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2018年3月18日

2018年3月18日 (日)

「優しいライオン」からの引用4.虚仮(こけ)の一念/自分は何を続ける

今日は3月18日。

 

前投稿に引き続き、

優しいライオン~やなせたかし先生からの贈り物

(小手鞠るい著/講談社)からの引用です。

 

小手鞠るいさんは、「かもめ物語」という話を書き、

いろいろな出版社の編集者に読んでもらい、

出版にこぎつけたいと思っていました。

その中の一人の編集者に、「かもめ物語」を

こてんぱんに批判されました。

それは悪意と敵意に満ちた批判、攻撃だったそうです。

  

 

それでも私は性懲りもなく「かもめ物語」を書き直した。

 

この作品だけは、どんなに攻撃されても、

 

あきらめることができなかった。

 

ものすごい根性だな、と、この文章を書きながら、

 

私はつい笑ってしまう。

 

私の内面には、あんなにも図太い

 

「灯台」が立っていたのかと思うと。

  

 

決してあきらめてはいけない、というのは、

 

やなせ先生からいただいた、

 

大切な教えのひとつだった。

 

先生はいつも「つづけることだよ。好きなことなら、

 

つづけられる」とおっしゃっていた。

 

「あきらめるのは、1秒でできる。

 

簡単にあきらめちゃ駄目だよ」と。

 

(213p)

  

  

 

「優しいライオン」には、

 

やなせたかしさんの言葉がたくさん出てきます。

 

小手鞠さんは、やなせさんの発する言葉は、

 

どんな一言も価値ある言葉に思えるようなことを書いています。

 

そんな小手鞠さんが、やなせさんのことを書くのだから、

やなせさんの言葉が多く紹介されるのは当然でしょう。

引用するつもりだったけど、コピーしていなかった文章あり。

たしか、パッと咲くことはできるけど、

  

ずっと地味に咲き続けることは難しいといった内容。

  

これももちろん、やなせさんの言葉。

  

上の引用文と同じく「続けること」を重視した発言。

 

次の引用もそうです。

  

  

この世界は。虚仮(こけ)の一念、と言って、

 

そのことばかりやっていればなんとかはなるものです。

 

俳優でもそう。下手くそな人が、お前はダメだと言われても

 

一生懸命やっていると,年を過ぎてから花が咲くこともある。

 

若いうちに最初からどーんと出てくる人もいるし、

 

仮の一念で出てくる人もいるし。分からないものです。

 

でも、器用で最初からできる人は後からダメになる人が多いですね。

 

自分に才能がなくても、虚仮の一念でやっていればいつかは花が咲く。

 

 

その途中はもちろん辛いですが、どうして耐えられるかというと

 

結局は好きなんだね。それ以外にもうできない。

 

これもだめ、あれもダメとあちこちやっている人は

 

結局何もつかまないで終わってしまうけれど、

 

一筋の道をずっとやっているとなんとかなる。

 

はじめからできる人はそんなにいません。

 

しょっちゅうくじけるんだけど、他にやることがないんでまたやる。

 

一筋道ですね。他に何かをやるって言っても他にやることがない。

 

『わたしが正義について語るなら』より

  

  

 

「運」は、自分でつかまなくちゃいけない。

 

このつかむということは、例えば漫画を描いているとすれば、

 

仕事がこなくても、絶えず描いていなくちゃいけないんです。

 

そうしないと,運は巡ってきません。

 

やめてしまえば、そこで終わり。

 

必ず続けていなくちゃいけない。

 

すると、何かしら運というのはやってくるんです。

 

その時に、パッとつかむんです。

 

ただ、つかむためには、自分がやり続けていないといけない。

 

『何のために生まれてきたの? 希望のありか』より

 

(220~221p)

  

 

 

小手鞠るいさんが紹介してくれたやなせたかしさんは、

 

遅咲きで、このまま世に出ずに終わってしまうことを焦っていた

 

マンガ家でした。

  

そこから高齢になっても活躍するマンガ家となりました。

 

重要なのは「続けること」 これですね。

 

 

自分は何を続ける?

