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2018年3月

2018年3月25日 (日)

20180304報告その7 江の供養塔を見に行きました

今日は3月25日。

 

前投稿の続きで、3月4日に訪れた京都の寺社の報告です。

  

金戒光明寺の三門や魅力的な階段を見た後、

墓地へ向かいました。

 

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「極楽橋」「蓮池」です。

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この説明板の文章を書き写します。

 

極楽橋・蓮池(別名 兜の池)

平安末期の源平の戦いで有名な武将熊谷直実が、

庵を結んでいた法然上人を尋ね、出家を決意し兜を置き、

弓の弦を切り弓を池に架けた形が起源といわれる。

近世においては、寛永五年(1628)に春日局が

徳川二代将軍秀忠の正室お江与の御台墓(みだいばか)を

建立し参拝する為に、蓮池に木造の「極楽橋」を寄進した。

その後、寛永十年に豊永堅斎が二代将軍秀忠公追善菩薩の為に

山上に三重塔を建立し、同十八年(1641)に「極楽橋」を

石橋に作り替えた。

江戸時代の『都花月名所』には蓮の名所と謳われている。

この度、三百六十有余年の時を経て改修、

擬宝珠(ぎぼし)・欄干を付け、極楽浄土の橋を再現した。

 

3月4日は梅の花が咲いていました。

その時につぼみだった桜が、今はしっかり咲いているだろうなあ。

   

  

この極楽橋の近くにある徳川秀忠正室の江(ごう)の供養塔を見てきました。

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春日局の追善のためとこの説明板にもありますが、

なぜ金戒光明寺に供養塔があるのか?

調べました。

このサイトから引用します。

JR東海ツアーズ お江ゆかりの地を訪ねる

 

金戒光明寺

寛永5年(1628)、3代将軍徳川家光の乳母・春日局(かすがのつぼね)が

建てたお江の供養塔が残されています。

秀忠が作った「大奥法度」に基づき一般社会から

隔離された世界「大奥」では、次男・忠長を溺愛するお江と、

長男・家光の擁立に励んだ春日局の熾烈な跡継ぎ争いが行われました。

結局、春日局に軍配が上がり、忠長は25歳での自害、

お江は失意のうちに死を迎えることとなりました。

お江の供養塔には春日局の追善の気持ちが込められ、

隣には忠長の供養塔も立てられています。

また明智光秀の臣下で、秀吉との山崎合戦後に

打ち首となった春日局の父・斎藤利三が、

金戒光明寺の隣にある真如堂で眠ることから、

お江の供養塔の建立地にこの地を選んだとも伝わります。

 

なるほどです。

江の供養塔付近から、山門と極楽橋を撮影。

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絵になるんだよなあ、山門って。

さらに墓地を登って、三重塔(文殊塔)を見に行きました。

 

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いかん、ここにも運慶の作品があった。

見てくるのを忘れました。

この文章を撮影時はしっかり読まず、

帰宅してから読んだので、後の祭りです。

※参考:金戒光明寺HP 

この三重塔にたどり着いて、振り返るとこれまたいい景色。

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山門が主人公の景色です。

 

つづく

 

20180304報告その6 金戒光明寺に行きました

 

今日は3月25日。

 

前投稿の続きで、3月4日に訪れた京都の寺社の報告です。

  

次に向かったのは金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)です。

このお寺は、ドラマ「科捜研の女」でロケ地になっていました。

ここでも道草 10月15日「科捜研の女」のロケ地調べ(2017年10月22日投稿)

 

ナビを信じて金戒光明寺にたどり着きました。

 

山門です。

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ドラマでは、山門前が殺人事件の現場でした。

 

ドラマの写真です。

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近い場所を探しました。

ここかな?

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さらにもう一か所。

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山門を通して、御影堂を見上げる場所でした。

撮影してみました。

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その他、金戒光明寺での写真を並べます。

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↑ 御影堂(大殿)

  

↓ 御影堂側から山門を撮影

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↓ 御影堂から山門に下る階段。この階段が魅力あり。

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立派な山門を別角度から撮影↓

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金戒光明寺の入り口付近↓

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金戒光明寺は、何と3月22日晩放映の

科捜研の女 最終回SP」でもロケ地となっていました。

見た覚えがあるぞと思ったら、金戒光明寺でした。

その時のドラマの写真です↓

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↑自動車の向こうに、金戒光明寺の入り口の

門の一部が写っています。

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↑山門

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↑ 山門をバックに。

やっぱり絵になる構図なんでしょうね。

私が行った前後でロケが行われたと、樹木の様子から想像します。

  

