「その時歴史が動いた・人見絹枝」その6/800m決勝の詳細
今日は令和元年7月21日。
前投稿に引き続き、2004年8月18日放映
「その時歴史が動いた 奇跡の銀メダル 人見絹枝
日本女子初メダル獲得の時」より。
昭和3年(1928年)8月2日。
運命の日。今からほぼ91年前。
女子陸上800m決勝。
以下は聞き書き。人見絹枝の手記も載せていく。
手記:グランドに姿を現すと、
満席の観衆から拍手がわき起こった。
その熱気に
心が圧倒されるようであった。
ナレーター:じっと決勝の時を待つ人見選手。
一人重圧と戦っていた人見に、うれしい知らせが届きます。
手記:フィールドでは、ちょうど三段跳びをやっているところだった。
今、織田選手が一位、南部選手が二位につけているという。
私は大いに勇気づけられ
自分もやれるだけやってみよう
という闘志が体の底から湧いてくるのを、
感じていた。
ナレーター:いよいよ運命の決勝のスタートが近づきます。
人見は1コース。優勝候補、ドイツのラトケは3コーㇲです。
スタートのピストルがあげられました。
手記:数万の観衆はシーンと静まりかえった。
どうしても勝つんだ。
勝たなくてはならない。
※スタートのピストルの音。
ナレーター:スタート。持ち前のスプリントを生かし、
人見は、トップに躍り出ます。
ラトケや他の選手を一歩も二歩もリードしました。
(中略)
100m、150m、人見選手はトップのまま、
速度を緩めません。
その時、日本語の叫びが、人見の耳に飛び込んできました。
「下がれ!下がれ!」
フィールドで、三段跳びを争っていた織田選手が、
オーバーペースに突っ走る人見に、思わずかけた一言でした。
この声に、人見は、我に返ります。
手記:このままでは、ラストでへばる。
先頭にだれかほしいと思った瞬間、ドイツのラトケら三人が、
ぐんぐんと押し出してきた。
一周目が終わる頃、私はあっという間に、六位に落ちていた。
ナレーター:人見は六位のまま、ラスト一周の鐘が鳴ります。
あと400m。
手記:「人見いけ!」
竹内監督の檄(げき)が聞こえた。
その時私は、奥歯を思い切り強くかみしめた。
ストライドが少し伸びた。
髪が風を切るのがわかった。
ナレーター:スピードを上げた人見は、前を行く選手を
ひとり、またひとりとかわしていきます。
残り150m。人見はついに3位。
2位まで4m。トップのラトケまであと15m。
手記:ここで追い上げねばと思うが、
もう足がいうことをきかない。
「ハッ」として、私は思いっきり自分の右頬をたたいた。
その時、竹内監督からいわれた言葉が頭をよぎった。
足が動かなくなったら腕を振れ。
私は無我夢中で腕を振った。
ナレーター:ゴールまで100m。
懸命に腕を振る人見は、一気に2位の選手をとらえ、
抜き去ります。
手記:私はトップのラトケに一歩一歩近づいていった。
精魂の限りを尽くし、もがきもがいてラストを走った。
ナレーター:あと5m。
3m。
そしてゴール。
人見絹枝、2位。
世界記録をもつラトケにあと2mまで迫っていました。
ナレーター:日の丸がアムステルダムの空にひるがえります。
人見絹枝の胸には、日本人女子選手が初めて勝ち取った
銀メダルが輝いていました。
手記:私は人目をはばからずに泣いた。
言いしれぬ感動と興奮とに身を包まれたからである。
長い戦いがやっと終わったのだ。
以上、800mの詳細を書き留めました。
「下がれ!下がれ!」と言ったのは、
競技中の織田選手だったのですね。
貴重な声でした。
91年前なのに、動画のおかげで
ワクワクした気持ちでレースを見ることができました。
つづく
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