 

  

知ること、それを確かめること。

 

その活動を繰り返して、ブログに書き留めること。

 

それは絶対、教育に生きる。

 

自分がずっとやってきていることはこれですね。

 

以上で「優しいライオン」からの引用は終了。 

「優しいライオン」からの引用3.「華」がないといけない

 

今日は3月18日。

 

前投稿に引き続き、

優しいライオン~やなせたかし先生からの贈り物

(小手鞠るい著/講談社)からの引用です。

  

今回も「アンパンマン」のことを書いた文章です。

  

このとき、やなせ先生は、六十三歳。

 

先生が四十一歳のときに生み出したアンパンマンは、

 

二十二歳という,ことになる。

 

一九七三年に出した最初の絵本『あんぱんまん』に対して、

 

「もう二度と描かないで欲しい」と言われながらも、

  

先生はあきらめなかった。

  

七四年から「詩とメルヘン」誌上で

 

「熱血メルヘン怪傑アンパンマン」の連載を開始し、

 

七六年からは姉妹誌の「いちごえほん」で

 

「あんぱんまん」の連載を始めている。 

 

また,七九年には月刊「キンダーおはなしえほん」

 

「あんぱんまんとぱいきんまん」を描いている。

  

先生は、アンパンマンを手放さなかった。

 

手放すことなどできない。

 

なぜならアンパンマンは先生にとって、

 

可愛い我が子のような存在だったのだから。

 

やがて,機が熟し実が熟すようにして

 

アンパンマンの人気は実ってゆき、

 

「ぼくのあんぱんまんは、アンパンマンと片仮名に改名して、

 

シリーズで本が出版されるようになって、

 

稚園·保育園では大人気、アンパンマンのステッカーをつけた

 

フレーベル館のワゴン車が園に入ると、

 

子供達が喚声をあげて取り巻く」(『アンパンマンの遺書』より)

 

ようになっていた。 

 

(119p)

 

一九八八年から一九八九年にかけて、すなわち、

昭和時代が終わり、平成元年が始まろうとしていた時期、

のちに「平成のヒーロー」となる大きな運命を背負って、

先生のアンパンマンは、飛び立った。

飛び立ったときには本当に「ひっそりと」、

そして「心細い状態」だったようである。

そのひそやかな旅立ちについて、先生はこんなふうに語っている。

  

  

アンパンマンが幼児に人気があるという噂は

 

地下水がしみこむようにゆるやかにひろがってはいきましたが、

 

まだ世間ではまったく知られていませんでした。

 

テレビ各社からアニメ化の企画は何度か持ちこまれましたが、

 

いつもはかないシャボン玉、きらりと光って消えていくだけ。

 

NHKからもお話がありましたが、『三銃士』と競合して、

 

あっさりキャンセル。

  

最後まで粘ったのが日本テレビで、

 

同時にアニメの製作会社の東京ムービー新社

 

(現在のトムス・エンタテインメント)からも話がきたのです。

 

しかし「アンパンマンなんていう地味な絵本のヒーローが

  

現代の子どもにうけるはずがない」という上層部の意見に押されて、

企画がパスせず三年ばかり空費。

 

ようやく、昭和六十三年(一九八八年)の十月、

 

月曜日の五時(当時は再放送番組用の時間)、

 

何をやっても視聴率が二%しかいかない最悪の時間枠で、

 

わずか関東四局のみで放映という心細い状態ではじまりました。

  

こうして、世界の数多くのアニメヒーローの中で

 

自分の顔をちぎってひもじい人に食べさせるという

 

前代未聞の平成のヒーローは、

 

まったく期待されないまま、今度はテレビアニメとして飛びたったのです。

 

ところが最初から七%という、この時間帯では破格の数字が出たのは、

 

潜在的なファンがすでに相当数いたといっことでしょうね。

 

「痛快!第二の青春 アンパンマンとぼく』より

 

 

 

このとき、やなせ先生は七十歳。

 

先生の絵本は「ものすごい勢いで」売れるようになり、

 

幼児向けの雑誌でアンパンマンの連載を始め、

 

テレビアニメのためには毎週、原作を提供し、

 

ラフストーリーを書き、

 

「今まで別世界と思っていた幼児漫画の世界にとびこんでしまった老新人は、

 

すっかり異郷の迷路でうろたえてしまった」(Tアンパンマンの遺書』より)

 

(144~145p)

アンパンマン誕生までのこのようないきさつがあったから、

次のやなせさんの言葉が重い。

  

 

「今のままじゃあ、駄目だ。

 

はっきり言って、今の川滝さん(小手鞠るいさん)は『イマイチ』だ。

 

どんなにがんばっても、イマイチのままでは、

 

イマイチの仕事しかできない。

 

画家でも漫画家でも小説家でも作家でも、同じだよ。

 

イマイチから抜け出さないと、

 

その人はいつまで経ってもイマイチのままなんだ」

 

そのあとに先生は、何人かのアーティストの名前を挙げた。

 