つづく

 

20180304報告その5 西寺跡に行きました

今日は3月25日。

  

「20180304報告」は3月11日の記事の続きですが、

内容が違います。

その4までは、キミヤーズ塾の報告でしたが、

今回からは、3月4日行った寺社の報告です。

  

 

3月4日の朝、最初に向かったのは西寺跡です。

この記事を参考にしてください。

ここでも道草 コメント「西寺跡では、ないでしょうか?」が届く(2017年9月30日投稿)

ドラマ「遺留捜査」でのロケ地で西寺跡が使われたことを、

ブログに届いたコメントで判明。

その場所に実際に行ってみました。

  

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↑最寄りの駐車場に車を駐車して、いよいよ西寺跡へ向かう。

  

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ドラマと同じ場所を探しました。

Photo_4 ↑「遺留捜査」(2017年9月14日放映)より

 

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↑ここですよね。トリミングしてみます↓

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ここでロケが行われたのですね。

ドラマを見たおかげで、この場所に来ることができました。

 

 

その他、西寺跡で撮った写真を並べます。

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この高台には西寺の講堂があったそうです。

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↑「唐橋西寺公園」とありました。

 

この写真の左手には唐橋小学校がありました。

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この学校の敷地も、かつての西寺跡だったようです。

  

こんなマンホールも発見。

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まずは、目標の場所を一つクリアしました。

つづく。

2018年3月23日 (金)

この1年間のキーワードは「くすぐり」

 

今日は3月23日。

平成29年度の修了式の日です。

   

最後の学級通信「道草」(これが本家 このブログは分家)に

次のような文章を書きました。

学級名は「※組」としました。

  

保護者の皆さんへ  

ラスト1枚の「道草」  最初から最後までくすぐっていた1年

◇いよいよ平成29年度も押し迫ってきました。

3月20日が卒業式で、そして今日3月23日が修了式です。

◇私が将来、この1年を振り返った時に、思い出すキーワードは、

きっと「くすぐり」だと思います。

もともと昔から子どもたちをくすぐることはしていましたが、

私の30年以上の教員生活で、最もたくさん子どもを

くすぐった1年だったと思います。

卒業していった4人の6年生も、そして4年生として

最後の登校をしてくる3人も、私にたくさんくすぐられました。

◇とにかく私はくすぐるのが大好きです。何がいいのだろう。

◇※組は当初はいろいろな顔の表情があった学級でした。

あんまり良くないなあと思う表情が多く見られました。

「おこった顔」「すねた顔」「おどおどした顔」

「えらそうな顔」などなど。

私は、そういう顔を見ると、無性にくすぐりたくなるのです。

くすぐると、不思議なことに、どの顔も「笑い顔」になるのです。

結局、それらの顔は表面的なものであって、その裏には笑顔がある、

そう思うんです。

◇無理してそんな顔をしていなくていいんだよ。

そんなに肩に力を入れずに、力を抜いたらどうなの。

そんな気持ちもあるかもしれません。

◇わきの下に指を突っ込んでくすぐるのが多いです。

子どものわきの下を、どのへんが笑いの壺か指でさぐります。

壺ならば指1本でも子どもは大笑いです。

◇子どもたちは痛がりながら笑います。めったにあやまらない子も、

「あやまらないとくすぐりを続けるぞ!」と言うと、

「すみませんでした」「まいりました」と笑いながら言います。

笑い顔ならできるんです。他の顔の時は素直じゃない。心がかたくなです。

笑い顔の時は素直なんです。

◇ 無茶苦茶? 無理矢理? かもしれませんが、

くすぐった後の、子どもも教師も笑顔という雰囲気は大好きなんです。

今までくすぐって、子どもとの関係が

崩れた体験がありません(なかったと思います)。

こんなの指導法とは言えないものだと思いますが、

きっとこれからも私はくすぐることを続けていくと思います。

この1年で、くすぐることがいいことだとあらためて確信しました。

◇※組のスローガンは「笑顔の※組」 

笑顔はきっと増えたと思います。子どもの成長はどうでしょう? 

