しずくの音で生きていることを確かめた村山聖さん
今日は8月2日。
竹原ピストルさんの曲「最後の一手~聖の青春~」について
もう少し書きたい。
こんな歌詞がありました。
♪ しまりきらない水道の蛇口から
ぽたりぽたりと
ひとしずくひとしずく
命がまたひとしずく ♪
これについては、
「聖の青春~病気と闘いながら将棋日本一をめざした少年」
(大崎義生著/角川つばさ文庫版)では、
129ページから記述があります。
村山の闘いは盤上だけではなかった。
持病ネフローゼとの果てることのない闘いでもある。
奨励会で負けた後は必ずといっていいほど体調を崩した。
熱が出ててきめんに体がだるくなる。
そんなとき、村山は部屋にひきこもった。
布団にくるまり、ただひたすら体を休める。
尿瓶のかわりのペットボトルを近くに置き、
用はそこですませる。
起き上がって、トイレに行く体力すら温存しなければならないのだ。
本も読まない、詰め将棋も解かない。
できる限り何も考えない。
音楽も聴かない。
カーテンも閉め切って、部屋を可能な限り暗くしてじっと体力が回復し、
蓄積していく時を待ちつづける。
2日で終わることもあるし、そんな状態が1週間近くつづくこともあった。
水道の栓をゆるめて、洗面器に張った水に水滴が
ポタポタとしたたるようにしておく。
ポタッ、ポタッと闇の中に響くかすかな音、
それがなければ自分が生きているかどうかさえわからなくなってしまうからだ。
(129~130p)
この文章だけでは、イメージが浮かばないところがありました。
でも次の文章で理解できました。
ポタッ、ポタッ、ポタッ。
そうやって自分が生きていることを確認する。
そして、また眠る。
次に目を覚ましたときはおそらくは真夜中。
街は静まりかえり、まるで漆黒の闇に抱(いだ)かれているように
何も見えない。
体は鉛のように重く、頭に霞がかかったように
何もかも漠然としている。
しかし、しばらくするとあの音が響いてくる。
ポタッ、ポタッ、ポタッ。
そして、村山は自分が生きていることを確認してまたひたすら眠る。
生と死の中間にいるような不思議な感覚の中で
ただひたすら眠るのだ。 (130p)
やっぱり、「壮絶」な生活だったと思う。
あの最後の羽生善治さんと戦いの映像の村山さんのお顔を見ると、
そのような壮絶な生活をしているような表情には思えませんでした。
でも、やっぱり「壮絶」だったのでしょう。
今回引用した文章からも感じられます。
水道の栓をとめた時の記述も引用します。
その夜、村山は師匠が買ってきてくれたのり巻きに
むしゃぶりつき、また眠った。
そして翌朝、ずいぶん早くに目を覚ました。
体から鉛が消え失せているのがわかった。
頭はよく晴れた秋空のようにすっきりしていた。
もう大丈夫だと経験が教えていた。
よろよろ立ち上がり、水道の栓をきつく締めた。
闇の中で自分を支えつづけた音がピタリとやんだ。
(135p)
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