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2019年7月13日 (土)

銀閣その12/都を見たくないから東が正面!?

 

今日は令和元年7月13日。

  

前投稿の続きで、2018年4月21日放映の

ブラタモリ 101 京都・銀閣寺」より。

  

タモリさんたちは、「ネーミングバラエティー 

日本人のおなまえっ!」のメンバーと同じように、

銀閣の1階の縁に座ります。

そこでの会話を聞き書きします。

  

久山和尚:そもそも銀閣寺は、お寺ではなく、

  義政公が隠居生活をするために別荘としてつくられた場所。

タモリ:ややこしい時代なんで、

 (義政公は)嫌になったんでしょうね。

  応仁の乱、わけのわからん戦いが始まるわで。

  ほとんど京都は焼けてしまって。

ナレーター:足利義政が政治から身を引くきっかけとなった

  応仁の乱(1467~1477)。

  全国の大名が、11年にわたって争い、京都中が焼け野原となりました。

  戦の最中(さなか)、義政は将軍職を息子(義尚)に譲ります。

  その後、都を離れ、東山の麓に構えた別荘で、

  隠居生活を始めるんです。(1483年)

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  そして造られたのが銀閣。

  1階の正面は、庭と山に囲まれた東向きにしました。

梅林:僕の感覚なんですけど、銀閣って都に背を向けてるように・・・

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タモリ:完全に向けてますね。

梅林:ですよね。

タモリ:向きたくないってぐらいの。

梅林:「僕、引きこもっちゃうからね」っていう、

  義政アングルって感じませんか?

タモリ:感じる。完全に(都)を無視してるもん。

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  ここに来てわかる。全く(都を)見たくない(気持ちを)。

  

 

銀閣から西の方角に、天皇がいた御所があったり、

義政のような将軍が住む花の御所があります。

その方角を見たくないために、

銀閣の1階は東向きになっているという考えです。

  

次に一行は東求堂(とうぐどう)へ。

銀閣寺境内にあて、創建時から残っているのは、

銀閣と東求堂のみ。

その東求堂には、日本で最も古い四畳半があり、

足利義政は、ここで生活をしていたそうです。

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付書院というのは、机として使ったもので、

床の間のもとになったところです。

  

和室の原型「東求堂」に行った後に、いよいよ地形から、

足利義政がなぜここに銀閣を建てたかが解明されます。

  

つづく。

  

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