  

◇教室でのトラブルが多く、保護者の方にはご心配をおかけしたことと思います。

それなのに、見守っていただき、時には応援の言葉をかけていただき

ありがとうございました。支えられて1年をやり切ったという気持ちです。感謝です。

(後略)   

    

   

皆さんにとって、この1年はどうでしたか?

2018年3月21日 (水)

縁を大切にして「べてるの家」について調べ始めました

今日は3月21日。

  

先日、特別支援教育の研修会の後の懇親会で、

べてるの家」について教えてもらいました。

精神の病をどうやって改善していくかで、

病院に行って薬物治療した方がいいのではと思っていましたが、

そうではない方法が行われているところがあるよと、

他の学校の先生から教えてもらいました。

  

教えてもらうという縁があった時には、

縁を大事にしたいです。

調べてみました。

  

いろいろなサイトを読んでみました。

たとえばここ↓

べてるねっと

  

動画も見てみました。

この動画は、JA共済地域貢献活動のWebサイト「ちいきのきずな」で

紹介された動画のようです。

「ちいきのきずな」

この動画の中で、「べてるの家」は次のように紹介されていました。

  

北海道浦河町にあります。

 

福祉施設「べてるの家」は、精神障害者の活動の拠点として、

10代から70代までのおよそ160人が利用しています。

看護師やソーシャルワーカーなど、およそ20人のスタッフが

活動を支援しています。

主な業務は就労サポート。

地元の特産品こんぶの販売など、働く場を提供しています。

それに加え、共同で暮らす住宅の提供や、食堂を運営するなど、

障害のある人の生活を総合的に支えています。

 

「べてるの家」の創立者は向谷地生良(むかいやちいくよし)さん。

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そのいきさつは、この動画の中にもあるので見てください。

今回それをまとめるには時間なし。

  

  

さらにNHKのETV特集で放映された番組も見ることができました。

2014年11月放映の「生きづらさに向き合って

~ある精神科クリニックの挑戦~」です。

およそ1時間の番組です。

 

   

  

 

  

この番組で印象に残った一つが、ココアさんという患者さんが、

「べてるの家」に関係するクリニック「みんなの杜」にやってくる

いきさつです。

ココアさんは、4年前に体に異常がないのに強い痛みを感じる

精神疾患の一つ、身体表現性障害と診断されました。

いっこうに痛みがなくならない現実から逃れようと、

リストカットを繰り返してきました。

当時通っていた病院では、医師から「何でリストカットしたの?」

と責められて、薬の量が増えていったそうです。

薬に頼る治療方法を感じました。

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でも改善されません。

リストカットを経験していて、多くの薬を服用している患者は、

他の病院からは診察を断られるそうです。

その結果、やってきたのが「みんなの杜」です。

「みんなの杜」は、ココアさんを受け入れてくれたのです。

「べてるの家」では、「当事者研究」なることが行われています。

クリニック「みんなの杜」でも行われています。

患者が自分の疾患・障害のことをみんなに語り、

外の患者が、自分の体験にもとづいてアドバイスをする機会です。

そうしていくことで、患者が自分の疾患・障害について知り、

どうしたら克服していくかを自ら考えて実行していくのです。

薬物に頼らない方法なのです。

  

時間はかかるのかもしれませんが、

精神の疾患・障害を改善していくには、

時間をかけて治していくのがいいのかと思いました。

   

①まずは患者自身が自分の疾患・障害について知る。

②同じような体験をしている患者からアドバイスをもらう。

③自分から改善しようと行動する。

  

最近の私は、焦りがあったのでしょう。

ある子の症状を、少しでもはやく改善したいと、

薬を含めた効果が早く出る方法の選択をしようと思いました。

でも「べてるの家」の実践を知って、まてよと思いました。

  

  

これは自分を含めて行ってきている特別支援教育にも言えると思います。

少しでもはやく通常学級でやっていけるようにすることが

主眼になってしまい、

奇声を出したり、席を離れてしまうことを

やっきになって止めようとします。

学年相応の学力をつけることに力が入ってしまいます。

でも、まずは子どもが抱えている障害をもっと知るべきです。

その障害を理解し、何にこの子は困っているのかを知り、

その部分をどうにかしてあげることが先なのです。

ずっと過去に悪口を言われたことを、

その子に会うたびに思い出して、怒り出してしまう子。

その行動を叱って止めても、また繰り返してしまう。

思い出して怒り出してしまうところ、、

怒りをコントロールできないところが、

この子の困っていることなのです。

どうにかしないといけないのです。

  

