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2018年2月

2018年2月 4日 (日)

「驚きももの木20世紀」その4/NASAは焦っていた

 

今日は2月4日。

  

前投稿に引き続き、

1993年10月29日放映の

驚きももの木20世紀 チャレンジャー爆発」をここに書き留めます。

  

いよいよ打ち上げが迫ってきました。

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ナレーター:チャレンジャー号の打ち上げが迫っていた。

  当初、スペースシャトルは年に50回の

  宇宙への往復を目指していた。

  しかし、実行できたのは、年にわずか10回程度。

  NASAは焦っていた。

  

司会の三宅裕司さんが「NASAは焦っていた」のことを

専門家の中村浩美さんに尋ねました。

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中村さんが言うには、事故の後、レーガン大統領による

特別命令を受けた調査委員会が調査して、

報告書が出されました。

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この報告書によると、Oリングというロケットブースターをつなげる部品が、

合成ゴムでできているため、寒さのために破損したんが、

直接原因とのこと。

それはそれとして、スペースシャトルにはビジネスの面もありました。

お金をいただいて人工衛星を運んだりするといった面です。

延期したり計画を取りやめたりすると信用にかかわります。

だからNASAは、何とかスペースシャトルを飛ばしたかったという

背景はあったと中村さんは言います。

  

チャレンジャー号の発射は近づいていました。

発射台のあるフロリダ州は、異常な寒波。

発射台は凍てついていました。  

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その日(1月28日)は寒かったので、

発射は延期されるのではと思っていたと広報官。

しかし、延期されませんでした。

  

  

チャレンジャー号打ち上げの1週間前、

宇宙飛行士たちは、発射台のあるフロリダのケネディー宇宙基地に到着。

 

ハワイから来た応援団60人余りも

フロリダに来ていました。

もちろん、エリスンさんのお母さんであるミツエさんも。

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弟のクロード・オニヅカさんの証言。

打ち上げ前に、エリスンさんは母親に会いたがっていまた。

しかし、エリスンさんのいる隔離室に入るためには、

面倒な身体検査が必要でした。

年老いた母親には無理と判断して、会うことをあきらめました。

「会わせておけばよかった」と、

クロードさんは後悔しています。

  

いよいよ1986年1月28日。

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午前5時。

チャレンジャー号の乗組員はにこやかに朝食。

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打ち上げ30分前。

ハワイから応援団を乗せたバスもやってきて、

用意された”応援席”に着きました。

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ナレーター:刻々と近づく発射の時間。

  全てが順調に進んでいるようだった。

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姉のシャーリー・マツオカさんの証言。

打ち上げ前に電話で弟と話しました。

最後にエリスンさんはこう言ったそうです。

「お母さんのことをよろしくたのんだよ」

   

午前8時。

7人の宇宙飛行士は発射台へ向かいました。

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打ち上げ前日の夜、エリスンさんは、

お母さんのいるホテルの部屋に電話しています。

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家族の様子、応援団の様子を話した後に、

エリスンさんはこう言ったそうです。

「みんなうまくいっているから、心配しないで」

  

いよいよ打ち上げ。

  

  

つづく。

  

「驚きももの木20世紀」その3/442連隊の精神

  

今日は2月4日。

 

前投稿に引き続き、

1993年10月29日放映の

驚きももの木20世紀 チャレンジャー爆発」をここに書き留めます。

   

宇宙飛行士は、宇宙に行くときに持参するものがあります。

どれだけでも持参できるわけではなく、

限られた量だけでした。

したがって、何を持参するかで、宇宙飛行士の思いが表れます。

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ディスカバリー号搭乗の際に、

エリスン・オニヅカさんは3つのワッペ持参しました。

その中の、このワッペンにまつわるお話を、書き留めます。

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ディスカバリー号搭乗後、彼はハワイに凱旋帰郷。

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偉業を成し遂げたお祝いのパーティーが行われました。

そこには母の姿もありました。

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夢だった宇宙に行くことができたエリスンさん。

その喜びは、エリスンさんだけでの喜びではなく、

エリスンさんのことをアメリカ中の日系人が、

まるで自分の息子のように祝いました。

 

なぜか?