私の知っている人ばかりだった。

 

「・・・・さんも、・・・・さんも、・・・・くんもね、

 

みんな、才能もあって、センスもあって、人気もそこそこあって、

 

いい仕事 をしている。

 

だけど、悲しいかな、イマイチのままなんだ。二流なんだ。

 

厳しいことを言うようだけど、川滝さんも同じだよ」

  

歯に衣着せぬ物言い。だから,私は突き刺されはしても、傷つきはしない。

  

「イマイチから抜け出すためには、どうすればいいのか。

 

これが、難しいんだよ。才能と努カと運。

 

でもそれだけじゃあ、まだ駄目なんだ。

 

それらにプラスして、あとひとつ、

 

『華』がないといけない。

 

『華』がないままでは、川滝さんは一生、二流のままで終わってしまう」

 

「華、ですか?

 

「うん。それはね,たったひとつでいいんだよ。

 

賞を取るとか、ヒット作を出すとか、

 

要は脚光を浴びるということだね。

 

作家は一度だけでいいから、スポットライトを浴びなきゃ、駄目なんだ。

 

でも、一度でいいんだよ。

 

一度だけそれがあれば、あとはなんとかなる。

 

一度もなかったら、絶対に駄目なんだ」

 

先生はそのとき、七十三歳。

 

「アンパンマン」という「華」を得るまでの苦労と苦悩に裏打ちされた、

 

それは、真実の言葉だった。

 

(166~167p)

 

 

やなせさんの弟子の小手鞠さんだから、

こんなやなせさんの言葉を聞くことができ、

こうやって文章表現できるんでしょう。

ありがたい。ここにこの文章を励ましと受け止める教師がいます。

ここで自問。お前は何をめざす。

・・・・・・

自分も「こんな教師がいたぞ」という存在感を残したい。

そのためには、今はイマイチでも、やるべきことは続けよう。

もしかしたら、その先に「華」を得るチャンスがあるかも。

いくつになっても、それを信じて毎日を過ごしていきたい。

  

続く。

「優しいライオン」からの引用2.アンパンマン誕生までの話

 

今日は3月18日。

  

前投稿に引き続き、

優しいライオン~やなせたかし先生からの贈り物

(小手鞠るい著/講談社)からの引用です。

  

「アンパンマン」誕生の様子が書かれたところです。

  

一九七三年に最初の絵本『あんぱんまん』が出版されてから、

 

約五年が過ぎました。表面的には変化なし。

 

けれども目に見えないところで何かが動く気配がありました。

 

ある日近所のカメラ店にフィルムの現像を出しに行くと、

 

店の主人が言いました。

 

「先生、うちの坊主があんぱんまんが好きでね。

 

毎晩読んでくれというもんだから、私までおぼえちゃつたよ。

 

子どもは気に入ると何度でも読めって言うんだね」

 

これが最初の予兆でした。

 

へえ、とぼくは思いました。

 

出版社では評判が悪かったし、

 

ぼくもみんな見向きもしないと思ってた。

 

でもそれから、似たような話をあちこちで聞くことになりました。

 

幼稚園や保育園では人気で、

 

図書館では『あんぱんまん』がいつも貸し出し中。

 

新刊を入れてもすぐにポロポロになるというのです。

 

ぼくはえらいことになったと思いました。

 

『わたしが正義について語るなら』(やなせたかし著)より

  

  

 

 

ここで、ちょっと駆け足になるけれど、 

 

アンパンマン誕生のいきさつをふり返ってみたい。

 

アンパンマンの原型が生まれたのは、

 

一九六〇年頃、先生のつくったラジオのコントのなかからで、

 

そのときには、まるで桃太郎のお話のパロディのような

 

「あんパンから生まれたアンパンマン」だったという。

 

九年後の一九六九年、PHP研究所から発行されている雑誌「PHP」に、

 

大人向けの読み物として連載した「こどもの絵本」

 

(単行本のタイトルは『十二の真珠』)の第十回として、

 

先生は「アンパンマン」と題する物語を書いている。)

 

のときのアンパンマンは、今とはまったく違って、

 

った人間の姿をしていた。

  

が、元祖アンパンマンもまた,戦場の空を飛んで、

 

おなかをすかせた世界中の子どもたちにパンを届けようとしていた。

 

ここに、先生の戦争体験が色濃く反映されていることは言うまでもない。

  

  

  

 

戦争が続いて、野も山もすっかりやけただれた国がありました。

 

荒れはてて砂漠のようになった土地にほんの数人の子どもたちが、

 