特別支援学級の人数定員上限が8名です。

この人数は多いです。

多い人数だと、学級活動がスムーズにいくためには、

規律が必要になってきます。

先生は叱ってしまうんですね。

学級を維持するためには仕方がないと理由をつけて。

特別支援学級はそれでいいのだろうか。

  

精神疾患と精神の障害をごっちゃにしていますが、

そこはまだ勉強不足の自分です。お許しを。

  

村上公也先生の実践、「べてるの家」での実践。

このような実践に触れると悩みます。

 

 

図書館のサイトから、次の本を予約しました。

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治りませんように」(斉藤道雄著/みすず書房)

これも「べてるの家」の実践を紹介している本です。

特別支援教育に関わって6年が過ぎます。

6年やってみて、少しは進歩し始めた自分を感じます。

仕事に追われつつも、勉強は忘れないようにしたい。

  

  

教育に役立つ!?和牛の漫才/ワンピース

今日は3月21日。

祝日のちょっと気楽な朝。

   

メルマガ「教材・授業開発研究所ニュース」も勉強になります。

まぐまぐ 教材・授業開発研究所ニュース

3月18日発行のメルマガから引用。

 

[1]M1の和牛の漫才を見ていて思ったこと その1   

   連載3/10 京都教育大学附属桃山小学校 樋口万太郎  

みなさん、昨年の12月に行われたM1は見られましたか?

M1を見ると今年も終わりだなーと思います。

そのM1の和牛の1本目の漫才を見ながら、

次のようなことを思いました。

審査員のオール巨人師匠も言っていましたが、

前半だけの漫才を見ていると、

絶対にダメだろうな(点数が低い)と思っていました。

しかし、後半の漫才で一気に盛り上がり、

とても面白かった漫才でした。

どのような授業でも盛り上がりというのは上がったり、

下がったりするものだと思います。

決して、ずっと盛り上がっている授業というのは

なかなかないのではないでしょうか。

これまでの自分の授業でそのような授業があったのだろうか・・・

前半盛り上がっていたのが、後半失速していくパターン。

こういうパターンをよくしてしまいます。

導入で子どもたちをひきつけたが、

後半では・・・。それを解消するために、
 

・山場を2つ作ろう

・伏線を張り、後半に回収するといった

授業展開ということを考えました。

伏線を貼りすぎて、回収できず!ということもありますが・・・。

漫画でいう「ワンピース」のような授業や単元構成、

さらには1年間の授業マネージメントになるように考えています。

(ワンピースは本当に伏線の張り方、回収が上手!)

今回の和牛の漫才はあえて前半を抑え、

その反動で後半を盛り上げた構成でした。

前半をギリギリまで引っ張ったようにも見えました。

授業に置き換えると、後半が共有・まとめなどと言った深める場面。

そこがドカンと盛り上がる。

尻上がり いや いきなり直角のように盛り上がった。

そういった授業展開ができないかな。よし考えてみよう。

  

「和牛」がどのような漫才をするのか

まだ1回も見たことがありません。

でもこの文章を見たら、見たくなりました。

昨年の12月のM1での1本目は何だったのだろう。

調べていたら・・・・

このサイトでわかりました。

ボクノオト 和牛がM-1グランプリ2017で準優勝になった決勝のネタとは?

話題の1本目は「ウェディングプランナー」でした。

そして2本目が「旅館の仲居さん」。

このサイトで実際に見ることができました。(3月21日現在)

樋口先生の言う

  

後半の漫才で一気に盛り上がり、

とても面白かった漫才でした。

  

が実感できました。

昨年のM1の和牛については、このサイトも勉強になりました。

M-1準優勝の和牛を「特別王者」と呼びたい理由  

   

 

「ワンピース」については思い出が本年度できました。

他の学校の特別支援学級の教室を見させてもらった時に、

マンガの単行本がたくさんありました。

子どもたちに漢字に触れさせたいために、

マンガ本を置いているそうです。

確かに、私の目の前の子どもたちの中に、

漢字に拒否反応をする子はいました。

そこで、よし!私の教室でもマンガ本を置こうと決め、

どのマンガにするか考えました。

漢字にふりがながうってあるのが、必須条件。

BOOK OFFで悩んで、「ワンピース」と「名探偵コナン」を

選びました。昨年の秋のはじめだったと思います。

しばらく様子を見ていて、私の学級の子どもたちに人気だったのは

「ワンピース」でした。

それからBOOK OFFに通って、買い集めた冊数は75冊。

よくぞ買いました。

しかし、昨日卒業していった子どもたちは、

75冊目は読めませんでした。

(朝、学級文庫に入れたので、卒業式の6年生には見る暇なし)

その「ワンピース」の良さを、樋口先生は

 

漫画でいう「ワンピース」のような授業や単元構成、

さらには1年間の授業マネージメントになるように考えています。

(ワンピースは本当に伏線の張り方、回収が上手!)

