「シリア内戦」⑤ パリ同時多発テロ
今日は令和2年1月12日。
前記事に引き続き、
「シリア内戦」(安武塔馬著/あっぷる出版社)より
引用していきます。
2015年11月1日、シナイ半島の観光リゾート地シャルム
・シェイクからサンクト・ペテルブルグに向かったロシアの旅
客機が墜落し、乗客・乗員計224名全員が死亡する大事件が
発生した。すかさずISILが犯行声明をだしたが・・・・
(323p)
この旅客機墜落事件は、ISILの報復の可能性が高いです。
そして、ISILの報復は各国で頻発しました。
2015年7月20日トルコ、シリア国境にほど近い町スルチュで、
自爆テロ。30人以上が犠牲になりました。
2015年10月10日トルコ、首都アンカラで自爆テロ。
103人が犠牲なりました。
ISILは、シリアでクルド人と戦っており、犠牲になったのは、
トルコのクルド系のグループでした。
犯行声明は出されていませんが、2件とも、
ISILの犯行とみられています。
2015年11月12日レバノン、ベイルート南郊外で自爆テロ。
40名以上が犠牲になりました。
そこは、シリアでISILが戦っているヒズボッラーの根拠地でした。
そして翌日の2015年11月13日。
パリで同時多発テロ事件が起きました。
引用します。
ほとんどの犠牲者は、いったい何が起きたのか、起こっている
のかすら、理解する前に命を落としたはずだ。
一連のテロ攻撃は午後9時20分から40分の間に、パリの3
か所で相次いではじまった。
最初に襲われたのは、オランド大統領がサッカー仏独戦を観戦
していた、パリ市北部のサン・ドニ地区にあるスタード・ドゥ・
フランスだった。自爆ベルトを着こんだ3人の男が競技場に入
ろうとして警備員に阻まれ、相次いで自爆した。大統領はSP
に守られ避難した。
ほぼ同じ時刻、別の3人組が黒い「シ~と」社製の車で移動し
ながら、都心部の「プチ・カンボジア」レストランや「ラ・ベ
ル・エキぺ」バーなど、4つの店を次々に襲った。食事を楽し
んでいた客は無差別に乱射される自動小銃の銃弾の餌食となっ
た。「プチ・カンボジア」で15名、「ラ・ベル・エキぺ」で
は19名が命を奪われた。
第3のグループの3人は自爆ベルトを着込み、自動小銃を手に、
収容人数1500人のコンサート・ホール「バタクラン劇場」
を襲った。サッカー・スタジアムのケースと違い、こちらはホ
ールへの襲撃者の侵入を許してしまったため、地獄の惨状を呈
した。銃の乱射と、犯人たちの立てこもり、そして最後の自爆
によって、89人が落命した。
(334p)
その後の捜査で、犯行グループのメンバーが特定された。その
ほとんどは以下のように、かなり似通った文化的・社会的背景
の持ち主だった。
①国籍はフランス人かベルギー人。
②北アフリカ(モロッコ、アルジェリア)系のアラブ・ムスリ
ム移民の子孫(第二世代か第三世代)。
③シリア渡航歴とISILメンバーとしての戦闘経験
④年齢25~35歳、独身
⑤シリア渡航前にはイスラムの戒律を守っておらず、生活態度
はむしろ享楽的・破滅的だった。
(336p)
フランスやベルギーは、旧植民地などから多くのムスリムを移
民として自国に受け入れたその中から社会的・経済的な成功者
も出たが、圧倒的に少数である。大多数の移民とその子孫は社
会の底辺にとどまり、ホスト国の社会に同化できず、疎外感を
引きずってきた。
そんなムスリム移民社会の中でも、特に社会的にも経済的にも
強い疎外感を感じる層に、ISILの過激思想が入り込んだ。
そしてアバウード(パリ同時多発テロ首謀者と目されている人
物 自爆死)のようなオーガナイザー(まとめ役)を育て、危
険極まりないテロ細胞を築き上げたのだ。
(337p)
シリア内戦を知ったうえだと、このパリ同時多発テロはつながります。
フランス軍も、シリアでISILに空爆しているわけです。
以上で「シリア内戦」の引用を終えます。
すごく勉強になった本です。
テレビで聞いたことがある人名や地名、組織名などが
何だったのかがわかり、つながっていく感じでした。
シリアが、中東が、世界がこんなことになっているなんて
知りませんでした。
そして、シリア内戦を終わらせるのは非常に難しいと思いました。
今晩、サッカーU23アジア選手権で日本がシリアと対戦します。
内戦下でもサッカーを頑張っているんだよな。
すごい。見たくなりました。
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