なんにもたべるものもなく死にそうになっていました。

 

もう最後かとおもうとき、空のむこうにちいさな点が

 

あらわれたかとおもうとみるみる大きくなって近づいてきました。

 

アンパンマンだ! アンパンマンはこげ茶色のマントの下から

 

やきたてのアンパンを子どもたちの上へおとしました。

「しっかりするんだ。死んじゃいけない。

 

私は何度でもアンパンをはこんでくるぞ」

 

『十二の真珠』所収の「アンパンマン」より

   

  

 

『やさしいライオン』の大ヒットを受けて、

 

新たな絵本の仕事を依頼された先生は、

 

この「アンパンマン」を、子ども向けの絵本「あんぱんまん」として、

 

描き直すことにした。そのときに、アンパンの顔をしていて、

 

自分の顔困った人に食べさせるという、

 

現在のアンパンマンが誕生した。

 

一九七三年のことである。

   

  

 

 

人間にとって一番つらいのは飢えである。

 

正義を示すもっとも端的な行為は,

 

飢えた人に一片の食べものをさし出すことにほかならない。

 

戦争体験でも、何よりきつかったのは飢えだった。

 

どんな重労働も、一晩寝れば回復する。

 

けがをしても、薬をつければそのうち治る。

 

だが、ひもじさには耐えられない。

 

自分が飢える経験をして、飢えがどんなにつらいか、

 

よくわかった。

 

発行機事故で遭難した人間が、救助がなかなか来ず、

 

ついには死んだ人を食べたという事件があったが、

 

それも納得できると思えるくらいだ。

 

『やなせたかし明日をひらく言葉』より

  

  

  

 

アンパンマンは、先生にとっての「正義とは何か」がこめられた、

 

まったく新しいタイプのヒーローだった。

 

正義とは「弱い人、困っている人、すなわち、

 

空腹な人に食べ物を分け与えること」

 

つまり、真の正義とは、献身と愛があってこそ実現できるものだと、

 

先生は悟った。

 

敗戦後,それ で軍国主義一色に染まっていた日本の正義が、

 

いとも簡単に逆転してしまったことを目の当たりにして、

 

「絶対に揺るがない正義とは、弱者を助けること」なのであると。

 

 (89~91p)

 

 

  

「アンパンマン」が自分の顔を食べさせる行為が

やなせたかしさんの戦争体験から来ていることを知りました。

そして、もう一つ知ったのは、

「アンパンマン」はすんなり誕生したのではなく、

大人からは酷評されたということ。

1973年に誕生したアンパンマンは、

それでも子どもたちの中で人気が出てきます。

そして1988年にテレビで放映されます。

その時やなせさんは、もうじき70という年。

高齢になってまで頑張っているマンガ家のイメージでしたが、

遅咲きのマンガ家であったことが、

このアンパンマンの誕生の話でもわかったし、

この本「優しいライオン」を読むとあちこちで

この遅咲きのやなせさんのことを知ることができます。

  

   

つづく

「優しいライオン」からの引用1.「作家は人生で作品を書くべきだ」

今日は3月18日。

  

今朝の記事に書いた図書館に返した本のことを書きます。

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優しいライオン~やなせたかし先生からの贈り物

(小手鞠るい著/講談社)

  

小手鞠るいさんについては、

ここで書いています↓

ここでも道草 「あんずの木の下で」/著者は小手鞠るいさん(2018年2月26日投稿)

 

本からの引用です。

 

寂しい、という気持ち。悲しみ、という感情。

 

執着、嫉妬、羨望、疑心暗鬼、恨みつらみ、

 

ありとあらゆるネガティブな感情。

 

それらについて書く、ということが、

 

今の私には楽しくて仕方がない。

 

なぜならそれらは私のベストフレンドだから。

 

私はそれらを知り抜いているから。

  

  

何かについて書くためには、書くよりも前にまず,

 

そのことを生きなくてはならないということなのだろう。

 

血の通った文章を書くためには、

 

まず本人が血を流さなくてはならない、とも言えるだろうか。

 

この教えもまた、私が先生(やなせたかしさん)からいただいた、

 

貴重な贈り物のひとつである。

  

 

『アンパンマンの遺書』のなかに、

 

「作家は人生で作品を書くべきだ」という言葉がある。

 

いつの頃からか、この言葉を、私は座右の銘としている。

 

先生の詩の一行一行は、

 

先生の体のなかを流れる血管であり、血潮だった。

 

一篇の詩はそのまま,先生の人生劇場の一幕だった。

 

(58~59p)