 

評しています。

実はせっせと買ってきましたが、

買ってきた本人の私は、まだ7冊目までしか読んでいません。

春休みは忙しそうですが、少しでも読んで、教育に役立てたいですね。

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2018年3月20日 (火)

「サヨナラまたな」/卒業式 今日の礼服は新品

今日は3月20日。

いよいよ今日は卒業式。

 

今回、私の着る礼服は新品。

なぜか?

ずっと着てきた礼服は、

ズボンの内側のシミが大きくなってきたので、

昨年の11月はじめのいとこの葬儀後、

処分しました。

  

その処分してしまったことを、

すっかり忘れていました!

  

  

卒業式2日前の3月18日(日)の午前中。

礼服を準備しておこうと思ってタンスを開けましたが、

どうしてもズボンが見つからない。

  

奥さんにも探してもらいましたが見つからない。

クリーニングに出して出しっぱなし?

「そんなことはない」と奥さんに言われたけど、

クリーニング店に問い合わせてみました。

でも、ズボンはないとのこと。

  

困った?もう探すところがないという段階になって、

ふと奥さんが言いました。

「捨てた?」

・・・・・・・・・

・・・・・・・・・

そうか!

シミが大きくなってきて、

「もう十分はいてきたから、思いっ切って処分するか」と決断して、

処分した映像がだんだん浮かんできました。

そうだよ、処分したんだ。だからこんなに探しても見つからないんだ。

  

でもショックでもありました。

そんなこと忘れる?

現に忘れていました。

しっかり探してしまいました。

 

  

3月18日の午後、奥さんと洋服店に出向きました。

店員さんは、私たちの雰囲気を感じてか、

「お急ぎですか?」と聞いてきました。

「その通り!」「明後日には使いたいです」

 

昨日(3月19日)の晩、学校帰りに洋服店に行き、

できあがった礼服を受け取ってきました。

間に合った。良かった。

  

珍しく、2日前に思いついて動いたことが幸いしました。

もし、当日の朝、前日の晩にタンスを開けていたら・・・

そう思うと、ゾッとします。

ああ、想像もしたくない。

 

そんな思い出がプラスされた今年度の卒業式。

午前9時30分スタート。あと5時間ほど。

もう少しやっておくことがあります。

 

  

同僚の先生がこんな曲がありますよと教えてくれました。

この先生は「カサリンチュ」を紹介してくれた先生です。


YouTube: 【新曲】サヨナラまたな/Fischer’s

Photo

今朝はこの曲をループ再生して過ごそうかな。

2018年3月19日 (月)

3月19日「カメラ発明記念日」/世界で最初に人間を撮った写真

  

今日は3月19日。

 

明日が卒業式。

  

私は特別支援学級の担任で、本年度は4・6年生の担任。

6年生は4人の男の子。

1・2年生で担任して、6年生で縁があって再び担任。

1年生から知っている子たちの卒業は、

その成長ぶりを見てきただけに、

立派になったなあという気持ちです。

子どもたちにとっての6年間は大きいなあと思います。

それに比べて、私は6年間でどれだけ変われたのでしょう?

 

今日と明日は、交流学級の子どもたちと行動をともにするため、

私の学級での授業は、金曜日(16日)の6時間目がラストでした。

そこでやったのは、もちろん「今日は何の日」クイズです。

3問やりました。

  

たとえば、3月19日「〇〇〇発明記念日」  

と黒板に書きます。(実際これが3問目でした)

ノーヒントで子どもたちは

「〇〇〇」に当てはまる言葉を考えて発言していきます。

子どもたちは間違いを恐れずにどんどん発言していきます。

「オカシ」「タカシ」?「タケシ」?

