリス

トであるから、断固討伐するほかない、諸外国はアサド政権を

倒す陰謀をめぐらしており、そのためにテロリストを利用して

いる」

(45p)

  

  

カタールの独自外交の象徴が、アラブ衛星テレビの代名詞とも

なったアル・ジャジーラ放送の設立と経営だ。アル・ジャジー

ラは、BBCやCNNなど西側メディアで活躍していたレバノ

ンやシリア、パレスチナ等出身のスター記者を集め、1996

年に誕生した。(中略)エジプトやサウジなど、強権的な支配

体制の国にとって、タブーを踏み越え追及するアル・ジャジー

ラの報道スタイルは目障り極まりなく、何度も当局との間でト

ラブルを起こしている。逆に翼賛的な報道機関しかない国々の

国民は、「反権力」的なアル・ジャジーラの報道姿勢に共感し

た。アル・ジャジーラの登場は、SNS普及に先立つアラブ世

界における最初の情報革命だったといえるかもしれない。

(68~69p)

  

  

民主的改革を求める声が、リビアやバハレーン、そしてシリア

へと拡大していくと、オバマ政権の対応には戸惑いがみえてく

る。どの国も国内情勢が複雑で、政権が倒れた場合、民主的な

政体がそれに取って代わり、政治治安情勢を安定させるという

展望がはっきりしなかったためだ。

(72p)

  

事は単純ではなかったのです。

  

  

イランはパハレヴィー王制のもとで世俗的な国家作りを進めて

きた。そこに、1979年のイスラム革命が起きた。突如シー

ア派法学者が支配する神権政治の国に生まれ変わった。その初

代最高指導者、すなわち「アル・ファキーヒ」が、ア―ヤトッ

ラーのルーホッラー・ホメイニ師である。

(79p)

  

そのイランとシリアは手を組みます。イランとシリアの間にあ

るイラクでは、当時サッダーム・フセインが支配していて、両

国とも脅威に感じていたからです。

  

  

かつて米国はアフガニスタンに侵攻したソ連の野望を挫くため、

サウジやパキスタンの情報機関と協力して、アラブ人ジャーヒ

ディーンを軍事支援した。オサーマ・ビン・ラーディンに代表

されるこのジャーヒディーンが、ソ連のアフガニスタン撤退後

に、今度はイスラム教の聖地サウジアラビアに進駐した米国を

敵視し、「アル・カイーダ(AQ)を組織したことは周知の事

実である。

(112p)

 

「アル・カイーダ(アル・カイダ)」の出自もわかりました。

  

  

つづく

「シリア内戦」① 物理的な達成感も味わった本

  

今日は令和2年1月12日。

  

本を読み終えることができました。

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シリア内戦」(安武塔馬著/あっぷる出版社)です。

 

藤原和博さんが、

本は、物理的なものであるがゆえに、読み終わったあとの達成

感がある。

(「本を読む人だけが手にするもの」170p)

と書いていました。

※参考:ここでも道草 「本を読む人だけ」⑤ 中学校では3割が情報編集力(2020年1月9日投稿)

この本は、その達成感を感じました。

全397p。

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シリア内戦ぼっ発は、2011年3月のことでした。

日本では東日本大震災があった時です。

それ以後、シリアでは内戦がずっと続いていて、現在に至っています。

この本では、内戦ぼっ発から2016年までのことが書かれていました。

シリアと周辺中東諸国、あるいは米国ロシアヨーロッパ諸国が

どのようにシリア内戦に関わったのか、

ほぼ時系列の詳細に書かれています。

人の命が、簡単にもぎ取られる日が、シリアでは毎日なのです。

そして内戦が簡単に終わらないことが実感できてしまう本でした。

でも作者は、あとがきに次のように書いています。

  

本当の意味で内戦が終結し、シリアが元の統一国家に戻る道筋

は見えない。本書が提供する情報が、今後の状況を変える流れに、

何らかのかたちで貢献できるとすれば、筆者としての望外の

幸せである。

(387~388p)

  

私はこの本を読んで、2011年~2016年のこの地での

出来事が、ニュースで知ってはいたけどバラバラだったものが、

繋がってきました。その繋がった延長に、今があるんだなと

想像することができました。

この本では、最近アメリカ軍の無人飛行機で殺された

スレイマニ司令官についても書かれています。

なぜ彼が殺されて、イランがあのような反応をしたのか、

なぜ旅客機を撃墜するという悲惨なことをしてしまったのかも

見えてきました。

過去があるから今がある。今を少しでも変えていかないと、

未来はまだまだ暗いと思います。

  

  

「わかった」「なるほど」と思って読んだところに、

上の写真のように付箋を貼りました。

今からその部分だけ再読しようと思います。

そして特に手元に残しておきたい文章を書き留めたいです。

  

20200111報告 再び鳳来寺山本堂へ/血管年齢の測定

  

今日は令和2年1月12日。

  

1週間ぶりに再び奥さんと鳳来寺本堂まで登りました。

奥さんの目論見としては、この本堂までの往復を繰り返し、

体力に自信がついてきたら、鳳来寺山の頂上まで登りたいのです。

慎重です。

ここはお付き合いで一緒に登っています。

本堂前の建物は、すでに正月バージョンではなくなっていました。☟

Rimg2084   

定点観測しているモミジの写真です。☟

Rimg2080  

今に葉芽(はめ/ようめ)が膨らんでくるところを観察したいです。

※参考:ここでも道草 3月26日の桜のつぼみ/花芽・葉芽(2008年3月26日投稿)

  

  

1月4日も昨日の1月11日の、登山の帰りに、

長篠にあるスギ薬局に寄って買い物をしていきます。

そこには血管年齢を測る機器がおいてあります。

4日にの日に試しにやったところ、私は実年齢よりも7歳若く、

奥さんは3歳上でした。こりゃあ、ふだん玄米酢をせっせと

飲んでいるおかげかな。奥さんにも玄米酢を薦めました。

11日にも測りました。

そしたら奥さんは、今度は7歳も若返りビックリ。

自信をもって測定をした私は、大笑いの結果が出ました。

何と8歳も上でした。

何なんだこの乱高下。

でも鳳来寺山登山の後の楽しみが一つ増えました。

これからも、長篠のスギ薬局に寄って、一喜一憂を

していきたいです。

2020年1月10日 (金)

20200104報告 初詣で鳳来寺山/HAZUにした理由は?

  

今日は令和2年1月10日。

  

1月4日に、初詣を兼ねて奥さんと鳳来寺山本堂まで登りました。

その時の写真です。

 

本堂もにぎやかでした。☟

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本堂正面の建物の内装も正月バージョンになっていました。☟

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ずっと定点観察をしている木の写真です。☟

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ここでも道草 20191218報告 鳳来寺本堂前~かさすぎ(2019年12月23日投稿)

☝ 昨年12月18日には2枚だけ葉っぱがついていましたが、

この日は全て落葉していました。

芽吹きまで、この木に変化はないでしょう。

  

普段は閉まっている本堂横のお店も、

この日は開いていて、五平餅を焼いていました。☟

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傘杉前も正月バーションになっていました。☟

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「かさすぎ」横の駐車場からの景色。☟ 美しかった。

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最後に1枚。☟ 帰り道に車内から撮影したものです。

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見慣れた看板ですが、今回は気になりました。

「はづ」だよね。

と言うことは、「HAZU」ではなくて「HADU」だよなあ。

「HAZU」にした理由があるんだろうなあ。

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