20180825樹海を歩いてきました 鳴沢歩道橋の上に立つ/せの海
今日は9月4日。
今朝起きた時(午前3時45分頃)に調べた時には
暴風警報が出ていませんでした。
そしたら、先ほど(午前6時20分頃)、家族から
暴風警報が出ていることを教えてもらいました。
午前4時20分に出たそうです。
私が調べてしばらくして出たのですね。
昨日は、勤務校のヒマワリ畑の大小のヒマワリに、
支柱を立て、ひもでしばりつけました。
この今世紀最強台風に耐えてくださいね。
暴風警報が出て、今日の授業準備をする必要がなくなりました。
そうなると、私は道草します。
出勤前にもう1本。
8月25日にぜひ行きたかったのが、鳴沢歩道橋付近です。
※参考:ここでも道草 「ブラタモリ 10」で勉強/鳴沢歩道橋付近にある溶岩の末端(2018年8月13日投稿)
↑ ここで書いた場所に実際に行ってみたかったのです。
富岳風穴見学の後に行ってきました。
実際にこの歩道橋近くに立って、
ここをスタートして坂道になっていることを
確認しました。
歩道橋の上にも登ってみました。
大室山付近の火口から、溶岩がここまで来たんだなあ。
その溶岩で、こんな坂が形成されたんだなあ。
その規模の大きさを歩道橋に登ってみて感じました。
歩道橋から逆方向を撮影↓
この地域は、その時、溶岩の被害を受けなかった場所。
この溶岩を出した貞観大噴火は864年に始まる。
この場所まで逃げ延びた人たちは、ホッとしただろうな。
貞観大噴火は、かつて富士山麓に東西に広大にあった湖「せの海」を
溶岩流で大部分埋めてしまったと言います。
埋らなかったのが、西湖と精進湖だそうです。
※参考:Wikipedia せの海
Yahoo!地図で確認。
上記のWikipdiaには、噴火直後の様子を伝える文献が紹介されています。
引用します。
『日本三代実録』の「貞観6年7月17日」(ユリウス暦864年8月22日)に
甲斐国国司から京の朝廷に届けられた報告(貞観大噴火についての第2報)
(中略)
(現代語訳)
貞観6年7月17日辛丑(かのとうし)、甲斐国(の国司)が報じるところ、
駿河国の大山・富士が突如として火を噴き、山じゅうを焼き砕き、
草木は焦がれ死んだ。土石は溶け流れて、
八代郡にある本栖海(本栖湖)と剗の海(せのうみ)を埋めてしまった。
湖水はお湯のように熱くなり、魚や亀の類はみな死んだ。
人々の家屋は湖と共に埋まり、残った家にも人影は無く、
そのような例は数え上げることもできない。
2つの湖の東には河口海(河口湖)という湖があるが、
火はこの方角へも向かっている。
雷と大雨があって、雲霧が立ちこめて暗闇に包まれ、
山野の区別もつかなくなった。
それらが起こった後にこのような災異が訪れたのだ。
非常に面白い話です。
よくぞ書き残しておいてくれました。
こうなるとかつての「せの海」の姿(予想図)を見たい。
また探してみます。
最後に鳴沢歩道橋の上から撮った富士山です。
↑ 登っていったら、正面に富士山!
次は電信柱を少し外して撮影 ↓
朝ごはんを食べて出勤します。
朝から3本道草。贅沢しました。
暴風警報のおかげです。
もう1回続く。
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