いろいろな珍発明が登場しました。

「トケイ」「トマト」「オカネ」「クルマ」「ライト」

「タイコ」「ユキチ(お札)」などなど。

時には誰かの発言がヒントになります。

「近い!」と私が叫びます。

なかなか正解が出ないと、私がヒントを言います。

「この教室にあるものです」

そして黒板に一杯に間違いの答えが書かれた挙句に、

子どもたちの誰かが正解を出すのです。

6年生4人との、このやりとりはとても楽しいものでした。

この問題の正解は「カメラ発明記念日」でした。

 

「カメラ発明記念日」について・・・

今日は何の日~毎日が記念日~

ここから引用します。

  

1839年のこの日、フランスの

ルイ・マンデ・ダゲールが写真機を発明した。

この写真機は「ダゲレオタイプ」と呼ばれ、

長時間露光させるため写真機の前で

長い間じっとしていなければならなかったが、

大変な人気を集めた。

  

最近テレビのニュースで紹介されていた写真が、

ダゲールが撮ったこの写真。

800pxboulevard_du_temple_by_daguerr BuzzFeedNews

説明では1838年頃の写真とあり、

「今日は何の日」の説明と矛盾しますが、

まあいいです。

長時間露光が必要だったため、動くものは写っていません。

したがって人は写っていません。

と言いたいところですが、

同じ姿勢で靴を磨いている人と磨いてもらっている人が

写っていました。

800pxboulevard_du_temple_by_dague_2  

これが世界で最初に人間を撮った写真だそうです。

  

こんな映画が2016年に公開されていました。

「ダゲレオタイプの女」

E55b36c895216847 映画.com


YouTube: 『ダゲレオタイプの女』予告編

Photo

Photo_2 

「70分、動くな」はきついね。

どんな映画かわかりませんが、

この写真撮影のシーンだけでも見る価値ありそう。

  

  

長時間露光のカメラアプリを以前記事にしました。

久々、このアプリで遊んでみようかな。

ここでも道草 観光地で人を消し去ってしまう方法(2015年11月30日投稿)

Photo_3 AppStoreレビュー

2018年3月18日 (日)

「優しいライオン」からの引用4.虚仮(こけ)の一念/自分は何を続ける

今日は3月18日。

 

前投稿に引き続き、

優しいライオン~やなせたかし先生からの贈り物

(小手鞠るい著/講談社)からの引用です。

 

小手鞠るいさんは、「かもめ物語」という話を書き、

いろいろな出版社の編集者に読んでもらい、

出版にこぎつけたいと思っていました。

その中の一人の編集者に、「かもめ物語」を

こてんぱんに批判されました。

それは悪意と敵意に満ちた批判、攻撃だったそうです。

  

 

それでも私は性懲りもなく「かもめ物語」を書き直した。

 

この作品だけは、どんなに攻撃されても、

 

あきらめることができなかった。

 

ものすごい根性だな、と、この文章を書きながら、

 

私はつい笑ってしまう。

 

私の内面には、あんなにも図太い

 

「灯台」が立っていたのかと思うと。

  

 

決してあきらめてはいけない、というのは、

 

やなせ先生からいただいた、

 

大切な教えのひとつだった。

 

先生はいつも「つづけることだよ。好きなことなら、

 

つづけられる」とおっしゃっていた。

 

「あきらめるのは、1秒でできる。

 

簡単にあきらめちゃ駄目だよ」と。

 

(213p)

  

  

 

「優しいライオン」には、

 

やなせたかしさんの言葉がたくさん出てきます。

 

小手鞠さんは、やなせさんの発する言葉は、

 

どんな一言も価値ある言葉に思えるようなことを書いています。

 

そんな小手鞠さんが、やなせさんのことを書くのだから、

やなせさんの言葉が多く紹介されるのは当然でしょう。

引用するつもりだったけど、コピーしていなかった文章あり。

たしか、パッと咲くことはできるけど、

  

ずっと地味に咲き続けることは難しいといった内容。

  

これももちろん、やなせさんの言葉。

  

上の引用文と同じく「続けること」を重視した発言。

 

次の引用もそうです。

  

  

この世界は。虚仮(こけ)の一念、と言って、

 

そのことばかりやっていればなんとかはなるものです。

 

俳優でもそう。下手くそな人が、お前はダメだと言われても

 

一生懸命やっていると,年を過ぎてから花が咲くこともある。

 