  

ハワイの農園には、日本人の血と涙がしみ込んでいます。

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ハワイに日本の移民が移り住んだのは、135年ほど前だそうです。

(番組では110年ほど前と言っていました)

そのほとんどが、サトウキビ畑やパイナップル畑の労働者でした。

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日系人たちは団結し、

お互いに助け合わないと生きていけませんでした。

やがて苦労は実を結び、ほとんどの人たちが、

自分の土地を持てるようになりました。

1941年。

突然に日本軍がハワイを攻撃しました。

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太平洋戦争の勃発です。

  

祖国日本とアメリカとの戦い。

日系人は苦難の時代を迎えました。

強制収容所に入れられた人も多かったそうです。

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日系人への迫害の嵐が、自由の国アメリカで吹き荒れました。

  

この時に立ち上がった日系人がいました。

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なぜ日系人だけ差別を受けるのか。

彼らは、アメリカ軍として戦うことで、

日系人としての誇りを保とうとしました。

そんな日系人の部隊が442連隊です。

442連隊は、ヨーロッパ戦線で、命を惜しまぬ戦いっぷりで

活躍をしました。

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442連隊が、アメリカ軍部隊の中でも、

最も勲章を得た部隊として記録されています。

ただその勲章の陰には、おびただしい犠牲がありました。

部隊の半数以上の者が負傷あるいは戦死しました。

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↑これがエリスンさんが宇宙に持参したワッペンのマーク。

442連隊のマークでした。

442連隊のことを今も日系人は忘れていません。

そしてエリスンさんも。

  

エリスンさんも、お祝いの会のスピーチで言っています。

 

もう一度宇宙に行けるとすれば、

442連隊や100大隊の日系人がしたのと同じように、

私も合衆国に忠誠を誓います。

  

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戦後生まれのエリスンさんに、

442連隊のことをいつも語っていたのは、

母親でした。

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日系人の人たちにとって、442連隊の人たちの精神は、

心の中に植えつけられているものなのでしょう。

きっとそれは私たちの予想を上回っていると思います。

 

ただ、この番組から25年。

エリスンさんの世代は引退して、今は次の、

あるいはその次の世代が中心です。

442連隊の精神は、今も日系人に受け継がれているのでしょうか。  

古い番組を書き留めていると、今はどうなんだろうと思います。

  

「驚きももの木20世紀」その2/母は強かった

 

今日は2月4日。

  

前投稿に引き続き、

1993年10月29日放映の

驚きももの木20世紀 チャレンジャー爆発」をここに書き留めます。

  

1978年スペースシャトル計画のスタート。

宇宙飛行士を募集。

一般の人から初めて集められた。

募集したのは8000人!

その中から選ばれたのが35人。

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チャレンジャー号に乗っていた7人も、その中のメンバー。

ではエリスン・オニヅカはどこで生まれ、

なぜ宇宙飛行士を志したのか?

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生まれはアメリカのハワイ島コナ。

1946年生まれ。

ゲストの中村浩美さんが、「同じ年生まれ」と言っていました。

したがって、現在生きていたら71歳。

  

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両親は日系2世。中央がエリスンさんを思われる。

  

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オニヅカ家は、コーヒーを栽培しながら、

小さな雑貨店を経営してました。

  

オニヅカさんが9歳の頃、実験を行いました。

家の床下で、花火を使ってロケット実験を行いました。

床からはもうもうと煙。

しかし、母親は頭ごなしに怒ることなく、

訳を聞いてくれる母親だったと、

エリスンさんの姉や弟が証言しています。

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宇宙へのあこがれがうかがわれるエピソードですが、

エリスンさんのあこがれを決定づける出来事が続きます。Rimg1775  

1961年4月12日。私が生まれた3日後。

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ガガーリンは言いました。

「地球は青かった」

  

