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2019年3月 3日 (日)

上杉謙信の死因について、テレビ番組で勉強

 

今日は3月3日。

  

寝る前にもう1本投稿したい。

  

33650702 e-hon

コミック版 日本の歴史59 戦国人物伝 上杉謙信

(ポプラ社)を読みました。

 

1月11日が「塩の日」でした。

 

永禄10年(1567年)、今川氏との同盟を破棄して

東海方面へ進出を企てた武田信玄ですが、

それに怒った今川氏が北条氏とともに、

武田側に塩が入らないようにしました。

領民が塩を取ることができず困っていたところに、

長年敵対関係にあり武田信玄のライバルとして知られる

上杉謙信から越後の塩が送られ、1月11日に武田信玄の

領地である松本藩領(現在の松本市)に到着したことから、

このことを記念して、この日に塩市(現在のあめ市)が

開かれるようになったといわれています。 

この出来事は「敵に塩を送る」という言葉の由来ともなっており、

敵対関係にある相手でも相手が苦しい時には助ける

という意味で使われています。

引用:なるほど統計学園

 授業で「今日は何の日」クイズで「塩の日」をやった時に、

次の映像を見せました。なかなかいい映像でした。

手取川の戦い(1577年9月)で、

柴田勝家率いる織田軍を破った上杉謙信。

次の出陣は1578年3月15日と決めて準備をしていましたが、

その6日前の3月9日に突然倒れ、13日に亡くなります。

上の映像では、このように表現されていました↓

Photo_3  

厠(かわや)で倒れたそうです。

死因は何でしょう?

上記の本では、こう書いてありました。

  

天正6(1578)年3月15日、

謙信はついに関東進攻の出陣を予定した。

(中略)

北条氏康もすでにこの世になく、

彼の行く手の関東をはばむ者はいなかったろう。

だが、出陣の二日前、3月13日未刻(ひつじこく)

(午後2時頃)、謙信は脳出血で死去。享年は49。

大酒が死期を早めた、ともいう。

 

脳出血とあります。 

もうじき謙信の命日です。

もう441年前のことですが。

こんな番組が明日の晩7時から放映(BS11)されます。

Photo_4

Photo_5 ↑クリックして拡大して見てください。

謙信の死因について、この番組で勉強してみたいと思います。

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