 

小手鞠るいさんについては、

これは教師にも言えると思う。

教師も教える時にその人の人生が出た方がいい。

その方が、子どもたちに訴えるものがあると思う。

 

 

先生の絵本『やさしいライオン』が

 

フレーベル館から刊行されたのは、一九七五年一月。

 

私(小手鞠るいさん)が京都で「詩とメルヘン」に出会った翌年である。

 

その後,四十年以上が過ぎた今も、この絵本は版を重ねつづけている。

 

どれだけ多くの子どもたち、大人たちが、

 

この絵本に心を奪われ、涙してきたことだろう。

 

読み返すたびに、いや、この絵本のことを思い出すだけでも、

 

胸のふるえるような一冊である。

 

(81p)

 

 

 

「優しいライオン」に先立って私は

 

やさしいライオン」(フレーベル館)を読みました。

 

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年老いた父親と暮らす日々。

 

それを思い出して読みました。

 

私は「やさしいライオン」にはなっていない。

 

でも父親と暮らしてきた今までのことは覚えています。

 

大事な日々だと思います。

 

でも、つい父親を叱ったりしてしまう。

 

「やさしいライオン」になるのは難しいです。

 

つづく

昼寝から目覚めて夕食までの素敵な時間

 

今日は3月18日。

  

昨日は午前中に1度、昼過ぎも1度昼寝をしました。

年度末疲れかそれともいよいよ始まった花粉症のためか、

ダウン気味でした。

 

夕方起きた時に気がつきました。

近所の図書館で借りていた本の返却日が

「今日だった!」と。

しかもまだ読み終えていない。

借りた3冊のうち、あと1冊読み終えていない。

この本↓

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ここから集中。

残ったページを全て読み終えた。

引用したいページには付箋を貼った。

これをコピーしたい。

図書館が閉まる時刻は午後6時。

あと20分。う~ん、間に合わないか?

コンビニで付箋を貼ったページをコピーすることに決め、

急いで家を出て、自動車で出発。

  

コンビニでコピー機に500円硬貨を入れてコピー開始。

我が家のコピー機では、1枚印刷が終わらないと、

読み込みをしてくれない。

コンビニのコピーならどんどん読み込んでくれる。

早い!

コピー完了。残り4分。

でも自分の腕時計は1分半ほど早いので、

実際は5分以上ある。

あきらめかけたけど、もしかしたら間に合うかも?

できあがった紙の束をもって、コンビニを出る。

図書館までの道は幸い信号がない。

スムーズに図書館のある建物へ行きつきました。

  

建物に一番近い駐車場に自動車を入れて、

そこから走った。

図書館は3階!

階段はノンストップで駆け上がる。

時間内に返すことに夢中になっている自分自身に

「いい時間を過ごしているね」と

その時にふと思った。

図書館に到着。

受付では、女の人が本を借りていた。

その後ろに並んで、息を整えた。

間に合った!

  

受付の時計を見ると、午後6時の1分30秒前。

順番が来た。

3冊の本を返した。

そして予約してあった本を借りた。

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時間内に終えたいことが全てできた。

充実した気持ちで帰宅。

夕食の準備を手伝う。今日は我が家で焼き肉。

  

  

しかし、これで終わらなかった。

思い出した。

コンビニでコピーをした後に、おつりをもらうのを忘れた!

急いで、コピーしたのが何枚だったのか数えた。

27枚。1枚10円だから270円。

おつりは230円。

これでお店の人から確認のため

「いくらでしたか?」と聞かれても答えられる。

上着も着ないで家を出て、先ほどのコンビニへ。

  

店員さんに、「先ほどコピーに来ていた者ですが、

おつりを取るのを忘れていました」と言ったところ、

店員さんは思い当たることがあったようで、

「230円でしょ?」とすかさず

言ってきた。

意外にも店員さんから金額を言ってくれた。

「そう、それ!」金額ピッタリ!

店員「はいどうぞ」230円を受け取る。

「ありがとうございます」

店員「先ほどコピーした人が、これ私のお金じゃない、

 と言って渡してくれました」

「ああ、その人にも感謝です」

そんな会話をしてコンビニを出ました。

店員さんの対応もうれしかったし、

店員さんに230円を渡した見も知らぬ方の良心もうれしかった。

  

良いことも広がる。

私も、コピー機で取り残しのお金を見つけたら、

絶対に店員さんに渡すでしょう。

この体験があるから。

  

  

以上、昼寝から目覚めて夕食までの

素敵な時間のことを書きました。

 

 

 

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