若いうちに最初からどーんと出てくる人もいるし、

 

仮の一念で出てくる人もいるし。分からないものです。

 

でも、器用で最初からできる人は後からダメになる人が多いですね。

 

自分に才能がなくても、虚仮の一念でやっていればいつかは花が咲く。

 

 

その途中はもちろん辛いですが、どうして耐えられるかというと

 

結局は好きなんだね。それ以外にもうできない。

 

これもだめ、あれもダメとあちこちやっている人は

 

結局何もつかまないで終わってしまうけれど、

 

一筋の道をずっとやっているとなんとかなる。

 

はじめからできる人はそんなにいません。

 

しょっちゅうくじけるんだけど、他にやることがないんでまたやる。

 

一筋道ですね。他に何かをやるって言っても他にやることがない。

 

『わたしが正義について語るなら』より

  

  

 

「運」は、自分でつかまなくちゃいけない。

 

このつかむということは、例えば漫画を描いているとすれば、

 

仕事がこなくても、絶えず描いていなくちゃいけないんです。

 

そうしないと,運は巡ってきません。

 

やめてしまえば、そこで終わり。

 

必ず続けていなくちゃいけない。

 

すると、何かしら運というのはやってくるんです。

 

その時に、パッとつかむんです。

 

ただ、つかむためには、自分がやり続けていないといけない。

 

『何のために生まれてきたの? 希望のありか』より

 

(220~221p)

  

 

 

小手鞠るいさんが紹介してくれたやなせたかしさんは、

 

遅咲きで、このまま世に出ずに終わってしまうことを焦っていた

 

マンガ家でした。

  

そこから高齢になっても活躍するマンガ家となりました。

 

重要なのは「続けること」 これですね。

 

 

自分は何を続ける?

 

  

知ること、それを確かめること。

 

その活動を繰り返して、ブログに書き留めること。

 

それは絶対、教育に生きる。

 

自分がずっとやってきていることはこれですね。

 

以上で「優しいライオン」からの引用は終了。 

「優しいライオン」からの引用3.「華」がないといけない

 

今日は3月18日。

 

前投稿に引き続き、

優しいライオン~やなせたかし先生からの贈り物

(小手鞠るい著/講談社)からの引用です。

  

今回も「アンパンマン」のことを書いた文章です。

  

このとき、やなせ先生は、六十三歳。

 

先生が四十一歳のときに生み出したアンパンマンは、

 

二十二歳という,ことになる。

 

一九七三年に出した最初の絵本『あんぱんまん』に対して、

 

「もう二度と描かないで欲しい」と言われながらも、

  

先生はあきらめなかった。

  

七四年から「詩とメルヘン」誌上で

 

「熱血メルヘン怪傑アンパンマン」の連載を開始し、

 

七六年からは姉妹誌の「いちごえほん」で

 

「あんぱんまん」の連載を始めている。 

 

また,七九年には月刊「キンダーおはなしえほん」

 

「あんぱんまんとぱいきんまん」を描いている。

  

先生は、アンパンマンを手放さなかった。

 

手放すことなどできない。

 

なぜならアンパンマンは先生にとって、

 

可愛い我が子のような存在だったのだから。

 

やがて,機が熟し実が熟すようにして

 

アンパンマンの人気は実ってゆき、

 

「ぼくのあんぱんまんは、アンパンマンと片仮名に改名して、

 

シリーズで本が出版されるようになって、

 

稚園·保育園では大人気、アンパンマンのステッカーをつけた

 

フレーベル館のワゴン車が園に入ると、

 

子供達が喚声をあげて取り巻く」(『アンパンマンの遺書』より)

 

ようになっていた。 

 

(119p)

 

一九八八年から一九八九年にかけて、すなわち、

昭和時代が終わり、平成元年が始まろうとしていた時期、

のちに「平成のヒーロー」となる大きな運命を背負って、

先生のアンパンマンは、飛び立った。

飛び立ったときには本当に「ひっそりと」、

そして「心細い状態」だったようである。

そのひそやかな旅立ちについて、先生はこんなふうに語っている。

  

  

アンパンマンが幼児に人気があるという噂は

 

地下水がしみこむようにゆるやかにひろがってはいきましたが、

 

まだ世間ではまったく知られていませんでした。

 

テレビ各社からアニメ化の企画は何度か持ちこまれましたが、

 

いつもはかないシャボン玉、きらりと光って消えていくだけ。

 