番組からは一時離れますが、この有名な言葉の続きがあることを

最近知りました。

「ここに神は見当たらない」です。

日本では「地球は青かった」が有名ですが、

世界では「ここに神は見当たらない」の方が有名なのだそうです。

※参考:Wikipedia ガガーリン

  

番組の内容に戻ります。

同じく1961年5月5日。

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アメリカ、ケネディ大統領の演説。

 

1960年代の終わる前に、

アメリカは人類を月に着陸させ、

安全に地球に帰還させるという

目標を達成するであろう。

  

この言葉が、エリスンさんの心に火をつけました。

1964年。エリスンさんはハワイから出て、コロラド大学に入学。

宇宙工学を学ぶためでした。

  

しかし、卒業を控えたエリスンさんのもとに、

悲報が届きます。

1968年2月20日。

父親マサミツさんが亡くなったのです。

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エリスンさんは悲しみに暮れ、そして悩みます。

年老いた母親をほっておいて、そのまま勉強をしていていいものか。

  

オニヅカ家のことをよく知るノーマン・サカタさんの証言。

 

オニヅカは大学をやめて、

ハワイに戻る決心をしていたようです。

でもあの時、お母さんは、オニヅカにこう言ったのです。

「小さな雑貨店のひとつぐらい、母さん一人でやっていけるよ。

余計なことを考えずに、好きな勉強を続けなさい」って。

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次にナレーターの森本レオさんの語り。

 

母は強かった。

母の言葉を胸に、オニヅカは再び夢に向かって羽根を広げた。

この母がいたから、ハワイ初の、そして日系人初の

宇宙飛行士が生まれた。 

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ここが感動のシーンでした。

自分一人では、夢は成し遂げられない。

誰かの力を借りながら、自分が努力して成し遂げられるもの。

言い古されていることかもしれませんが、

実際の典型例をここで知ることができました。

  

エリスンさんは、ディスカバリー号に搭乗しました。

チャレンジャー号は2回目の搭乗でした。

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宇宙で箸を最初に使った人物でもあります。

 

  

つづく。

「驚きももの木20世紀」その1/それは1月28日午前11時39分に起きた 

 

今日は2月4日。

立春です。

  

2月1日の記事の続きです。

ここでも道草 1月28日に思い出した番組(2018年2月1日投稿)

1993年10月29日放映の

驚きももの木20世紀 チャレンジャー爆発」をここに書き留めます。

  

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番組のスタート。

今回は「日の丸を宇宙に初めて持って行った宇宙飛行士の話」と

紹介されました。

「驚きももの木20世紀」の司会者はこの2人。

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三宅裕司さん。

1951年5月3日生まれ。現在66歳。当時は42歳。

楠田枝里子さん。

1952年1月12日生まれ。現在66歳。当時は41歳。

お二人は同学年だったのですね。

  

スペースシャトルチャレンジャー号爆発事故は、

1986年1月28日に起きました。

  

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↑手を挙げているのが、この番組の主人公エリスン・オニヅカさん。

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チャレンジャー号が地上を離れて72秒後。

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チャレンジャー号は、空中で大破しました。

私はこの時、確か生放送で見ていたと思います。

具体的な時刻を調べました。

現地時間1月28日午前11時39分。

日本の標準時で1月29日(水)午前1時39分。

う~ん、起きていたかな?平日だもんなあ。

生放送で見ていたのか、少々自信がなくなってきました。

  

チャレンジャー後の乗組員7人Rimg1760  

そしてエリスン・オニヅカさん。日系3世。

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チャレンジャー号爆発直後の母親ミツエ・オニヅカさん。

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番組のサブタイトル。

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ゲストの紹介。

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中村浩美さん。

1946年2月8日生まれ。現在71歳。当時は47歳。

  

