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2019年7月10日 (水)

銀閣その8/黒漆が劣化して白くなった!?

  

今日は令和元年7月10日。

  

前投稿に引き続き、2018年12月6日放映の

ネーミングバラエティー 日本人のおなまえっ!

【京都おなまえ修学旅行SP 銀閣寺編】」より。

  

中尾正治さんは、9年前の「ワンダー×ワンダー 

銀閣 幻の”月の御殿”」にも出演しているので、

白土+ミョウバン説だと思っていたら、違いました。 

 

 

では、説明をしていきます。

  

前投稿のように教科書にも間違った記述が載ってしまったのは、

次の文献があったからです。

Rimg2266  

ムム、この文献は以前も出てきました。

ここでも道草 銀閣その1 (2019年7月9日投稿)

ガイドブックのような本です。

1658年の文献です。

こんな意味です。私が意訳。

「銀箔にいろどられているため、

 銀閣寺と言っている。

 北山の金閣にならって造られた。」

文献上で「銀閣寺」と初めて表記されたものだそうです。

この文献が出発点で、間違ってついてしまったのが「銀閣寺」

Rimg2267  

ではなぜ、銀箔でいろどられているように見えたか。

中尾さんはこう言いました。

 

中尾:もともとは、漆、黒漆があったんですよね。

  ところが、漆は劣化すると白くなるんですよね。

  江戸時代の方は、白い銀閣を見た。 (聞き書き)

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なぜ「銀閣」の名前が定着したのか?

間違っているなら、消えていきそうなものです。

当時のお寺は、訪れる人たちの参拝料で、

経営をしていたので、ガイドブックに銀閣寺と書かれたことで、

訪れる人たちが多くなったので、積極的に間違いを正そうとは

慈照寺の人もしなかったのでは、という説があります。

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さらに、江戸時代は銀が、金と同等位に人気があったそうです。

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庶民の憧れの「銀」がついた名前は、

そのまま今の時代まで残ったというわけです。

  

う~ん、ちょっとややこしかったと思いますが、

わかってもらえましたか?

 

中尾さんの口から、1回も「ミョウバン」は出ませんでした。

白土+ミョウバン説はどうなってしまったのだろう?

  

つづく

 

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