NHKからもお話がありましたが、『三銃士』と競合して、

 

あっさりキャンセル。

  

最後まで粘ったのが日本テレビで、

 

同時にアニメの製作会社の東京ムービー新社

 

(現在のトムス・エンタテインメント)からも話がきたのです。

 

しかし「アンパンマンなんていう地味な絵本のヒーローが

  

現代の子どもにうけるはずがない」という上層部の意見に押されて、

企画がパスせず三年ばかり空費。

 

ようやく、昭和六十三年(一九八八年)の十月、

 

月曜日の五時(当時は再放送番組用の時間)、

 

何をやっても視聴率が二%しかいかない最悪の時間枠で、

 

わずか関東四局のみで放映という心細い状態ではじまりました。

  

こうして、世界の数多くのアニメヒーローの中で

 

自分の顔をちぎってひもじい人に食べさせるという

 

前代未聞の平成のヒーローは、

 

まったく期待されないまま、今度はテレビアニメとして飛びたったのです。

 

ところが最初から七%という、この時間帯では破格の数字が出たのは、

 

潜在的なファンがすでに相当数いたといっことでしょうね。

 

「痛快!第二の青春 アンパンマンとぼく』より

 

 

 

このとき、やなせ先生は七十歳。

 

先生の絵本は「ものすごい勢いで」売れるようになり、

 

幼児向けの雑誌でアンパンマンの連載を始め、

 

テレビアニメのためには毎週、原作を提供し、

 

ラフストーリーを書き、

 

「今まで別世界と思っていた幼児漫画の世界にとびこんでしまった老新人は、

 

すっかり異郷の迷路でうろたえてしまった」(Tアンパンマンの遺書』より)

 

(144~145p)

アンパンマン誕生までのこのようないきさつがあったから、

次のやなせさんの言葉が重い。

  

 

「今のままじゃあ、駄目だ。

 

はっきり言って、今の川滝さん(小手鞠るいさん)は『イマイチ』だ。

 

どんなにがんばっても、イマイチのままでは、

 

イマイチの仕事しかできない。

 

画家でも漫画家でも小説家でも作家でも、同じだよ。

 

イマイチから抜け出さないと、

 

その人はいつまで経ってもイマイチのままなんだ」

 

そのあとに先生は、何人かのアーティストの名前を挙げた。

 

私の知っている人ばかりだった。

 

「・・・・さんも、・・・・さんも、・・・・くんもね、

 

みんな、才能もあって、センスもあって、人気もそこそこあって、

 

いい仕事 をしている。

 

だけど、悲しいかな、イマイチのままなんだ。二流なんだ。

 

厳しいことを言うようだけど、川滝さんも同じだよ」

  

歯に衣着せぬ物言い。だから,私は突き刺されはしても、傷つきはしない。

  

「イマイチから抜け出すためには、どうすればいいのか。

 

これが、難しいんだよ。才能と努カと運。

 

でもそれだけじゃあ、まだ駄目なんだ。

 

それらにプラスして、あとひとつ、

 

『華』がないといけない。

 

『華』がないままでは、川滝さんは一生、二流のままで終わってしまう」

 

「華、ですか?

 

「うん。それはね,たったひとつでいいんだよ。

 

賞を取るとか、ヒット作を出すとか、

 

要は脚光を浴びるということだね。

 

作家は一度だけでいいから、スポットライトを浴びなきゃ、駄目なんだ。

 

でも、一度でいいんだよ。

 

一度だけそれがあれば、あとはなんとかなる。

 

一度もなかったら、絶対に駄目なんだ」

 

先生はそのとき、七十三歳。

 

「アンパンマン」という「華」を得るまでの苦労と苦悩に裏打ちされた、

 

それは、真実の言葉だった。

 

(166~167p)

 

 

やなせさんの弟子の小手鞠さんだから、

こんなやなせさんの言葉を聞くことができ、

こうやって文章表現できるんでしょう。

ありがたい。ここにこの文章を励ましと受け止める教師がいます。

ここで自問。お前は何をめざす。

・・・・・・

自分も「こんな教師がいたぞ」という存在感を残したい。

そのためには、今はイマイチでも、やるべきことは続けよう。

もしかしたら、その先に「華」を得るチャンスがあるかも。

いくつになっても、それを信じて毎日を過ごしていきたい。

  

続く。

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