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マルシアさん。

1969年2月14日生まれ。現在48歳。当時24歳。

  

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立川志の輔さん。

1954年2月13日生まれ。現在63歳。当時は39歳。

 

古い番組を書き留めていると、

今は何歳?当時は何歳?が気になりました。

皆さん、当然ながら若い。

私は32歳。

つづく。

 

2018年2月 2日 (金)

「開き直ってカモメを描いた」/「カモメ」の似合わない曲

今日は2月2日。

  

1月13日からの生活のBGMは竹原ピストルの

アルバム「BEST BOUT」の中の気になる曲のひとつ。

  

カモメ

  

この曲は長い感じのする曲ですが、

歌詞を見てみると、あっけなく短い。

じっくり歌いあげている曲だと思います。

歌詞のこの部分がお気に入り。

  

♪  青を塗って

  白を塗って

  一息ついてから最後に僕の気持ちを塗った

  空の絵を描いていたつもりが 

  海みたいになってしまった

  開き直ってカモメを描いた

 

曲名の「カモメ」はこの歌詞から引用。

曲を聴いてみるとわかりますが、

「カモメ」というタイトルが似合わない曲想です。

海の上を飛んでいません。

地べたをはいつくばっている感じの曲です。

でも「カモメ」なんですよね。

開き直って行動したことの象徴なのです。

 

  

この曲も、「よー、そこの若いの」がそうだったように、

1番が例えであって、2番がリアルです。

ここでも道草 「季節を報せない花なんてないのさ」そうだそうだ!(2017年12月25日投稿)

(↑ここでは「2番はストレート」と表現していました。)

1番の例えが何を表現しているのか、

2番を聴くとわかります。

ここで聴けます↓


YouTube: カモメ  竹原ピストル

さんざん曲を聴いてきましたが、

歌詞を見ると、あらためて

こういう気持ちを歌っていたんだと

新鮮な気持ちで再び聴けます。

  

2018年2月 1日 (木)

通算5600本目の投稿/1月28日に思い出した番組

 

今日は2月1日。

 

時々学級で「今日は何の日」クイズをやっています。

ヒントを言いながら、たくさんの間違いを経た後に

正解に行きつくやりとりが大好きです。 

先日ネタにしたのが、1月28日。

「〇〇○〇からの警告の日」

〇に言葉を当てはめさせます。

何だかわかりますか?

  

正解は「宇宙からの警告の日

そのいわれは・・

今日は何の日~毎日が記念日~

このサイトから引用します。

1986(昭和61)年のこの日、アメリカの

スペースシャトル・チャレンジャーが打ち上げられ、

発射74秒後に爆発し、乗組員7人全員が死亡した。

作家・大江健三郎は『治療塔』の中でこの事故を

「宇宙意志からの警告」と表現した。

 

何度も宇宙に人類を送り込んでいたスペースシャトル。

この時の事故は、宇宙飛行は決して安全ではないので

油断するなということでしょうか。

 

私はこの時、生放送で打ち上げを見ていた覚えがあり、

爆発直後は、何が起きたのかわからない状況でした。

え、爆発したの?本当に?

にわかには信じられませんでした。

 

チャレンジャー爆発事故に関しては、

次の番組を私はすぐに思い出します。

1993年10月29日放映の

驚きももの木20世紀 チャレンジャー爆発」です。

 

今から25年前の番組です。

実は中学校教師をしていた頃、

社会科の授業で必ず見せていました。

 

今回、この番組を読み物にしたいと思いました。

このブログに、番組のエキスを書き留めておきたいと思いました。

ただ今回の番組はビデオテープに収まっています。

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ビデオテープに収まっている番組の記録は初挑戦。

最近使っていなかったビデオデッキを出してきて

再生をしています。

横線がザザッと入ります。

トラッキングっという言葉を思い出します。

写真を撮りや聞き書きを始めました。

 

同年代の方たちよ、思い出しませんか?

この番組冒頭のシーン↓

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つづく。

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