村山聖さんは北海道の草花のように生きた
今日は8月2日。
「聖の青春~病気と闘いながら将棋日本一をめざした少年」
(大崎義生著/角川つばさ文庫版)からもう少し引用しておきたいです。
平成元年(1989年)に村山聖さんは20歳を迎えています。
その時の夏、村山さんは初めて「旅」に出ます。
北海道への一人旅でした。
北海道に無事に着いて、師匠の森先生に電話をします。
引用します。
「森先生、いま北海道にいます」
「無事着いたんか」
「はい」
「どうや、そっちは」
「北海道って、花ばかりが咲いていて、何もないところなんですね」
電話の向こうで村山は、とても晴れがましい声で言った。
それでいいんやと、口には出さなかったが森は思った。
それを知るために旅があるんだ。
電話が切れた後、森は一人で北海道を転々とする村山のことを思った。
自分の旅の話ばかり聞いてつらかったんやろうなあ、
ベットの上で想像することしかできないでいたんやろうなあ。
考えてみれば、旅という行動は村山のそれまでの人生から
いちばん遠いところに存在しているものといえなくもなかった。
酒にしても、麻雀にしてもそうである。
その遅れを取り戻すかのように村山はよく飲み、よく遊んだ。
それはつかの間の夏の太陽に身を委ね、
栄養を吸収していく北海道の草花のようなものなのかもしれなかった。
またいつ訪れてくるかわからない冬に備え、
村山は夏の透明な光を体中に浴びようとしていたのだろうか。
(170~171p)
村山さんの行動を、北海道の草花に例えた文章。
とても共感できました。
長くは生きられない可能性があるのだから、
麻雀に打ち込まずに、その時間も将棋をやって強くなればよかったのに。
正直、本を読みながらそう思っていました。
でもこの文章を読んだら、私の考えは違うと思いました。
人生が短いかもと思ったら、やりたいことはどんどんやるのが本当。
生きているからできることをやるのが本当。それが人間。
村山さんが亡くなったのは平成10年(1998年)。
引用します。
8月8日、午後0時4分。
村山聖の心臓は停止し、11分に死亡が確認された。
村山のすべての戦いは終わった。
29年の飽くなき挑戦はA級在籍のまま終止符を打ったのだった。
通算成績は356勝201敗、うち12局の不戦敗を記録している。
この年の将棋年鑑のアンケートに村山はこう答えている。
<今年の目標は? 土に還る>
行ってみたい場所は? 宇宙以前> (274p)
覚悟はしていたんですね。
ただアンケートを受け取った将棋年鑑の係の人は困っただろうなあ。
8月8日。
もうすぐ命日です。
映画「聖の青春」の中でも、村山さんがアンケートに
書き込んでいるシーンがありました。
「座右の銘は?」に対して「負けるが勝ち」????
「好きな音楽の曲名は?」に対して山下達郎とともに
挙げられていたロックバンドは「ボストン」!
おっと趣味が一致しました。
1980年代によく聴いていたボストン。
ドラマチックな曲調が良かったなあ。
な、な、懐かしい!
ボストンを聴きながら、村山さんは少女マンガを読んできたのですね。
「コンピュータがプロ棋士を負かす日は? 来るとしたらいつ?」
に対して「来ない」
でも今年の4月1日に、名人がコンピュータに負けました。
村山さんが「来ない」と書いた事態が、来てしまいました。
現在、この本を読み始めました。
読めたらこのブログで書きます。
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